軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第034話 限界

「ゲオルグっ!」

おれはすぐに駆け出した。

ゲオルグを見ると、上半身を起こしてこちらを見ていた。

「……見ていたぞ。やるじゃないか」

近寄ってゲオルグの体を見た。針が刺さっている右腕と左足は、紐とベルトでぎっちりと止血されている。

問題は腹に刺さった二本の氷の槍だった。

「待っててね。絶対助けるから」

俺は体を貫通している氷の槍の、背中側に出た先端を切断すると、少し考えてゆるやかな背もたれのようなスロープを作り、ゲオルグが背中を預けられるようにした。

ゲオルグは体重を預けると、安らいだように少し長い息を吐いた。

「いや、いい」

「なにいってんの。弱気にならないでよ」

腹には二本の氷の槍が突き刺さっているが、心臓は無事で、刺さったのは小腸と、肝臓の近くだ。そして、現在は過冷却された槍自体が血止めになっている。

普通なら体温で氷が溶けるにつれて出血することになるが、そこは溶けないよう冷却すればいい。その処置は、既に始めていた。

一番の問題は輸液で血圧低下に対処できないことだが、低体温にして循環を鈍くしながら手術をすれば、まだ手の施しようがあるかもしれない。

「傷じゃない。毒だ」

「は?」

毒?

「この針には強力な毒性がある。触るなよ」

「うそだ」

そんな馬鹿なこと、ありえない。バルザックが、あの状況で悠長に毒を塗っていたとでもいうのか?

絶対に、そんな余裕はなかった。

ならばなぜ……?

「あっ」

この針は、流体金属と血肉が混ざり、強烈な圧力と摩擦、熱によって反応したものだ。素材となった流体金属に水銀と似た物性があるとすれば――。

有機水銀。

「大変じゃん。は、早くなんとかしなきゃ――」

「ああ。早いとこ、俺の剣を持ってきてくれ」

そうだ。ゲオルグの手足はもう使い物にならない。毒の流入源になっているなら、すぐに切除しなければならない。。

おれはすぐに走り出して、さっき腕ごと切り飛ばした剣のところに行った。

頭が動揺していて、思考が噛み合わない歯車のようにくるくると空転していた。

腕は、未だに聖剣を握っていた。指を強く踏みつけて、もぎりとるようにして聖剣を取り返した。

腕と足を切断したとして、そのままにしておくことはできない。と思い至ったのは、戻る途中だった。この場でできるのは焼灼止血しかない。どうせ焼くのなら、断面がなめらかであることに大した意味はない。おれの魔法剣でも十分事足りる。

回らない頭で作業手順を考えながら急いで戻ると、その頃にはイーリとネイが近くに来ていた。

ネイは号泣していて、イーリは見たことのない悲しげな顔をしていた。

おれが近寄ると、ゲオルグはイーリに向かって手のひらを突き出して、会話を中断した。

「貸してくれ」

ゲオルグに言われた通り、聖剣を渡した。

上体を起こして剣を受け取ったゲオルグは、一瞬の逡巡もなく、まるで庭にある木の枝でも落とすかのように、すぱっと自分の左腕を切断した。

それから、まるで躊躇わず左足も切断する。剣が長いので、地面に刃を深く沈み込ませながら斬った。

ついでのように胸の前に生えている氷の槍も切断すると、

「これは見せたことがなかったな」

ゲオルグは、杖入れの中から刃渡り十センチほどの薄いナイフを取り出した。

魔力を込めると、すぐに熱が入り赤くなった。ゲオルグはそのナイフを使って、バターを塗り込むように、ジュウ――と腕の傷口を灼いた。

次いで足の断面を二度に分けて灼くと、

「……便利だろ。よくこれで戦友の傷を灼いてやった」

と言いながら、自分の手足を遠ざけるように放り投げ、冷えて黒くなったナイフをしまった。

「……痛くないの?」

と問いかける。

強く圧迫しているとはいえ、傷口を灼く作業は激痛を伴うはずだ。

「ああ。どうやら具合のいい毒のようだ。痛みはあまり感じない」

あれほどの激痛をまるで感じないということは、毒がかなりの量、体に入ってしまっているということだ。

「ほら」

ゲオルグは聖剣の刃の部分を持って、柄を差し出してきた。

「受け取れ。お前にやる」

ああ、そのために持ってこさせたのか。

と気づいた瞬間、同時に津波のような感情が押し寄せてきた。

「受け取れないよ。自分で使いなよ」

おれはゲオルグが剣を手放すのを信じたくなかった。

一時(いっとき) はそれを望んだこともある。衰えたというなら剣などやめて、他の趣味でも見つけて、安らかな老後を楽しめばいいのにと。

だが、そうではないのだということに、今気づいた。

剣はゲオルグそのものなのだ。ゲオルグとは剣の 化身(けしん) のような存在でありたいと願い、そう生きてきた。別の人生を送るということは、自分でなくなるということなのだ。

