軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

75:鍋は美味しかった

アスタルニアでは深夜も早朝もあまり冷え込まない。

シーツのように薄い羽毛布団を、寒くはないものの何となく落ち着かないという理由で肩まで引き上げていたリゼルが薄らと目を開いた。ぼんやりとした頭で今は何時頃だろうかと考え、窓の方をちらりと窺う。

窓など開けっ放しがほとんどな家が多いアスタルニアだからか、雨風を防ぐ目的しかない薄い窓の隙間から差し込む光は弱い。まだ時間的には早いようだ。

「(寝直そうかな……)」

そうと決めたなら、まだ目が覚めきらない内に寝てしまおうと瞳を閉じる。

ここで少しだけと本を読み始めてしまうのはいけない。読み始めれば最後、眠気などいつの間にか無くなり完全に読み込んでしまうだろう。

それでも勿論構わないが、今日は寝ようともぞりと顔を布団へと埋める。何故なら昨晩は一体いつまで起きていたかは分からないがかなり遅くまで読書に励んでいた。いっそかなり遅くまでというより、かなり早くまでと言った方が近いかもしれない程に。

相変わらず最低限の体調管理は徹底しているリゼルにとって、ここで本を取りだすのは得策ではない。普通に眠い。

「……、……」

力を抜くように少し深く息を吐き、眠気に逆らわず意識を闇に落としていく。

微かに聞こえる人々のざわめき、洗濯物を干している宿主の徐々にテンションの上がっていく鼻歌、カタカタと荷車の車輪が回る音と魔鳥が上空を通過しただろう羽音。耳を澄ませば聞こえる程度の雑音は騒音にならず、二度寝を二度寝たらしめて眠りへと誘う。

サラリとした布地の枕に微かに頬を押し付けるようにすり寄りながらリゼルは意識を手放した。

「港に魔物が出たぞ!」

「騎兵と船兵が向かったらしい!」

ふいに聞こえた喧騒に、そういえば海はまだ近くで見ていないなぁと思いながら。

「あ、お早うございます」

「そんなに早くはねぇけどな」

二度寝からすっきりと目覚めたリゼルが部屋から出て見たのは、丁度階下で何処からか帰って来たジルだった。

からかうように目を細めて笑うジルに、それ程遅くもないだろうと微笑みながら出てきた自室の扉を閉める。冒険者装備では無く軽装なので其処らで一服してきたのだろう、ブーツを鳴らして玄関を横切るジルが視界から消える前に柵に手をついて見下ろした。

それに気付いたジルも足を止めてリゼルを見上げる。

「朝食、ご一緒しても?」

「あぁ」

早くはないと言いながらまだまだ朝食がとれる時間だ。

リゼルは特に急ぐ事無くゆったりと階段を下りる。足を止めて待っていたジルへと近付きながら頬にかかる髪を耳へとかけた。

「そういえば、夜明けぐらいに外が騒がしかったですけど」

「お前が起きる程の騒ぎでも無ぇだろ」

「一度目が覚めた時に、丁度それらしい声が聞こえたので」

正直寝かけてたし気のせいかとも思ったが、ジルの返答を聞く限り騒ぎは確かに起こったようだ。寝惚けていなかったようで何よりだと頷きながら隣に並ぶ。

食堂は一階にある。今はどうやらリゼル達以外には一組の夫婦しか宿泊客がいないようなので宿主もそれ程忙しくなく、直ぐにでも朝食の準備を始めてくれるだろう。

そう思いながら然程広くない玄関を横切ろうとした時だった。

「えー、俺それ知らねぇ」

ふいに頭上から声が降って来たかと思いきや、トンッとあまりにも軽い音を立ててイレヴンが降って来た。

やや覇気の無い声と隠さず欠伸を零す姿は寝起きだと如実に表していて、しかし衝撃を殺す為に曲げていた膝をゆるりと伸ばす仕草に愚鈍さは少しも無い。くしゃりと前髪を掻き上げながらもう一度欠伸を漏らし、何事も無かったかのように共に食堂へと歩を進める。

