作品タイトル不明
194.後遺症は言葉遣いと味覚
早朝の宿の食堂にて、リゼルは食後のコーヒーを飲みながら思う。
昨日はなかなかに貴重な経験をしたなと。幼くなったジルとイレヴンに、意外な一面を見たような、それとも幼少期であれば意外でもないような。
その二人だが、迷宮内で長い間幼くなっていたせいか若干の影響が残っているらしい。
「ハラ減ったァ……あ、リーダーおはよ」
「おはようございます、イレヴン。おかえりなさい」
「ただいまァ」
迷宮帰りで元気なことに、今の今まで外出中だったイレヴンが宿に帰ってきた。
彼はそのまま老婦人のもとへと直行し、ふらふらとキッチンに吸い込まれていく。
「メシー」
「誰の女を飯呼ばわりしてんだ悪ヘビこの野郎!」
「痛って!」
「あら」
そして同席していた老輩にしばかれていた。
普段のイレヴンであれば、老婦人を相手にああいった物言いはしない。そもそもキッチンの中にずかずか入ることもせず、するとしたら扉から顔を覗かせて呼びかけるぐらいだ。
よってリゼルには分かる。
あれは明確に迷宮の影響であり、子供が「ご飯、ご飯」と言いながら母親が待つ台所に向かうのと同じことなのだと。つまりは、食事を待ちかねて無意識に甘えに行っただけだった。
「そんなつもりで言ってねぇじゃん!」
「じゃあどんなつもりで言ってんだ、ア!?」
「いいのよ。イレヴンさん、お腹空いちゃったのね」
ただしリゼルは、イレヴンの矜持のために口を噤むことを選んだ。
とはいえ老婦人は何やら察している気がするが。迷宮云々ではなく、甘えという点をだ。
イレヴン自身に自覚がないので、幸いにも本人がそれに気づいた様子はないようだが。
「あー……あのクソ爺……あ、リーダー出かけんの?」
「はい、ギルドに」
「なんか依頼受ける?」
「良いのがあればですね。魔物図鑑を読みたいので、依頼のほうがついでです」
「あーね」
食後の一服も済んで立ち上がれば、イレヴンが食堂へと戻ってくる。
不満も露わにしていたが、自らの落ち度を納得もしているようだ。そもそも何故ああいう落ち度を作ってしまったのかと、やや釈然としない様子ではあったが。
「イレヴンは寝ますか」
「ん、メシ食ったら寝る」
「たくさん食べてたくさん寝て、大きくなってくださいね」
「俺もうでかいんだけど。え、足りねぇ?」
不思議そうなイレヴンに可笑しそうに笑い、リゼルは食堂を出た。
冒険者ギルドがもっとも混むのは、日も上ったばかりの早朝だ。
リゼルも依頼用紙を眺める予定ではあったが、朝一でなるべく良い依頼をというつもりもない。たまには冒険者たちが避けた依頼を眺めるのも、また違った楽しみがあるものだ。
よって今日もピークを過ぎたころに訪れたのだが、まだ後発の冒険者たちの姿がちらほらと残っているようだった。良い依頼を逃したからか、そもそもモチベーションが上がらず出遅れたのか、依頼ボードの前にたむろしている冒険者たちは落ち着いている。
リゼルもまた、のんびりと依頼ボードに近づいた。
「おは、よ」
「クァト、おはようございます」
依頼ボードの前にはクァトもいた。
リゼルが起きた頃にはすでに部屋にいなかったので、今このタイミングで朝の挨拶を交わす。周囲の冒険者が「あれ、宿は違うんだっだか」という顔で二人を見るも、リゼルたちは気にせず会話を続けていた。
「依頼、決まりました?」
「ん」
クァトが受付を指す。
そこでは一組のパーティが手続きを進めていた。クァトは今日、彼らに同行するのだろう。
