軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

番外編 ネットde真実

九月下旬。

「……今週もか」

小林祥太(こばやし しょうた) は雪城愛理沙が家から出てくるのを、双眼鏡で覗き込みながら溜息混じりに呟いた。

祥太の家は愛理沙の家からほど近く、ベランダから双眼鏡を使えば少しだけ様子が分かる。

愛理沙は毎週土曜日、足繫く恋人の元へと通っていた。

どうしてそんなことが分かるのか……と言えば、夜遅くになると、男性が彼女を家まで送り届ける姿が確認できるからだ。

その男性の名前は、高瀬川由弦。

祥太と同年代の少年だ。

勿論、彼は自分自身を愛理沙の恋人だとは明言しなかったが……

毎晩、楽しそうに祥太の家の前を通る様子から、二人が恋人関係にあるのは明白だった。

「はぁ……幸せなんだろうな」

毎週土曜日の夜。

玄関で扉越しに外の声を伺うと、愛理沙と由弦の楽しそうな話し声が少しだけ聞こえるのだ。

常に無表情で感情を露わさない愛理沙が。

楽しそうな笑い声を立てているのだ。

それは……喜ばしいことだ。

喜ばしいことのはずだ。

しかし……喜べなかった。

ドロドロしたものが、胸の中を渦巻いていた。

オレが先に好きだったのに。

オレが彼女を幸せにするはずだったのに。

羨ましかった。

妬ましかった。

醜い嫉妬であることは自覚できていた。

それでも……それでも、その気持ちは抑えられなかった。

「オレが……もう少し……」

頭が良かったら。

イケメンだったら。

金持ちに生まれていたら。

どうしてもそう思ってしまう。

思わずにはいられない。

「……はぁ」

「祥太、どこに行くの?」

「散歩」

ぶっきらぼうに母親にそう答えると、祥太はふらふらと外へ出た。

当てもなく歩き回り……

そして近くの公園のベンチに座り込む。

ボーっと空を眺めていると……声を掛けられた。

「祥太君?」

「あなたは……大翔さん」

キャリーバッグを持った青年がにこやかな笑みを浮かべながら祥太に近づいてきた。

天城大翔。

愛理沙の従兄だ。

祥太が愛理沙の複雑な家庭事情を知ることができたのは、大翔が教えてくれたからだ。

また……大翔は祥太が愛理沙のことが好きということを、知っていた。

「久しぶりです。……帰って来ていたんですね」

「ああ、連絡が遅れてごめんね」

二人は互いに近況を報告し合った。

どうやら大翔はこれから、関西へ戻る予定のようだ。

「電車とか、大丈夫ですか?」

「まだ時間には余裕があるからね」

時計を確認してから、大翔は言った。

ふと、祥太は思った。

……彼は愛理沙に恋人ができたことを知っているのだろうか? と。

「そう言えば……雪城さん、恋人ができたんですね」

まるで気にしていないかのように。

何気なく。

良い天気ですね、とそう言うかのように祥太は大翔に言った。

すると大翔は……表情を曇らせた。

「それは……」

「い、いや、オレは何も、気にしてないです。……元々、手の届きようのない花だったというか。良い人そう、ですよね。えっと、高瀬川さん、と言うんですよね? 雪城さんと同じ高校ということは、頭も良いんですよね。それに顔も……まあまあイケメンで。雪城さんに相応しい人だなって……オレなんか、足元にも及ばないというか……」

言い繕えば言い繕うほど、無様な気持ちになった。

最後には何も言えなくなる。

頭を掻きむしり、そしてため息をついた。

そんな祥太に対し……大翔は少し迷いの表情を浮かべたが、しかし何かを決心したような表情を見せた。

「そのことなんだけど、祥太君。実は……あれは愛理沙の恋人なんかじゃないんだ」

「……え?」

「これは君だから、言う。……父親からは他人へ無暗に口外するなと口止めされているから、君も気を付けてくれ。彼は……高瀬川由弦は、愛理沙の婚約者だ」

「こ、婚約者!?」

祥太は思わず大声を上げてしまった。

そして慌てて、口を両手で塞ぐ。

「そうだ。……それも政略結婚だ」

「政略結婚……」

まるでSFやファンタジーの設定を聞かされているような気分だった。

そんなことが現代日本で成り立つということが、驚きだった。

「愛理沙は無理矢理、婚約させられたんだ。……高瀬川家というのは、財界や政界では有名な名門でね。多分、彼は愛理沙のことが好きだったんだろう。だから金と権力に物を言わせて、愛理沙と婚約を結んだんだ」

