軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第005話 励起

その翌日、夕暮れ時に食事を済ませると、

「ルシェ、論文を読み終えたよ」

とイーリが言った。

「そう。じゃあ……すぐやる?」

「いや、霊体励起というのは痛みを伴うものなんだ。夜眠れなくなると辛いから、やるなら明日の朝にやったほうがいい」

「えっ、痛いの?」

ルシェは、聞いていない、と少し非難するような目でイーリを見た。

それを教えてしまうのか。とゲオルグは思った。隠していたのではなかったのか。

「ちょっと酷い頭痛みたいなもんだ。個人差はあるが」

ゲオルグは言った。

「霊体が内包できる魔力の大きさによって痛みが変わると言われていますね。イーリ様は特に症状が酷かったとか」

「そうなの?」

「うん。なにせ大昔のことだから、余り覚えていないが……といっても、その痛みで死んだ者はいないから、そこは安心してくれ」

確かにアレで死んだという話はゲオルグも聞いたことがなかった。

「……ふーん、ゲオルグはどうだった?」

「おれも覚えてないな。というか、おれの場合は家族ぐるみで嘘を 吐(つ) かれてたから、痛くないと思ってたんだよ。痛みよりも、むしろ終わった後に猛抗議をしたことの方をよく覚えている」

「だまされてたの?」

「ああ。家族全員がグルになってな。痛いと脅かして逃げられたり隠れられたりすると面倒だと思ったんだろう。子供ながらにまんまとしてやられたってわけだ」

「プッ」

と、吹き出す声が聞こえた。

「フフフッ、いや、すまん。フフッ」

笑ったのはイーリだった。なにやら笑いのツボに入ったらしい。

「ネイはどうだったの?」

「私は痛かったですよ。今まで感じてきた痛みの中で一番痛かったと思います」

「ふーん、そう……」

「でも、イーリ様ほどではなかったでしょうね。聞いた話だと痛みのあまり半狂乱になって、縛られていた腕が脱臼するまで暴れたとか」

初耳だったが、それは確かに激烈な症状だ。

ゲオルグの時は強い痛みで眠れなかった記憶が薄っすらとあるくらいだから、それほど激しい痛みではなかったはずである。

「まあ、私の場合は家業の関係で特に早めにやられたからね。確か六歳だったか。魔導の家系は、子供に早く魔術の勉強させたくて気を急いてそういうことをするのだが、本当はあまりよくない。あまりに幼いと体も心も痛んでしまう」

イーリはかつての体験を思い出したのか、少し物憂げな表情で言った。

とはいえ、イーリがそんなことになったのは規格外の魔力の持ち主だったからであって、普通は精神のありように影響を残すような激痛があるわけではない。親がそうするのも無理からぬことだろう。

「あとは、極稀に魔力と調和できない者もいる。千人に一人くらいだけどね」

「そうなるとどうなるの?」

「なんとも言えない全身的な違和感を覚えるようになったり、あるいは不眠症になったり……症状はいろいろだが、生涯癒えないことが多い。人生の幸福度は著しく下がるようだ」

「そうなんだ」

一体、イーリはなぜこんなに脅すようなことを言うのだろう。ゲオルグにはさっぱり分からなかった。

どちらかといえば、騙して朝方起きる前に勝手にやってしまってもいいんじゃないかとすら思っている。軍などは乱暴なので、新兵の宿舎で寝込みを襲うような形で済ませてしまうものだ。逆に脅して怖がらせるほうが当人にとってはよくない。

「正直なところ、研究を読んでもなにも有益な情報はなかった。そもそも君は前例のない存在だ。 励起(れいき) を行うことでどんな影響があるか分からない」

「ふーん。大丈夫だよ、気にしなくて」

「……もう少しリスクを説明したほうがいいかい?」

「いや、いいよ。どうせやらなきゃ魔法は使えないんだし、せっかくこっちに来たのに魔法を使えない人生送っても意味ないもん。死んだ人はいないって言ったけど、別に死んだっていいし」

死んでもいいとは、なんとも虚無的な思考である。

一体、この子はどんな環境で生まれ育ったのだ。

「さすがに、ほとんど確実に死ぬって言われたら考えるけど、他の人は大丈夫だって話だから、別にいいよ」

「……うーむ」

イーリは悩むように言うと、少しの間ルシェをただ見ていた。

「まあ、ここで良くないと言っても仕方がない。おいおいなんとかしよう。施術は明日の朝だな」

「うん。じゃあ、今日は早めに寝ておくね。ごちそうさまでした」

と言って、やや高すぎる椅子から飛び降り、寝室に向かってしまった。

◇ ◇ ◇

翌日、朝食を済ませると、イーリはルシェを椅子に座らせ、何やら妙なことを始めていた。

乳鉢で砕かれ、そのまま水に溶かれた材料を細い筆に浸け、小さな額に複雑な文様を描いている。

「何をしているんだ?」

とゲオルグが聞くと、

「我が家に伝わる……まあ、お 呪(まじな) いのようなものだ。一種の気休めだよ」

とイーリは言った。気休めにすぎないようだ。

「そうか」

「と、よし、これで終わりだ」

イーリが筆を机に置くと、ルシェの額には縦にした目のような模様が描かれていた。

その周囲に額いっぱいに幾何学的な魔術式が走っている。

「ミールーンの古い伝統では、霊体励起のことを 啓眼式(けいがんしき) という。魔力を見る第三の目を 啓(ひら) くというわけだな。ヴァラデウムではまた違った作法があるのだが、今回はミールーン式でいく」

