軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第002話 才能

精魂尽き果てた様子のイーリを抱え上げ、寝室のベッドに寝かせると、ネイは自主的にイーリの看病をはじめた。

肉体の傷の処置ならゲオルグにもできるが、イーリが痛みにうめいているのはそういう種類のものではないので、出る幕がない。女性の看護は女性にやらせるに限る。力仕事が必要なら言ってくるだろう。

落ちてきた少年は素っ裸だったので、ゲオルグは自分が持っていたシャツを着せた。見たところ、十三歳くらいの男の子だ。

シャツを着せて喉元から下までボタンを留めると、うまい具合に下半身が隠れた。ズボンは腰のサイズが違いすぎて合いそうにないので、とりあえずはこれでいいだろう。

「腹は減っているか?」

ゲオルグがそう問いかけると、少年は首を少しかしげて疑問げな顔をした。やはり言葉が一切通じていないようだ。

ゲオルグは自分の腹の胃の上のあたりを撫でてみた。

少年はそのジェスチャーを見ると少し考え、次に右手を何かをつまむような手にして、口を開けて運ぶ仕草をした。少しおかしな動きではあったが、明確に食事をするジェスチャーだった。

「そうだ」

そう言ってから言葉が通じないことを思い出し、ゲオルグは頷くことで肯定の意を返した。

すると少年はすぐに頷き返し、ゲオルグがしたのを真似て自分の腹を撫でてみせた。腹が減っているということだろう。

「よし、じゃあ、なにか作ってやろう」

ゲオルグは自分の荷物から幾つかの保存食を取ると、台所に立った。

台所にはかなり多くの食材がある。幾つか拝借しても構わないだろう。ゲオルグは吊るしてあった玉ねぎを二つほど拝借し、スライスして手頃なパンに挟んだ。

適当な葉物野菜と保存食として持っていた塩の効いた干し肉を入れる。これだけでは味気ないので、具に近隣の都市で売られていた瓶詰めされたソースを垂らした。こういった調味料は煮沸消毒してあるので一年以上腐らない。見つけた時に買っておくと旅の食生活が豊かになる。

「よし」

ものの五分で具入りのパンを三つ作ると、ゲオルグは一つだけ二つに切ってトレーに乗せて持っていった。

「ほら、食っていいぞ」

そう言って机の上に置くと、少年はすぐに手を付けなかった。

毒でも入っていると思っているのだろうか? それとも、先に手を付けるのは失礼と考えているのだろうか?

質問をすることもできないので、ゲオルグは自分から一つパンを取って食べた。

「美味い」

「………」

少年はパンを手にとって、ゲオルグの顔色を伺いながら口に運んだ。

怒られないか探り探りやっているのだろうか。

パンを口にすると、なるほどこういう味か、というような表情をし、あとは顔をしかめたりすることもなく食べ切った。

その時、ガチャリとドアを開く音がした。

「………あっ」

ネイだった。

「どうだ? イーリの様子は」

「芳しくありません。穴に入れていた右腕の霊体が丸々なくなりました。腕をちぎられたようなものです」

「……そうなのか」

肉体があるのに霊体がなくなるというのは、魔術界隈ではよくある事故だと聞く。

霊体がなくなっても実生活に支障はない。まったく違和感のない高性能の義肢をつけているような感覚らしい。

ただ、霊体が存在しない部分からは当然魔法を放つことはできない。イーリの右手から魔法が放たれることは未来永劫ないだろう。

「動かせはするんだろう」

「はい。ですが、激しい幻肢痛のようなものを感じるようです」

「そうか。まあ、大きな代償になってしまったな」

ゲオルグはチラリと少年の方を見た。

長年戦士のような商売をしていると、ふとした失敗で四肢が欠損する程度のことは身近によく起こる。

だが、イーリやネイのような街住まいで豪華な家に暮らしていた人間にとっては、それなりに衝撃的な事故だろう。

「料理を作った。口に合うかわからないが、食べておけ」

「いえ、私は……」

イーリのことで食欲がないのかもしれないが、あれだけの大仕事をすれば腹が減るのが普通だ。

「食欲がなくても食え。お前が倒れたら、俺がイーリの看病をすることになる。あいつも男に服の着替えを手伝ってもらいたくはないだろう」

「……確かに、正論ですね。では、いただきます」

ネイはそう言うと、半分に切ったパンを手に取り、立ったままもぐもぐと食べた。

「ごちそうさまでした」

無表情のまま食べきると、そう言った。味を感じられるような心境ではないのかもしれない。

「残りは持っていってやれ。食べられるようなら食べるだろう」

「分かりました」

ネイはパンが一つ乗ったお盆を持って寝室に消えた。

「いーり?」

と声が聞こえたのでそちらを見てみると、少年が喋ったようだった。少年は、ネイがいましがた消えた扉を指差している。

言葉の中からイーリという単語を拾ったのだろうか?

