軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

83:疑問は解決しない

ジルは目の前に広がる光景に絶望していた。

唐突に突き付けられたそれが理解できず、そして受け入れられない。何故こうなってしまったのかと止まりかける思考を無理やり回す。

咄嗟に声を上げれば良かったのか。手を伸ばせば良かったのか。抱えて逃げれば良かったのか。

「そういえばイ……えっと?」

「ネルヴ。なんでいきなりおれのナマエわすれてんだよバーカ」

「ばかじゃないです、何でかちょっとわからなくなっただけで」

いや、多分何をどうやってもどうにもならなかった。

ジルは迷宮のド真ん中で、一体どうすれば良いのかと盛大に顔を顰めながら溜息をついた。

それはその日の朝の事だった。

“人魚姫の洞”を攻略した時のダルさも引き、体の感覚も取り戻したのだからとリゼル達は数日ぶりにギルドを訪れていた。鎧王鮫を倒して帰還した冒険者の登場にギルドは沸き立ち、港で一度アピールした者もそうでない者も何とか素材取引が出来ないかと迫って来る。

鎧王鮫の素材ともなれば、それで装備を作ればボス素材にも引けを取らない出来になるだろう。しかしボスでは無いし値段安めに譲って貰えないかと虎視眈々な周囲の勢いは強かったが、今のところ売る気は無いと微笑みながらハッキリ断言したリゼルにコレは無理かと肩を落とすと共にジル達の視線に顔を引き攣らせながら去って行った。

「そういえばイレヴン、ナイフって出来たんですか?」

「んー、まだ。硬過ぎて加工方法分かんねぇっぽいけど、何とかするっつってたしその内出来んじゃねッスか」

鎧王鮫の鱗はとにかく硬く鋭い。

だからこそイレヴンも紙のように薄いナイフにしようとしたのだろうが随分と職人を悩ませているようだ。しかし意地なのかイレヴンが煽ったのかは分からないが、やる気になってくれているのならば必ず何とかするのが職人だろう。

出来たら見たいだの訓練で使おうとするなだの話しながら依頼ボードの前へと立つ。

「二人は何かやりたい依頼がありますか?」

「好きにしろ」

「水ん中じゃなければ何でも」

流石に連続して水中迷宮は嫌なようだ。リゼルも出来れば避けたい。

苦手意識を持った訳ではないが、潜るなら時々で良いと思う程度には面倒だった。低ランクから高ランクまで、一通り目を通して行く。

何でも良い、と呟いて低い位置にある依頼を覗き込みながらリゼルは髪を耳にかけた。

「ひたすら魚の頭を落としていくだけの仕事」

「止めろ」

「ヤだ」

「ひたすら果実をタルへと絞っていくだけの仕事」

「止めろっつってんだろうが」

「無理」

「君達って何でも良いって言う割に遠慮無く嫌がりますよね」

可笑しそうに笑うリゼルに、言わせているんだろうがとジルは呆れたように溜息をついた。

まさか本人もそんな作業をしたいと思っている訳ではないだろう。何となく意見が聞きたくなっている日なのかもしれない。

決定的にこれが良いという依頼が無い所為もあるだろうが、とジルは膨大な数の依頼が所狭しと貼られる依頼ボードを眺めた。興味を引く依頼が無かったのなら、後は依頼人か迷宮で選んでいくしかない。

「前が水中って点を抜かせば王道な迷宮でしたし、久々にちょっと変わった迷宮も良いかもしれませんね」

変な迷宮ばかり潜っているイメージだが、リゼル達は普段は割と普通の迷宮に潜っている。普通とは言え迷宮なので変わった部分があるのは仕方が無いが。

「んー、じゃあコレは? “毒沼の谷底”。一階層に一人一個分の解毒剤が置いてあって、薬効いてる内に階層突破しないと毒喰らうってやつ」

「イレヴンは一人の時に凄い迷宮に行ってるんですね」

「俺効かねぇし薬一個分浮くッスよ。リーダーにあげる」

機嫌良さそうなイレヴンには悪いが、少々遠慮したい。

覗き込むように笑みを浮かべるイレヴンの頬を褒めるよう撫で、そして少しだけ咎めるように叩いて苦笑した。分かってて言っているのだからタチが悪い。

撫でられた頬に満足げに目を細め、ならばとイレヴンは依頼ボードを見上げた。

「メンドイし俺も数潜ってる訳じゃないんスよね。ニィサンが踏破してるトコのが楽なんじゃねッスか」

「ジルって今どれだけ迷宮を踏破してるんですか?」

「いちいち数えてねぇよ」

数えて誇るのが冒険者だろうに、と至って平然とそう答えるジルに思わず真顔の視線が集まった。見栄張りやがってと笑い飛ばせない所が恐ろしい。

一つ踏破しただけでも充分誇れるだろう、それはボスを倒す実力を持っているという事なのだから。何であの人達普通のことっぽく話してるんだろうと心底周りは不思議に思っている。

