軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第071話 クラエス・サルトーリ

隣室は、少しほこりっぽいこと以外は、さきほどの部屋とほとんど変わらない部屋だった。

クラエスは窓際に向かうと、ほこりっぽい椅子に座るのが嫌だったのか、壁に背中を預けた。

「それで? どういう事情でイーリと喧嘩したんですか。まずはそこから聞かせてください」

「ふぅん……最初に言うことがそれなのか。てっきり、大声をあげてなじってくるものかと思っていたけれど」

「そんなことをしても意味がありませんから」

ベレッタなんかとは違って、この人はそもそも性根がねじ曲がっている。打っても響かない人間に、感情をぶつけても何の意味もない。

「冷静に考えれば、あなたが挙手をしない理由は何一つない。であれば、理由は理屈の中ではなく、感情の中にあるのでしょう。事情を聞かせてもらわないことには、なにも話が進まない。なぜ、あなたはイーリを殺したいほど憎んでいるのですか?」

「ふぅ……」

クラエスは窓際に腰を預けながら、ため息をついた。

しばらく待ってみるが、なにも話さない。

「沈黙で時間を稼ぐつもりですか? おすすめできませんね。会話を拒むようなら、聖剣の返還をエレミアさんに要求します」

「……きみには、喋るのが気鬱な話題はないのかい? 幸せな人生だなぁ」

幸せな人生……新鮮な響きだ。考えてみれば、人生で初めて言われた言葉だな。

「もちろん、おれにも気鬱な話題はあります。ただ、おれの感情も理解してほしい。今理性的に話していることも、褒めてほしいくらいだ」

心の中は怒りで煮えくり返っている。

「ま、そうだろうね……」

と言ったあと、クラエスは、

「つまらない話だよ? 平々凡々な、なんの才能もない女学生が、姉のように慕っていた女性に裏切られて、逆恨みしただけだ」

逆恨み……他人に指摘されるときには多く用いられる概念だけど、自称するのは珍しい気がする。

「今も、イーリのことを逆恨みしていると……?」

「今は、まっとうに恨んでいる。というより、死んでくれたらスッキリするという気持ちかな」

「……イーリがヴァラデウムに留まらず、学者の道を志さなかったことが不満なのですか?」

「うん。そう だ(・) っ(・) た(・) 」

だった?

「だった……とは? 結局のところ、あなたはイーリのなにに怒っているのですか?」

「ふっ……きみらには、私の気持ちは一生わからないよ」

「きみら?」

この人は、ワケがわからん。きみら、というのは、おそらくおれとイーリのことなのだろうが。

「……若くして、次々と綺羅星のような論文を発表した天才を、見上げることしかできなかった凡人の気持ちはわかるかい?」

イーリのことか。

「……学生のころの私は、確かに彼女の傍にいた。周りからは、女王の 膝下(しっか) に仕える従者のように見えたろうね。彼女は私に語りかけ、雑事をこなすと、いつも優しい感謝の言葉を送ってくれた」

まあ、イーリはそうするだろう。別荘で働いていたアリシアにも、ことあるごとに感謝を伝えていた。

イーリは、そういった言葉の重要性を理解している人だ。それを面倒くさがり、ないがしろにすることで生じる不利益も。

「彼女は、子犬のようにしっぽを振ってついてくる私に、気まぐれに話しかけてきた。知的な会話の節々からこぼれおちる、才能のかけらを独占することが、当時の私にはなににも勝る喜びだった。周囲は、それを許される立場にいる私を、羨ましそうに見ていた……」

ええ……イーリってそんな女王様みたいな学校生活送ってたのか。

若気の至りか?

クラエスは当時を思い出しているのか、夢見るような表情で、イーリのことを語っている。

「ただ、それはどれも難解な内容で……私は、彼女に失望されたくなくて、たくさん勉強をしたよ。だけど、いつも怖かった。私のような無能がいくら勉強したところで、高度領域への理解の深さは天才と同じにはならない……君たちのような天才の理解は、いつも本質的で、我々凡人と同じ理解をしているようでいて、そうではない。私たちが結晶の外形を見て理解したと思っているとき、君たちは核の構造を理解している。そして、私たちには手の届かない深みで点と点を繋ぎ、次の研究へと繋げていく……私は、めっきのように仕上げた表面的な理解を彼女に見抜かれ、低能として嫌われ、遠ざけられるのではないかと、ずっと不安だった」

当時のイーリはどんな人だったのだろう……?

