軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

200.先輩風を吹かす

夜。宿の寝室でリゼルは寝支度を始めていた。

部屋にはイレヴンとクァトがいる。ジルは夕食後、どこかへ出かけたようだった。

キリが良いところまで読んだ本を閉じ、贈られてから愛用している栞を挟む。これ以上は、読みきるまで止まらないと判断したのだ。リゼルは己の体調を天秤にかけてまで夜更かしをしない。

――基本的には、だが。

「(明日は依頼を受ける予定もないし、寝るのが少しくらい遅くなっても大丈夫かも)」

つまりは体調を崩さない算段があれば、少しばかりの無茶は敢行するのだ。

現在の時刻は、寝るにはいつもより早い時間。ならば最後まで読みきっても、真夜中を少し過ぎるくらいで済むだろう。それにしても、本を閉じた途端に一気に続きが気になってくる現象は一体なんなのか。

こうして悩むことができる時間も贅沢だなと、リゼルは頬を緩ませる。

「(結論を先延ばしにできるって、自由だな)」

自分の行動が、他の誰にも影響しない。

これはリゼルがこちらの世界に来て、初めて得られた体験だ。時々、改めてそれを実感しては心に触れるものがある。元の生活を厭うたことはないが、それはそれとして嬉しく思うのだ。

そうして数秒悩んだのち、やっぱり今日はもう寝てしまおうと本から手を離した時だ。

「本、終わった?」

テーブルの端から、クァトがひょこりと顔を出した。

今までは絨毯の上にあぐらをかき、リゼルが選んだ図鑑を眺めていたのだが、何か話したいことがあったのだろうか。鈍色の瞳に期待が浮かんでいるのを見て、微笑む。

「はい。どうしました?」

「依頼、一緒に行く、行きたい」

「明日ですか?」

「ん」

クァトは立ち上がり、読んでいた図鑑をテーブルの上に広げた。

リゼルが貸したのは“森のいきもの図鑑”だ。読書は基本的に金のかかる趣味であり、どうしたって子供向けの本は少ないのだが、“子供も読めるような易しさの本”であれば少なくはない。

クァトは故郷で読み書き計算を修めてきたが、短期間に根性で詰め込んできただけあってやや拙い。王都の子供たちのやや下、ぐらいの理解度だ。冒険者のなかでは珍しくないのだが、本人に学ぶ意欲があるのでリゼルも読書を推進している。

決して趣味ではない。いや、誰かに好きそうな本を選ぶのは趣味だが。

読書が学びに適しているのは確かなので、趣味だけで勧めているというわけではない。

「これ」

クァトが図鑑のとあるページを指さした。

森の危険な生き物をまとめたページで、凶暴な獣や昆虫などが並んでいる。

「トレントですね」

「ん」

魔物を何故ここに並べてしまったのか。

確かに森にいる。危険でもあるし、気を付けるべきポイントを知っておくべきだろう。

だが魔物研究家やその手の専門家が知れば、文句は言わずともいろいろと物申しそうだ。

「戦いたい」

「戦ったことないですか?」

「ない」

クァトは冒険者生活を全力で楽しんでいるが、まだEランクだ。

これは冒険者歴の短さによるだろう。実績を積んでいけば順当にランクアップするに違いない。

つまり、これ以上は急ぎようがないということでもある。

「じゃあ、俺と一緒に依頼を受けましょうか」

「受ける」

トレントの討伐依頼は低ランク帯には出ない。

だから自分に声をかけたのだろう。そう思って提案すれば、嬉しそうな声が返ってきた。

「トレント……?」

ふと、ベッドのほうから声が上がる。

先ほど丸一日ぶりに宿に帰り、死んだように寝続けていたイレヴンだ。彼は枕にから頭を持ち上げ、寝ぼけ眼でリゼルとクァトを見比べると、表情を変えることなく再び枕に顔を埋めた。

「Aはやめて……」

「分かりました」

枕ごしのくぐもった声に、リゼルは柔らかな声で応える。

イレヴンはそのまま熟睡に戻った。ああいう姿を最初に見た時には、きちんと睡眠がとれないのではとリゼルも配慮をしていたが、そのうち過度に騒ぎさえしなければ問題ないと気づいた。