「何処か変わってる迷宮ありました?」

「お前が好きそうな所っつうのがな……」

イレヴンとリゼルが話している間に、幾つか知っている迷宮に関する依頼を見つけていたジルはそれらに目を通していく。

難易度的には低過ぎない方が良いだろう、どの階層も迷宮としては大して変わらないとはいえ魔物が雑魚すぎるとイレヴンが拗ねる。そして迷宮の変な特性が最大限に発揮されるのはより深層なのだからその方がリゼルは喜ぶ。

ならばBランク以上が良いかと依頼ボードに沿う様に足を動かし、その中で条件に当てはまるものを探す。リゼルが好みそうな変わった迷宮といえば、体験した事が無いことを自ら体験出来るような場所か。

「“対価を払う道”、此処とかやりにくかったな」

「やりにくいって言うのは?」

「階層の最初に水晶玉が浮いてる。それに触らないと進めねぇ上に、触ると色んなもん奪われる。奪われたもんは階層突破すりゃ次に続く階段の手前に浮いてる水晶玉触る事で戻って来るが」

色々なもの、と疑問を持つリゼルにジルは自分の時の対価を思い出す。

本当に節操無く対価で奪って行かれた。所持金であったり、装備であったり、武器であったり時には身体能力の一部でさえ持って行かれた時もあった。身体能力の際は“力”や“跳躍力”に限定されてはいたが、力が奪われているのにスピードなど力に依存する能力は普段通り使えたので酷く奇妙な感覚だったのを覚えている。

迷宮だから仕方ない、のだろうが。

「それ、何も知らずに入ったら驚きますよね。返ってくるって知らないんですし、取り返しのつかないものを奪われたら焦りそうです」

「だろうな」

「ニィサン焦ったんスか。何奪われても舌打ちで済ませそうなのに」

「最初に持って行かれた物がそんなに大切なものだったんですか? あ、剣とか」

「パンツ」

それは焦る。流石のジルも思わず一回迷宮を出ようかと思った。

しかしジルは事前情報として返って来ると知っていたし、迷宮から出てパンツが戻って来る確証は無かったのでノーパンで一階層攻略した。迷宮は一体何を思ってパンツだけを奪って行ったのだろうかと今でも疑問だ。

そうなったら嫌だな、とは思いつつ楽しそうな迷宮にリゼルは興味が湧く。“制限される玩具箱”と何処となく似ている気がするし、そう言った迷宮では全力で迷宮が空気を読んでくることが多い。

リゼルにとって“迷宮だから仕方ない”の法則は未だ慣れないもので、だからこそ経験する度に法則も何もないそれを楽しんでいる。この迷宮も面白そうだ。

「仕組みが難しい分、やっぱり魔物は弱めですよね」

「あぁ」

「イレヴン、良いですか?」

「リーダーが良いなら良いッスよ」

ならこれにしよう、とリゼルはジルに渡された依頼用紙を見た。

“ナイフバッドの羽が欲しい”というBランクの依頼で、ジルが踏破済みなので魔法陣を使って獲物が出る階層まで行けば楽だろう。三人はパンツが取られたらどうしようなどと話しながら依頼窓口へと向かう。

相変わらず冒険者に負けぬ体格を持つスキンヘッドの迫力ある職員が、依頼手続きをしながら何処か誇らしげに笑みを浮かべた。

「まさか俺の代で鎧鮫を倒す冒険者が来るとはなぁ。ギルド自体の評価も上がってるみたいだし俺も鼻が高いぞ」

「それは何よりです」

微笑むリゼルに職員も厳つい顔を緩め、ざりざりと顎鬚を撫でながら頷いて見せる。

目の前の穏やかな男のパーティが偉業を達成しておきながらあまりにもいつも通りなので激しい違和感を感じるが、確かに諸手を上げて大喜びする姿も想像が出来ない。しかし鎧王鮫を倒したことも真実なのだと、職員は折角だから一度この目に焼き付けておこうと依頼手続きの終わったギルドカードをそのままに記録している討伐情報を見る。

