作品タイトル不明
第29話
一週間後。
「「「ただいま」」」
「「おかえりなさい」」
由弦の家族が海外旅行から帰って来たのは、夜も更けた時刻だった。
「悪いわね。一週間で帰って来ちゃって」
彩由の揶揄いの言葉に愛理沙は苦笑いを浮かべた。
一方で由弦は大真面目な表情で大きく頷いた。
「全くだ。……あと、二週間くらい旅行してても良かったんじゃないか?」
「大人はそんなに休めないの」
彩由はそう言ってから由弦の耳元で囁くように尋ねた。
「羽目は外してないでしょうね?」
彩由の問いに由弦は少し考えてから答えた。
「外したけど、外しちゃいけないものは外してない」
「あら……上手い事を言うわね」
彩由は感心した様子でそう言った。
そして愛理沙に向き直る。
「……何事もなかった?」
「はい」
「そう、良かったわ」
彩由はどこか安堵した表情を浮かべた。
若い二人を置いていくのは、保護者として少し心配だったのだろう。
「荷物、運ぶの手伝うよ」
「私もお手伝いします」
由弦と愛理沙は車から荷物を運び出すのを手伝った。
お土産もあるため、来た時よりは少し増えている。
「私……眠いから、寝るねぇ……」
荷物を家の中に入れ終えると、彩弓は目を擦りながらふらふらと自室へと向かってしまった。
彩由はそんな彩弓の背中に「歯は磨きなさい」と呼びかける。
そんな妻と娘の様子に和弥は苦笑してから、由弦と愛理沙の向き直った。
「今日はもう遅い。……積もる話は明日でいいかな?」
その日はすぐに眠ることになった。
その日の深夜。
「あれ、由弦さん……」
愛理沙が縁側で月を眺めていると、一人の男性がやってきた。
最初は由弦だと思った愛理沙だが、すぐに違うことに気付く。
「……和弥さん?」
現れたのは由弦の父親、和弥だった。
由弦と間違われた和弥は顎に手を当てながら尋ねる。
「ああ、そうだよ。……そんなに若く見えるかな?」
「あぁ……えっと、暗闇だったので……やっぱり、似てらっしゃいますね」
「若く見えることは肯定してくれないか……」
和弥は落ち込んだ様子で肩を落とした。
愛理沙は慌てて言い繕う。
「いえ、そんな! とてもお若く見えると……思いますよ?」
「あぁ、うん。大丈夫だ……そんな年ではないことは自覚している」
和弥はそう言いながら、遠慮がちに愛理沙から少し距離を取ったところに座った。
それから愛理沙に尋ねる。
「どうしてこんな時間に?」
「……目が覚めてしまって。えっと、和弥さんは?」
「時差ぼけて眠れなくてね……明日は休みで助かったよ」
そう言って和弥は肩を竦めた。
そしてしばらく沈黙してから、愛理沙に尋ねる。
「少し話をしても……いいかな?」
「はい」
「ありがとう。……まあ、独り言だと思って、聞き流してくれていい」
和弥はそう断ってから、話し始めた。
「息子と仲良くしてくれて、好きになってくれて、ありがたく思っている」
「そんな! 私の方こそ……由弦さんに助けてもらってばかりです」
愛理沙は首を横に振りながらそう言った。
そう、愛理沙は由弦に助けてもらってばかりだった。
受けた恩を返せていない。
「それだけ由弦は君のことが好きだということだ。そして君はそれに答えてくれている。親としてこれほどありがたいことはないよ。……政略結婚であることを考えれば、尚更ね」
政略結婚。
その言葉に愛理沙は思わず口を噤んだ。
一方で和弥は僅かに後悔するような顔で呟いた。
「僕は由弦を跡継ぎとして生んだ」
「えっと、それは……」
「息子として愛していることは間違いない。だが、その前に彼は高瀬川家の次期当主で、僕は今代当主だ」
そして小さくため息をついた。
「彩弓もそうだが……よくできた子供たちだ。自分の立場をよく理解している。まあ、そういう風に育てたのだから、当然ではあるが……」
「そう、ですか……」
愛理沙は和弥の言葉にどう反応して良いか分からなかった。
和弥は尚も続ける。
「息子が我儘を言うのは……君が絡む時くらいだ」
「えっと、そ、それは……すみません」
「いや、謝らなくていい。僕はそれを嬉しく感じているからね」
愛理沙が頭を下げると、和弥は嬉しそうに笑った。
「由弦が本当の意味で心を許せるのは、君だけだ」
「そう言って頂けるのは嬉しいですが……そんなことはないと思いますよ?」
買い被りすぎだ。
と、愛理沙は和弥の言葉を否定した。
確かに愛理沙は由弦の婚約者であり、特別な関係だ。
だが由弦には幼馴染や親友たちもいる。
少なくとも付き合いは彼ら彼女らの方が長いだろう。
「橘亜夜香。上西千春。佐竹宗一郎。良善寺聖。後は……凪梨天香。この辺りかな? 君たちの共通の友人は」
愛理沙の内心を見透かすように、和弥は由弦と愛理沙の共通の友人たちを列挙した。
愛理沙は小さく頷く。
「はい、そうです。親しくさせてもらっています。もちろん、由弦さんとも……」
「しかし彼らは友人である前に、それぞれの家の跡取りやその関係者じゃないかな?」
和弥の言葉に愛理沙は口を噤んだ。
彼らの立場は各々微妙に異なるが、由弦と同様に家の看板を背負っている。
「友人同士だろう。手を取り合うこともあるだろう。だが、弓を向け合うこともある」
「それは……」
愛理沙はその言葉を否定できなかった。
家同士、複雑な利権や対立の歴史があることを由弦から聞いていたからだ。
「でも彩弓さんが……」
「彼女は嫁ぐよ」
「……!」
妹であっても、血の繋がりがあっても、必ずしも気を許せるわけではない。
和弥はそう断言した。
「もちろん、僕としては兄妹仲良くしてもらいたいものだが……高瀬川家の歴史上、生まれてから死ぬまで、兄弟仲が良かった例は……悪かった例よりも少ない。残念ながらね」
「そう……なんですか」
「まあ、遺産相続とか絡むからね。……僕が戦争の準備をしているように、僕の弟も戦争の準備をしているだろうさ」
「……」
「もちろん、準備だけで本当にやり合うのは極力避けるつもりだけどね。兄弟は仲が良いことに越したことはない。漁夫に利を取られることほど、愚かなことはないからね」
和弥は楽しそうに笑った。
愛理沙はあまり笑えなかった。
「由弦にとって、絶対に裏切らない味方は君だけだ」
「そう……ですか」
「そうだとも」
和弥は大きく頷いた。
「だから側にいるだけで、君は由弦の力になっている」
「……そういうものですか」
「そういうものだよ。まだ分からないだろうけど」
言いたいことは言い終わった。
そう言わんばかりに和弥は立ち上がった。
「じゃあ、これからも息子を頼んだよ」
そう言って立ち去っていく。
愛理沙はそんな和弥の後ろ姿を見送った。
「側にいるだけで……」
そういうものだろうか?
愛理沙は首を傾げた。
愛理沙は和弥の言葉に実感が持てなかった。
少なくとも、今はまだ。