「それ宿主にやんなっつわれただろうが」

「見てねぇし良いじゃねッスか、いかにもガキが格好付けてるっぽくてウケるっしょ」

イレヴンは悪びれもせずケラケラと笑い、結ばれた赤い髪を蛇のようにしならせる。

決して低くない二階を見上げながら、リゼルは初めてイレヴンが同じように降りてきた時の事を思い出した。初日にリゼルが告げた通り出来そうだからやってみた、と言わんばかりに軽く降りてきたイレヴンを宿主が目撃して凄い顔をしていた。

結局いつものように変なテンションで色々言っていたが結局の所床が傷むから止めてくれと訴えたいらしい彼に、自分が焚きつけた所為もあるだろうとその時はイレヴンを謝らせながらリゼルも謝罪した。

「床を傷めない事もだけど、他のお客さんを驚かせないように気をつけなさい」

「はーい」

とはいえ今はイレヴンの自己責任として放置しているが。

唯一その所業を言葉一つで止められる癖に最低限の事を注意するだけで放っておく男に、ジルは相変わらず放任主義だと溜息をついた。

「そういや騒ぎって何スか。俺すげぇ寝てた」

「俺も九割寝てたので詳しくは知りませんけど……港に魔物が出たとか聞こえた気がします」

「合ってる」

「へー。水中戦とか最近は迷宮ん中でしかしたことねぇし、ちょい楽しそう」

三人は食堂の扉を潜り、誰もいない食堂で適当な席につく。

宿主は聞いた事も無い鼻歌を歌いながら前の客のものだろう食器を洗っていた。すぐにリゼル達に気が付き、タオルで手を拭きながらキッチンから顔を出す。

「はいおはようございまーす。朝から見るには濃い方々を前に正直いつまで経っても慣れないなぁとしみじみ思ってる俺です」

「おはようございます。朝食、良いですか?」

「今日のメニューはじゃーん。海の幸ばっちりムニエルと森の幸ばっちり狩人鍋からお選び頂けますが狩人鍋を食べてるお客さん達を俺が見たくないので自動でムニエルになりました。お待ちください」

狩人鍋が凄い気になる、そう思っているリゼルの前で宿主はさっさとキッチンへと入って行ってしまった。どちらも恐らく美味しいのだろうが折角選べるのならば選ばせてほしい。

宿主を見送るリゼルの姿に哀愁を感じたのか、イレヴンが笑いを耐えて口元を引き攣らせながら出された水を手に取り問いかける。

「……リーダー狩人鍋食べてぇの?」

「食べた事が無いので気にはなります。君達は食べた事がありそうですね」

「まぁ俺は親が親だし」

「狩った獲物適当に突っ込んだ鍋っつーなら食った事ある」

完成された料理を口にする事がほとんどなリゼルにとって、その“適当に突っ込んだ”というのが魅力的なのだ。状況によって材料は変わるものの新鮮な食材と混ざり合った旨味がさぞ美味なのだろうと、縁が無い野趣に富んだ料理でも容易に想像がつく。

羨ましいと隠さずに逆に訴えるように視線を寄越すリゼルを、ジルは眉を寄せながら眺めた。

「お前その露骨な視線止めろ」

「今度作ってあげるッスよ」

「有難うございます、楽しみにしてますね」

微笑むリゼルは表面に薄らと水滴を浮かばせるグラスを手に取った。

口に含み渇いた喉を潤す。王都だろうとアスタルニアだろうと水の味は変わらない。

考えて見れば王都では川魚はいても海産物は無かったし、海の幸も悪くは無いだろう。今日の朝食にそう思いを馳せながら狩人鍋への未練を振り払う。

「海に出た魔物ってどんなんスか、でけぇの?」

「知らねぇよ、わざわざ見に行ってねぇし。お前見た事あんじゃねぇのか」

「海は多分ねぇはず。森ん中で川の魔物相手にした事はあんスけど」

水中戦に持ち込まれると厄介だ、と話し合う二人にリゼルは確かにと頷いた。

満足に身動きのとれない水中で魔物に襲われるなど最悪と言っても良い。それでも海に面するアスタルニアの人々が悲観せず暮らし、海に出てその恵みにあやかろうとする理由など簡単だ。