見ようと思えば討伐した魔物の一覧も見られるし、どの迷宮を何処まで踏破しているかもギルド側からは把握出来た。もしや彼らならばボスの手前まで行けたのではと期待を込めながら鎧王鮫という文字を確認した後に踏破記録へと移る。

「…………」

「あ、手続き終わりましたか?」

ピタリと手を止めた職員に、リゼルはどうやら終わったらしいと手を伸ばす。

伸ばされた手に職員は無意識にギルドカードを返した。魔道具からギルドカードが抜かれた事で、示されていた記録はふっと消える。

そのお陰で職員はハッと正気を取り戻した。激しく混乱しながら先程まで記録が表示されていた魔道具と既に踵を返してギルドから出ようとしているリゼル達の後ろ姿を見比べる。

「ちょ、待て、それ踏、踏破、オォイ!!」

焦ったように巨体がガタガタと受付から出ようとするが、混乱しすぎて強烈に膝を机へと打ち付けた。

一体どうしたのかとポカンと口を開ける冒険者の視線を一身に受けつつも、強打した膝を抱えて痛みに唸りながら職員はハッとしたように顔を上げる。

「“人魚姫の洞”踏破したのか!? ちょ、もう一回確認させろ!! あ、いねぇ!!」

既に姿の無いギルドで懸命に目当ての姿を探して吠えた職員に、ギルドからは一切の音が消えた。

強いて言うならば自分が原因か。軽々しくこの迷宮の名を挙げた事をジルは今心底後悔している。

迷宮へと入り、目当ての階層まで魔法陣を使って転移した。

その階層ではジルとイレヴンは魔力、リゼルは力と、無くなっても戦闘に全く支障の無い要素を対価として支払っただけなので問題無かった。そして目当ての魔物に出会えず次の階層、つまり今居る階層で支払われる対価がまさか年齢だとは誰が思うのだろうか。

もはや意識して下を見下ろさないと視界にすら入らない二人、以前最悪の迷宮の名を持つ“懐古の館”で見た六歳の頃より小さい。ジルは子供の年齢など見た目で分からないが四歳か五歳かだろうか、小さいというよりとにかく幼い。

「そういえばイ……えっと?」

「ネルヴ。なんでいきなりおれのナマエわすれてんだよバーカ」

「ばかじゃないです、何でかちょっとわからなくなっただけで」

互いに存在を知らない訳ではないので、記憶が全て無くなっている訳ではないようだ。

リゼルもイレヴンも、子供とはいえ恐らく初対面の人間に全く警戒なく接するとは思えない。関係性は覚えているものの、自分が子供であることが当然で思考・行動もそれに準じているのか。

「ジル、ジル、どうしたんですか?」

初対面の子供には間違いなく怯えられる自分に、何の躊躇いもなく近付いて来るのだから間違いは無いのだろう。精一杯此方を見上げながらきゅっとズボンを握るリゼルに、こいつは小さい頃から無意識に自分の見せ方知ってるなと無言で見下ろす。

「オッサンなんてほっとけよ、はやく行こーぜ」

そしてこいつは小さい頃からクソ生意気だなと無言でそちらを見る。

「……お前ら一体どこまで把握してんだ」

「はーく?」

「めいきゅうの中にいて、まもののそざいが必要で、この階もすすまなきゃダメです」

「あー、そゆこと」

自分が子供になっている自覚はない癖に当然のようにそう言うリゼルに、二人の中では疑問も何も無いようだと結論付ける。子供に戻った訳では無く、子供になっただけなのだろう。

リゼル達が全くの記憶を失っているより酷く都合が良い。迷宮だから仕方が無いのだろうが相変わらず何でも有りだ。

全員子供になったら絶望的なので自分一人が残されたのだろうかとジルは恨んで良いのか感謝して良いのか分からないまま思った。迷宮の気遣いは大抵がナナメ上を突き進む。

出来ることなら全員でパンツを奪われた方が数百倍マシだった。

「おいいつまで止まってんだよオッサン!」

「勝手に行くんじゃねぇ」

一緒にそのまま縮んだ服を翻し、イレヴンは忙しなく駆けて行こうとする。

ある意味予想通りだ。その襟首を掴んで止めると、ぎゃんぎゃんと不平不満を叫んでいる。

「ジル、へんな石です、みてください」

「変だと思うもん拾ってくんな」

一体何処で見つけてきたのか、精巧に魔物が彫られた小さな石を思わず凝視してしまった。

とはいえ迷宮なのだし、怪しいものに手を出して何かがあっては困る。イレヴンを確保している方とは逆の手でリゼルの小さな掌にのる石を掴んで放り投げた。

悲しそうな顔をされ、思わず顔を引き攣らせて視線を逸らしたくなる。子供の相手などした事がない自分に言い聞かせて捨てさせるような真似が出来る筈無いだろうに、と内心で言い訳するが伝わる筈が無い。

