軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

5:逃がさない

まだ夜明け前の薄暗い部屋で、ジルは明かりも点けずにベッドへと腰かけていた。

思いだすのは昨日の事、あのギルドでの出来事に他ならない。リゼルがスタッドと話していると、途中で男が割り込んで来た。絡まれる。いつもの事だ。

男に意識すら向けないリゼルと、男の罵倒。罵倒。すぐ背中越しに聞こえる会話と罵倒が混じり合う。

『ただ、』

空気が変わった。あの時を境に、リゼルはジルが知っている存在から別次元の存在となった。

普段から貴族らしい男だと思っていたが、今まで一度たりとも貴族として存在していなかったのだと思い知った。

『貴方程度の存在と、私のものを並べて比べられるのは、ひどく不快です』

リゼルはこの世界へと現れてから初めて、貴族としての自分を発現させたのだ。

激昂した男を前に引きずり出されたのは“リゼルを守れ”という本能にも近い静かな激情で、男に絡まれた当初は向かってくるなら得物を払い捨て軽く気絶させてやろうと考えていたジルは、しかしそれが出来なかった。

分厚い大剣を根元から叩き斬り、気絶させるどころか内臓を潰す勢いで蹴り飛ばし、破壊する予定の無かった扉を破壊してしまっていた。

今まで誰の下に就く事も拒否し一人で歩き続けていた自分が、一瞬で従えさせられた。込み上がる笑いを殺し、やはりリゼルに雇われた事は正解であったと確信する。

今回は叩きつけられた空気に呑まれたが、次からは自分の理性のままに行動できるはずだ。だが、それでも今回と同じように動いて見せよう。

今度は、自らの判断で。

「騎士かっつーんだよ」

ぽつりと呟き、やはり笑う。自分の口からその単語が出た事が酷くおかしかった。

「出鼻はくじかれた気がしますけど、天気も良いし絶好の冒険日和ですね」

「くじかれた原因の八割はお前だがな」

見通しの良い草原をサクサクと踏みしめながら二人は歩いていた。まだ充分に国の城壁が見える距離に魔物が出ることはほぼ無く、穏やかな陽気にリゼルは何時も以上にゆったりとしている。

国に近かろうと魔物が出る可能性はゼロではないのだが、お構いなしだ。

「この国の憲兵も真面目な方達ですね、俺としては面白かったので良いですけど」

二人が話しているのは朝の出来事だった。朝食は基本的に一緒にとるとは決まっていないが、今日のように一緒に出掛ける予定があるのならわざわざ避ける必要もない。

宿屋の主である、女将の旦那の手料理をのんびりと食べていた時の事だった。

『失礼する! こちらで貴族と身分を偽る男が宿泊しているとの情報があった!』

まだ人々が活動を始めたばかりである時間に響き渡った声に、ジルは顰め面でリゼルを見た。

宿屋に来た当初は貴族が来たと騒がれたリゼルだが、きちんと本人は否定してるし今では周囲も承知している。近所の子供はリゼルを見かける度に貴族様貴族様とはしゃいでいたが、それが変な風に広がったようだ。

『今この国の貴族方の中に忍んで街に降りている方はおられない。大人しく出頭して貰おう!』

『ちょっとうちのお客さんに何変な疑いかけてんだい! 勝手な事して貰っちゃ困るよ!』

あわや女将と憲兵の武力衝突となるところだった。ジルがリゼルを窺っても楽しそうな様子を見せているだけで、自分が騒動の中心となろうと傍観出来る時は静かに傍観するのがリゼルだ。

もちろんその傍観も、女将を押し退けた憲兵団の隊長らしき男が食堂へと乗り込んで来た瞬間に終わりを告げたが。

『は……』

『おい、固まってんぞ』

『それより、女性の扱いがなってません』

優雅に食後のコーヒーを飲んでいたリゼルを前に、憲兵は固まった。騎士程貴族に近くないとはいえ、憲兵隊長ともなれば関わる事も皆無ではない。

そんな実際に貴族に会う機会がある人間でさえ、普段通りに過ごしているだけのリゼルを前に確信を持って頭を下げた。

『大変失礼致しました! 上に確認を取った際には今降りている方はいないと伺ったもので……!』

その言葉を聞いてリゼルは面白そうに笑い、ジルは我関せずと顔を逸らし、女将は勝手に入るなとその後頭部に一発平手を叩きこんだ。

その後、狼狽する憲兵は納得いかない表情のままリゼルが貴族では無い事を聞き、神妙な表情で周りが最初勘違いしていただけだという言葉に頷き、近所の子供が言う“貴族様”という言葉は彼らが勝手に使っている愛称だと聞かされて脱力していた。