それ程にこの国の兵達が信頼を得ている証拠だろう。騎兵団、船兵団、海の魔物が出ようと撃退出来る彼らがいるからこそ怯える事無く海へと出られる。

「(海を行けば船で一番近い島国へ二週間……遠いけどパルテダとその国との中継地になれれば特定の物流は独占できるし悪くはないのかな。やっぱり魔鳥騎兵が要になるのかも)」

船舶技術も一度目にしておきたい、恐らく向こうとは大して差は無いだろうと見当をつけているが知っておいて損は無いだろう。リゼルがそんなナハスに怒られそうな事を考えていると宿主によって運ばれた朝食が机へと並べられる。

魚のムニエルやパン、スープやサラダなど一介の宿にしては気合いが入り過ぎている朝食に何となく宿主を見てみると、良い事したとばかりに輝かん笑顔で掻いてもいない汗を拭っていた。やりきった感がひしひしと伝わってくる。

添えられたナイフとフォークを手にとって、リゼルは苦笑した。

「俺は美味しそうだな、で済むから良いんですけど……こんな手の込んだ料理、良いんですか?」

「客人が遠慮なんかするもんじゃないですよマジで。俺の唯一のアイデンティティおもてなしが光った朝食は何と言っても」

「おかわりー」

「作るんじゃなかったチクショー! 味わえよ個性派イケメン滅べ!」

もぐもぐと口を動かしながら空の皿を差し出したイレヴンに宿主は悲痛な声を上げた。

客に滅べとか言ったぞアイツ、というジルの言葉を背に宿主はキッチンへと駆けこんで行く。だから言ったのに、とリゼルはほのほの笑いながらムニエルに舌鼓を打った。

ちなみにイレヴンはきちんと味わっている。これで不味ければその皿を宿主の顔面へと叩きつけるぐらいはするのだから。

「そういや、リーダー達は今日どうすんスか」

食べるものが無くなった為に水を飲みながらイレヴンが尋ねる。

まだまだ満腹には程遠いらしい。リゼルはパンの盛られたバスケットを寄せてやりながら、さてどうしようかと微笑んだ。

「港の方に行ってみようかと思ってます。まだ見てなかったので」

「……変なことすんなよ」

「しませんよ。広い市場もあるみたいだし、見学して来ます」

眉を寄せながら忠告を寄越すジルに、リゼルは失礼なと飄々と返す。

ジルがわざわざ一言告げたのは理由がある。それは港が王宮に近いからだ。

海に面するアスタルニアで、その海沿いの中心を広く陣取るのが白亜の王宮。そこから海へ船兵団用の巨大な石造りの港が築かれており、更に王宮の範囲から外れて両側へと人々が漁などに使用する木材を組んで作られた港が伸びている。

港から更に外へと外れると砂浜になっており、海で遊ぼうと子供達が訪れる場だったり良い雰囲気を出そうとカップルが練り歩いたりする浜辺が広がる。

「ニィサンはどうせ迷宮だし」

「煩ぇ」

否定しないあたり真実なのだろう。

攻略した事のない迷宮があれば余程面倒な仕組みじゃなければ取り敢えず潜る、ジル自身どこか楽しんでいる部分も有るらしいのでもはや趣味と言っても良い。自分の事を本バカだと言えないのではないかとリゼルは常々思っている。

イレヴンはんー、と唸りながらカリカリとグラスを齧る。その視線がちらりとリゼルを窺った。

「俺、リーダーと一緒に行って良い?」

「喜んで」

微笑みながら届けられた返答に満足したのか、イレヴンは目を細めて笑う。

そんな彼の前に何枚も皿が置かれた。作られたおかわりは先程のものと比べると明らかに量が多く盛られており、宿主がとにかくたくさん食べるイレヴンの為に盛り付けを若干放棄したのだと分かる。

そしてその隣に大量に積まれたパン。手のかかる料理じゃなく此方で腹を満たせという事だろう。

「良く頑張った俺は褒められて良いと思う。さーて一段落したし食材を片付け」

「おかわり」

「ガラ悪い癖に頼りがいがあるとか男の良いトコ取りだろ埋まれ!」

やはりジルも足りなかったかと、リゼルは再びキッチンに駆けこんでいく宿主を見送りながらスープに舌鼓を打った。

朝一番、という時間帯でもないのに港への道は賑わっていた。

荷物を背負った屈強な男達、買い物へと足を運ぶ主婦達や露店で声を張り上げる店主達。皆一様に焼けた褐色の肌を持ち、その肌を晒すような軽装で歩んでいるのが慣れない内は異国感を増すだろう。

