作品タイトル不明
嵐の前の静けさ3
「姉様!」
流れる涙を目にしたナイジェルが焦りの声を上げる。そして腕に閉じ込められ、頭を優しく撫でられた。
「申し訳ありません。泣かせるつもりなどは……」
「馬鹿、知らないわ!」
必死さに満ちた声での謝罪を聞きながら、わたくしはお行儀悪く鼻を啜る。ああもう、こんなことになってしまうなんて。ガザード公爵家の娘にあるまじき姿だ。
――その時、鼻先を香水の香りが漂った。
ナイジェルのものではない、女性用の香水の香り。これはきっと……エメリナ様のものだ。
『妬いた』と口にしながらも、他の女性の香りを漂わせている。そんな義弟が憎らしく思えて、涙を湛えた瞳でナイジェルを睨みつける。するとナイジェルは、顔を青ざめさせて少したじろいだ。
「他の女性の香りを纏ったまま、他の女性にこんなことをするような子に育てた覚えはないわよ! そんな子なんて、嫌いなんだから!」
……女性といっても、表向きのわたくしは義姉だけれど。そして彼を育てたのは、お父様と師であるマッケンジー卿だ。そんな些細なことは、この際横に置いておくわ。
「……姉様、その」
「もう離して。わたくし、そろそろ寝たいの」
「ね、姉様!」
離れるためにぐいぐいと体を押しても強く抱き込まれてしまい、妙な膠着状態になってしまう。
義弟に抱きしめられながら、わたくしは小さく息を吐いた。
「――お前の行動の意味がわからないわ」
『お相手』がちゃんといるのに、『義姉』に執着する様子を見せる。思わせぶりな態度は見せるのに、決定的な言葉はくれない。そんなナイジェルのことが、憎らしくてたまらない。
感情が再度昂りせぐりあげれば、また頭を撫でられる。その動きは、わたくしが落ち着くまでやめないとばかりに辛抱強く繰り返された。
「姉様」
「…………」
「……姉様」
「…………なによ」
この子は『姉様』しか言えないのかしら。そんなことを思いながら、義弟に鋭い視線を向ける。
見上げたナイジェルの表情はこの世の終わりが来たかのように絶望に満ちていて、その顔色は積もりたての雪のように蒼白だった。
「……なんて顔をしてるのよ」
「姉様に嫌われたら……僕は生きていけないです」
子供の頃のような幼い口調で言いながら、青の瞳からぽろぽろと涙を零す。そんな義弟を目にして、わたくしは絶句した。反射的に手を伸ばして宝石のような涙を掬い、背伸びをしてから頭をよしよしと撫でる。すると撫でやすいようにか、頭をそっと下げられた。
「嫌ってなんかいないわよ。お前を、嫌いになれるわけないじゃない」
「本当ですか? でも、先ほどは嫌いと……」
「あれは言葉のあやで……。ああもう、騎士様が泣くんじゃないの。困った子ね」
ナイジェルの泣き顔を見た瞬間から、わたくしは完全に毒気を抜かれてしまった。泣く側と慰める側がいつの間にか逆転し、頭を撫でたり、背中を擦ったりと義弟を慰めることに終始してしまう。
「……姉様」
「なに、ナイジェル」
答えながら涙が溜まった目の端を指で拭うと、ナイジェルは少しだけ笑う。その微笑みを目にし、胸にほっと安堵が満ちた。
「……なにを、というのは今は言えませんが。信じてほしいです。お願いです」
マッケンジー卿からも……そんなことを言われていたことを思い出す。
『ウィレミナ嬢……。ナイジェルは自分ではどうしようもない、いろいろな事情に取り巻かれている。なにがあっても、アレを信じてやってください。今の俺にはそれしか言えません』
だけど『信じる』の主体が見えなくて……。正直、どうすればいいのかわからないのよね。