ジルもそうだが、どんな環境でも休むと決めたら休めるのだ。

気を張らずに、気を巡らせる。自然体のままできるので、本人たちには日常生活と変わらない。

「Aは強い?」

「そうですね。純粋な強さもありますし、厄介さっていうのもあります」

「厄介は、強い、違う?」

いまいちピンと来ていない様子のクァトに、リゼルは可笑しそうに補足を入れてみせた。

「ジルとイレヴンの違いみたいなものです」

「分かった」

一気に納得できたらしく、クァトは感動したように頷いていた。

どちらとも戦ったことのある彼だからこその納得の早さだった。

翌日、幸いにもリゼルたちはトレントの依頼を見つけることができた。

サルスの湖が森に囲まれており、更には水源に魔力が豊富だからこその依頼だろう。

「魔力と、森、大事?」

「大事というより、ほとんど必須なんです」

二人は馬車に揺られながら会話する。

目的の場所がサルスからやや離れているからだ。サルスの冒険者が利用する馬車は、目的地が迷宮でなくとも応じてもらえる。ただ、ある程度はまとまった数の冒険者を載せたいという馬車側の事情もあるので、よほど突飛な行き先でなければという暗黙の了解があった。

今回の目的地は、幸いなことに付近に迷宮が一つある。

よってそこに向かう冒険者たちが二組、同乗していた。

「トレントは、強い魔力に晒された木が変異したものって言われてるんですよ」

同情する冒険者たちは、リゼルの説明に「そうなんだ……」と内心で頷いていた。

「言われてる、は、違うかもしれない?」

「ほぼ確定だけど確証だけがない、でしょうか。魔物研究はほとんどそうかもしれません」

「じゃあ、森以外、いない」

「例外を除けばそうですね」

「例外……」

難しいなと、クァトが悩ましげな顔をする。

研究という分野ではよくあることだが、何に対しても白黒つけたがるのが冒険者の常だ。

証拠に、リゼル以外の馬車内にいる冒険者全員が同じような顔をしている。

「例外っていっても、普通の木が生える可能性がある場所っていうだけですよ。絶壁の崖の真ん中とか、石でできているはずの遺跡の上とか、そういうところに生えた木を見たことありませんか?」

「ある」

「そういう木がトレントになる可能性もゼロじゃありません。だからこその例外ですけど、滅多にないので森が必須って言われるんでしょうね」

「なんで?」

何故森以外の場所にある木は、なかなかトレントに変異しないのかと。

そう問いかけるクァトに、リゼルは可笑しそうに目元を緩めてみせた。

「どうしてだと思いますか?」

「え」

「ヒントは、群れの発見例がないことです」

クァトは一生懸命考えた。ついでに同乗者たちも思わず考えた。

そして思案すること二十秒ほど。クァトが思いついたかのようにパッと顔を上げる。

「絶対じゃ、ないから。たくさん木があって、たまたま一本なる」

「正解です」

褒めるような声色に、クァトは鈍色の瞳に喜びを滲ませた。

成程こうやって考えればいいのかと気づき、それを楽しいと感じたのだろう。その気づきを目の当たりにしたリゼルもまた、嬉しさを分かち合うかのように笑みを深めた。

「なら、魔力は、何? サルス、多い?」

「湖の上流にスポットがあるんですよ」

「スポット?」

「魔力溜まりです。魔力の密度がすごく高い場所」

このあたりはクァトには難しいだろう。

何せ魔力を持たないがゆえに、魔力の影響を受けない。魔力溜まりなど、ただ霧が濃いだけの場所に過ぎないはずだ。本来であれば足を踏み入れただけで生命活動に支障をきたすところを、戦奴隷であれば悠々と散歩できてしまう。