イレヴンも私服の今は随分と軽装で、しかし王都のデザインである故に決して周囲に溶け込まない様子はやけに彼に似合っている。軽い歩みと同時に揺れる一本に結ばれた長髪は彼の機嫌を現しているようだった。

「イレヴン、あの屋台にあるのは?」

「花弁の砂糖漬け。リーダーの飲むなんちゃってカクテルのツマミにはなるんじゃねッスか」

「薔薇のは見た事があるんですけど、へぇ……味に違いってあるんでしょうか」

色とりどりの瓶を覗きこんだリゼルは、興味深そうに様々な花の名前が書かれた値札を眺める。花の知識はあるものの、それを食用にした際の味など知る機会が無かった。

唯一見た事のある薔薇の砂糖漬けも、元の世界でとあるティータイムの席にガラスの器に美しく注がれていた物のみ。状況的に手を伸ばす訳にもいかなかったので、その味は未知のものだった。

「お客さん、他の国から来たんでしょう。珍しいのかしら?」

「分かります?」

どう見たってそうだろうと屋台の店主である女性は声を上げて笑う。

こんな普通ならば女性が足を止める屋台で男二人が覗いていようと不審に思われないのは、偏にそのお陰だった。見るからに外の国から来た人物が見慣れないものを見ているとしか思われていない。

とはいえそんな事実が有ろうとなかろうと平気で足を止められるのがリゼルとイレヴンなのだが。

「俺が見た事があるのは砂糖水に漬けられてるものだったんですけど」

「そういうシロップに漬けてあるやつもあるわよ、ワインや果実水を混ぜたりしてね。うちで売ってる砂糖漬けは砂糖をまぶして乾燥させてあるタイプだけど」

成程、長持ちするようにという配慮なのだろう。

リゼルは頷いて試食してみてと差し出された花弁をつまんで口へと含む。とても甘く、少し苦い。

「母さんがこういうの時々作ってたけど、花で味の違いなんてほとんど無ぇッスよ」

「ふふ、色と香りを楽しむものだもの。何かに添えたりしてね」

料理に精通していないリゼルにはどう使えば良いのか想像もつかないが、そういうものなのだろう。隣で同じく花弁を食べたイレヴンは顔を顰めている、甘い物は嫌いではないのにこういうのは嫌らしい。

店主の前で正直な、とは思ったが店主は何も気にせず笑っている。男には良く分からないものだろうと割り切っているようだ。

そんな彼女がふいにリゼルを見て、楽しそうに笑いながら身を乗り出して声を潜める。露わになった深い谷間に隠しもせず視線を固定するイレヴンを、さり気なくリゼルが髪を引っ張って止めさせた。

「お客さん、実はどこぞの王子様だったりする?」

「まさか。そう見えますか?」

「えぇ、物語から抜け出したみたい。うちの良い年してやんちゃな王子様よりよっぽどね」

苦笑したリゼルに違うと悟ったのだろう、残念と女性は肩をすくめて身を引く。

アスタルニアの人々は皆王族を尊敬している。しかし彼らにとって王とは実際に人々の手を引く先導者であり、畏れるよりは憧れるべき存在だからこそ多少の物言いは親愛の表現のようだ。

「やんちゃ、と言うと?」

「何人もいる王族の中に一人、飛びぬけて行動力に溢れてる方がいるの。こんな市場にも時々顔を出すのよ」

楽しそうに笑う女性にリゼルは一人の顔を思い浮かべる。

建国祭の時、櫓の上で楽しそうに手を振っていたアスタルニアの王子の内の一人。年頃は二十代前半ぐらいだっただろうか、盛大に勘違いしながら去って行った彼がその後どうなったのかは知らないが彼もなかなかに破天荒そうな空気を纏っていた。