出発が早かった割に今の今まで同行パーティが決まらなかったのは意外だが、ジル曰く珍しいことではないらしい。冒険者のパーティ募集は人数合わせではなく、不足を補うためのものなので、求められる役割によってはどれほどの実力者であっても組めないという。
だが実のところ、クァトに限っては他にも理由がある。
まず、何故かリゼルパーティの一員と思われていること。自分から募集の声に応じない限り、他の冒険者から声がかかることはない。
そして、クァトが自分を駆け出しだと思っていること。実際に冒険者歴は浅く、ランクもまだ低いので、もっともメンバー募集の声が上がる中位・上位パーティの募集をスルーしてしまうのだ。
だが、クァトはこれらを一切気にしていない。
「クァトは凄いですね、いろいろなパーティと組めて」
「? 貴方、違う?」
「俺はあまり上手くいかなくて」
リゼルは自由パーティの日を思い出し、首を傾げる。
募集の声に応じようとするたび、さりげなく先手を打ってかわされた。その時はそれほど実力不足なのかと思ったが、それを相談した先のジルの返答こそ、先程の「求められる基準は実力とは限らない」だ。
ちなみに隣でそれを聞いていたイレヴンは半笑いだった。
「俺、組める」
「そうですね」
「組めるまで、声、かける」
「それが確実です」
そう、クァトは躊躇わない。
募集の声にがんがん応じて、リゼルたちとはパーティを組んでいないと誤解を解いている。
「組めないと、ソロ」
「ソロだとパーティとは違った依頼が受けられますよね」
「楽しい」
「分かります」
そしてクァトはなんでも楽しい。
だからパーティを組めたら嬉しい。組めなければ組めないで楽しい。後者についてはリゼルの影響が多大にあるのだが、当のリゼルがそれを疑問視していないので問題はないだろう。
今のクァトはさまざまなものを吸収し、急成長している。
————だからこそ、冒険者としての自負も確立し始めているようで。
「おぅい」
ふいに受付方向から声がかかる。
今日クァトが同行予定のパーティの一人がリゼルたちを振り向いていた。
「やっぱ助教授さんと一緒に行くとか言わねぇだろうな?」
「違う。話してた、だけ」
「ああ、そりゃすまん」
冒険者が、謝罪を示すようにひらりと手を振った。
「やっぱ盾役がいると楽できるからな、頼むぜ」
「助教授さんも話し中すまねぇな」
リゼルはにこりと笑い、気にしていないと言うように軽く手をあげてみせる。
そして、ちらりとクァトを見た。何やらむむむと悩んだような顔をしている。
「クァト?」
「んん」
「何か気になりましたか?」
「別に、何も。……じゃ、ない、違う」
「はい」
言葉にしあぐねているクァトを、リゼルは急かさずに待った。
クァトが言いたいことは想像できたが、こればかりは本人が言語化しなければ意味がない。
これはクァト自身の問題だ。曖昧な感覚をそのままにしていては自分自身と向き合えない。
「なんか、楽? が、嫌」
「そうなんですか?」
「でも、悪い言葉とか、違う。だから、嫌なのが、嫌」
「ああ、成程」
「楽できるの、大事」
「そうですね」
「…………俺が、間違い」
「君がそう思うなら、きっとそうなんでしょう」
不貞腐れたように自省を始めたクァトに、リゼルは可笑しくなって笑う。
クァトは恥じているのだ。ただ戦力的に優れているというだけで、無意識に相手を下に見てしまっていたことを。何が嫌だったのかを考えた結果、楽ができるという言葉に引っかかった己が嫌だったのだと気がついたからだ。
リゼルはよく、ジルやイレヴンに「迷宮攻略中にいると楽」という評価を受ける。
それを純粋に好ましく思っているのは、二人が圧倒的な強者であり、冒険者として己のずっと上にいる存在だと認識しているからだ。認められていると嬉しく思うし、与えられているのだと誇らしくもある。
