作品タイトル不明
第25話 “婚約者”の兄
「お久しぶりです、大翔さん。帰って来られたんですね。……何かあったんですか? 夏は帰って来ないものとばかり、思っていましたが」
愛理沙は淡々と大翔に尋ねた。
天城家には関西の方で一人暮らしをしている大学生の息子がいる。
という情報はすでに耳にしていたので、彼はその息子さんなのだろうと由弦は推測した。
「うん、まあそのつもりだったんだけどね。その、愛理沙が婚約したと聞いて。どういうことなのかと思って、帰ってきたんだ」
それから大翔は愛理沙の隣に立っている、由弦へと視線を向けた。
あまり友好的な表情ではない。
「……それで君は?」
大翔は由弦にそう尋ねた。
こういう時、漫画やアニメでは「相手に名前を尋ねる前にお前が名乗れ」と言うんだろうなと思いながら、由弦は答えた。
「初めまして、愛理沙さんのお義兄さん。高瀬川由弦と申します。その、愛理沙さんの婚約者です」
「なるほど、君が……そうか。僕は愛理沙の 義兄(あに) の、天城大翔だ」
それから大翔はしばらくの沈黙の後、由弦に尋ねる。
「……本当に由弦君が愛理沙の?」
「ええ、そうですよ」
「……年齢は?」
「十五歳です。愛理沙さんとは、同じ学年になりますね」
由弦は愛理沙と同様に、社交的な笑みを浮かべ、穏やかに対応する。
次期当主としての教育は受けているので、これくらいはできる。
「由弦君は早過ぎると、思わないのか?」
勿論、そう思っている。
が、まさか当事者である由弦がこの“婚約”を否定できるはずもない。
とはいえ、全く違和感を覚えないというのもそれはそれで一般常識とズレているだろう。
「そうですね。ですから、結婚そのものは大学卒業後になるかと」
「……結婚するつもりなのか?」
頓珍漢なことを言う人だと、由弦は内心で思いながらもそれは直接口には出さない。
「結婚しないつもりで、婚約を結ぶ人がこの世のどこにいますか?」
皮肉と言葉遊びを込めて、そう答える。
この世のどこにいるのか、と言えばここにいる。
由弦と愛理沙は結婚するつもりなどないのだから。
それから由弦は軽く、愛理沙の服の袖を引っ張り、目配せをした。
「そうだよね? 愛理沙さん」
彼に真実を話すべきかどうか。
一応、確認は取る。
すると愛理沙は小声で由弦の耳元に囁いた。
「伏せて」
つまり隠しておいて欲しいということだ。
由弦は大翔が信用のできる人か否か分からないが……
長年共に生活をしてきた愛理沙が「信用できない」と判断するならばそれに従うべきだと決めた。
「大学卒業後、由弦さんと結婚するつもりでいます。黙っていて、すみません。もう直樹さんから聞いているとばかり」
直樹とは天城直樹。
つまり愛理沙の養父のことだろう。
愛理沙の方から直接的な連絡が来ない時点で、大翔があまり愛理沙から信用されていないことは何となく分かった。
「……良いのか、君たちは」
淡々としている由弦と愛理沙の態度に、大翔は少しショックを受けている様子だった。
もっとも、どちらかと言えばその言葉は由弦よりも愛理沙に向けられているようだ。
(なるほどね……)
ここまで来れば、大翔がどういう感情を愛理沙に向けているのかが何となく分かる。
彼はおそらく、従妹である愛理沙のことが好きなのだろう。
自覚しているか、無自覚なのかは分からないが。
だから愛理沙の結婚に関しては反対の立場なのだろう。
「勿論。愛理沙さんはとても魅力的な女性です。彼女と添い遂げることは、僕にとっては本望です」
「私も由弦さんとなら、一生を共にしても良いと思っています」
由弦と愛理沙は揃ってそう答えたが……大翔は納得がいかない様子だった。
とはいえ、思い人である愛理沙に矛先は向けられないのか、彼は由弦を対象に定めた。