「……行くぞ」

ジルは逃げた。掴んでいたイレヴンの服を離し、取り敢えず二人で一緒にいろと指示する。

イレヴンはぶつぶつ言いながらリゼルの隣に並び、「いこーぜ」と言いながらその腕を握って歩き出した。リゼルも既に石の事は気にしていないのか頷いている。

あれで良いのか、とジルは良く分からんと思いながらさっさと階層を抜けてしまおうと意気揚々と歩いている割には遅い子供二人の歩調に合わせて歩を進めた。

「良いか、魔物が出たら離れるな」

「はい」

「はぁーい」

腰にも頭が届かない程の身長差がある為、随分と下を見下ろしながらジルは言った。ほのほのと笑う顔と不満そうな顔が素直に頷き、良しとジルも頷く。

普段のリゼルも言われた事に関してはきちんと守っているのだから問題無いだろう。言われていない事に関しては時々色々やらかしてくれるが。

それにひねくれまくっている上に変な所で素直なイレヴンだ、幼い彼も不満げながら特に反抗はしない。とはいえ大人しくしろと言われて大人しくしているタイプでは無いので油断は出来ないが。

そう思いながら、ジルはぴたりと足を止めた。

「ジル?」

「けものくせー。リゼル、こっち」

魔物の来訪を感じる事が出来るというのは、流石幼くても獣人といったところか。

イレヴンはぐいっとリゼルの腕を引き寄せながらゴソゴソと服の下を漁る。そういえば無数にナイフを仕込んでいるのだった、取り上げておくべきかとジルはその様子を見下ろした。

しかしあの数のナイフを幼い子供が運べる筈が無いだろう、一体どうなっているのかと見ていると取り出されたのは普段イレヴンが使っているナイフが一回り小さくなったものだった。

小さな手で握る柄は細く、刃の部分は丁寧なことにバターナイフのように握っても切れないようになっている。迷宮のこだわりは留まる所を知らない。

これならば良いか、とジルは溜息を吐きながら剣を抜く。イレヴンも流石に自分が戦えるとは思って無いのだろう、いざという時の為というだけだ。

「俺の傍を離れるな、これだけ守れ」

念を押され、頷いた二人に根は素直なんだよなとジルは微かに安堵する。

元々魔物に泣き叫ぶような子供はごめんだ。一人はマイペースだし一人はむしろ楽しんでいるしで、自分達より余程大きな狼が牙を剥き向かって来ようと全く怯える様子を見せないのが何とも楽だ。

それはジルに対する信頼もあるのだろう、これでジルがおらず子供となった二人だけだったのならば今のように平常心とは行かなかったかもしれない。ただ平常心でも不思議ではない気もするが。

しかし、とジルは子供二人に血が飛ばないよう魔物を斬り伏せながら思う。

「(失敗した)」

“離れるな”の言葉を守ってジルが動く度に足元についてくる二人を蹴り飛ばしそうで怖い。

それもそうかと納得する。戦闘に適した距離と場所など分からないだろう。

「いてっ」

「悪ィ」

「ネルヴ、だいじょうぶ?」

「へーき」

足を引いた際に軽くイレヴンを押してしまう。指示を間違えたのは此方なので苛立ちはしないものの、何とかしなければとは思う。

最後の一匹を斬り伏せながら、ジルは代案を考えていた。

出てきた魔物を全て斬り伏せたとはいえ今のは第一波だろう。この迷宮では魔物が同種同士で順番に出てくる事が多い、次は別の種が集団で襲いかかって来る筈だ。

「ジル、へいきですか?」

「あぁ」

ちょこちょこと近付いて来て此方を窺うリゼルと、その後ろで何故か唇を尖らせるイレヴンを見下ろす。普段の年齢差が無くなっているからだろうか、イレヴンが世話を焼きたがっているようだ。