つまりは、そういうことだった。
とはいえクァトが感じたものが、何もかもが間違いだったとは思わない。
「あのパーティと前にも組んだことがあるんですね」
「ん」
「彼らは何が得意なパーティなんですか?」
「敵見つけるの、得意。あと、安全な場所、休憩場所、すぐ見つける」
「冒険者として大切な技術ですね」
「休憩、ゆっくりとれた」
「ただ……」
悪戯っぽく笑うリゼルに、うつむきがちだったクァトが顔を上げた。
「言い回しはちょっと、意地悪なところがあるのかも」
「!」
リゼルは受付を見る。例のパーティが、受付を終えて歩いてくるところだった。
中堅らしい佇まいの冒険者たちは、振る舞いは他の例に漏れずに粗暴ではあるが、豪快で気安そうな男たちだ。嫌味を口にする前に正々堂々とぶん殴る、そんな冒険者らしい冒険者なのだろう。
クァトに対し、「楽だ」と言ったのも悪気はなかったはずだ。
「嫌だった、って言っても怒られないと思いますよ」
「……分かった」
リゼルの言葉に、クァトは意を決したように冒険者たちに歩み寄る。
「おう、待たせたな。じゃあ行……」
「嫌だった」
「あ?」
「なんだ、何がだよ」
突拍子のないクァトの一言に、冒険者たちは怪訝そうな顔で立ち止まる。
そんな彼らが説明を求めてリゼルを見るも、穏やかな面持ちで微笑まれただけだった。
「楽できるって言われるの、複雑」
「あー……あ? そんなこと言ったか?」
「言った」
「確かにお前、さっき言ってたな。盾役いると楽できるとか何とか」
「なんだよ、いりゃ助かるって褒めてんじゃねぇか。何が気に入らねぇんだよ」
「褒め方が、雑」
「雑だぁ!?」
「お前さんそりゃ、助教授さんが身近にいりゃ俺らの物言いなんざ雑で仕方ねぇだろ」
「あそこと比べてイチャモンつけようなんざ当たり屋も良いとこだぞ」
クァトも反省はしたが、それはそれとして置いておくことにしたのだろう。
堂々と文句をつけている。そして何故か自分の名前が出たなと、リゼルも首をひねる。
「おら、ごちゃごちゃ言ってねぇでとっとと行くぞ」
そうこうしている内に、これ以上出遅れてたまるかとばかりに号令がかかった。
クァトも言うだけ言って満足したのだろう。つい先程まで文句をつけていたパーティリーダー本人の声に、特に反論もなく従っていた。クァトの心情にも、なんらかの決着がついたようだ。
リゼルはそんな彼らを見送り、のんびりと依頼ボードを眺めたのち、魔物図鑑を借りるために受付窓口へと向かうのだった。
冒険者の姿もほとんどなくなった冒険者ギルドで、リゼルが魔物図鑑を堪能していた時だ。
開けっ放しのギルドの扉から、誰かが顔を出したのを視界の端に捉える。冒険者が依頼を終えるような時間ではないので、恐らく依頼人だろうかと気にせずリゼルは読書に戻ろうとした。
だが、その相手が随分と小柄な気がして顔を上げる。
「よう」
「あ、団長さん」
珍しく子供が依頼に来たのだろうかと思ったが、劇団ファンタズムの団長だった。
彼女もリゼルに気づいていたようで、目が合うと軽く片手を持ち上げた。リゼルも本を支えていた手をひらりと振って、その背中を少しだけ目で追ってから読書に戻る。
職員と随分仲が良いらしいので、休演日に遊びに来たのかもしれない。
「おら、できたポスター持ってきてやったぞコンニャロ」
「有難ぁ~~~~っ」
「ねぇ団長ちゃん今回も男装最高だったよ!」
いや、営業活動だったようだ。