アスタルニアは王族が多いと聞くし人違いという事も充分に有り得るだろうと、気にせず流す。

「へぇ、そいつ今日来たりすんの?」

「どうだったかしら。確か今は国を離れてたと思うんだけど」

「だって。リーダー残念?」

「いえ、今は特に」

平然と微笑んだリゼルに、どうやら興味が無いらしいとイレヴンは揺れる髪をピンッと指で弾いた。

“今は”という言葉が気になるが別に良いだろう。必要ならばリゼルは自分に言ってくれるし必要が無ければ知らなくても良い事なのだから。

特に何の意味も無く付けただけだという可能性もある。言葉で周囲の反応を引き出し本心を見通そうとするのがリゼルの常で、ジル曰く職業病に過ぎないのだから気にしていても仕方が無い。

イレヴンは美味しくないと言わんばかりの表情を浮かべた癖に置きっぱなしの試食品に手を伸ばし、一つ二つと口に含んだ。

「今アスタルニアの王族というと、十八人で合ってますか?」

「えぇと、そうね……前国王と、現国王、国王の御兄弟が十一人、その方達の子供が五人だったかしら」

つまり前国王には十二人の子供と五人の孫がいるという事となる。

しかし今彼はこの国に居ないらしい。基本的にアスタルニアの国柄同様に奔放な王族が多く、当の前国王は王位を明け渡して早々遠方の過ごしやすい島で悠々自適な隠居生活を楽しんでいるようだ。

今の国王は三十五歳という兄弟の中でも一番の年長者で、しかし年功序列だと感じさせない優秀な人物らしい。実は陰で奔放な兄弟らの後始末を一手に引き受けている苦労人だという噂も真しやかに囁かれているのだが。

「そんだけいると仲悪いとかねぇの? 王サマになんのは俺だー的な」

「そんな風には見えないわね、むしろ満場一致で今の国王を選んだって聞くわ。丸投げって意味みたいだけど」

噂は真実のようだ。

しかし心から国王を慕っているのだろう、可笑しそうに笑う女性には否定的な様子など全く無い。むしろ何処か誇るような姿に、良く慕われている国王だとリゼルは微笑んだ。

「だからかしらね、余計にお客さんが王子様みたいに見えるのは」

「物語のって言われると褒められてるのか分からなくて複雑ですけど」

「あら、褒めてるわよ。お客さんってこの国ではお目にかかれない品のある雰囲気だし、若い子に憧れの視線とか向けられるかもしれないわよ」

さすが商売人、リップサービスが上手いと苦笑する。

ここまで話を聞いて何も買わず去る訳にもいかないだろう。リゼルが一番小さい瓶を店主へと手渡すと当然だと言わんばかりの笑みを浮かべ値段が告げられる。

随分と商売上手な事だと感心しながら銀貨一枚を手渡し、礼を告げて屋台を離れた。

「リーダーそれどうすんスか、食うの?」

「どうしましょう」

普通に食べられるし食べても良いけど、とリゼルは手に持った瓶をポーチへと入れた。

そのまま屋台を冷やかしながら港へと向かうこと二十分程、徐々に強くなる潮の香りが海が近い事を告げていた。

道の両側に並んでいた屋台は規模を広げ市場となり、港の前の広場には所狭しと引き上げられた魚などの海産物が並べられて威勢の良い声が飛び交っている。マルケイドとはまた違った活気を持つ市場は何とも騒がしく賑やかだった。

「魔物が出たっていう割には賑やかですね」

「魔物っつっても食えるか食えねぇかの違いッスからね」

ん、とイレヴンが指差した露店を見る。

其処には家庭で主婦が調理するような魚とは違い、角や棘を生やしたいかにも獰猛そうで巨大な魚の魔物が吊るされていた。これを食材として扱い漁で捕まえながら、朝は一体何を騒ぐことがあったのかとリゼルは心底不思議そうに眺める。

実際は一匹捕まえるのに数十人がかりで罠を仕込み、数日かけて一匹捕まえられるかどうかでかなり運に左右される獲物だ。味も一級品という事もあって値段は跳ねあがり、切り分けられてようやく富裕層が手の出る高級魚でもある。