「いいや、彼女はネイという」

そう言いながら、ゲオルグはどうせ分からないだろうな、と思った。言葉が全て分からないのであれば、”彼女”という単語と”ネイ”という単語の区別もつくはずがない。全て意味のない音の羅列だ。

だからこそ言語学習には両言語に通じた教導者が要る。

しかし少年は、

「ネイ」

と辿々しい発音で言うと、次にゲオルグを指差した。ゲオルグの名を尋ねているのだろう。

「おれはゲオルグだ」

「ゲオルグ」

少年は復唱すると、うんうんと頷き、次に床を指差した。なんの変哲もない木張りの床だ。

「………?」

ゲオルグは意味がわからなかった。床に小さい虫でもいるのだろうか?

しかし少年は指を差すのをやめなかった。しまいには椅子から立って、改めてしゃがみこんで至近距離から床を差した。

なにかあるのだろうかと、ゲオルグも椅子から立って近づいて見てみたが、やはりなにもない。木の節目を指差しているわけでもない。

「なんだ?」

意味が分からず言うと、少年はすぐに指をさすのをやめ、すっくと立ち上がった。

「なんだ?」

と言いながら、次に少年はコップに入った水を指差した。

ゲオルグは心の底をハンマーで叩かれたような衝撃を覚えた。

この少年は「なんだ?」という単語を引き出すために地面を指差していたのだ。

その言葉を知れば、次からは知りたい物を指差して「なんだ?」と言えば誰かが教えてくれると考えたのだろう。今、一つの言語を学習する端緒となる紐の先を自分で手繰り寄せたのだ。

「水だ」

「みず」

「床だ」ゲオルグは自ら床を指さして言ってみた。「木でできている」

「ゆか、き……」少年は壁に近づき、木の柱を手でさすった。「き?」

「そうだ」

ゲオルグがそう言うと、少年はうんうんと頷き、机の上に手を置いた。

覚えがいい。

「き、でできている。なんだ?」

「机だ」

「つくえ」

ゲオルグはやることもなかったので、夜中になるまでひたすら少年の学習に付き合った。

力尽きたように眠った少年をソファに寝かせると、自分は空いた部屋に寝袋を敷いて寝た。

◇ ◇ ◇

少々うんざりしながらも、翌日も午前中いっぱい少年の質問攻めにつきあうと、少年は家と生活にまつわる単語の大半を覚えてしまった。

どのような類推によって当たりをつけたのかさっぱり分からないが、時制などを交えない単純な文法なら意味の察しもつくようだ。

少年は一度覚えた単語を忘れないので、質問をされ答えるという単調な作業にもやりがいがあった。三歩進んで二歩下がるのではなく、三歩進んだらいつのまにか四歩も五歩も進んでいる。

それだけに、

「わたしは、かえりたい、です」

といい出した時、ゲオルグは自分でも驚くほど残念な気分になった。

ただ、それはそうだな。とも思う。この少年の状況は、唐突にどこかから拉致されてきたようなもので、普通に考えたらこちらは誘拐犯と呼ばれても仕方のないことをしている。

少年の頭が良いことを面白がっている場合ではない。

「帰りたいんだな」

「うん。かえりたい、です」

「分かった。聞いてきてやる。少し待っていろ」

「ついていく」

「ついてくるのか? まあいいが」

ゲオルグは家の中に入ると、イーリのいる部屋のドアをノックした。

「入れ」

イーリの弱々しい声がした。

「失礼する」

ゲオルグは部屋に入った。

「……どうした?」

イーリはベッドの上に寝ていた。背中に大きなクッションを入れて、上体を少し起こしている。

病状は安定したようだが、顔色はあまりよくない。

「用件は短めにお願いします」

ネイが言った。イーリの傍らに背を伸ばして立っている。まるで秘書のようだ。

イーリは娘だと言っていたが、どうにも娘のようには見えない。

「この子は元の世界に帰りたいそうだ。どっから来たのか知らないが、返す術はあるのか?」

「……帰りたい? なぜそれが分かったんだ」

イーリは疑問を顔に出しながら言った。

「自分でそう言った」

「……? こちらの言葉は解さないはずだが」

「頭がいい。一日話していたら少し覚えた」

ゲオルグがそう言うと、イーリは痛みも忘れ考え込むような顔をした。

すると、

「帰りたいのか?」

と、少年の方を向いて言った。

「はい、かえりたい、です」

少年が自ら言葉を発すると、イーリは少しびっくりしたような顔をした。

「すまないが、それは無理なのだ。諦めてほしい」

「どうしてだ?」ゲオルグが言った。「難しい説明をしても解らないだろうが、俺が聞いて暇な時に教えておく」

「時間切れだからです」

ネイが代わりに答えた。長々とした説明でイーリの体力を削りたくなかったのだろう。

「時間切れ? どういうことだ」

「時空隙は私たちが作ったものではなく、前々回の大戦で放った 母なる大樹(イルミンスール) の魔法で出来た世界のひび割れなんです」

「……ああ、そうなのか」

ゲオルグは合点がいった思いがした。だからこんなところに家を買ったのか。

ここは魔王軍の侵攻の最前線に近く、ルーミ族の居留地からも遠い場所だ。新しい住まいを買おうというのに、わざわざそんな場所を好んで選ぶ者がいるだろうか。

人間の勢力圏の中ではミールーンに最も近い場所なので、今は亡き祖国を懐かしんで買ったのかと思っていたが、ひび割れということは破壊の震源地から地理的に近いことが魔術に必要な要件だったのだろう。