「その魔力が、森を育てる地下水にも溶け込んでるはずです」

「だから、トレントが、多い」

「人が立ち入る場所はこうして依頼が出るので、増えすぎたりはしないでしょうけど」

「長生きも、いる」

「いそうですよね」

もはや同乗者たちは無言だった。

何せトレントの生態など初めて耳にした。いつも何気なく、いや、時々もの凄く苦戦しながら倒している魔物のことを、自分たちは何も知らなかったんだなと感動すらしていた。

これからはきっとトレントとの闘いが楽になるだろう――と、思いかけて止まる。

いや魔物の成り立ちが分かったところで、戦闘において何が楽になるのだと。そもそも必要な情報であれば冒険者内でそれとなく出回るものだ。そこに倒し方は多々出回れど、生態に関しては噂に聞いたこともない。

ならば何故、どこから、リゼルはそんな知識を好んで身に着けたのか。

「(やっぱ助教授って呼ばれてんのマジなんだな……)」

冒険者たちは今日一番の納得をもってして確信を強めた。

リゼルたちは目的地の近くで降車した。

目指すは道なき森の中なので、降りた場所からは少し歩かないといけない。

「依頼人の方は狩人らしいですけど、こんな遠くまで来るんですね」

「狩りの遠征、よくある」

「ああ、クァトの故郷は魔物の狩猟が盛んでしたね」

戦奴隷の集落では、魔物を獲って生計を立てるという。

群島では物々交換が主流なので、魔物素材を食料や必需品に交換してもらうのだ。荒野で暮らす彼らは、そうして肉以外の食料を得ている。動物ではなく魔物を狙うのが流石の戦奴隷だ。

「獲物いたら、獲る?」

「動物は魔物よりも獲るのが難しいですよ。ジルがよくそう言ってます」

「弱いのに?……弱い、から?」

「正解です。逃げられると追いつけないんですよね」

「魔物は、来るから、楽」

しみじみと頷くクァトにリゼルは微笑んだ。

それを楽と言いきってしまえるのが強者たる所以だろう。彼はそのあたりジルに似ている。

「イレヴンが普通の狩りも上手いんですよ」

「意外」

「お父様が狩人なんです。罠を使ってなんでも獲れる凄腕らしくて」

「罠……」

クァトが渋い顔をしてうなだれてしまう。

彼は今、イレヴンに嵌められた過去を思い返していた。そこに罠があると言われて避けては嵌まり、避けなければ嵌まり、ならばとイレヴンの真後ろを歩けば嵌まるという経験がある。

そもそも自分が罠を見破られればいいのだと奮起しているが、成果は芳しくない。

そのあたりはリゼルも慰めようがなかった。リゼルもだいぶ罠を見つけられるようになったが、看破できるとまではいかないからだ。迷宮相手に看破を目指すほうが無謀なのかもしれないが。

「一緒に頑張りましょうね」

「ん」

二人は意欲だけは高めておいた。いつか努力が実を結ぶ日が来るのだと信じたい。

そして立ち止まる。視界を埋める木々は、方角をたやすく迷わせた。

「森は、分かりにくい」

「獣道があるだけ親切ですよ」

クァトがしゃがみ、潰れた草木を確認する。

依頼が出てから日が浅いおかげで、依頼人が通った道が残されていた。依頼人が狩人ということを思えば、もともと獣道があったのだろう。よくよく目を凝らせば、草木を搔き分けたような跡を見つけることができる。

「目印もつけてくれてますし」

地面の確認をクァトに任せ、リゼルは枝葉を見上げた。

獣道に張り出した枝、そのなかでも目線の高さにあるものに、細く千切られた布が巻き付けられている。トレントを見つけた依頼人が、戻りがてら目印を残していってくれたのだ。