無性に気になる。

まあ……とにもかくにも、人を心酔させるカリスマ性みたいなものは、当時からあったみたいだな。

その頃におれと出会っていたら、どんな関係になっていたんだろう……?

研究のライバル関係とか……?

「だが、忘れもしない……ある日突然、彼女はヴァラデウムを去ると言い出した。実家に帰って政治家になるって。ハハッ……あんなくだらない仕事を……彼女のような人間がやる必要がどこにある?」

まあ、おれもそう思うけど……。

「……おれにも、そこだけは解りますよ。 貴族たる者の義務(ノブリス・オブリージュ) だとか……誰がなにをいっても、あれだけは聞く耳持たずでした」

そう言うと、クラエスはどこか懐かしそうに微笑んだ。

「そうなのか……変わっていないな」

「その様子だと、あなたも随分とその話をしたんでしょう」

「ああ。私は……それはもう、言葉を尽くして説得をしたよ。懇願もした。私を哀れに思うなら、頼むから傍に置いてくれと泣いて縋った。しかし、彼女は私を置いて帰っていった。ミールーンに連れて行ってさえくれなかった」

連れて行ってくれと頼んだのか。

軽い驚きだった。おれもこの人の論文は読んだが、どう考えても頭はいい。アインシュタインやニュートンのような天才ではないが、間違いなく非凡な才能を持っている。

そんな人間が、それほど自分に心酔しているのなら、つれて帰って部下にすれば役に立ったろうに。

イーリはなぜ拒絶したのだろう?

「一人、付呪学部に取り残された私は、順調に実績を積んでいった。彼女の一番近くにいた私は、才能に当てられて少しはものを考える能力を獲得していたようだ。私は、彼女がこぼしたアイデアのいくつかを論文にしたてあげて、付呪学部長の椅子に近づいた……」

「いいことじゃないですか。実際、素晴らしい執務室で、いい仕事をできている」

ヴァラデウムの付呪学部長といえば、付呪学の分野では最高の 碩学(せきがく) と呼んで差し支えない。それを否定できる人は、人類世界に誰一人としていないはずだ。

……しかし、だとするとなにを解決してあげればよいのだろう。

イーリと仲直りさせればいいのか?

「ああ、いいことだ。それで終わっていれば、今の私はそこそこ満足していただろうね」

「今の立場に満足していないと……? ヴァラデウムの付呪学部長といえば、学者の到達点としては一つの頂点じゃないですか」

エレミアを蹴落として学長の地位に登れないことが不満というわけでもないだろう。

「私はね、彼女が政治家になると思ってたんだよ。学問の道を捨てるのだと。実際、そうすると言われていたからさ」

――ああ、そういうことか。

やっと、腑に落ちた気がした。

「だが、現実はどうだ? 北の果てから論文を発表して、彼女は今も学会を牽引している。それも、政治家としての仕事の つ(・) い(・) で(・) の片手間で、だ。私は、その つ(・) い(・) で(・) の仕事にすら足元にも及ばない。及ばないことを、ずっと思い知らされている。どんな椅子に座っていても、それでは惨めだろ……? 一番読まれている論文は彼女のものだし、学生も彼女に憧れ、彼女が気まぐれに一冊だけ出した指南書を聖典のように暗記している。私が一生懸命書いた本など、誰も見向きもしない」

わぁ……。

そりゃたしかに悲しい。

でも……心のどこかでは、仕方ないとも感じる。おれもあの本を入門書に学んだが、たしかに解りやすかった。なにも理解しようとしない愚かな民衆に、難しい政治観念をかみ砕いて説明する、政治家としての仕事が役に立っているのかも、と思ったくらいだ。

義務感で読まずとも、自分から読み進めたくなる参考書というか……重要な概念には別方向から説明を繰り返して、多角的な理解を深くしたり、難しい部分を通り過ぎたら気が紛れるアカデミックな挿話などを挟んだり、上手い人の飽きさせない演説を聞いているような楽しさがある。