なのに、今は自ら剣を手放そうとしている。

「なんでだ。欲しがってたろ」

「もう……もう、欲しくない」

「いいから、受け取れ」

ゲオルグは、開いたままのおれの手に柄を置いて、一方的に手を離した。

「それをぶら下げていれば、剣神が会いにくるかもしれん。会いたくないなら売ってもいい。もう……俺には不要のものだ」

「………ゲオルグ、死ぬの?」

おれは今になって、ゲオルグは本当に死ぬのかもしれない、と怖くなった。

なんだかんだで、どうにかなる。おれの魔術は、本当の奇跡のような現象まで起こせるようになった。全身全霊をかけて取り組めば、できないことなんてない。

そんな楽観的な気持ちにヒビが入って、奥からひやりとした恐しい現実が来て、心をそっと取り巻いたような気がした。

「そうだな。今回ばかりは、お前でもどうにもならんだろう」

「……そう思う? どうしても無理かな?」

「ああ。今のお前は子供だ。十年後なら分からんが、今は無理だろう」

違う!

そう否定しながらも、思考の中では、じゃあどうやって血液にたっぷりと混入してしまった毒物を除去するのだ。という問いに答えを出せないでいた。

無理だ。と評価している。それは、泥水を濾過して真水にするような単純な仕事じゃない。血液に備えられた様々な機能。赤血球も血小板も、血漿成分も何一つとして除去せず、狙った毒物だけを取り除かなければならない。

不可能ではないと思う。でも、それは一ヶ月や二ヶ月の猶予があればの話だ。今、ゲオルグの命を救うためには血液浄化だけでなく、腹腔内の手術もしなければならない。それを考えれば、方法を考えるために残された猶予は、せいぜい五分くらいだろう。どうしても……あまりにも、時間が足りない。