「ひび割れは年月の経過で徐々に閉じつつあって、昨日の儀式は閉塞に間に合うかどうかの瀬戸際だったんです。帰還させるとなると、まったく新しい術式を新たに作らなければなりません。その間に時空隙は閉じてしまうでしょう」

「新しくひび割れとやらを作るのも難しいんだな」

「 母なる大樹(イルミンスール) がもう一本あれば可能でしょうね」

それは不可能という意味だった。 母なる大樹(イルミンスール) は彼女たちの母国とともに枯れてしまって今はもうない。種や株分けした木もないし、あったとしても国を覆うほどの巨樹になるまで何百年かかるか知れたものではない。

「かえれない?」

意味は分からずとも雰囲気で察したのか、少年はそう言った。

「そうだ。お前は帰れない」

非情なようだが、事実なのでそう伝えるしかなかった。

「そう……おっけー」

少年は少し困ったような顔をしてそう言うと、部屋を出ていった。

◇ ◇ ◇

少年は軒先に飛び出した大きなウッドデッキに腰掛けて、目の前に広がった景色を見ていた。

こういった山の斜面に建つ家は、特に別荘は見晴らしが重要なので、普通は視界の邪魔になる部分の森を切り払って展望をよくしている。

だが、二人が来る前は長い間空き家だったのか、木が少し伸びて視界を遮ってしまっていた。木立ちの合間から見えないことはないが、あまり見晴らしはよくない。

少年はぷらぷらと足を振りながら聞いたことのない抑揚の歌を歌っている。

故郷の歌なのだろう。

母親が歌う子守唄にしては抑揚が効いている。元いた世界で好きだった曲なのかもしれない。

ゲオルグが近づくと、その歌は止まった。

「すまん」

邪魔をしてしまったようだ。

「なに?」

少年の声はやはり淋しげだった。

この子にも親はいるだろう。兄弟姉妹もいるかもしれない。子供ながらに親友もいたのかもしれない。あの儀式はそういった縁を根こそぎ引きちぎってこの子を連れてきてしまった。

ゲオルグは、自分で儀式をやったわけではないので非道に加担したという意識は希薄だった。だが、少年にとっては加害者側にいる大人である。区別がつくものではないだろう。

「まあ、おまえならこっちでも上手くやっていけるさ」

ゲオルグは無責任なことを言った。だが嘘ではない。短い付き合いだが、この子の頭の出来は傑出している。傑出した才能を持つ者は食うに困らないというのは世の常だ。

「べつに、だいじょぶ」

「大丈夫ではないだろう」

「ずっとこんなだし……」

ずっとこんな?

頻繁に居を変えたりするのが少年にとっての日常だったのだろうか。

行商人の子の中にはそういった生活をしている者もいるのだろうが、さすがに親と離れ離れになったら「ずっとこんな」とは言わないはずだ。

奴隷として売ったり買われたりを何度も繰り返されるとか、そんなケースしか思い浮かばない。元の世界では一体どんな境遇にあったのだろう。

「まあ、向こうが碌でもない世界だったのならこっちで楽しくやればいいさ」

ゲオルグはそう言いながら、少年の両脇を持って座っていた縁台から立たせた。

背中から少年を抱えあげると、靴の裏に仕込んだ付呪装を使って、ふわりと飛翔した。膝を使って屋根の上に着地する。

「ほら、ここからのほうが見晴らしがいい」

ゲオルグは掴んでいた少年の脇腹を離し、屋根に置いた。

「どうだ、こっちもそれなりに美しい世界だろう」

山の下を見る。屋根と地面では少ししか高度が違わないが、目の前で邪魔になっていた木がなくなったことで見晴らしは格段に良くなっていた。

南西向きの斜面なので大陸北部の峻厳な大山脈は見えないが、まばらに低山が散らばった南部の平野は牧歌的な優しさがあった。

「少し山に登って北を望めばそれなりに絶景が広がってる。お前なら人生に退屈することはないさ」

「なに、さっきの」

声がした方を見ると、少年が唖然とした顔でこちらを見ていた。折角励まそうとしたのだが、景色に目もくれていない。

「なんだ? 魔法だよ」

あの程度の芸当なら騎士の中にもできる者が結構いる。町中に育った子供なら驚きもしないだろう。まさか魔法を見たことがないのだろうか?

「まほー?」

「魔法を知らないのか? ……まあ、機会があったら教えてやってもいい。まずは言葉を覚えてからだ」

ゲオルグは少年の頭をぽんぽんと叩いた。