珍しい光景を少しばかり面白く思いながら、くっついていてくれるなら楽かと戦闘の解決法を思い付く。何か書く物は持っていただろうかと空間魔法を漁るも何も持っていなかった。

ジルはしばらく何かを考え、おもむろに剣を振るった。甲高い音と共に迷宮の床に歪な円が刻み込まれる。

「……幼児に甘ぇよ」

迷宮に傷は付けられない、その法則さえ歪めて付けられた傷に呟かずにはいられない。

分かり切っていた常識は置いておいて取り敢えず試してみるあたり自分も今や小さい穏やかな男の影響を受けているのだろうと思うが、まさか出来るとは思わなかった。イレヴンのナイフへの配慮といい、二人の為に刻んだ円といい、これで本当の子供が真剣に踏破を目指して望めば遠慮などしないのだから紛れも無く不可抗力で幼児になった二人に甘いとしか言いようが無い。

まぁ良い、と思いながら魔物の第二波を察してリゼル達に向けて円を指差して見せる。

「良いか、ここから出るなよ」

勝手にちょろちょろされれば危ない、傍にいても蹴りそうになる。

ならば一か所に固めておけば良いだろうと、場所さえ把握してれば何があろうと守れるジルならではの解決策だった。

直径一メートルぐらいの円は、子供二人が充分に入れる大きさだ。

「ちょっとでも円のなかならいい?」

「全身出すな」

何やらやらかす気なイレヴンに釘を刺す。

二人が大人しく円に入ったのを確認し、そして現れた巨大な蜘蛛の魔物を振り返りざまに斬り付けた。一か所に留まってくれていたなら常に視界に入れる必要が無い為に戦いやすい。

「んー」

「リゼル、何やってんの」

聞こえた幼い声に、ちらりと視線をそちらに向ける。

水を掬う様に両手を合わせたリゼルが何やら難しそうな顔をして唸っていた。魔物に勢い良く迫られようと全く反応しないのは冷静と言えば良いのかマイペースと言えば良いのか、危機感が無いとは思いたくない。

イレヴンも大人しくしているし放って置いても良いだろう、と二人を狙う魔物を斬り払い次の魔物へと視線を向けた時だった。

「Fogo(火を)、redor(丸めて)、agasalho(包んで)、lancamento(投げます)」

聞こえた詠唱に嫌な予感がして咄嗟に振り向くと、掌に小さな炎の塊を作ったリゼルが今まさに魔物に向かってペイッとそれを投げた所だった。炎の塊は弧を描きながら蜘蛛の魔物の複眼の一つにあたり、然して威力の無いそれに目は潰されずとも周囲の毛をチリチリと燃やされて蜘蛛はブンッと頭を振る。

「あ、あたりました」

「すげー」

標的を自分へと定めた相手を見て、リゼルはほのほのと笑いながら言った。

何故やろうと思ったのか。ジルには何となくの一言が返って来る未来しか見えない。

鋭く空気を吐くような鳴き声を上げ、威嚇か前足を振り上げ蜘蛛がリゼルへと迫る。流石に目の前まで怒涛の勢いで肉薄されれば驚いたのかぎゅっとイレヴンの服を握ったリゼルに、イレヴンはその体を引き寄せ庇う様に背中に隠す。

しかし魔物が踏みつぶすだけで息絶えそうな子供達に足を振り下ろす直前、それを斬り伏せて周囲の魔物を殲滅したジルが溜息をつきながらリゼルを見下ろした。

「分かった俺が言ってねぇのが悪い。良いか、戦闘中に手を出すな」

「はい」

イレヴンの背中から顔を覗かせたリゼルがこくりと頷いた。

素直は素直だ。時折思ってもみない事をしでかすが、と普段の姿を思い出して変わらないなと思いながら溜息をつく。これを制御していた彼の父親が凄い。

「ありがとう、ネルヴ」

「んー」

庇ってくれた相手に礼を言い、歩みを再開したジルへとリゼルは続いた。礼を言われ満足そうながらも複雑な表情を消したイレヴンも並ぶ。

相変わらず速度は遅い為に順調な攻略とは言えないが、特に危険な場面もないので状況を考えれば充分許容範囲内だろう。ジルはかなり意識して遅く歩きながら足元でちょろちょろしている二人を見下ろしながらそう思う。

離れるな、の言葉に頷いてはいたがそれは本人が意識できる範囲でしか守れないのだろう。無意識に興味のある方向へと進もうとする二人から目は離せないが、普通の子供など良く知らないものの迷宮の中にしては手がかからないと言っても良いのではないか。