とはいえ冒険者ギルドに演劇の公演ポスターを貼ったところで、冒険者たちが気にかけるとは思えない。なにせ今回の演目は会場の都合もあり高予算、公演料に食事代も含む仕様もあり、ターゲット層もいつものファンタズムとは違うだろう。
「(依頼人目当てかな)」
依頼人の中には、高ランクの依頼を持ち込む者もいる。
金貨何十枚をぽんと出せる人間を一人捕まえ、そこから評判が広まれば効果としては十分か。そんなことを考えながら図鑑に目を通すリゼルだったが、次の瞬間にその予想を撤回した。
「人魚姫ちゃんがこっち振り向かないの解釈一致」
「ねぇお願いだからこの麗しの美女の口紅が何処のかだけ教えて、違うの、世界の裏側を覗きたいとかじゃないの、彼女が本当に存在してるから憧れるし同じものを使いたいんであって」
「私は別に団長ちゃんが男装してればなんでもいいんじゃないんだよ。ただ男装する度に本当にびっくりするほど情緒が狂わされてるだけなんだよ。そこは誤解しないでね。私は男装した団長ちゃんを義務で好きになってるんじゃなくて、一回一回本気で恋してるんだよ」
「うるせぇなコンニャロ!」
「家宝にするね!」
「貼れ!」
依頼人向けどころか、ピンポイントに職員用だったようだ。
どうやら職員の姉妹たちは、随分とファンタズムの演劇“人魚姫”に入れ込んでいるらしい。いや、もともと仲が良いことを考えると劇団そのもののファンなのだろうか。
ファンタズムの公演は過去に何度も見ている、といった発言も耳にしたことがある。
「もったいないけど貼るよぉ、観劇以外で貢献できるの嬉しいし」
「今までのポスターも全部保管してるから、今回もそうするよってこと」
「そんなら良いけどな」
「また見に行くね」
「お前ら何回来んだよ」
団長が呆れた声色で告げるあたり、一回二回ではないようだ。
ちなみにリゼルは聞き耳を立てている訳ではない。だが幸か不幸か、読書と会話を両立できてしまうので、目で文字を追っていても耳が会話を拾ってしまう。
少しばかりの後ろめたさはあるも、席を外すほどではないだろう。まだ読み始めたばかりなので、そうしては却って職員たちの会話に水を差してしまうことになりかねない。
「何回でも行くよー、チケット取れたらだけど」
「それよりさ、もっと席来てよぉ」
「分かる。会話らしい会話したいよね」
「劇とは別に役と喋る時間とか作れない?」
「作らねぇよコンニャロ!」
団長の一喝に、姉妹たちが楽しそうに笑った。
彼女たちも本気で言っている訳ではなかった。ファンとして好き勝手言うことを楽しんでいるだけで、己の意見を本気で考慮されるほうが困る、という姿勢がその冗談っぽい口調からは垣間見える。
「団長ちゃん、お茶飲んでく?」
「有難ぇけどお前ら仕事だろうが」
「お母さんはいると思うけど」
「あー……」
職員の一人に二階への階段を示され、団長は悩むように眉を寄せた。
「あそこで飲んでいいなら、二人分良いか」
「え」
「それはいいけど」
会話が止む。近づいてくる足音に、リゼルは本を閉じて顔を上げた。
そして向かいの席に手のひらを向ける。
「どうぞ」
「おう、悪いな」
空いた席に団長がどかりと腰を下ろした。
その拍子に大きすぎる眼鏡がずれるも、彼女は手慣れたようにさっさと位置を正す。
「人魚姫、とても評判がいいみたいですね」
「おかげさまでな」
「俺は何もしてませんよ」
「最強のパトロン引っ張ってきただろうがコンニャロ」
「彼が応じてくれたのは貴女たちだからでしょう」
微笑むリゼルに、団長は気に入らなそうに鼻を鳴らす。
彼女は腕を組み、どこかふてぶてしい様子で足を組んだ。団長にしては斜に構えた姿勢は、今演じているのが男役、それもやや生意気さのある少年だからだろうか。