「お前は出来がいいから、どうせ自分のせいだとか思っちまうんだろうが、こんなもんは死ぬほうが当たり前だ。だから気にするな」

「ダメだよ。死なないでよ」

ゲオルグは普通に喋っている。これから死んでしまうとは思えない。

だけど、本当は死ぬ。血は止めても、溶けない氷は体を徐々に冷やしてゆく、そして毒は全身を蝕んでいる。

「お前なら分かると思うが、俺はこれで結構満足なんだ。それなりにいい勝負ができたし、最後に弟子の活躍も見れた」

「……でも、あんまり剣、使わなかったし」

おれがそう言うと、ゲオルグは口端にやわらかな笑みを浮かべた。

「馬鹿。何度も言ったろう。お前はお前のやり方で強ければいいんだ。俺の真似をしようとするな」

「……うん」

おれは無意識に聖剣の柄をぎゅっと握っていた。

「お前は俺の自慢の弟子だ。これからどんなデカいことを成し遂げるのか、期待してるぞ」

褒められると、今までの思い出と感謝の気持ちが心をいっぱいに満たし、器から溢れた感情が形になったように、涙が溢れてきた。

死ぬんだ。本当に、これでお別れなんだ。

「ネイ」

ネイは嗚咽まじりにとめどなく涙を流しながら、ゲオルグを見ている。

「お前の魔術は、ルシェに追い抜かれたかもしれない。だが、もうあの時とは違う。お前は傷つく必要も、悔しがる必要もない。分かるな」

ゲオルグはそう言って、懐から場違いなほどに綺麗なハンカチを取り出し、ネイに渡した。

「……はい」

「お前の努力は見上げたもんだ。俺がいうんだから間違いない。ほら、それで涙を拭け」

「は、い」

ネイは握りしめていたハンカチで涙を拭いた。

そして、ゲオルグはイーリを見つめた。

その視線は、今まで見てきた人々の誰より濃密だった。二人は言葉にできないほどに重い感情を、ただ見つめ合うことで交換しているように見えた。

「死ぬのか。ゲオルグ」

沈黙の末、ぽつりとイーリが言うと、

「ああ。すまんな」

ゲオルグは謝った。

ゲオルグは、自分の命の使い道は自分で決めると考えている人だ。だから、どう使おうが他人に謝ったりはしない。

おれにも、ネイにも謝りはしなかった。だが、イーリには謝った。そこには、何か特別な意味が込められているように思えた。

「本当に死ぬのか。どうにかならないのか?」

「どうにもならない。悪いと思ってる」

「私のために戦ったんだ。悪いとは思わなくていい。でも、今死ぬのは、いくらなんでもあんまりじゃないか」

イーリの口ぶりは明瞭だったが、その内容は混沌としている。

それは、いつもはぶ厚い理性の層で蓋をされた精神が、荒れ狂う感情によって波だって揺れているようだった。

「来い」

ゲオルグが腕を開くと、イーリはゆっくりと胸に抱かれた。

「お前は、愛の告白をした舌の根も乾かぬうちに、私を置いていってしまうつもりなのか?」

「すまない」

「なんて酷い男だ」

イーリは、首に絡めた腕をぎゅっと寄せて、強くゲオルグを抱きしめた。

「……こうなるから、俺は嫌だったんだ。剣を取る限り、絶対に死なないようにはできない。 契(ちぎ) っても、結局、無責任になってしまう」

「ばかだ。お前は」

「……何がだ?」

「どっちにしろ、同じじゃないか。お前は私が人生でたった一人、惚れた男なんだ。拒まれたとしても、どうせお前が死んだら私は泣いたよ。だったら、最初から勝手気ままになってしまったらよかったのだ」

「……確かに、まあ、そうかもな」

「ばか。どうせ死ぬなら、思う存分好き勝手にやって、倦怠期にでも入ってから死ね。格好をつけて 飄々(ひょうひょう) とした 体(てい) でいるくせに、なんでそんなに不器用なんだ」

「ふっ――」ゲオルグは思うところがあったのか、口の端に笑いを浮かべた。「まあ、そうだな……」

「ばか……ばか」

イーリはゲオルグを抱きしめて、ゲオルグは剣を手放した右手で、なだめるようにイーリの背中をさすっている。

体重を預けられて、痛くはないのだろうか。ゲオルグは、むしろ痛みが消えて安らかなぬくもりの中にいるような顔をしていた。

「あの時、家族になろうって言ったじゃないか。私たち四人で……」

「そうだな。だが、俺は家族っていうものが、よく分からん……」

ゲオルグの表情が少し変化してきた。うつらうつらしているような、意識が遠のいているような、そんな目になってきた。

「野良犬のように育ってから、ずっと一人で、剣を握って生きてきた。だが、この一年は……地に足をつけた生活も、悪くないと……」

「ゲオルグ」

おれが声をかけると、まだ意識が残っているのか、ゲオルグはこちらを向いた。

「おれは、もう家族だと思ってるよ。剣だけじゃない、普通の人が親から与えられる、たくさんを教えてもらったから……」

「……そうか」

ゲオルグは優しい目でおれを見た。それを見て、おれはよかったと思った。

涙で鼻が詰まったりしないで、ちゃんと喋れてよかった。伝えられてよかった。

たった独りで旅立たせることにならなくて、よかった。

「ルシェ」

ゲオルグは、おれの名前を呼んだ。だが、うまく像を結べないのか、目の焦点は奇妙にずれていた。

「お前は、これから自分勝手に生きろ」

不思議なことを言い始めた。

「大きな力を持つものは、周りの者を力に溺れさせる……だから、お前は、自分のために力を使え。自分のために、誰かを救ったり助けたりするのはいい。だが、他人に使われるようにはなるな。それは、いい結果を生まない」

「……うん、わかった」

「俺は、何度も失敗してそれを学んだ。お前の人生を縛ることになるから、言わないでおこうと思っていたんだが……まあ、家族に対してのお節介な助言だと思って、許してくれ」

ゲオルグは、そう言い切ると、最後の力が尽き果てたように脱力した。

ずっとイーリの背中を抱いていた右腕が、ぽとりと落ちた。

「ゲオルグ……」

イーリは返ってきたゲオルグを見ていた。

ゲオルグは、イーリを見ていない。焦点を結べず、わずかにずれたところを見ているようだった。

イーリは顔を近づけると、ゲオルグの口に強く唇を押し当てた。

五秒ほどの口づけが終わると、

「……行ってしまうんだな」

「ああ」

と、会話をした。

「ふう……惚れた女に抱かれて死ぬのも……悪くない。まったく……」

そう言ったきり、ゲオルグは続きを話さなかった。

そのまま、ゲオルグはイーリに抱きしめられながら、行ってしまった。