特にリゼルが貴族という存在を笠に着て振舞っていた訳でもなんでもない。物騒な誤解は平和的に解決し、やはり何処か納得いかないままに憲兵は帰って行った。

「そういえば門番の人にも二度見されましたよね。最近は馴染んで来たと思ったんですけど」

「……二度見で済むんならそうなんじゃねぇの」

もし先日のように全力で貴族をしていれば、間違い無く門で止められ城に連絡が入り、ジルはとっ捕まった上に誘拐犯扱いされるに違いない。それが二度見と冒険者だと名乗った時の唖然顔で済んだのだから充分許容範囲だろう。

先日の出来事以来、ジルの中でのリゼルに対する一般人のハードルが下がりまくっていた。こいつも頑張ってるんだなと思っている。

「一応冒険者の装備は揃えたしな」

「凄く嬉しいです」

ジルに言われて総入れ替えした服装も効果が大きいだろう。元々ジルに出会った翌日に此方の服を揃えていたが、冒険者用の服装はそれと全く違う。

鎧や胸当てなどが一切無く、冒険者にしては無防備だと言われる服装だが、ジルおすすめのそれは防御力に関する心配がいらない特別製だ。

「初心者なのに最高装備って、なんだか気が引けますね」

「今出来る最大限の対策すんのが基本だ。手ぇ抜いて怪我すんのが一番馬鹿だろ」

「たしかに」

上位魔獣の毛皮やそれを紡いだ糸で編まれた服、それだけで様々な攻撃を防ぎ衝撃すら通さない、鉄の鎧以上の防護服となる。さらにミスリルを糸状にしたものを編み込んであるので、魔法攻撃すら吸収・反射する鉄壁を誇る。

ジルも同様の素材を使っているので、二人揃って軽装に見えてしまうだろう。動きやすくて良い、というのはジルの談だった。

ちなみに滅多に手に入らないミスリルだが、ジルの手持ちがあったのでそれを使用した。オーダーメイドの為に金も時間も掛かるが金に関してはリゼルに心配は無く、時間にしても盛大な読書週間を挟んだので何の支障も無かった。

ちなみにデザインはジルもリゼルも職人に丸投げなので、盛大に相手を悩ませた上で職人とその周囲のイメージが前面に出たものとなっている。

「でも俺のイメージって魔法使いなんですね」

「俺なんざ全身黒だぞ」

言いながら、ちらりとジルはリゼルを見る。先程の言い方では魔法が主力では無いようだった。しかし相変わらずその体の何処にも武器の姿は見えないし、肉弾戦が可能な体には見えない。