「あの魔物って、以前迷宮でジルと君が倒してましたよね」

「あー、あの浮島っぽい迷宮? そッスね」

「獲ってきて売れば良い値段になったかもしれません」

二人は軽く話しているが、魚型の魔物と戦うのはそんな簡単なものではない。

通常まず第一に考えるのは戦闘を避ける事だ。水中で無類の強さを誇る魔物は水辺から離れていれば確実とは言えないもののまず安全で、討伐しようと思えば余程準備を重ねない限り彼らの独壇場である水中戦を余儀なくされる。

間違いなく無謀な試みなのだが、しかしジルとイレヴンは普通に腰まで水に浸かりながら襲い来る魔物を撃退していた。地上からで良ければリゼルもそうで、そこらの弓など普通に避ける魔物達でも銃撃は避けきれない。

「動き回られるとなかなか当たらなかったし、確かに手強かったですよね」

「俺やニィサンも襲いに来てくれねぇと手ぇ出せねぇし、厄介っちゃ厄介ッスね」

微妙に手強い基準が一般からずれているが二人は気にせず歩を進めた。

漁師達や船員からの依頼もあるからか、市場には冒険者の姿もちらほらと見える。しかしそれでもリゼル達は人とすれ違う度に視線を投げられるのだから、余程アスタルニアに染まらぬ空気を纏っているのだろう。

三者共に周囲とは一線を画する存在感ゆえに視線を引き寄せていると、そう言っても過言ではない。

「あんた達が一刀のパーティか?」

だからこそ、厄介なものも引き付けてしまうのかもしれない。

リゼル達の前に立ち問いかけたのは若い冒険者だった。五人パーティらしく、全員ニヤニヤと嫌な笑みを浮かべながら立ち塞がる。

「あ、リーダーあれ。すげぇビチビチしてる」

「本当だ、凄いビチビチしてますね」

しかし声をかけられた二人は巨大魚がひたすら尾を振っているのに夢中で気付かなかった。

頭は吊るされ固定され、大きく激しく左右に尾だけを振る姿はまさにビチビチの効果音に相応しい動きだ。いや良いものを見たと二人して頷く。

これは是非ジルも見るべきだったと話し合うリゼル達が気付かず通り過ぎようとするのを、一瞬あまりの展開に固まった若い冒険者は直ぐに我に返り額に青筋を浮かべながら止めようと手を伸ばす。しかしその手はリゼルの腕を掴む寸前、強烈な痛みと共に止められた。

「ぐぁッ……!」

「あー、やっぱニィサンじゃねぇから砕けねぇなァ」

ミシミシと、骨が軋む音が掴まれた手首から聞こえるようだった。

冒険者は今にも折られそうな手を勢い良く引く。引く寸前に離された所為でよろめいた体を何とか耐える姿にイレヴンは隠すことなく嘲るように笑みを浮かべた。酷く嗜虐的な笑みは活気ある空間を一気に別の空気へと変える。

細身の体からは想像出来ない程の力に動揺するように既に紫の痣になりつつある手首を見下ろす冒険者へと、視線を向けること無くリゼルは穏やかに微笑んだ。

「やり過ぎると居づらくなっちゃうんですけど」

「これでも充分優しい方ッスよ。ほら、まだ手と腕くっついてるし?」

ひら、と手を振るイレヴンに確かに彼にしては加減した方かと納得する。

そして此処で初めてリゼルは冒険者たちへと視線を向けた。一刀という言葉、まだ二十に届かないだろう年若い男たち、ジルとパーティを組んだ時も絡まれる事が度々あったが此処でも同様のようだ。

一刀に対する妬みや憧れが原因の大半なのだが、様子を見る限り今回は後者らしい。ジルに言わせればどちらも鬱陶しいの一言だが。

「ジルもモテますね」

「あのヒトも有名人ッスね、冒険者限定で」

穏やかに話し合う様子に、放置された冒険者たちは不愉快そうにリゼル達を睨みつける。

絡んだ理由などリゼルの予想通りだった。彼らは噂に聞く一刀の話を半信半疑ながらもこれ程名が広がる実力者ならばと憧れ、今回この国を訪れた本人を目にして噂は真実だったのだと反射的に理解し、そして自分達が目指し続けた頂点に近い人物へ抱く理想を強くした。