魔都ヴァラデウムは魔術士たちが治める自治都市である。イーリがミールーンの次に長く暮らしたはずの土地だ。

ヴァラデウム式だのミールーン式だの、魔術に縁深い土地にはまどろっこしい作法があるようだ。まあ、魔術師としての第一歩を踏み出す行事であることは確かなので、何かしら意味を持たせたくなるものなのだろう。

「――さて、始めよう。すぐに済むから、目は閉じたままでいるように」

「イーリ様。私がやります」

ネイが名乗り出た。

「大丈夫だよ。私がやる。そもそも魔力を使うわけではないし」

「ダメです。そもそも必要ありません。それに…… 啓眼式(けいがんしき) は親がやるものじゃないですか」

「私が親代わりだ」

「……ダメです」

なにやら揉めているようだ。

ネイがイーリに反抗するところは初めて見たが、イーリの体調を慮っているというよりは、なにやら別の理由があるように見える。

「じゃあ、ゲオルグがする?」

ルシェが言った。

「それこそ論外だ」

イーリが言った。ダメなようだ。

「ネイ」イーリは養子の名前を呼んで、彼女の頭に手を置いて、撫でた。「聞き分けておくれ。この子を喚んだ責任を取りたいんだ」

「………」

ネイはどこか拗ねているようにも見えた。

「……分かりました」

ややあってそう言うと、イーリは改めてルシェのほうを向いた。

「待たせたね。じゃあ、始めるよ」

「うん」

イーリは膝を折ってソファに座ったルシェに目線を合わせると、前髪を上げて額を露わにした。

そして、自分の額をルシェの額に描かれた眼にくっつけた。

すると、

「◯△x!」

ルシェが、表情から察するに、恐らく彼の世界の言葉で「痛い」に当たるであろう言葉を鋭く叫んだ。

ビクッ、と震えたルシェの頭を、イーリはがっと両手でつかみ、両方の親指を眼の部分に添えた。

「 啓(ひら) け」

短く言って、親指にぐっと力を込めると、額に描かれた陣が一斉に発光し、赤から黒に変じた。

「あ゛っ」

と、ルシェはビクンと体を奇妙に震わせながら喘いだ。

「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ーーーーーーーっ!!!!!」

ルシェは、頭を強く押さえて海老反りに体を仰け反らせ、咽頭が引きちぎれんばかりに絶叫した。

人間からこれほどの声が出るのかというほどの、耳をつんざくような絶叫だった。

「―――!! !!!」

血相を変えたイーリがルシェに向かってなにかを叫んでいるが、叫びにかき消されて聞こえない。

「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!!」

ルシェは頭の中にある痛みを紛らわそうとしているのか、半狂乱になって自分の頭を殴り始めた。

首の筋肉までも総動員して、石でも割るようにして頭と拳を激突させている。相当に痛そうだが、まるで痛みを感じている様子がない。

頭の中にある尋常でない痛みのせいで紛れてしまっているのかもしれない。

「――めろ! 止(と) めろ!!」

ルシェが息継ぎしたところで、ようやく一瞬だけイーリの声が聞こえた。イーリはルシェの腕を握って、凶行を止めようとした。

だが、尋常でない力によって簡単に振りほどかれてしまった。

振りほどかれたあと、まったく余裕の消え去った目で周囲を見回し、ルシェが硬そうな柱を見て足を動かしたとき、ゲオルグは動いた。

幼い少年の拳で頭を殴るくらいならまだしも、あんなものに体ごと頭をぶつけたら頭蓋が割れてしまう。

走り出したルシェの横合いから腰のあたりを蹴り飛ばすと、すっ転んでうつ伏せになったルシェをもう一度、腹の下からすくい上げるように蹴飛ばし、仰向けにした。

脛の下に片腕を敷きながらルシェの体を跨ぎ、大暴れする残った片腕を両腕で捉え、もう片方の脛の下に敷いた。そのまま尻を落として跳ねる胸を地面に押し付け、マウントポジションを取った。

「グウウウウッ!!!! ア゛アアアアアッ!!」

ルシェは歯を噛み締めながら叫び、口から泡を出しながら暴れ狂っている。軽く倍以上の体重差があるにもかかわらず、凶獣のように暴れ狂うルシェを制するのには、かなりの力が必要だった。