「これで理解できただろう? きみには理解できないと言った理由が。きみのような天才に、私の感情は理解できない」

まあ……それは、残念ながらその通りだ。

おれがその立場だったら、イーリが思いつきもしない斜め上のアプローチをして、度肝を抜いてやろうとか思うだろう。実際、おれはイーリが驚くようなことを何度もしてきた。

――きっと、私がなにを教わっても、あの人の期待を上回ることなんて一度もないと思う。

過去に思いを寄せていると、ふと、あの時のアリシアの言葉が頭をよぎった。

「でも……おれはあなたの低次降下についての論文を読みましたよ? 内容も正統派で、立派な論文でした。あれもイーリの発案だったんですか?」

「あれは違う。私が……生涯でただ一度、彼女の鼻を明かしてやろうと骨身を削って書いたものだよ」

そうなのか。

「なら、いいじゃないですか……あなたは学者として十二分に立派ですよ。誰に恥じることもない」

「論文の閲覧点数では、彼女の論文に二倍以上の差をつけられての二位だ」

だから……? という感想しか浮かばない。

そもそも、学問はそういうふうに競争をするものではない。社会的に需要のある分野もあれば、そうでない分野もある。閲覧数が違うからといって、重要でないということにはならない。

だが、それをいくら言っても、クラエスには響かないだろう。クラエスにとっての学問は、そういうものなのだ。

「邪魔なんだよ……どうしても。居なくなってくれたら、どれだけせいせいするか……」

「そういうことですか。まあ、だいたい理解できました」

「なら、話は終わりだね。私は、絶対に挙手しない。わずかにでも、彼女の命を救う助けになるなら……」

……うーん、この人は、一体なにがしたいのだろう。

イーリに死んでほしい……というより、いなくなってほしい。とは言っているが、どうもそれは、表層的な感情であるような気がした。

この人の本音はなんなのだろう……。

イーリが去った後、この人はなぜ頑張ったんだろう。

イーリに心底依存して、イーリなしでは生きていけない、なにもできない、という人間だったのなら、去った後に付呪学部の学長にまで登り詰めることはなかったはずだ。その出世にはそれ相応の努力があったはずだし、それ以前に学者なんか辞めるのが普通だ。

正確なところまでは察せないけれども、そこには、やっぱりイーリを超えたいとか、見返してやりたいとか、あるいは……学者の道を捨てたイーリに、いつか出世を褒めてもらいたい、というような感覚があったのではないだろうか……。

しかし、イーリは仕事をしながら学者としての発表もこなしていった。

政治や戦争にかかりきりになっているはずなのに、わずかな 寸暇(すんか) にこなしているはずの研究で、自分のそれを優に上回る実績を出す……それをやめてくれない。そして黒い泥に沈むように諦め……今は、イーリの死を望んでいる。

だが、なぜおれを騙してまで聖剣を手に入れようとしたのだろう。

聖剣、つまり新しい論文を作るための試料などどうでもよかったのであれば、騙したりせずあの場で「絶対に断る」と言えばよかったはずだ。実際にエレミアはそうしたし、おれは諦めるしかなかった。

今だって、聖剣をすっぱりと諦めれば、おれとこうして気鬱な会話をする必要もない。

だが、クラエスは聖剣を欲した。それは研究と、その成果を得たいと思っているからだとしか思えない。

「クラエスさん、あなたに残念なお知らせをしなければなりません」

「……なにかな?」

「あなたに差し上げた聖剣、半分に割った片割れは、すでにイーリの元に届いています。それを黙っていたのは、イーリの経営するサリー・シノン魔導工房に渡っていることを知らせると、あなたの中で聖剣の価値が下がり、交渉の対価として価値がなくなるのではないかと思ったからです」

「……そうか。まぁ、そうではないかと予想はしていたよ。彼女が、そんなヘマをするわけがない」

この人は、イーリのことを万能の超人かなにかだと思っているのだろうか……?