「流石は森歩きのプロです。こういうの、助かりますね」

「気を遣うが、できる人」

「あとはやっぱり、万全の準備を整えることに慣れてるんでしょうね」

「狩人、だから?」

「そう。命を奪うからこそ慎重に、なにより安全を第一に」

感心したように頷いたクァトが、ふと思い至ってリゼルを振り返る。

「獣人……イレヴンも、狩人ができる」

「イレヴンはできるけどやらないだけです」

狩人に通じながらも、その心得に真っ向から歯向かっているのがイレヴンだ。

そこに矛盾を感じたクァトの疑問は、リゼルにあっさりと解消されてしまった。

そうして森を歩くこと二十分ほど。

二人はようやく、目的のトレントのもとへとたどり着いた。

「あれ?」

「そうです」

一見すると周りの木とは区別がつかない。

だがその周囲には木々がなく、森の空白に一本だけ残った様子は異様でもあった。

リゼルたちはその空白地帯に踏み入らないよう、やや離れた場所から対象を観察する。

「あの空白が攻撃範囲ですよ」

「んん……あ、分かる。分かった」

トレントの周りには、朽ちかけの切り株が幾つもあった。

人の手が入ったものとは違う、無理やりへし折られたような断面だ。獲物を捕らえるために振り回した枝によって薙ぎ払われたのか、それとも近くにある木がただ邪魔だっただけなのか。

まさにトレントの凶暴性を強く物語る光景だった。

「いつもは、何で倒す?」

「トレントは個体差が激しいので、いつも同じじゃないんですけど」

リゼルは直近でトレントを倒した時のことを思い浮かべた。

「俺が二人に魔力防壁を張って」

ふむ、とクァトは頷きながら想像してみる。

想像でのリゼルは、攻撃範囲のぎりぎり外から二人に向かって手を掲げていた。

ちなみに魔法を使うのに手を向ける必要はないので、実際のリゼルは棒立ちだった。

「イレヴンが囮になって攻撃を引きつけて」

成程、とクァトはもう一度頷いて想像を続ける。

想像でのイレヴンは、双剣を構えながらひょいひょいとトレントの攻撃を避けていた。

だが現実は囮として最大効果を発揮するため、構えていたのは双剣ではなく松明二本だった。

「反対からジルが戦斧で切り倒しました」

クァトはリゼルを凝視した。

「分かった」

そして力強く頷いてみせた。

想像のなかではジルが樵よろしく斧を振るっていたが、これは大体合っている。

「俺が、斧?」

「どうしましょう。俺じゃ囮としての格が低そうですし」

それに森の中で松明を振り回すのは危険だろう。

クァトが単身で斬りこむのも難しい。撓る枝葉の威力は高く、ジルでさえ真正面から剣で受けるのは避けていた。クァトの体質上、傷は負わないかもしれないが吹き飛ばされる可能性が高い。

「んん」

さてどうしようかと考えていれば、唸っていたクァトが妙案だとばかりに告げた。

「根っこ、掘る」

「やってみましょう」

いけるかもしれない。

クァトの草むしり能力の高さは証明されたばかり。それすなわち、己の体を刃と化す自由度の高さが証明されたということでもある。なにより実際に戦奴隷の集落では、動物の姿を借りた武装を行うというので。

「クァトの手をモグラっぽくしましょう」

「ん」

「もうちょっと先端を平らにできますか?」

「刃の形以外は、無理」

「なら、先端が両刃になるように指先から伸ばして」

トレントの縄張りの手前、木の陰に隠れながら二人はせっせと準備を始める。

ついでにリゼルはトレントの周囲に、水の塊を出しては落としていた。流石に攻撃はされるが、そこはただの水だからこそノーダメージだ。枝の撓る音は凄まじかったが、問題なくどんどんと地面を濡らしていく。

そうして地面がすっかりと湿り気を帯びた頃。手を発掘仕様にしたクァトが誕生した。

「濡れて掘りやすくなった分、重くもなったと思いますけど大丈夫ですね」

「大丈夫」

「俺が二人分の防壁を張りながらできる限り囮になります」

「囮はいい、けど、近寄るの、駄目」

「分かりました」

あっさりと告げたクァトに、リゼルは可笑しそうに笑う。

ジルとイレヴンのようなことを言うな、と思ったからだ。

「掘って、斬れる分は、斬る」

「お願いします。そうすれば自重で……そうじゃなくても力で押し倒すことができると思うので、そうなったら斧を入れましょう。それなら素材も最大限に持ち帰れるので」

「トレントの素材、何?」

「種類によっていろいろ採れますけど、一番は薪ですね。燃やした時の火力が高いのと、異様に長持ちするのとで鍛冶場に人気の素材です」

よし、と二人は隠れていた木から顔を出す。

トレントはいまや、警戒心も露わに枝葉を揺すっていた。リゼルは指先に火を灯し、ぺいっとそれを放り投げる。落ちても草花すら燃やせないが、火というだけで相手の気を引くには十分だ。