これまでに何役も演じてきた彼女が、意図せずプライベートで役に引っ張られているとは思えない。ならば、公演期間は意識して役を手放さないようにしているのか。
「彼に何か問題でも?」
「まったくねぇ。むしろこれまでで一番やりやすいな」
「そうですか」
リゼルは少しだけ安堵した。
紹介した身とすれば、噂によく聞く方向性の違いでご破算に、とはならず何よりだ。
「貴女たちはもっと身近な、それこそ大衆演劇が好きだと思ってました」
「そうだと思ってたんならあんな大物紹介すんじゃねぇよコンニャロ」
「あの店、好きそうだったので」
「そりゃ好きだろあんなん……! こっちは人魚姫やりてぇっつってたんだぞ…! あんな店紹介されたら食いつくしかねぇだろコンニャロ…!」
がばりとテーブルに突っ伏す団長に、リゼルは可笑しそうに笑う。
他人の好みのど真ん中をつけた、というのは何とも気持ちの良いものだ。リゼルはそのカタルシスを主に本で得ていた。そのターゲットにはジルやイレヴン、最近はクァトが含まれる。
例えばジル相手なら、最後のページまで読ませれば成功だ。
ジルは時間が空けば(それが迷宮に潜るほどの時間でなければ)、リゼルが彼用に置いている書物に手を伸ばす。もっとも本への抵抗が薄く、そこまでは割とスムーズに行くのだが、結構な確率で十ページも読まずに止めてしまうのだ。
恐らく好みの問題だろう。そこを狙いすました本を何冊か用意することで勝率が上がる。
そしてクァトだが、絶賛読み書きの練習中なだけあって本に興味を向けやすい。
ただ読書自体は好きではないようで、文字と向き合う顔は渋い。絵がセットになった図鑑などを置いておくと、内容によっては興味深そうに眺めている姿を見かける。
好きな図鑑は、生き物やその生態について。冒険者活動に役立つからかと思い、薬草などの図鑑も置いてみたが、それは数ページ捲って終わったのでただの個人の嗜好だったようだ。
そして、もっとも難度が高いのがイレヴンだ。
まず本が嫌いなので、置いておいても触らない。よっぽど他にやることがない時にリゼルが促し、その本が辛うじて心の琴線に触れれば投げやりにページを捲る程度だ。
これまでの成功例としては、毒物図鑑と罠の仕掛け方が描かれた本がある。
そういったジャンルならば何でもいい訳ではなく、内容が相当に尖っていないとイレヴンの興味を引くことはできない。よって前者は“著者がさまざまな毒を実際に服用し効果を事細やかに記録した問題作”だったし、後者は“傷は負わないが限界まで人を恐怖させる装置としての大規模すぎる罠の設計図”であった。
イレヴンは「馬鹿が描いた本」と評してなかなかに楽しんでいた。
それらを思えば、団長が望むような舞台を当てることなど容易いことなので。
「好みど真ん中でした?」
「ど真ん中だよ……!」
団長が唸るように告げる。
そんな彼女の突っ伏した頭を、紅茶を運んできた職員がよしよしと撫でた。舞台が見つからないと憂いていた団長の姿を知っているからか、慰めるように撫でる手はとても優しい。
「……そりゃ好みとしちゃあ、もっと気安い舞台のほうが好きだけどな」
むくりと起き上がった団長が、少しばかり整った髪をそのままに紅茶を飲んだ。
「ああいうのもやっぱ気が引き締まるな。団員にも良い経験になる」
「これまでも出資者はいたんですよね」
「当たり前だろうがコンニャロ。でもまぁ、ほとんど」
言いかけた団長が、言葉を止めてリゼルを見る。
ガラス越しの瞳は力強く、数多の観客を惹きつける劇団員としての根幹を垣間見るものだ。