しかしその隣には二人いた。孤高と聞いていた一刀が馴れ合う訳が無い。

「一刀を引き連れて良い気になるのは止めろ、金で冒険者を続けるなんざ見苦しいんだよ」

理想を押し付け、理想を求め、理想しか認めない。

彼らが描いた一刀像はさぞかし綺麗なのだろうと、リゼルは潮風に揺れる髪を耳にかけながら可笑しそうに笑った。それが相手を煽るものだと分からない筈はないが、その為にわざわざ耐える気も無い。

「そんなお金持ちに見えます?」

「ッからかってんのかテメェ!」

至極真面目に問いかけたのだが、と苦笑する。

以前のとある清廉潔白な青年といい、何故自分をそう金持ちにしたいのだろうか。いっそ褒められているのかもしれないと頷くリゼルを、ずれたコト考えてんだろうなァとイレヴンは楽しそうに眺めている。

いかにも冒険者な五人と浮世離れした二人が相対する光景に、周囲は好奇と怖いもの見たさで遠巻きに足を止めた。声を荒らげる冒険者に喧嘩か何かか、と盛り上がれば何でも良い人々は何処か楽しそうですらあった。

「シアワセな脳みそしてんなァ一回死んどけよ雑ァ魚」

「はッ、金で買われた犬野郎が何吠えてんだか」

イレヴンは剣に手をつけもしない、例え斬りかかられようと其れからの対応で充分に間に合うのだろう。

つまりそれ程の実力の差がある相手、分かってしまえば詰まらない言い合いが余計に退屈なものになる。このまま通り過ぎてもしつこく追って来る事は想像に難く無く、しかし相手をするのは面倒だし今はビチビチいってる魚も気になる二人なので乗り気ではない。

しかし犬野郎という言葉にふいにリゼルとイレヴンは数秒視線を合わせた。どちらからともなく笑みを浮かべて冒険者たちを見据える。

「それがどうしました?」

「あ?」

穏やかで冒険者とも思えないようなリゼルから突如放たれた挑発するような言葉に、冒険者たちは訝しげに眉を寄せる。

「金にものを言わせて俺がジルを使ったとして、何が悪いのかって聞いているんですけど」

ゆるりと細められた瞳と、傲慢とも思える言葉に男達は絶句した。

目の前にいる男は今や完全に冒険者の皮を脱ぎ捨てた貴族だった。傲慢で横柄、高圧的で人を見下すような視線。全てが自分に従うのを当然と思う穏やかなままの傍若無人。

しかし清廉とした雰囲気が彼を卑しくは見せない。そうあるのが当然と、他者に納得させる姿ですらあった。

「俺の犬にも歯が立たない君達が、良く意見を通そうと思いましたね?」

リゼルが掌を持ち上げ愛でるようにイレヴンの顎をすり、となぞった。

イレヴンはその掌を全身全霊で享受するようにジワリと殺気の滲む瞳を細め、牙を覗かせるように笑みを浮かべる。ワンッと喉を震わせ鳴いてみせれば掌は褒めるように頬を一度叩いて離れて行った。

「本性現しやがって……金でしか言う事聞かせられねぇなんざ器が知れるぜ」

「財力も力の内でしょう? しかし貧乏人がひがんでいる様は見ていて酷く滑稽ですね」

ゆるく握った手を唇に添え、リゼルは小さく首を傾け笑った。

もし此処で周りにいるのが王都ギルドの冒険者達だったなら、冒険者だけではなくリゼル達に慣れ親しんだ者達だったなら心の中で叫ぶ筈だ。まさかの、という思いを込めて盛大に。

『成りきった……!!』

そして遊ばれる冒険者に心底同情しながらも関わらない選択肢を取る筈なのだが、此処は王都ではない。周囲もリゼルに慣れない者ばかりだ。

すれ違う度に一体何者なんだろうと思っていたら冒険者で、それが行き成り上位者っぽい雰囲気を出して、しかし穏やかなままで、もはや掴めない印象に混乱すると共に高揚してしまうのは仕方が無い。飛び込んできた非日常に何も思わない者など誰もいないのだから。