「あっ」

ふいに何かを見つけ駆けだそうとするイレヴンを、指一本襟に引っかけるだけで止めてジルも彼が発見したものを見る。

通路の先に二つ並んでいるのは宝箱だった。二つ、という所が何とも思わせぶりだろう。

「……」

ふむ、とジルは考え込んだ。

普通ならば危険だから自分が開けるべきだ。魔物が出てきたり罠が発動したりしては危険で、咄嗟に動けるようむしろ二人は下がらせておくべきかもしれない。

しかし、とリゼルを見下ろす。迷宮品とはとても言えない品々を手に入れ続ける彼が小さくなっているのなら一体何が出るのかが気になる。

「開けてみろ」

好奇心に負ける悪い大人なジルだった。

「リゼルどっち?」

「じゃあ、こっちにします」

「ん」

二人は宝箱の前に立ち、同時に宝箱を開いた。

彼らの体に比べ大きめの宝箱は随分とすんなり開き、しかもジルが覗きこむとご丁寧にも底が深い外観に反して底上げされて浅くなっている。確実にリゼル達に配慮した仕様だ。

最初に宝箱から何かを取り出したのはリゼルだった。嬉しそうに笑って、両手で持ったそれをジルに掲げて見せている。

「ジル、ジル、本です」

「本だな」

絵本だった。

果たしてこれは喜ぶだろうという意図なのか、それとも普段のリゼルと同じく全力で空気を読んで冒険者らしく無い品を用意したのか。むしろ両方か。

縮んだぐらいでは冒険者らしい迷宮品を用意して貰えないリゼルの運命に若干同情を覚えつつ、今にも読み始めそうなリゼルを止めてポーチへと片付けさせる。かなり名残惜しげだったが、無言で見下ろしていたら渋々片付けていた。

「えほんとかだっせー」

「ださくないです」

「おれは剣だった」

ジルがそちらを見ると、イレヴンが誇らしげに手に持った短剣を見せていた。

刃物を持たせても面倒だとジルがパッと見せつけられたそれを奪うと、イレヴンが文句を言いながら足を蹴ってくる。蹴るな、と言いながら短剣を鞘から抜くと鋭利な刃物が姿を現した。

迷宮の癖に空気を読まなかったのか、と舌打ちしながら剣を眺めているとふと刃と柄の接する部分につなぎ目を見つけた。もしやと思い指で刃の先端を押すと、刀身がスコンと柄に消えていく。

しかも見かけは完璧に本物の刃物だというのに、刃をなぞろうと指は全く斬れない。

「……おら」

「返すならさいしょからとんなよ! ばーか!」

迷宮が空気読み過ぎてて怖い。そして甘い。

それは何度目かの戦闘中の事だった。

相変わらず幼児な二人を円の中に留まらせ、今まで色々やらかしては一通り禁止された二人はやる事もなく戦闘を眺めたり話したりしながら過ごしている。大人しくて何よりだと思いながら剣を振るっていたジルが、今も一匹のコウモリを斬り伏せた時だった。

「いたっ」

聞こえた幼いリゼルの声に咄嗟に振り返る。

魔物は近付けていない筈だ。取り逃した魔物などいない筈だ。振り返ると同時に踏み出した足は、しかし目の前の光景に動きを止める。

「いたい、ネルヴ、はなして……っジル、ジル」

「うっせーバーカ!」

何がどうなってそうなっているのかは分からないが、イレヴンがリゼルの髪を掴んで引っ張っている。見るからに加減の無い力と、痛がるリゼルに周りの魔物を瞬時に殲滅しながら止めに入った。

「おい、何やってんだアホ。やり過ぎだ」

今までイレヴンは仕草は乱暴かもしれないがリゼルを庇ったり引っ張って歩いたりしていた。幼い頃とはいえ嫌いな者に構う人物では断じてないと確信が持てるので、気に入っていた筈なのに何故こうなっているのか。

しゃがみながら柔らかい髪を握りしめる手を掴むと、イレヴンはそんなジルの掌を振り払う様に手を離した。その拍子にふらついたリゼルの背を支えながらイレヴンを見ると、気に入らないと露骨に眉を寄せた顔が向けられる。