そろそろ疑問を解決して貰おうか、とジルは足を止める。数歩前に出てしまったリゼルが振り返って突然立ち止まったジルを見た。

「おい、あれが草原ネズミだ」

「んー……ああ、良く見つけましたね」

「見てるとこが違ぇんだよ、慣れだ慣れ」

百メートル程離れた場所に、五十センチ程の大きさのネズミが居た。その草原ネズミを十匹退治する事が今回の依頼だ。

草原ネズミの依頼は常に下位のボードに貼られている。彼らが掘った穴は体長に見合う大きさで、馬車の通り道に巣穴を掘られると馬が嵌って転倒してしまうのだ。

大きいと二メートル程にも成るらしいが、定期的に狩られている為それ程大きく育つものは国周辺には滅多にいない。

「スタッド君も危険は無いだろうって言ってましたね」

「あいつらすぐ逃げるからな。ただ、逃げ足はかなりすばしっこい」

それでも厄介な習性を見逃す訳にはいかないからこそ、依頼が出るのだろう。そんな事を考えながらリゼルは一度頷いた。

ちなみに依頼を受ける時、窓口にいたのは何故かスタッドだった。確かに新人受付は暇そうだが、と思いながらも何故か空いている彼の窓口を利用してきた。

「取り敢えずお前一人で」

タァーン……ッ

「やりました? あ、やったっぽいです」

リゼルが目に手をかざし、遠くを見るように先程まで動きまわっていた標的を確認している。ジルの額に青筋が浮かんだが、すぐに諦めたように溜息をついた。

「どうしてお前は人を驚かさずに生きらんねぇんだ……」

「え、すみません」

驚きましたか、と尋ねる顔は全く悪びれていない。振り返ったリゼルと一緒に、リゼルのすぐ傍を漂っていた“それ”がこちらを向いた。

ジルはそれを見た事がある。迷宮の宝箱から稀に出て来る“銃”と呼ばれる武器だ。長い銃身は重く、銃弾もその時銃にセットされていた分しか使えない。

他の宝箱に入っていた銃の弾を使おうにも何故か入らないし、一度出した弾は再びセットする事が出来ない。今の所一丁の銃に入っていた弾の最高記録は六発だが、ものによっては入っていない事もある。

総評すると、使えない。試しに使ってみた者は皆、いざという時の一発には最高だがいざという時に役に立たない武器だと言う。

大事に持っていても弾が幾つ入っているかは出してみないと分からないので、いざという時に使えるかどうかも不明だし、使ったら使ったで肩が砕ける程の衝撃があるしで、とても武器にはならないらしい。

今ではモノ好きがコレクションするだけの娯楽品だ。

「それがお前の横でフラフラ飛んでて草原ネズミをぶち殺した事に、俺が欠片も驚かねぇような男に見えるか」

「基本的に何かに驚くような人だとは思ってませんでした」

「そこまで悟ってねぇよ」

軽口を叩くリゼルに、ジルの苛立ちは完全に沈下した。慣れだ。

「で」

「ん?」

「説明」

ジルは言いながら周囲を窺う。もう近くに魔物はいない。多少のんびり話してても問題ないだろう。

リゼルは浮遊する銃を、くるんと指先を回す事で二人の周りを一周囲ってみせた。

「俺の所でも大体一緒です、 魔銃(ライフル) と勝手に呼んでいます」

「ライフル、ね。勝手にそう呼んでんなら一般的な武器では無ぇわけだ」

「はい、使用していたのは俺を含め……三人? ですね」

理由は此方と同じく、稀にしか迷宮から出ない為だ。だが使用する人間が少ない理由はほぼ此方と同じだが、一部分で徹底的に違う。

銃自体に根本的な違いがある為、使用出来る人間が限られているからだ。

「こちらの銃は、鉄の弾を飛ばすんですよね?」

「一度見た事があるが、なんかの魔法が組みこまれた鉄の塊だったな」

こう、とジルは空中に形を描いてみせた。涙型をしたそれは、組みこまれた魔法によって使用出来る銃が限定されているのだろう。

ちなみにその魔法についての研究は既に諦められている。迷宮内で定められた魔法は決して人間には使用できないし、理屈も通じない。覆らない事実だ。

「この銃は魔力の塊を飛ばして、こう……」

「あ?」

銃口を躊躇わず自分の頭部へと向けたリゼルに、ジルは咄嗟にその間へ手の平を差し込む。直後手の平へと当たったのは先程草原ネズミの頭を吹き飛ばしたものではなく、空気の塊だった。