そして二人分の魔力防壁を展開し、トレントの前に姿を現して囮役を――、

「?」

しようとしたが、駆け出したはずのクァトが即座に帰ってきた。

どうしたのかと問いかける暇もなく、すでに刃を消した両手で、まるでタックルするかのようにリゼルを抱き上げる。その勢いのまま木々の間に飛び込んだ時だ。

激しい破壊音と共に、トレントが半ばからへし折れた。

「俺の、トレント……」

「また別の依頼でリベンジしましょう」

未練を込めて呟くクァトを、リゼルはよしよしと撫でてやる。

それは、己を連れて飛びのいてくれたことへの感謝も含めて。リゼルの視線の先では、一匹の魔物が横たわるトレントを踏みつけていた。

巨体が息を荒げるごとに揺れる。みしり、みしりと、幹がひしゃげる音が断続的に聞こえた。

「あれ、何?」

「ライノマジロ……でしょうか」

言いながら、リゼルは首を傾げる。

硬い外殻を纏った、鼻先に一本角をもつ四つ足の大型魔物。そういった特徴は一致する。

だがまず大きさが違う。本来はリゼルの目線の高さを超えないはずだが、見上げるほどにある。

また外殻の形も違う。体に沿って曲線を描くのが一般的だが、所々が攻撃的に隆起している。

さらに砕いた幹の表皮を食い荒らす姿は、見るからに凶暴性が増していた。

「(ライノマジロだとしても、サルスの周りで出るなんて聞いたことが)」

「おい」

その時だ。ふいに背後から声がかかった。

振り返れば、見覚えのある顔が怪訝そうにこちらを見ている。

「ジル」

「こんなとこで何してんだ」

「依頼です」

「あ?」

リゼルとクァトは、魔物に食い荒らされている樹木を指さした。

それだけですべて察したのだろう。ジルは溜息をつき、巨体の魔物へと視線を向ける。

「俺の依頼」

「あれがジルの獲物なんですね」

「なんで、逃がした?」

「泳がせてんだよ」

不満そうなクァトの言葉もあっさりと流し、言葉を続ける。

「魔力溜まりの魔物が外うろついてるから倒せっつうな」

そういうことかと、リゼルは腑に落ちた。

魔力溜まりの魔物は、その外にいる個体よりも強くなる。豊富な魔力を取り入れ、自己を強化するが、わざわざ魔力の薄い外に出ることもなくなるので脅威としてはそれほどでもない。

だが時折、生存競争に負けたのか環境の変化があったのか、飛び出してしまう魔物がいる。

そうした魔物は、目撃されるとすぐに冒険者ギルドに討伐依頼が持ち込まれるのだ。

「ライノマジロですよね」

「ああ」

リゼルが言いたいことに気づいたのだろう。

ジルが微かに眉間の皺を深くし、いまだ樹皮に齧りついている魔物を見る。

「どっかから来たやつが魔力溜まりに突っ込んだんだろ。強化が効きすぎて暴れてる」

「どこから来たのかが気になりますね」

「そこらへんはギルドが勝手に調べんじゃねぇの」

やや投げやりだが正論だ。

冒険者は受けた依頼を達成するのみ。今回に限っては討伐さえすればそれで良い。

それを思えば、暴れる魔物の目的を探ろうと泳がせたジルは流石のBランクだろう。

「なら、あれ倒す、いい?」

「俺の依頼だろうが」

さりげなく戦闘を共にしようとしたクァトは、当然のように突っ込まれて肩を落とす。

見たことのない魔物、しかも魔力溜まりにより凶暴性を増した個体を相手に、戦奴隷の血が騒いだようだ。不満そうに、だが依頼の横取りはいけないと知っているからこそ何も言わずに、惜しむようにライノマジロを眺めている。