「いたいです……」

しゃがんでも尚下にあるリゼルの頭を見下ろすと、細い髪が乱れに乱れていた。引っ張られた痛みが残っているのか、小さな掌が頭を押さえてしきりに擦っている。

余計に乱れる髪にあーと思いつつ見ていると、ふいにリゼルが顔を上げた。少しだけ水分を蓄えた大きな瞳が此方を見て、頭へ当てられていた両手が真っ直ぐにジルへと伸ばされる。

「ジル」

そうするのが当然と、拒否されるとは微塵も思っていない瞳を前に幼子など抱き上げたことのないジルは固まった。普段のリゼルへ触れる時さえ気を付けているというのに、加減を間違えれば何処かバキッと行きそうな体に対する力加減など分からない。

両手を差し出そうとしたまま動かないジルへ、リゼルは首を傾げた。その腕がふいに横から強く引かれる。

「オッサンいやがってんじゃん、おれといればいいだろ!」

「ネルヴ、て、はなして、いたいっ」

「なんでイヤがんだよ!」

幼いといえど獣人だ、同年齢の唯人と比べれば力は強いだろう。

幼い頃に周囲に同じ子供がいなかったイレヴンはそれが分からない。普段のイレヴンでさえ、鍛えられたから見た目に反して強いとは知っているものの鍛えていない時でも唯人と比べて強いかなど知らないのだから仕方が無かった。

だからだろう、痛がるリゼルに自分の事を嫌がってるのだと思ってしまった。確かに髪を引っ張ったのは苛立ったからだが、今は違うというのに嫌がっているのだから。

「っもういい、バーカ!」

引っ張られた腕が逆に押しのけられる。

べしゃりと地面に倒れ込みそうになったリゼルは、未だしゃがんだまま固まっていたジルに咄嗟に受け止められた。今までこんな扱いを受けた事などない幼子はその体勢のままきょとんとしていたが、じわじわと涙を溜めていく。

今にも溢れそうな涙を湛えた瞳で見上げられ、ぎゅうっと服を握り震える小さな手を見下ろす。ジルは諦めたように溜息を吐いた。

「ジル……っ」

縋る様に震える声に、どうしても拒否は出来そうにないと伸ばされた両手を受け入れるように抱き上げた。

子供の相手をするぐらいなら一人で迷宮のボスを相手にする方が余程楽だ。

腕の中に温かい体温を抱えながらジルはつくづくそう思う。

「なー、おこってんの?」

足元を歩くイレヴンが、ジルに抱えられるリゼルを見上げる。

短い腕でジルの首に手を回しているリゼルは既に泣き止んでいる。突然の乱暴に衝撃を受けただけで、元々痛みなどとっくに引いていた為に割と直ぐに泣き止んでいた。

しかし降りたい素振りを見せないのでジルは抱え続けている。リゼルはイレヴンの声にちらりとそちらを見下ろした。

「おこってんのっつってんじゃん」

自分から堂々と怒られるような事をしておいて、平然と怒っているかと尋ねる辺りイレヴンらしいだろう。今の内に何とかすれば現在のひねくれまくった性格が直るかと最初は思ったが、彼は既に幼い頃からひねくれまくっているのだから諦めるしかない。

だからこそ今こんな事になっているのだから。

「おい、俺に当たんじゃねぇよ」

「うっせーオッサン」

先程から手に入れたばかりの短剣もどきでガンガン足を攻撃されているジルだった。

しかも刺せば縮む本来の使い方ではない。刃が押されない側面をビシビシ打ち付けてくる。

斬れないとはいえ地味に痛い。むしろ痛みは小さいがむず痒い。非力なりに着実にダメージを与えてくる辺り何らかの才能は感じる。

リゼルはそんなイレヴンを見下ろしながら、少しだけむっとしてみせる。

「……おこったの、ネルヴじゃないですか」

「おこってねーじゃん」

「おこりました」

ぐっとイレヴンは言葉を噤む。

ぱたぱたと足を忙しなく動かしながらリゼルを見上げていた彼へ、ジルはふいに手を伸ばして抱えた。抵抗は全く無く、リゼルのように抱き上げるのでは無くて脇腹に抱え込むようにしっかりと持つ。

直後壁から現れた蛇の魔物を踏みつぶし、蹴りあげ壁に叩きつける動きは普段の彼と比べると随分と丁寧だった。そんな中、リゼルもイレヴンも何事もないかのように会話を続ける。