ぶわ、と広がった風がリゼルの髪を掻き混ぜると、その乱れた髪の下から可笑しそうな微笑みが見えた。

「成程、さっきは見逃しましたけど、本当に君も驚けるみたいです」

「アホ」

かばった手の平でそのままリゼルの頭を叩く。ぐしゃぐしゃの髪を手櫛で直し、リゼルは笑いながらもジルへと視線を向けた。

まさかあの瞬間、反射のように庇われるとは思っていなかった。その行動を本人も納得している様子な所が、リゼルに昨日の影響をはっきりと感じさせる。

「(話に横槍を入れた甲斐があったなぁ)」

良い影響だ、と思う。煩わしい男を退ける為にリゼルが出る必要は本当は無かった。

だがジルを確実に自分の元に留めて置く為には、ああするのが一番手っ取り早い。自分に飽きさせない、それがジルを手元に置く為に今の所は一番有効な手段だろう。

ジルも此方の意図には気付いていそうだが、構わない。互いの利害が一致している今の関係は理想的だ。

優秀な人間を手放すつもりはない。上に立つ者として当たり前の感覚を、リゼルもまた持っていた。

「わっるい顔してんぜ、貴族様」

「嫌だな、見ない振りして下さい」

獰猛さを感じさせる笑みを浮かべるジルに、リゼルも微笑みを返した。否定はしない。

そもそも隠そうともしていないのだ。それでも気付ける人間は稀だが。

「じゃあ、続きです」

気を取り直すようにリゼルはすぅ、と指で宙をなぞった。

「魔力を飛ばすと言いましたが、その為には魔力を入れなくてはいけません」

銃が後ろを向く。ジルが知る限りの此方の銃と作りは一緒で、おそらく弾をセットするだろう場所があった。

穴が六つ。通常ならば此処に鉄の弾が入り、それが射出されるのだろう。リゼルの魔銃には全ての穴に弾が入っていたが、その弾はガラスのように透き通っていた。

「この銃弾に魔力を補填すると、ほら」

リゼルが一つの弾を指差す。魔力が補充されたのだろう、パッと色が透明から薄らとした緑に変わった。

次の弾を指す。弾は赤に。次の弾。弾は青に。

「属性の色か、効果は?」

「先程使ったのは風です、銃撃のスピードと飛距離が上がり相手を貫きます。俺はこの属性が一番使いやすいです」

草原ネズミを指差す。あまり近寄ると他の魔物が近寄ってきて面倒なので先程の位置から動いていないが、ネズミが頭に穴を開けているのは充分に確認できた。

「火は当たった部位が爆発します。水は凍ります。土は地面をどうにかします」

「は?」

「こればかりはランダムで、俺にも分からないんです。穴が開いたり隆起したりするんですが……」

うーんと考え、リゼルは困ったように微笑む。そもそもリゼルの世界でも変わらず迷宮からの副産物なのだ、全て思い通りの物は手に入らないので土属性は滅多に使わない。

それでも、とジルは思う。まさかこれがノーリスクで使える訳では無いだろう、衝撃は浮かして緩和しているだろうがその程度で解決するならば銃の評価はもっと高い。

「で、三人しか使えねぇっつうんなら……条件が厳しいのか」

「御名答です。実は、普通はジルが言ったこちらの銃と同じで予め入っていた分だけしか使えないんです」

「魔力がか? じゃあ魔力の補充がネックだな」

「そう、実は魔道具とかとは違い、外からの補充が出来なくなっていまして」

魔道具は魔力を自分で流し込むか、周囲の魔力を自動的に取り込む事で発動する。だが魔銃に入れられた透明な弾は予め満たされた状態で発見されており、此方と同じく最大六発分が今まで確認されていた。

使い切ってしまえば補充は出来ず、完全に使い切りだ。反動も同じく強く、非常に使い勝手の悪い武器として知られていたが、ある時リゼルの元教え子が裏技とも言える術を発見したのだ。

「転移魔術で、魔力を直接弾の中に転移させるんです」

「流し込むのは無理でも発現は可能か、良く思いついたもんだな」

「全くです、もし何かあったらどうするんでしょうね」

迷宮の宝箱から発見される道具だ。変にいじって最悪の事態になる事も考えられる。

結果オーライだったものの、リゼルは当時本気で怒った。迷宮品に手を加えて死んでしまう確率は決して低く無い。

「それで何故三人しか使っていないのかと言うと、転移魔術が王族固有の魔術だからです」

「……おい、お前」

「いえ、俺はほとんど関係ありません。数代前に王族の方が家に嫁いできた事があるおかげでして」

リゼルが元居た国の王族は血統により選ばれる。転移魔術を使える血統、遙か何千年も前から続く伝統は今も守られ、それを誇りに思わない国民はいない。

だからこそ血統を絶やさぬ為に信頼できる貴族へと王族の娘を嫁がせる事がある。それがリゼルの家だった。

「その時の子供は特別血統が強い訳では無く、当時すでに王となる子供がいたので平穏に公爵家を継ぎました。次の代からはもう血は薄れるだけですし俺の親なんて全く使えませんが……えーと、隔世遺伝か何かかな」

