軽量なろうリーダー

公爵夫人は城門に立ち続ける門番を見て、結婚生活に耐え続ける

作者: エタメタノール

本文

伯爵令嬢ローラ・クラフがその門番を初めて見たのは、八歳の頃であった。

ローラの父が 登城(とじょう) する際、一緒に城に連れていってもらえる機会があり、その時門番のベックを見た。門番は二人配置されており、そのうちの一人がベックだった。

当時ベックは 二十歳(はたち) で門番になりたてという感じのフレッシュな青年であった。槍を持ち、凛々しい立ち姿をしている。

幼いローラが精一杯のカーテシーをすると、ベックは「こんにちは、お嬢様」と答えてくれた。

この時、ローラは「この人はなんていい人なのだろう」と思ったことをよく覚えている。

***

十八歳となったローラは、公爵令息フィリップ・シャトールに見初められ、ローラ・シャトールとなった。

フィリップは近く当主となることを約束されている、前途有望な若者だった。ローラとしても相手に恵まれた格好だ。

上級貴族として、ローラはフィリップとともに登城する。

波打つ長い金髪が美しいローラと、黒髪をきっちり整え眉目秀麗なフィリップが並んで歩く姿は、大勢の目を引いた。

この時、ローラは城門にベックを確認する。

(あらこの人、あの時挨拶してくれた人だわ)

今のローラが門番にカーテシーをすることはないが、どこか懐かしい気持ちになった。

「どうかしたかい?」

フィリップに尋ねられるも、ローラは首を横に振る。

「いいえ。なんでもありませんわ」

ローラはそのままベックの横を通りすぎ、城の中に入った。

***

ローラの結婚生活は決して順風満帆なものではなかった。

シャトール家での生活は、想像以上に窮屈で、さまざまなしがらみで雁字搦めであった。

夫人としての社交も忙しく、自由時間などほとんどない。独り身だった時代が恋しくなる。

フィリップに明確な落ち度があるわけではない。しかし、幾度もこう思ってしまう。

(離婚したい……)

それを申し出たら待っているのは自由などではなく、針の 筵(むしろ) のような人生。自分でもよく分かっているのに、衝動を抑えられなくなる。

そんな時、ローラはふと王都に向かい、城門に立ち寄った。

そこには門番ベックが立っていた。

(あの人は今日も立っているのね……)

フィリップから聞いた話によると、門番を長く続ける兵士は殆どいないそうだ。

なにしろ、わずかな休憩時間を除き、交代までのおよそ半日間ずっと門にいなければならない。

城門に突撃してくる暴漢などまずいないので、華々しい活躍も期待できない。

それにやはり、給料もそれほど高くない。

過酷で、退屈で、儲からない。つまり、門番は 閑職(かんしょく) だった。

なので、門番に配属された者はすぐに転属届を出し、チャンスがあれば抜けていく。あるいは辞めてしまう。門番を三年続ける者は変人、と言われる業界なのだそうだ。

それなのに、ベックは転属もせず辞めもせず門番を続けている。

彼を見て、ローラは思った。

(せめて彼が門番を辞めるまでは、頑張ってみよう)

ローラは城門を立ち去ると、シャトール家の邸宅に戻った。

***

ローラが二十代半ばを迎えた頃、夫フィリップと大喧嘩をした。

突然というより、チリも積もれば山となる。これまでの積み重ねが一気に噴出した、伏線ありきの衝突という感じであった。

「お前はいつもそうだ! 自分ばかり大変という顔をして!」

「それはそっちでしょ! 二言目には『忙しいから』ばっかり……!」

すでにフィリップは公爵位を継いでおり、ローラも公爵夫人。

二人とも上級貴族としての 貫禄(オーラ) を身につけているので、もはや周囲に止める手立てはない。

「……しばらく出ていくわ」

「……勝手にしろ」

お互いに「子供の喧嘩か」と思っている。しかし、どうしようもなかった。

気が付くと、ローラは王都にいた。

日差しが強い日だったので日傘を差しつつ、城門へと向かう。

すると――いた。

中年の容姿になってはいるが、間違いなくあの門番だ。汗で額を光らせつつ、門を守っている。

門番は二人だが、片方がいない。休憩中なのだろう。

ローラは挨拶する。

「こんにちは」

「どうもこんにちは」

「ローラ・シャトールと申します。あなたは?」

「私はベックと言います」

ここでローラは初めてベックの名前を知る。

「実は私、あなたのことをよく知ってますの」

「光栄です」

「あなたはずっとここで門番を務めていますね」

「ええ、そうですね」

ここでローラは声のトーンを変える。

夫人としての優雅なものから、なにも飾らない一女性のものに。

「どうしてなの?」

ローラは続ける。

「門番は三年も続けられない職業と聞いたことがあるわ。大抵の人はすぐ転属を希望するか、辞めてしまうと。それなのにどうしてあなたは、十年以上も門番を続けていられるの?」

ローラの問いに、少し間を置いてからベックが答える。

「嬉しかったからでしょうね」

「嬉しかった?」

「門番に任命された時、とても嬉しかったんです。“城門を守る”という仕事を与えていただけたことが。なんの取り柄もない一兵卒だった私にこんな大役が巡ってきたと心が弾みました」