「そ、そんな……」

確かに金持ちそうではあった。

嫌な奴だと思ったのも事実だ。

しかし愛理沙は一見すると幸せそうに見えた。

あの愛理沙が好きになる人なのだ。

きっといい人に違いないと、そう思っていた。

嫌な奴に見えたのは、自分の嫉妬がそういう幻覚を見せたに違いないと。

「でも、雪城さんは楽しそうに……」

「父親から、高瀬川と仲良くするように脅されているんだろう。……高瀬川家はこの国で敵に回してはいけない一族の一つだからね」

大翔はそう言うと、祥太に念を押すように言った。

「良いかい? このことは秘密だ。……二人で必ず、愛理沙を助けよう」

「……は、はい」

混乱していた祥太は、ただ頷くしかなかった。

家に帰ってから、高瀬川家について調べた。

そうしたら様々な情報が出てきた。

高瀬川家。

高瀬川財閥、または高瀬川グループと呼ばれる会社を束ねる一族。

その財力は比肩し得るのは、日本国内では橘家しか存在しないらしい。

しかし高瀬川家の本当に強大な点は、財力だけではない。

どうやらこの一族は昔から積極的に政略結婚を繰り返していたようだ。

そのため政治家や官僚にも顔が利き……

そして日本を飛び越えたEUやアメリカにも広い人脈を持っているらしい。

特にアメリカとは戦前から密接な関係にあるようで、戦後の終戦工作にも関わっている。

多くの財閥が戦後に力を失う中、高瀬川家(と橘家)だけはその権勢を衰えさせることはなく、それどころか増々強大化した。

また戦後、アウトロー集団へ莫大な支援や武器の横流しを行い、彼らを駒として様々な謀略を張り巡らせ、アメリカや政権与党、何より自分たちの既得権益を脅かす人間を抹殺していった。

本来ならば暴力団として暴対法の対象になるはずのその組織は、高瀬川家の政治圧力によって対象外とされ、現在でも高瀬川家の下請けとして活動している。

また少なくない数の政治家・官僚・大企業やマスメディアの社長・芸能人がその組織が運営している違法風俗店の顧客となっており、その顧客情報を使えば、いつでも高瀬川家は検察を動かして日本の有力者を社会的に抹殺できる。

橘と並び、日本を支配している裏社会の帝王。

………………

…………

……

というのは全てネットの考察サイトに溢れていた情報なので、真実かどうかは怪しかった。

特に裏社会の帝王云々はさすがの祥太も、笑ってしまうような内容だ。

普通ならば信じたりはしないだろう。

だが……大翔の言葉を信じると、あながち間違ってもいない気がした。

それに冷静に考えてみれば、あの孤高で気高いイメージがあるあの愛理沙が、犬のように振舞う様はあまりにもおかしい。

つまり、愛理沙は脅されているのだ。

しかし……それが分かったところで、一体何ができるというのか。

こんな恐ろしい一族に、ただの庶民である祥太が勝てるはずもない。

何もできず、日々は過ぎていく。

無力な自分が、愛理沙が男の毒牙に掛かるのを見守るしかできない自分が悔しかった。

そして……十一月の、ある日の土曜日。

本当に、ただの偶然だった。

気晴らしに都心へ行ったその帰りに、服でも買おうかとショッピングモールに入った。

そこで、彼女と出会った。

雪城愛理沙だ。

見たことない中学生程度の女の子と一緒にいた。

あの男は、高瀬川由弦は……いなかった。

気が付くと、声を掛けていた。

「あ、あの……雪城さん、だよね。奇遇だね」

「……小林さん、ですか。本当に奇遇ですね」

少しだけ愛理沙は驚いた様子だった。

何故か後ろめたい気持ちを抱いた祥太は言い訳するように言った。

「ちょっと、この近くまで用があって。ついでに服を見ようかなと、適当な店に入ったら、見かけたから。えっと、買い物中?」

見れば分かるだろう。

祥太は思わず自分で自分に突っ込んでしまった。

だが愛理沙は特に気にした様子はなく、淡々と答える。

「はい、そうです」

彼女はいつもの平静な、クールな表情だった。

しかし……不思議と以前よりも可愛らしくなった気がした。

手に入れたい。

欲しい。

あんな金持ちでイケメンなだけの男に渡したくない。

強くそう思った。

「あのさ、雪城さん」

「何ですか」

「婚約したって、聞いたんだけど……」

すると、愛理沙の身に纏っていた雰囲気が変わった。

一瞬だけ、氷点下にまで冷え込んだ……そんな気がした。

目が僅かに吊り上がり、瞳が湖面のように冷たくなる。

「誰から、聞きました?」

「え? ……大翔さんから」

「……ッチ」

舌打ちだった。

あの愛理沙がはっきりと分かるほど、不機嫌そうに舌打ちをしたのだ。

「そのことは他言無用でお願いできますか。由弦さんに迷惑が掛かるので」

「……やっぱり、脅されているんだね」

「……はい?」

どういう事情か分からないが、あまり婚約のことを外に言わないように命じられているのだろうと祥太は考えた。

脅されているからこそ、愛理沙は助けを求めることができないのだ。

「無理矢理、婚約をさせられたんでしょ? 大翔さんが言ってたよ。あの、高瀬川……由弦とかいうやつが、脅しているんだろ? 金と権力で、無理矢理! その、オレなんかで良ければ、力にな……」