「それでお前が何も巻き込まれねぇとかねぇだろ」

「それが巻き込まれないんです。俺の転移魔術なんて最低限ですし、何せ今の国王が歴代最高と言われる程の転移魔術の遣い手ですから」

絶対的存在です、と言うリゼルは誇らしげだ。

元教え子だからだろう。そもそもリゼルが望んだ訳でも無く周囲から教育係を任されたのだから、国王に取って替わろうなどという周囲の疑いは無い。そういう疑いがかからない振る舞いをリゼルも徹底してきていた。

リゼルの転移魔術が最低限、というのも真実だ。銃の魔力装填の為に魔力だけ転移する事が精一杯で、本来の転移魔術は質量のある物質でさえ転移出来る。

普段は全く役に立たないし使い所も分からないリゼルの転移魔術だが、魔銃が使用出来るだけ儲け物、と本人は満足している。

「まあそれでも衝撃は強すぎるので、こうして持たずに使用しているんですが」

「これも転移魔術か?」

「いえ、ほら時々見ませんか? 攻撃魔法の 火の弾(フレアボール) を自由に操れる人。それと一緒です」

そう言われ、納得する。火の弾は通常直線の軌道で敵を攻撃するが、実力のある魔法使いは応用して追尾機能をつけたりしているからだ。

難しい上にかなりの集中力を必要とするのでジルもそれを使える人間は数人しか知らないが、リゼルはその原理で魔銃の操作をしているらしい。

ちなみにジルは、話しながらそれを行う人間は見た事が無い。

「現国王は衝撃なんて物ともしないで二丁両手持ちで使えるんですけど」

「化け物か」

「それ、敵対した人達が良く言ってました」

リゼルが朗らかに笑いながら、銃を操る為に上げていただろう手を下ろす。

宙を舞っていた魔銃はそれだけで姿を消した。これの方法は企業秘密、とだけ付け加える。

この機密は元の世界に関係する事なので此方の世界で広まっても何の意味も持たないが、だがリゼルは自分が此処にいる以上此方の住人があちらの世界に行かないとは限らないと考えていた。まず無いとは思っているが、可能性がゼロでは無いのならばリゼルは充分それを考慮に入れる。

「どうかな、冒険者として問題が無いと良いんですけど」

「まず問題ねぇと思うが、」

直後、ジルの手がリゼルの胸倉を掴んで引き寄せる。咄嗟にリゼルは堪えようと足に力を込めたが、抵抗空しくぐらりとジルへと倒れ込んだ。

そのままジルが服を掴んだその手の平で支えてやると、遠慮なく自らを支える腕に掴まりゆったりと体勢を直す。リゼルはジルを咎める事無く微笑んで皺の寄った服を整えた。

「御察しの通り、近距離で立ちまわるのは苦手で」

「だろうな」

リゼルが徹底した読書週間を過ごしていた時にジルは確信を持っていた。あれ程動かないでいられるのなら普段から体を動かしている方ではなく、身体能力は他の成人男性と変わりないのだろう。

実際リゼルも自分の身体能力には何の期待もしていない。別に運動が苦手と言う訳ではないのだが、戦闘での立ち回りなどは全く持って自信がない。

誤解されがちだが、貴族も忙しいのだ。せっせとデスクワークに励む時間はあれど、体を鍛える暇など無い。

「その得物なら近距離にも対応出来るな……射程は?」

「風属性ならゼロから二百メートル。狙いが危なくなって良いなら三百メートルまではギリギリ攻撃範囲に入ります」

「そこまで離れられると守りにくい、基本は中距離だ。撃つまでのタイムラグ」

「ほぼ無いです、連射出来ます。ただ魔力切れの時は危ないですけど、少し前は連射三百発で切れました」

ジルは言うまでも無く剣士の上、本人曰く魔法の素養は無いようなので使えない。徹底した近距離だ。

先日の立ち回りを見てリゼルが感心した通り、パッと見た姿は筋骨隆々には見えないがその純粋な力はズバ抜けているだろう。魔力は持っている筈なのに使えない、とリゼルは内心首を傾げたが尋ねる事はしなかった。