楽しんで貰えて何より、そう内心で微笑みながらリゼルは目の前の冒険者からすっと視線を外した。

「文句を聞いてあげる程俺は暇じゃありません。言いたい事は何ですか? ジルを解放しろ? それとも冒険者を止めろ?」

「それは……ッ」

「聞いてあげても良いけど、その前に一つ」

相手の言葉を遮る様に指を一本立てる。

まるで内緒話のように唇にあて、微かに上体を倒して顔を寄せた。決して近くはない距離なのに押されるような感覚を覚える冒険者達の前で、その笑みがゆっくりと深まる。

「絶対に、叶えてはあげませんよ」

ブチリと冒険者達があまりの屈辱に理性を飛ばし剣へと手をかけるのと、イレヴンがリゼルを後ろにやりながら嘲笑を浮かべ前へと躍り出るのは同時だった。

その十分後。

「どうして! お前達は大人しく出来ない!」

リゼルとイレヴンは目の前に仁王立ちするナハスから説教を受けていた。

流石に正座ではないが、近くにあった屋台の低い椅子に二人ならんで腰を下ろしてナハスを見上げているのだから大して変わりはない。

「今回は俺達が絡まれた側なんですけど……」

「そこで何でノッた!」

「楽しそうだなと思って」

「これだ、悪びれないんだお前たちは! 悪くないしって顔をするな!」

何故ナハスが此処にいるのか、それは偶然でしかない。

今朝港に魔物が出た際に魔鳥騎兵団が出動しており、その後始末や被害状況の確認も兼ねて港へと来ていた。そこで目にしたのはボコボコにした冒険者を積んで嘲笑うイレヴンと成りきったリゼルで、ナハスは思わず魔鳥から落下するかと思った。

冒険者同士のいざこざに関われない筈なのに、思わず詰め寄ってしまったが自分は悪くないとナハスは心底信じている。

「あ、見てリーダー。力尽きた」

「だから暇は無いって言ったのに。副隊長さんももう少し早く来れば見れましたよ、残念ですね」

「そして反省は無し! 知っていたがな!」

シーン、と静かに吊り下げられた魚に何故か意識を飛ばす二人に思わず心の安らぎを求めて親愛なる相棒へと手を伸ばす。もふもふとした胸毛の羽毛が心を安らかにしてくれる。

「感情が高ぶった時には甘いものですよ、これ差し上げます」

「ん、花の砂糖漬けか。有難く貰おう、これは俺の相棒も好きで時々……じゃない! これは貰うが!」

そんな三人を周囲は良く分からんと思いながら見ていた。傲慢な上位者は穏やかな品のある男に戻り、唯一人にしか懐かないと控えていた犬と呼ばれた獣人は自由奔放に欠伸を零し、そして何故か国が誇る魔鳥騎兵団の副隊長と顔見知りらしく説教を受けている。

ただ何となく穏やかな男達の方が冒険者たちで遊んでいただろう事は理解出来たので、変わった人達が来たものだと尾を引く高揚と共に各々の行動へと戻っていった。しかし冒険者というのは本当なのだろうかと首を傾げながら。

「大体勝手に貴族を名乗るなど下手をすれば厳罰ものだぞ!」

「やだな、自分から貴族だなんて言って無いですよ」

「被害は圧倒的に向こうが大きいのだしギルドに変に言いつけられたらどうする!」

「だからちゃんと絡まれたっていう証人として周りの人たちを集めたじゃないですか」

どうしてそこまで気を回せて、絡まれた際に綺麗にスルーが出来ないのか。

出来る癖にしなかったに決まっているな楽しそうとか隠しもせず言っていたしとナハスは全てを諦めた。果たして我が国のギルドは目の前の二人と姿の見えない一人を扱いきれるのかという心配は心底あるが。

「……頼むから国に影響するレベルの問題を起こしてくれるな」

「あれ漁師鍋じゃねッスか」

「え、どれですか?」

「お前たちはどうしてそんなマイペースなんだ! 聞こえていたら返事!」

この後何だかんだで港の案内や魔物の襲撃状況などを教えてくれたナハスはかなり面倒見が良いだろう。リゼル達がそれ以上問題を起こさないか監視する為だとしても。

良い人を紹介してくれたものだとリゼルはほのほの微笑みながらヒスイへと感謝した。

「あ、ジルおかえりなさい」

「あぁ、港はどうだった」

「丁寧な解説があったので凄く分かりやすかったです」

「そりゃ良かった」