「おこってねーよ……イラついただけ」

蹴りつぶされる蛇を見下ろしながら、イレヴンはぽつりと呟いた。

だって仕方が無い。確かに自分はジルのように戦えない、でも何故か酷くもどかしいのだ。

自分も守れる筈だと有り得ないのに何処かが訴える。ただ見ているだけではなく、自分も彼の為に動ける筈だと知らないのに知っている。

でも実際は出来ない。出来る筈が無い。それが当然だ。なのに何かが違う。そんな中、戦っているジルを微笑んで見ていたリゼルを目にして、その目は自分にも向けられる筈なのにと苛立った。

「……かみのけ、ひっぱったのはごめん」

戦闘が終わったのだろう、動きを止めたジルが平然と再び歩き始める。

しかしふいにその足を止めた。一体どうしたのかとイレヴンが抱えられたまま顔を上げると、一旦ジルがしゃがんだ感覚と共に目の前にリゼルの顔がある。

微笑んだその表情に、イレヴンは目を見開いた。しかしバツが悪そうに視線を泳がせ、ぐっと唇を引き絞って顔ごと視線を逸らす。

「おこってないです、わたしもごめんなさい」

気にしていないと伝えるようなその言葉に、イレヴンはパッと顔を正面へと戻した。

嬉しそうに笑う顔は、まるでイレヴンが苛立った事に対しても嬉しいと伝えているかのようで。ビシッと動きを止めたイレヴンは直後じたばたと暴れてジルの腕から抜け出すと、若干恐る恐るながらもぎゅっと目の前の体を抱きしめながら満足げに笑う。

そんな幼子の微笑ましい光景を、一応迷宮の中だと内心で突っ込みながら眺めていたジルは喧嘩が終わったなら良いかと溜息をついた。

まるで夢から覚めるような感覚に、リゼルは目を瞬かせた。

目の前には人の腰やや上の高さに浮かぶ水晶玉、そして何故かジルに抱えられている現状が理解出来ない。隣を見るとイレヴンも同じようにジルに抱えられたまま訳が分からんという顔をしていた。

確か迷宮入りして転移魔法陣を使い、二つ目の階層の水晶玉に触れたのだったか。しかし目の前にある赤い水晶玉は階層の最後にある対価として奪われたものが返って来る水晶玉だ。

何が起こったのかは分からないが、何となく階層を突破したのだけは理解出来る。何だかやけに疲れきっているジルにより無言で下ろされた。

「この階層を突破出来たという事で良いんですよね、何があったんでしょう」

「聞くな」

「えー、俺凄ぇ気になんスけど」

「聞くな」

こうなったジルは口を割らないだろう。

まだ依頼の品が集まっていない事だけを確認し、リゼルはまぁ良いかと次の階層を目指す。何が対価でとられるのかが楽しみだ。

リゼルに続くように足を進めるイレヴンが、聞きたい聞きたいとジルへと絡んでいる。面倒そうにそれを流しているジルを見て、どうやら記憶に無いものの随分と頑張ってくれたのだろうし労わなければとリゼルは苦笑しながらイレヴンを窘めた。

「あんまり無理を言っちゃ駄目ですよ、ネルヴ」

「は!?」

「あれ」

自分が口にした事ながら心底不思議に思いながらリゼルはイレヴンを見た。

驚愕と共に此方を凝視している。そして何故かジルは全力で顔を顰めている。

「すみません、何だか自然と出ちゃって」

「あーびっくりした。驚かせんじゃねぇよリゼ、ル……」

「え?」

イレヴンが固まった。リゼルもそちらを見た。

ジルが何だか納得交じりの複雑な表情をしているのが気になる。

何が起こったのか分からない二人は、そういう時もあるだろうかと違和感を感じながら一体この階層で何があったのかと思わずにはいられない。

しかし肝心のジルが口を開かないのだから解決はしないだろう、諦めるしかないと次の階層へと続く階段へと足を進めた。

「あ、そういえば」

ふいにリゼルが足を止めて先程触っていた水晶をもう一度確認しようと振り返る。

「何かを返した水晶玉ってちょっと色が薄くなってる気がしたんですけど、これも」

「おい、俺から離れんじゃねぇって言……」

振りかえり戻ろうとした仕草を止める為か、ジルの掌がリゼルの後頭部へと支えるように添えられて前へと促すように軽く引き寄せる。

リゼルはジルを見た。イレヴンもジルを見た。ジルは全ての視線を見なかった事にして掌を下ろしながら顔を逸らす。

リゼル達は何らかの名残を時折みせつつ、その度に疑問を抱きながら依頼のナイフバッドの羽を集めて無事依頼を終了した。