近距離と中~遠距離、中々にバランスが取れている。

ジルとしては今回の依頼には基本的に手を出す予定は無いし、リゼルも当然そのつもりである事を知っている。尋ねられれば答えるし、手を貸さなければ危険な魔物が現れれば手を出すが、そんな危険は無いだろう。

だが近距離が不得意なリゼルが一人で依頼をこなすメリットは全く無い。前衛の自分が必ず必要になる事を考えると、まず考えなければならない事が一つだけある。

「オラ、三匹」

「え? ああ」

まるですれ違う人間に挨拶するように片手を上げると現れる魔銃を見もせず、ぴっと草原ネズミを指差す。タァンッと言う音と共にネズミはびくりと体を固め、どさりと草原へ倒れた。

そのまま二発続く銃声、最初に見つけたネズミより遠くにいる縄張り争い中でもつれ合う二匹も仕留めて見せた。

「……これなら俺が撃たれる事はねぇか」

「失礼な」

魔物と向き合っている時に後ろから撃たれたら元も子もない。二百からは危ないと言っていたと言う事は、二百までは恐らく確実に撃ち抜けるのだろう。

それならば安心か、と止めていた足を動かす。あと六匹だ、特に問題無く昼にはギルドへと戻れるだろう。

「そういえば」

のんびりと周囲を見渡しているリゼルが口を開いた。見渡しているといっても警戒している訳では無く、観光のように景色を楽しんでいるだけだが。

「ジルはどうしてBランクなんですか?」

「あ?」

「君ならもっと上に行けるでしょう、だって先日の方ですらBランクなんですよ」

昨日絡んで来た男、彼は六人でパーティを組んでいてギリギリBランクに上がれる実力だった。リゼルは“先日の方ですら”と言ったが、そもそもパーティを組んでも易々とBランクになれる訳ではない。

それなりの実力を持っていた相手にこの言い様、リゼルは完全に無意識だが辛辣な評価を下す。男とジルの攻防を見切れた人物はあの場に数名しかいなかった事も勿論知っているが、リゼルが重要視するのは何人中何位の実力者では無く、一定以上の基準を確実に越えた者だけだ。

「まあソロだしな、こんなもんだろ」

「本当は?」

ジルの言葉を躊躇なく切り捨てる。珍しく云い募るリゼルにジルは嫌そうに顔を顰め、睨むようにわずかに下にある面白そうな笑みを見る。もちろん効果はない。

そんな顔を向けられようと、リゼルには確信があった。仮にも周囲を日ごろから警護される立場だっただけあり、実力者に囲まれて彼らを見て来た。

更に相手を見る目は貴族の中でも突出して優れている、初対面でもある程度の実力者は見抜けるだろう。そんなリゼルが自信をもってジルを圧倒的強者だと判断している。

「本当は?」

全て見透かそうとする瞳に、もう見透かされているのかもしれないとスッと視線を流す。そしてジルは、諦めたように溜息をついた。

「……Aランク以上には特別依頼が入る事がある」

「ギルドのお得意様、それこそ貴族や大商人からもですね。だからAランク以上になるには実力だけじゃなく、対お偉方の礼儀作法も必要だとか」

ギルド規定を思い出しながらリゼルは言った。余談だが、Aランクに上がる為の礼儀作法はギルドで研修が行われる。

それで、とリゼルが視線で続きを求めた。ジルはいつの間にか止まっていた足を動かして歩き出す。

「礼儀だの何だの面倒だろ、関わり合いたい人種でもねぇし」

「ふぅん」

嘘は言っていないだろうとリゼルは思う。だが、全てを話してもいない。

相手に隠し事があるなら信用出来ないなどと子供のような事は言わないが、知る機会があるのなら知りたいものだ。予想が付くからこそ、余計にそう思うのだが。

ここで真実を暴く事も出来るだろうが、リゼルがそれを行う事は無い。恐らくいずれ彼の口から話される時が来るだろうし、その時を楽しみに待とうと目の前の背中に続いた。

「おい、右一匹左ギリギリ範囲内に一匹」

「はい」

その日リゼルは無事草原ネズミを十匹倒し、やはり何故か依頼受付にいるスタッドに完了報告をして帰路へとついた。