「おい!!」

ゲオルグは叫びながら、呆然としているネイの方を見て、手のひらを口で噛むジェスチャーをした。

この様子だと簡単に舌を噛み切ってしまう。噛み切ったところで、ルシェはなんの痛痒も感じないだろう。

ネイはすぐに察して、風呂の部屋から体を拭く布を持ってきた。

ゲオルグは、それをルシェの口に当てた。ルシェは拒絶するふうでもなく口いっぱいに布を噛んだ。

ルシェは頭がおかしくなって凶暴になったわけではなく、ただ痛みから逃れたいだけなのだ。ゲオルグが噛ませた布を、痛みを逃れる足しになる何かだと思ったのだろう。

ゲオルグはそのまま布を一周頭に回すと、頭の横で強く縛った。

「ムウウーーーーッ!!」

ルシェは苦しみに歪んだ表情で、何かを叫んでいる。

この痛みを消してくれ、和らげてくれと必死に懇願するような目をしていた。

「おい、気絶させていいのか!?」

ゲオルグは言った。布を口に咥えさせたことで、絶叫は会話できる程度には収まるようになっていた。

「できるのか!?」

イーリが叫ぶ。

「ああ!」

「なら、頼む!! 気絶させてやってくれ!!」

イーリが言うならいいのだろう。ゲオルグは、拳を横に振り上げた。

「ムーーーーーッ!!! ムウーーーーーー!!」

痛みから逃れようとするルシェは、足を滅茶苦茶にバタつかせながら、腹筋も背筋も総動員して全身で暴れ狂っている。

自分の脳みそを遠心力でどこかに吹き飛ばそうとでもしているかのように、頭もバタバタと振っている。ゲオルグは、頭の左右の動きに狙い澄ますように掌底をあわせた。

一閃、手のひらの腹が左から右へと暴れる顎に、スコンッ、と勢いよく衝突し、意識を刈り取った。

「アッ――」

ルシェは、一瞬救われたような顔をしたあと、今までの暴れようが嘘のようにパタリと力が抜け、糸が切れた人形のように動かなくなった。

拳に伝わった感触から、割れたり砕けたりした感じはなかったが、ゲオルグは一応顎と頭を掴んで力を入れ、具合を確かめた。

奇妙にグラつくこともなく、外れた様子もなくしっかりとくっついている。

「――上手くいったが、いつ目が覚めるかわからん。今のうちにベッドかなにかに縛り付けよう」

◇ ◇ ◇

「ひとまずは、これでいいだろう」

イーリが使っていたベッドが一番丈夫だったので、そこに縛り付けることになった。

特殊な結び方で両手両足と胴を丈夫なベッドにぎっちりと縛り付け、改めてしっかりと猿ぐつわをかませると、ゲオルグはやっと一息をついた。

ルシェは今のところ目覚める様子がないが、一秒後に飛び起きて暴れだしてもおかしくはない。

「なんというか……普通の痛がり方じゃないぞ。イーリ、お前はどう見てるんだ。こういう激烈な症状を呈すこともあるのか?」

「……いや、単に魔力量が多いというだけではこうはならないと思う。こんな話は聞いたことがない」

やはりそうらしい。

あんな痛がり方をするなら、霊体励起がもっと脅威のように伝わっていてもよさそうなものだが、ゲオルグの知る限りではそんな話は聞いたことがない。

死んだ例は古今東西一回もないというが、これでは死んでしまってもなんの不思議もない。

「いっそ、このまま眠らせておくことはできないのか? 麻酔薬や魔法で、眠っているうちに痛みが過ぎ去るならそれが一番いいだろう」

「駄目だ」

イーリが答えた。

「そういった無痛化の策は意味がない」

「何がだ? 実際に、今は気を失って楽そうにしているだろうが」

ゲオルグはルシェを見た。痛みなど消えてしまったかのように、安らかに眠っている。

「必要なのは痛みを感じる過程であって、時間ではないからだ。たとえこのまま一ヶ月間 睡(ねむ) らせ続けても、覚醒した後は痛みが再開するし短く済むということもない。体の傷のように、 睡(ねむ) っている間に癒えていくという性質のものではないのだ」

既に考察が済んだ問題であるらしい。

「しかし、あの痛み方だと本当にどうにかなってしまう可能性が高いぞ。爪や歯を痛めつける拷問をしても、人間ああまではならない。子供の精神が耐えられるもんじゃない」

「でも、どうすることもできない……」

イーリは諦めたように言った。

「これほどの痛がり方をするということは、何か悪化させる原因が彼の中にあったのかもしれないが、もう何をするにも手遅れだ。始まってしまったものは止められない。元に戻すこともできない。これから霊体をいじれば、それこそ取り返しのつかないことになってしまう」

「そうか……」

イーリが言うからには本当にそうなのだろう。

しかし、あの痛がり方は見るに忍びない。

ゲオルグは、生きながら足を切断されたり、体の半分を吹き飛ばされたりした者も見たことがあったが、あれほどの痛がり方はしていなかった。

爪を剥がそうが目を抉られようが、そんなことが些事にしか思えぬほどの激痛が絶え間なく襲ってくるのだろう。

してやれることと言えば、終わった後に後遺症が残らないよう、手足を縛るのに柔らかい布を使ったり、歯が割れないように猿ぐつわを工夫してやることくらいだ。

「せめて、私が看病する。私のときは、それが一番心強かったから」