軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第32話 “婚約”と“ビジネス”

「それとも、あなたが結婚しますか? あなたの言う通り、愛理沙さんが本当に脅されているだけなら、チャンスがありますよ?」

由弦が小走りで現場に近づくと、彩弓のそんな声が聞こえた。

その一言で、何となく由弦は現状を把握した。

例の小林という少年は、どうやら由弦と愛理沙の関係に関して、当たらずと雖も遠からずな勘違いをしているようだ。

大方、由弦が愛理沙に対して、金や権力を使って交際を強制していると思い込んでいるのだろう。

それで由弦がいないうちに、愛理沙に接触した。

その過程で彩弓を怒らせるようなことを口にしたのだ。

彩弓は小林に敵意を抱いて反論し……

そして話している最中に、小林が愛理沙のことを好いていることに気付き、意地悪で「あなたが結婚しますか?」と言ったのだ。

由弦も彩弓も、両親から弁論の訓練は受けているので、そういう訓練を受けたことがない人間に対しては、口だけなら勝てる。

自分の意見は積極的に主張しろ。

絶対に先に自分の非を認めるな。

というのが両親の教えではあるが……

「彩弓。これは何の騒ぎだ」

由弦は咎めるように、彩弓に声を掛けた。

彩弓は由弦が少し怒っていることに気付いたようだ。

不満そうな表情で小林を指さした。

「この人が兄さんと愛理沙さんを侮辱したの。だから、反論した。間違ってる?」

「少し場所を考えるべきだな」

由弦は冷静に切り返した。

すると彩弓は少し慌てた様子で周囲を見渡す。

当然のことだが、あれだけ騒げば周囲の視線はこちらに集まる。

両親の教えは要するに「自分が正しいということを周囲に示せ」ということなのだが、それをショッピングモールでやるのは度が過ぎている。

一先ず彩弓を諫めてから、由弦は小林に向き直った。

「お久しぶりですね、小林君」

「え? あ、はい」

由弦が丁寧に挨拶すると、彼は呆気に取られた表情で頷いた。

そんな彼に対して、由弦は携帯を取り出していった。

「連絡先を交換しないか?」

「え? い、いや、何を……」

「君は俺に聞きたいことがあるんじゃないかな、と。そう思ったんだが」

由弦としても、今回の一件で彼と話し合いをする理由が生まれた。

お互いに妙な誤解を抱いていると面倒なので、ここは一度、話しておく必要がある、

「君にも用事があるだろう? 後日、日を改めて話をしよう。どうかな?」

「で、でも……」

「君も考えを整理する時間が必要なんじゃないかな?」

有無を言わせぬ態度で迫ると、彼は渋々という様子で頷いた。

やはり気が弱く、流されやすいタイプのようだ。

連絡先を交換し、その場で別れる。

彼は逃げるように立ち去った。

それを見送ってから、由弦は愛理沙と彩弓の方を向いた。

「二人とも、大丈夫だったか?」

「あ、はい。大丈夫です」

「うん。あー、兄さん。もしかして……」

「お前には後で話がある」

「はぁーい」

幸いなことにそれ以降は何事もなくデートを終えることができた。

さて、由弦は後から説教と合わせて彩弓から話を聞き、状況の確認を行った。

基本的には由弦の読み通りだった。

愛理沙が虐待を受けている云々に関しては彩弓に対して念入りに口止めをすると、由弦は小林と連絡を取り合った。

幸いにも翌日の日曜日には都合がついた。

由弦は彼の家から最寄り駅の喫茶店で、待ち合わせをした。

無言でテーブルにつき、そして珈琲を注文する。

珈琲が届いてから……

由弦は切り出した。

「彩弓から話は聞いた」

「あ、あの……」

「君の中では、俺が愛理沙を脅して、無理矢理交際を迫ったことになっているらしいね」

「……すみません」

割と失礼なことを言ったという自覚はあるらしい。

……もっとも、愛理沙が無理矢理婚約を結ばされたということは事実なので、間違いはないのだが。

「謝罪を受け取ろう。それと……少し、彩弓が言い過ぎた。そのことに関して、妹の代わりに謝罪するよ」

小林の方が先に非を認めてきたので、由弦の方も謝罪をする。

彩弓の最後の言葉は明らかに余計だった。

さて、まずははっきりさせなければならないことがある。

どこから、婚約の情報が漏れたか、だ。

別に婚約の話は極秘中の極秘というわけではなく、口外しないに越したことはない程度の話だが……

しかしただの一般人であり、他人でしかない彼が婚約の情報を、しかもかなり歪んだ形で掴んでいる理由の方ははっきりさせなければならない。

「大翔さんに……聞きました」

「なるほどね」

由弦は愛理沙の、大翔への態度を思い出した。

愛理沙は大翔のことを信用していなかったが……その判断は間違いではなかったようだ。

どういう意図で情報を流したのかは分からないが、余計なことをしてくれたものだ。

当事者でもないにも拘わらず、由弦や愛理沙の人生を左右する重要な情報を赤の他人に流さないで欲しいものだ。

