作品タイトル不明
第8話
「ふぅ……美味しかった。……やっぱり、愛理沙の料理が一番だね」
蕎麦湯を飲みながら由弦は愛理沙にそう言った。
今年の年越しそばは、例年、実家で食べている物よりも美味しかった。
それは大切な婚約者と一緒に食べるからであり……
また、婚約者の料理が由弦にとってもっとも美味しいからでもある。
「今回は由弦さんも作ったじゃないですか」
「うん、まあ、確かに手伝いはしたけどね」
とはいえ、由弦は簡単な作業しかしていない……させてもらえなかった。
それに基本的には愛理沙の指示に従う、ロボットのように行動していた。
だから殆ど、愛理沙作である。
「以前よりも上手になりましたね」
「そうかな?」
愛理沙の言葉に由弦は思わず笑みを浮かべた。
愛理沙の手伝いをするようになって、随分と時間が経つが……ようやく愛理沙に認められるようになったようだ。
「ええ。前は付きっ切りじゃないと不安でしたが、最近は少し目を放しても良いかなと思えるようになりました」
「……俺は幼児か何かか?」
「そうですね。ようやく、二本足で立って歩けるようになったかなという感じです」
「手厳しい……」
とはいえ、愛理沙の料理のレベルからすると確かにその程度だろう。
反論することはできなかった。
「テレビでも見ようか。選んでいいよ」
由弦は愛理沙にリモコンを手渡しながら言った。
見たい番組がないわけではないが、それ以上に愛理沙が何を選ぶのかが気になったのだ。
「そうですね……」
愛理沙はリモコンをテレビに向けて、何度かチャンネルを変えた。
そして最終的に選んだのは、お笑い系の番組だった。
少し意外な選択肢だった。
「……家ではあまり見ないので」
どうやら顔に出てしまっていたらしい。
愛理沙は言い訳するように、苦笑しながらそう言った。
「なるほどね……」
由弦の脳裏に愛理沙の養母の顔が浮かぶ。
確かにこういうのはあまり好きそうではない。
「……お嫌いでしたか?」
「いいや、まさか。俺も見たことないし、いいんじゃないかな」
もちろん、お笑い番組を人生で一度も見たことがないわけではない。
しかし年末にやっている、この恒例番組は見たことがなかった。
「見たことないんですか?」
「我が家のチャンネル権は年功序列だからね」
「あぁ……」
由弦の言葉に愛理沙は苦笑した。
年功序列、つまり番組を選ぶ権利があるのは由弦の祖父、高瀬川宗玄ということだ。
宗玄は決してお笑い番組が嫌いというわけではないが、年末は歌番組を見たがる。
もちろん、由弦や彩弓のような孫世代が駄々を捏ねれば譲ってくれるだろ。
しかし駄々を捏ねたことは一度もない。
由弦も彩弓も歌番組が嫌いというわけではないからだ。
それを見て育ってきているのだから、当然と言えば当然の話だが。
たまに話をしながら、二人はテレビを見ながら寛ぐ。
番組も終盤に差し掛かったところで、愛理沙は立ち上がった。
「どうした?」
「除夜の鐘が聞こえた気がします。……はい、打ってますね」
窓際で耳を済ませながら愛理沙はそう言った。
もうそんな時間かと由弦は少し驚き、リモコンを手に取った。
「消した方がいいかな?」
「そうですね、私としては聞きたいですが……ここは由弦さんのお家ですから」
「それなら消そう。俺も聞きたい」
由弦はそう言ってテレビを消した。
途端に部屋の中が静かになる。
そして低く響き渡るような鐘の音が外から聞こえてきた。
「お、はっきり聞こえた」
「もう……今年も終わりなんですね」
愛理沙はしみじみとした表情でそう言った。
由弦も鐘の音に耳を傾けながら、今年の出来事について思いを巡らせた。
「そう言えば……お願いは叶った?」
「……お願い?」
「今年の初詣のお願い」
由弦がそう答えると愛理沙は苦笑した。
愛理沙が約一年前、神社で願ったのは「今年も由弦さんと一緒に過ごせますように」という内容だった。
聞くまでもない。
今も一緒にいるのだから。
「はい。……由弦さんはどうですか」
「俺も叶ったよ」
由弦も苦笑しながら答えた。
由弦の願いも愛理沙と同じなのだから、言うまでもない話だ。
「初詣と言えば……明日の朝は早いですから。音が鳴り終わったら、早く寝ないとですね」
今年は友人たちと一緒に、初詣に行く約束をしている。
初日の出を拝もうというわけではないので、日が昇る前に起きる必要はないが、それでも約束は午前中のそれなりに早い時間帯だ。
「そうだね」
由弦は愛理沙の言葉に頷いた。
二人ともすでに入浴は済ませているため、後は寝るだけだ。
「しかし……そうか。今年ももう終わりか」
由弦はそう言いながら愛理沙の顔をまじまじと見つめた。
愛理沙は不思議そうにきょとんと首を傾げる。
由弦はそれでも尚、見つめる。
愛理沙は困った様子で苦笑いを浮かべる。
さらに由弦が顔を近づけると、さすがに恥ずかしくなったのか目を背けた。
「な、何なんですか……一体」
「今年の愛理沙も見納めだから、今のうちに見ておこうと思って」
「あと一時間で変わりませんよ」
「それを言ったら新年に何もないじゃないか」
由弦はそう言いながら愛理沙の肩に手を置き、自分の方へと引き寄せた。
愛理沙は由弦の意図を察したのか、渋々という態度で――しかし満更でもなさそうな表情で――由弦に顔を近づけた。
「今年最後の……いいかな?」
「……ご自由にどうぞ」
由弦は愛理沙の言葉通り、ご自由にすることにした。
片方の手を背中に回して抱き寄せ、もう片方の手を頭の後ろに回して顔を支える。
「んっ……」
そして唇を合わせた。
今年最後の接吻ということもあり、普段よりも長く、そして深くする。
それからゆっくりと、唇を放した。
同時に鐘が鳴る。
二人は揃って時計を見た。
時刻は丁度、二十四時。
一つの年が終わり、一つの年が始まった。
「明けましておめでとう、愛理沙」
「はい。おめでとうございます」
二人は笑顔を浮かべた。
それから由弦は愛理沙に切り出す。
「ところで新年最初の……」
由弦が言い終わるよりも先に、愛理沙の唇が由弦の唇を塞いだ。
先手を取られた由弦は目を大きく見開いた。
愛理沙はゆっくりと唇を離す。
「今年の由弦さんの初めて、もらっちゃいました」
唇に指を当てながら、愛理沙は悪戯っぽく微笑んだ。