「ジル、俺からもお願いしていいですか?」

「あ?」

「共闘しましょう」

邪魔にはならないと、確信があったうえでリゼルは申し出た。

甘やかすなとばかりにジルの視線が飛んでくる。

「このままだと依頼失敗です」

「お前は気にしねぇだろ」

「俺のほうがクァトよりランクが上なんですよ。なのに失敗させたなんて沽券に関わります」

「関わんねぇよ」

冒険者は実力主義であるが、ランクによる上下関係は存在しない。

低ランクと高ランクが合同で依頼を受けたとして、失敗しても高ランクに責任はないのだ。

ただ全員が平等に実力不足だったというだけのこと。そう思われるのが心底嫌だという感情は冒険者全員に共通しているので、依頼失敗は全力で避けたいという思いはあるがそれだけだ。

「ジル」

リゼルはただ穏やかに、告げる。

「俺にとって今のクァトは、冒険者になったばかりの時の、君にとっての俺なんです」

あの頃、きっとジルはリゼルに依頼を失敗させる気はなかった。

それを実現できるだけの実力がジルにはあった。間違いなく、ただそれだけのことだ。

だからこそリゼルは、その時にどういった気持ちだったのかという一点のみを問いかけた。

「……」

ジルが溜息をつく。

「逃げねぇように牽制しとけ」

「はい」

「てめぇは好きにしろ」

「する」

そしてリゼルたちは巨体を怒らせるライノマジロと相対することとなった。

余談だが、地面が濡れていることについてはジルに戦いにくいと文句を言われた。

依頼を終えた三人は今、冒険者ギルドで依頼の終了報告を行っていた。

いや、行っているのはクァトのみだ。彼は苦戦しながらも精一杯に説明している。

リゼルとジルはやや離れた場所からその様子を眺めていた。

「トレントは、倒せなかった……」

「はぁい。ではそのように……?……?」

クァトの説明に、ギルド職員がしきりにリゼルたちへと視線を送る。

まさかそんなはずは、という愕然とした真顔だった。いつもの完璧な笑顔が消えている。ついでに「そういえばこの人たち一緒に依頼受けてなかったはずなのになんで一緒にいるんだろう」と気づいたような顔をしている。

だが彼女はすぐに持ち直し、笑顔を作り上げた。プロ根性だ。

「では、依頼失敗ということになりますのでぇ」

「依頼は、達成してる」

その笑顔も再び消える。

すっかりと虚無を見つめる職員に、クァトは慌てたように説明を付け加えた。

「他の魔物が、突撃して、倒した」

「あっ、成程ぉ。魔物同士の戦闘があったと」

「戦闘は、なかった」

「なかった……」

「突っ込んできた」

「突っ込んできた……」

誰も間違ったことを言っていないのに情報が収束していかない。

リゼルは苦笑した。そもそもサルスの湖は森に囲まれているため、それほど大型の魔物は生息していないのだ。トレントをなぎ倒せるほどの魔物はギルド職員の認識の外であり、クァトの説明を飲み込みにくい。

逆にクァトの故郷は荒野のど真ん中。視界を遮るものはなく、集団で狩りを行うという習わしもあり、大型の魔物を狙うことが多い。そういった魔物に馴染みがあるため、サルス近郊では見ない魔物だという事前情報を得ていても、特別なことだから補足を入れておこうという発想になりづらい。

「クァト」

リゼルは手招き、小走りで近づいたクァトに耳打ちする。

ジルの依頼についても一緒に報告して良い、とだけ伝えた。頷いたクァトが受付に戻る。

「あの……ジル、一刀、依頼の、魔物が、突っ込んできた」

「え。少々お待ちくださぁい」

ギルド職員が席を外し、受付内にある木箱から一枚の用紙を持ってきた。

ジルが受けた依頼について書かれたものだ。彼女はさっとそれに目を通し、ジルへと向く。

「こちらの依頼についてはぁ……えー……このままお話させていただいても?」

歯切れが悪いのは、前例がなさすぎるからだ。

彼女はいまだに、パーティを組んでいながら個別に依頼を受けるのは何故なのかと考えているし、そもそもクァトがリゼルたちとパーティを組んでいないことを不思議に思っている。