イーリは人並みに間抜けなミスをするんだけど。

実際、クラエスとの仲をこじらせたせいで禁書閲覧できなかったわけだし。

まあいいか。

おれは荷物から取り出してきて持ってきた、大事なものを纏めていれておく小袋を開き、小瓶を取り出した。

「でも、これは渡していません」

昨晩は……宿で寝ていたらまーたベレッタに襲撃された。なんにキレてんのか、セリカさんとの件を内心では疑っていて、それが深層心理のストレスになってるのか、正確なところは察しようもないが、お馴染みの襲撃でまーた焼け出された。

今回の襲撃は早朝でなく深夜で、そのせいで公園で夜明かしすることになり、散々な思いをしたが……おかげで助かった。

荷物をかかえて歩き回ることになったおかげで、今この場にこれを持ってくることができた。

「なんだい? それは」

「あの聖剣の、刀身となる流体金属です。持っていないと言ったのは、嘘でした」

「そうか」

クラエスはじっとこちらを見ていた。

「柄は神族の技術で解析できませんが、これは違うんですよ。まだ詳しく調べてはいませんが、中に特殊な金属粒子が入っています。少しいじりまわしてみれば、研究試料として最高の価値があることは分かるはずです。現在の魔導工学に革命をもたらす研究成果が得られるでしょう」

「それで……私が転ぶと思っているのかい?」

「どうでしょう……分かりません。ただ、それほどの論文であれば、イーリは間違いなく読みますよ。そして、筆者の名を見て驚くかもしれない。クラエス・サルトーリ、あなたがこれを書いたのかと」

「………ふぅ」

クラエスは、小さく息を吐いた。

実際のところ、イーリはそんなことを大して気に留めたりはしない。後輩に上をいかれたことに屈辱を感じたりもしないだろう。イーリにとっての重大な関心事は、他にあるのだから。

だが、おれがこの人を理解できないのと同じように、この人は、イーリのその部分のことを理解できない……国家のためなら、己の命すら重要ではないという、政治家の 矜持(きょうじ) を。

「……あなたの本当の望みは、イーリを死なせることじゃない。イーリを見返して、脱帽させ、それを周りにも認めさせることだ。おれは、そう思いました」

「それが、偽物でないという保証は? その瓶の中身がただの水銀でも、私には見分けるすべがない」

……実際のところ、これの研究はかなり済んでいる。ヴァラデウムに来るまでの間にいじりまわし、柄が出している命令も解析している。

それを擬似的に出せば……。

おれは蓋を外すと、魔力を込めて水銀を変形させた。針のような細さになった水銀が天井に刺さった。

吸着の信号を飛ばすと、するりと手元の瓶に戻ってきた。

「このくらいのことは、簡単にできます」

「……なるほどね。では、交渉成立だ」

クラエスは手の平を出した。

「ふざけてます? 後払いに決まってるでしょう」

「フフッ、さすがに、引っかからないか」

クラエスは静かに笑うと、窓際から腰を浮かせて歩き出した。

同意した、ということでいいのだろうか。

「きみと話していて、少し気が晴れた。これでイーリの命がわずかに延びるとしても、それくらいなら構うまい」

やっぱり、この人の中では研究は重要なんだな。そもそも、そうでなければイーリを恨むこともなかっただろう……。

「クラエスさん」

すれ違い様、おれはクラエスに声をかけた。

「なんだい? まだなにか――」

「いえ、ひとこと言っておきたくて」

言うかどうか少し迷ったのだが、口が勝手に引き止めていた。

「あなたのことを一番低く見ているのは、あなた自身ですよ」

そう、おれは言った。

「おれも、そしてイーリも、あなたのことは十分に評価しています。おれは、一度約束を 違(たが) えられた今でも、あなたのことを一流の学者の一人だと思っていますよ。おそらくは、ほかの学者たちも。みんな、あなたの自己評価ほどには、あなたを低く評価してはいません」

「……で? それがなんだ」

「それだけです。どうも……イーリがこの場にいたら、そう伝えるような気がしたので」

おれがそう言うと、クラエスは今まで眠そうにしていた目を見開き、複雑な感情をむき出しにしたような表情をして、じっとおれの目を見た。

一秒ほど目が合ったろうか。すぐに目線を切ると、クラエスは一歩足を進めた。それだけで、もう表情は見えなくなってしまった。

「救われるね」

ぽつりと、それだけ言い残して、クラエスは部屋を去った。

少しして、おれも後を追った。