このことは、父である高瀬川和弥を通して、天城家に正式に抗議をするべき案件だろう。

……もっとも、誤った情報を流された小林はある意味、被害者だ。

こちらは失恋も含めると、同情の余地がある。

もっとも……だからと言って、愛理沙や彩弓を危険に晒したことは毛頭、許す気もないが。

許さないと言っても彼がこちらに支払えるものなどなく、下手に逆上されると余計に面倒なので、由弦は彼への怒りや不快感に関しては飲み込むことにした。

彼には失うものなど大してないかもしれないが、こちらにはあるのだ。

その上で由弦ははっきりとした口調で話し始める。

「まず、はっきりとさせて貰うが、愛理沙を脅して交際を強要したような事実はない。そもそも、この婚約自体、俺はそんなに乗り気でもなかったからね」

「本当ですか?」

「君には俺が、そんな外道みたいに見えるのか?」

だとするなら心外だ。

別に好青年を気取るつもりはないが、しかし悪人に見えるような人相はしていないと由弦は思っている。

「いや、でも……雪城さんは美人じゃないですか」

「美人と言ってもね。俺は高校生だぞ。将来を決めるのはあまりにも早いだろう。常識的に考えて」

自分の価値観は君と同じだぞ。

と、そう念押しをする。

その効果はあったようで、少しずつ小林の態度が軟化していくのを感じた。

「そう、ですか。……そう、ですよね」

「そうだよ。俺も愛理沙も、家の都合で婚約者として、仲良くしている。それに婚約の方も、正式なものではない。だから……このまま、特に関係が進まなければ、自然消滅だね」

偽造婚約については、彼の事が信用できない以上、話せない。

もっとも話す意味も薄いのだが。

「……でも、その、婚約の見返りでお金が支払われたんですよね?」

「厳密には融資、借金だよ。それも莫大な額だ」

由弦はそう言ってから、その金額を小林に告げた。

どうやらその額は彼の想定を遥かに上回っていたようだ。

「これを貸し付けたのは、俺の父親だ。……息子の色恋沙汰に、これだけの大金を使う親がいると思うか?」

勿論、由弦がとんでもなく不細工で、しかも高年齢で、それだけの大金を積まなければ結婚相手が見つからないようなら話は別だが……

由弦はまだまだ若いので、焦る必要など全くない。

愛理沙にそれだけの大金を積むほどの価値は――あくまで由弦の両親にとってはだが――ないだろう。

「分かってくれたかな? 父親はビジネスの一貫として、融資をしたんだよ。だから融資と婚約は無関係だ。……婚約の対価として、愛理沙の値段として、高瀬川が天城に金を支払ったような事実はない」

由弦がそう言うと、小林は黙ってしまった。

まだ納得がいかないところがあるのだろうか? と由弦は内心で首を傾げる。

どう説明をしようかと悩んでいると……

「…………した」

「ん?」

「すみませんでした!」

小林はそう言って、深々と頭を下げた。

これには由弦も少し驚いてしまう。

「醜い嫉妬をして、勝手に早とちりして、暴走して……雪城さんと、妹さんを傷つけてしまいました。……申し訳ありません」

「い、いや……頭を上げてくれ。全ては不幸な勘違いが原因だ」

とは言うものの、由弦は内心でホッとしていた。

彩弓が不味かった点は、小林を徹底的に叩き潰し過ぎてしまったことだ。

あれでは逆恨みされても、仕方がない。

小林がストーカーのようになり、愛理沙や彩弓に危害を加えるようになったら、大問題だ。

特に愛理沙と小林は近所に住んでいるようなので、危険が高い。

由弦はそれが気掛かりだったのだ。

しかし思っていたよりも、小林は根が素直だった。

これは不幸中の幸いだ。

まあ、だから騙されたのかもしれないが。

「大翔さんにも、勘違いだと……そう伝えておきます」

「あぁ……そうしてくれると嬉しい」

言ったところで、アレは信じてくれないんじゃないかなぁー。

と由弦は思ったが、口には出さなかった。

「その、高瀬川さん。最後に一つ、聞いて良いですか」

「……何だ?」

「雪城さんのこと、好きですか?」

「……難しい質問だ」

由弦の愛理沙への気持ちは、以前宗一郎や聖に話した時と、大して変わらなかった。

つまり好きだけれど、恋心はない。

そんな感じだ。

「そうですか」

由弦の答えは曖昧だったが、しかし小林はそれで納得した様子だった。

「高瀬川さんは、雪城さんに相応しい男性だと思います」

「君は……」

「オレは、良いんです。オレは……雪城さんに相応しい男じゃありません。どちらにせよ」

由弦と愛理沙が恋仲になろうと、ならなかろうと。

自分の初恋が成就することはない。

と、小林は言い切った。

「雪城さんは……高瀬川さんの隣にいるときが、一番幸せそうにしています。……高瀬川さんのおかげで、踏ん切りが付きました。ありがとうございます」

そう言うと彼は珈琲代をテーブルに置いて、出て行ってしまった。

由弦は一人残される。

「一番、幸せそうに……ね」

由弦は天井を仰ぎ見ながら、呟いた。