恐らくサルスのギルドにいるすべての職員がそうだろう。なんだったらこれまでリゼルたちを接してきたギルド職員のほとんどがそうだ。

よって、パーティ内で個々に受けた依頼の扱いが分からない。

同じパーティの仲間同士でどこまで情報共有していいのか。しかも今回は何故か現地で合流を果たしている。ならば最初から一緒に依頼を受ければ良かったのではと思わずにはいられない。

そんな彼女の、よく分からないなりに出した結論がジルへの確認だった。

折角本人がいるんだから聞けばいいのだ。不仲が原因で一緒に依頼を受けなかった、ということは絶対にないはずなので。

「では、一部同時進行で確認を進めさせていただきますねぇ」

ジルの了承を得て、職員は手続きを再開する。

「こちらの“魔力溜まりからはぐれた魔物の討伐依頼”ですが、目撃証言が“大きい”“早い”“強そう”の三点でした。証言に間違いはなく、その魔物がトレントに……突っ込んできたということで間違いございませんかぁ?」

「ん」

もの凄くアバウトな情報で依頼を受けたんだな、とリゼルはジルを見る。

逸らされた。いかにもジルの好きそうな魔物の特徴三点セットなので意外でも何でもない。

「魔物の特定はできましたかぁ?」

「ライノマジロ」

聞き覚えのない名前に、職員の顔に一瞬疑問が浮かぶ。

「サルスの魔物図鑑にはないと思います」

「有難うございまぁす」

すかさずリゼルが言葉を挟めば、いつもどおりの高音をやや弾ませた声が返ってくる。

例のサルスの魔物図鑑、つまりは専門家に監修を頼んだせいか他の国よりもかなり分厚い書物を、目当ての魔物を探してひたすら捲る作業を免れたからだ。流石のギルド職員も、図鑑すべての魔物を把握している訳ではない。

「差し支えなければ後ほど詳細をいただきたいのですがぁ……」

「はい、勿論」

「重ね重ね有難うございまぁす!」

貼り付けたような満面の笑みが、しっかりと感謝を告げてからクァトへと戻る。

「その魔物がトレントをなぎ倒したということですねぇ」

「俺たちが、戦う前」

「そうですねぇ、依頼は達成しているんですが……」

冒険者としての実績にするのはどうなのかと、そういうことだろう。

その点についてはリゼルもクァトも承知済みだ。倒すべき魔物が消えてしまったことは、何をどうしようが覆らないだろう。そのうえで、どうすれば“依頼達成”を貰えるかをリゼルは考えたのだ。

あとはギルド側が、どう判断するのかだが――、

「あら、どうしたの」

「あ、お母さん」

たまたま職員の後ろを通りがかったのは、職員シスターズの母親だった。

ギルドに勤めること数十年。受付業務についてもベテラン中のベテランである彼女は、自らの娘が半ばまで纏めた報告書に目を通す。

「このライノマジロの討伐はどなたがやったの?」

「三人」

「あら、じゃあちょうど良いじゃない」

母親はあっさりと告げ、娘の手へと報告書を返す。

「トレントを一撃でのせる魔物をやっつけられるんでしょう? 実質トレント討伐よ」

「えっ」

言うだけ言って立ち去っていく母親に、零された職員の声は限りなく素だった。

だが彼女はすぐさま思う。それもありだなと。問題視していたのは実績の部分なのだから、目標より手ごわい魔物を討伐したとなれば誰も文句は言わないだろう。少なくとも冒険者は言わない。

運も実力のうちだというのが冒険者の共通認識だからだ。運というものの存在を信じないと、迷宮からの理不尽に説明がつかなくなるが故にできた共通認識だった。ややもの哀しい。

それに何より、これまでに似たようなケースがないこともない。

「それではこちら、問題なく依頼達成の手続き進めさせていただきますねぇ」

「いい?」

「勿論でございまぁす」

クァトが安堵したように肩の力を抜いた、その後ろでは。

良かった良かったと微笑むリゼルと、変なところこだわるんだよなと呆れるジルの姿があった。