ローラはあえて毒を吐く。

「なんの取り柄もないから門番に回された、とは考えなかったの?」

「考えませんでした」

「……!」

即答され、ローラはたじろぐ。

「だから私は、できるだけ長くこの門番という職を務めると、そう決めたんです」

「そう」

ローラは微笑む。

ローラはベックのことをなにひとつ知らない。なのに「ベックらしい答えだ」と満足していた。

そこへもう片方の門番が帰ってくる。ベックより若く、明らかにやる気がない。きっと「なぜ俺が門番なんか」と思っていることだろう。

ローラは立ち去ろうとする。

すると、ベックが――

「ローラ様」

「?」

「まだ幼かったあなたがカーテシーをしてくださった時、嬉しかったですよ」

覚えていたんだ、とローラは驚く。

もはやローラの中で、フィリップに対する憤りはすっかり消え去っていた。

(しばらく出ていくと言ったけど、もう帰ろう)

***

王国が空前の危機に陥った。

以前から王国に対して舌なめずりをするような行為を見せていた他国が、ついにその野心をむき出しにし、大規模な攻勢に出たのだ。

国王は国中の諸侯に出陣を命じる。当然、ローラの夫フィリップも兵を率いて戦場に出向く。

「心配するな。必ず勝って帰る」

「……ええ」

離婚したいとも思った。大喧嘩したこともある。

そんな夫の出陣を見つめるローラの唇は紫がかり、全身が冷えた汗で湿っていた。

ローラは、やはり自分は夫を愛しているのだと実感した。

時折届く報告によれば、戦況は一進一退だという。実際のところはどうなのか分からない。

やがて、ローラは「フィリップ様が戦死しました」という報告が届く夢を頻繁に見るようになる。

当主不在のシャトール家を気丈に守りつつ、ローラの精神は静かに、しかし確実にすり減っていた。

気が付くと、ローラは王都にいた。

門番ベックのところに向かう。

ベックはやはり門番を務めていた。

もう一人の門番が休憩に入ったタイミングで、ローラはベックに尋ねる。

「我が夫フィリップが戦場に向かったわ。毎日不安で仕方ないの。どうしたらいいと思う?」

ベックに聞いてもどうしようもないと分かり切っているが、聞かずにはいられなかった。

きっとベックも返答に困ることだろう。

ところが、ベックはこう言い切った。

「フィリップ様は無事帰ってこられますよ」

「なぜ?」

「私の門番としての勘です」

突っ込みどころだらけだった。

“勘”で無事帰ってくると言われてもなんの気休めにもならない。

しかも「私の勘」ならまだしも、「門番としての勘」というのもおかしい。

ローラは思わず笑ってしまう。

そして、さらにベックはこう宣言した。

「もしフィリップ様に万一のことがあれば、私は門番を辞します」

「……ッ!」

驚いた。

ベックにとって門番はまさに人生そのものであろう。

それを夫の安否によっては投げ出すと言い切ってくれた。

ベックが門番の座を賭ければフィリップの生存率が上がるかというと、決してそんなことはない。なのに、ローラは気持ちが楽になった。

私や夫のために人生を投げうってくれる人がいる。そのことが嬉しかった。

ローラは目にこみ上げるものをこらえ、一言で答える。

「ありがとう」

およそ一年後、ベックの「門番としての勘」は当たることとなる。

***

それからも、ローラは結婚生活で不安や悩みが生まれるたび、ベックのところに向かった。

夫のこと、子供のこと、婦人付き合いのこと……。

あまり雑談をすると、ベックの門番としての評判が落ちる恐れもあるため、一言二言しか会話はできないが、それで十分だった。

城門に常にベックが立っている。そのことがローラに力を与えてくれた。

やがて、ローラはある噂を耳にする。

「門番さんが退役する?」

「ええ、さすがに高齢だからと、来月一杯で退役されるそうよ」

この頃になるとベックも一種の“名物”のようになっていた。

「退役のお祝い会みたいなものはあるのかしら?」

「ないでしょ。数十年、門番一筋だから人付き合いもなくて、結婚もしてないみたいだし」

「そう……」

これを聞いて、ローラは寂しくなった。

あれほど門番という職に情熱を燃やした男の人生の終章が、誰にも祝ってもらえませんではあまりにも報われなさすぎる。

ローラはフィリップに相談する。

今までの経緯を包み隠さず話し、シャトール家でベックの退役祝いをできないか、と。

「かまわないよ」

フィリップは快諾した。

「実は私も、門番の彼を見るたび、いつも頑張っているなと励まされていたんだ。もし彼さえよければ、ぜひお祝いをしたい」

「ありがとう、あなた」

そうと決まれば、ローラはベックに退役祝いをしたいことを伝える。

「余計なお世話かもしれないけど、もし、あなたがよかったら……」

「ありがとうございます、ローラ様。喜んでお祝いを頂戴いたします」

ベックは皺の刻まれた顔でにっこり笑ってくれた。

およそ一ヶ月後、ベックを邸宅に招き、退役祝いパーティーが開かれる。

シャトール家の大勢が集まり、ベックを主賓として迎える。

まずはフィリップがグラスを掲げ、挨拶する。

「私と我が妻ローラが、 今日(こんにち) まで円満にやってこられたのはベック殿、あなたのおかげだ。本当にありがとう」

ローラも 微笑(びしょう) を浮かべ、夫に続く。

「ベックさん、今までよく城門を守り抜いてくれました。本当にお疲れ様」

祝福されたベックはうつむき、照れ臭そうに笑った。

おわり