「随分と好き勝手言ってくれますね」

冷淡な声が聞こえてきた。

それは愛理沙と一緒に買い物をしていた、中学生くらいの女の子の声だった。

……愛理沙と話すのに必死で、すっかり忘れていたのだ。

「君は……」

「高瀬川彩弓、由弦の妹です。端的に言いますが、不愉快です」

ブルーの瞳の女の子、彩弓は落ち着いた声でそう言いながら一歩前に進んだ。

自分よりも小さな女の子にも関わらず……不思議と気迫があった。

思わず後退りする。

「兄さんが愛理沙さんを脅している? 何の根拠があって、それを言っているんですか?」

「い、いや……だって、政略結婚なんて、おかしいだろ! 間違ってる!」

結婚というのは、お互いが好きになって、愛し合ってするものだ。

お金や利益、家同士の繋がりを理由に結婚や婚約をするのは、おかしい。

一般的に考えても、間違っているはずだ。

自分は正しい。

祥太は自分にそう言い聞かせる。

一方で彩弓は……

「私の両親はその、政略結婚で夫婦になりましたけど。あなたは私と兄さんの生誕を間違っていると、そう言いますか?」

「い、いや、そこまでは……」

「結婚の理由、夫婦や恋人の形は様々です」

思わず祥太は言い淀んだ。

冷静になれば反論の一つ二つ思い浮かぶかもしれないが、しかし頭が真っ白になってしまい、何も考えられなかった。

だから、咄嗟に言った。

「雪城さんは虐待されているんだ」

そう言った瞬間、愛理沙の瞳が動揺で揺れた。

愛理沙を傷つけてしまうかもしれない……そう頭に過ったが、開いた口は止まらなかった。

「無理矢理、婚約させられたんだ。大金と引き換えに! こんなの、おかしいだろ!! お金が目的で結婚するなんて!!」

「……」

彩弓は少しだけ驚いた様子で、目を見開いた。

が、しかしその表情はすぐに穏やかになった。

「何がどう、おかしいんですか?」

「い、いや……だ、だって、そんなの……」

「親しい親族や友人、恋人、そして結婚相手の家に、金銭的な支援を行う。別にありふれた話だと思いますが。身近な例だと……奨学金とか、連帯保証人が必要ですよね。それと同じです」

「でも……」

何となく、それは詭弁な気がした。

どこがどう詭弁なのか、思いつかなかったが……しかし言い返さなければならない。

祥太は必死に言葉を探す。

だがそれよりも先に彩弓が口を開く。

「何にせよ……高瀬川が誰に金銭的援助を行おうと、それは我々の勝手です」

「ち、違う……」

「何が違うんですか?」

「こ、こんなの……そ、そう! じ、人身売買だろ!」

人を、愛理沙を、まるで商品のように売り買いする行為が許されて良いはずがない。

これは犯罪だと、祥太は主張した。

「どこが?」

「い、いや……だって、こ、婚約するのと一緒に、お金を支払って……」

「兄さんと愛理沙さんの婚約と、天城直樹氏の経営する会社に私の父が融資を決めたことは、全く別の話です」

まるで機械音声のように。

彩弓はそう言った。

この表情には何の感情の色もなく、ただただ機械的であり……それがとても怖かった。

「まあ、あなたが人身売買と思うのは勝手ですが……しかしこれは高瀬川と天城の問題。あなたには関係ありません」

「け、警察に……」

「警察は民事不介入です。高瀬川と天城の取引に、兄さんと愛理沙さんの婚約に、割って入る権限はありません。……当たり前でしょう?」

小馬鹿にするように彩弓は言った。

警察など怖くも何ともない。

まるで、そう言うようだった。

祥太は思い出す。

高瀬川家が財界や政界で強い影響力を持っているという話を。

祥太は思わず後退りした。

そんな祥太に対し、彩弓はさらに畳み掛けるように尋ねる。

「そもそも、あなたは愛理沙さんにとって、何なんですか?」

「え? いや、オレは……」

自分は愛理沙にとって、何なのか。

恋人? そんなはずはない。

友達? ……そこまで親しくない。

「お、オレは……雪城さんの、近所で、中学の頃の同級生で……」

「つまり、他人ですね」

他人。

そう……祥太は他人だ。

愛理沙にとって、他人でしかない。

「ち、ちが、お、オレは……雪城さんのことが……」

「ただの他人でしかないくせに、人様の婚約に口を挟まないでください」

それから彩弓は僅かに、一瞬だけ、その口角を上げた。

「それとも、あなたが結婚しますか? あなたの言う通り、愛理沙さんが本当に脅されているだけなら、チャンスがありますよ?」

視界がグルグルと回った。

遠近感が狂う。

目の前がチカチカとした。

「い、いや……」

思わず、愛理沙の方を見た。

すると彼女は……

気まずそうに目を逸らした。

分かっていた。

自分が言っていることが、支離滅裂であるということも。

愛理沙が自分のことなど、何とも思っていないことも。

そして……愛理沙が高瀬川由弦に好意を抱いているということも。

目の前が真っ暗になった。

咄嗟に、逃げようとした。

踵を返すと……

「あっ……」

そこには深いブルーの瞳の男性。

高瀬川由弦が立っていた。

彼はどこか呆れた表情で、しかし少しだけ怒気を帯びながら、静かな声で言った。

「彩弓。これは何の騒ぎだ」