「由弦君は……知っているのか?」
「何を?」
「愛理沙の、天城の事情だ。……この結婚は結納金目当ての政略結婚だぞ」
そんなことは言われなくとも知っている。
そもそも名家同士の結婚というのは、今も昔も多少なりともそういう要素があるものだ。
「何が言いたいんですか?」
「……愛理沙は立場上、嫌とは言えないんだ。分かるだろう? 言わされているだけだ」
その時、由弦の耳に小さな音が聞こえてきた。
それは……愛理沙が放った、小さな小さな、舌打ちの音だった。
横目で愛理沙の表情を確認する。
(うわぁ……怒ってる)
元から冷たい、死んだような瞳は増々冷気を増していた。
表情は先ほどからの笑顔を維持しているが、時折唇がピクピクと動いている。
明らかに不機嫌になっていた。
もっとも、大翔はそれに全く気付いていない様子だが。
「愛理沙さん。君のお義兄さんはそう言っているけど……」
「大翔さん、それは考えすぎです。……ご心配していただいてありがとうございます。ですが、ご安心を。私は心の底から、由弦さんと結婚したいと思っています」
少なくとも、今はそういうことにしておいた方が良い。
由弦個人としては「彼も結婚に反対なら、事情を話して協力してもらっても良いのでは?」と思わないでもないのだが……
愛理沙が大翔を信用できないと判断している以上、そういうことにしておいた方が良い。
「だ、そうですが」
「……そうだね。愛理沙の立場では、そう言うしかない。由弦君も分かるだろう」
「まあ、そうですね」
どうやら大翔も愛理沙のことを信用していない……少なくとも、その言葉を信じていないようだ。
勿論、それは決して間違いではなく、愛理沙は大翔に嘘をついている。
だが、愛理沙が何を言おうとも「言わされている」で終始している点は変わらない。
つまり愛理沙がどのような意思を表示したとしても、大翔にとってそれが不都合であれば、大翔にとってそれは偽りなのだろう。
これでは愛理沙も大翔を信用しないのも、頷ける。
もっとも……
愛理沙が大翔を信じていないが故に、大翔は愛理沙を信じられないのか。
それとも大翔が愛理沙を信じていないが故に、愛理沙は大翔を信じられないのか。
どちらが先なのかは、卵が先か、鶏が先かのような問題で、答えは出ない。
しかし双方向の不信が二人の間にあるのは間違いない。
「ですが、そうだとして……天城大翔さん。あなたは僕に何を求めているんですか?」
「由弦君が本当に愛理沙のことを愛しているなら、結婚を無理強いするのはやめて欲しい。……由弦君も愛理沙が不幸になることは望んでいないだろう?」
「それは、まあ……おっしゃる通りですが」
そろそろ愛理沙が作り笑いを堪えきれなくなってきた様子だ。
それにあまり待たせるのもタクシーの運転手に申し訳ない。
なので、少々狡い言い方で話を終わらせて貰うことにする。
「仮に僕が愛理沙さんとの結婚を取りやめたとしても、天城家の財政状況が改善しない限り、天城さんは愛理沙さんを資産家と結婚させようとするのでは?」
「それは……い、いや、だけど……」
「あなたに愛理沙さんを守れる力があるのであれば別ですが、無いのであれば余計なことはしない方が良いかと」
ただの大学生に過ぎない上に当主である直樹と不仲な様子の大翔には、何の権限も力もないのではないかという由弦の予想は間違いではなかったようだ。
彼は無言で押し黙ってしまった。
それを確認すると、由弦は頭を下げた。
「すみません。出過ぎたことを……失礼なことを言ってしまいましたね。これ以上は天城家の問題。僕は口を出さないようにしましょう。では……天城大翔さん、愛理沙さん。僕は失礼させていただきます」
由弦は言うと、早々にその場から立ち去ったのだった。