「さっき、ファンタズムだからパトロンが出資に応じたとか言ったな」
「? はい」
「あの商人、何か言ってたか?」
「いえ、何も。貴方たちの実力なら出資したい人間が必ずいると、俺がそう思っただけです」
団長の言葉の真意がどこにあるかは分からないが、リゼルは正直に返答する。
リゼルは元の世界で、演劇という娯楽に資金援助を申し入れたことはない。だが、才能溢れる新奇新鋭の劇団員には必ずパトロンがついていたものだ。
ならば、老紳士が劇団ファンタズムに出資するのも当然だろうと思う。
比べるようなものではないが、王族を招くような劇団に馴染んだリゼルが、同じように素晴らしいと感じたのだ。特に大衆に人気の劇団なので、商人である老紳士と相性がいいというのもある。
「何か引っかかりますか?」
「引っかかるっつうのも違うけどなコンニャロ」
団長は紅茶を飲み干し、不貞腐れるように口を開いた。
「うちの劇団の出資者っつうと、前の団長の時から続いてんのが多いんだよ。でもあの商人は何も言わねぇし、まぁ忙しいんだろうから時々顔出してもすぐどっか行くしな。とにかく、あんだけ気前良いのは先代のこと知ってるからなんじゃないかって思ってな」
「確かに、ファンタズムのことは知ってたみたいですしね」
「まぁ私らが公演のたびにサルスの話題搔っ攫ってるってのもあるけどな!」
得意げに胸を張る団長に、リゼルも可笑しそうに同意する。
確かに、流れの劇団が酷く話題になっているからと、老紳士がその存在を知っていたとしてもおかしくはない。彼の密やかな裏事業、情報屋という側面を思えば納得ですらある。
だが、しかし————。
「もしそうだとしたら、先代には出資していなかったていうことですよね」
「それなんだよ!」
団長が前のめりになった拍子に、空のティーカップが音を立てて揺れる。
「それがあり得ねぇ! あの人の演劇は凄かった!」
「団長さんが彼からの出資を知らないだけ、とかないですか?」
「まぁ私の知らねぇ付き合いなんざ幾らでもあるだろ。ただ出資関係については、うちは公明正大! 優良会計! 帳簿に全部残してるし、その帳簿も先代から全部引き継いでっからな。知らねぇ出資元なんてまずありえねぇな」
「成程」
リゼルは一度だけ頷き、そしてあっさりと告げた。
「なら、ただのお友達だったのかもしれないですね」
「お……」
呆気にとられる団長を前に、リゼルはのんびりと紅茶に舌鼓を打つ。
そうしながら思い出すのは、水中レストランという舞台の利用権についての交渉時。何故、他の劇団が避けるサルスでの公演を続けるのかと、そう尋ねた老紳士に「届けたいからだ」と団長が返した時のことだ。
それを聞いた老紳士から零れ落ちた懐古と憧憬を、リゼルは見てしまった。
笑いながらも満足げに目を伏せる姿は、今思えば答えが分かっているからのようにも思えた。
「……確かに友達に会ってくるっつってサルスで公演する度にどっか行ってたな」
「なら可能性はあるのかも」
「で、あの人なら確かに友達から金は受け取らねぇ……ッ」
「誠実な方だったんですね」
直後、団長は弾かれたように笑う。
覇気のある声はギルド中を満たし、職員たちの珍しそうな眼を集めていた。
「で、その先代がもういないからって堂々と出資してきたのかコンニャロ!」
「タイミングが良かったですよね。彼は新店舗の宣伝をしたい、あのレストランの特殊性をもっとも効果的にアピールしたい、そう考えていた時に貴方が人魚姫を持ってきた」
勿論、それだけではないだろう。
最先端の技術と持ちうる限りの人脈で実現した、満を持してのオープンが予定されている店舗の評判を、流れの劇団に任せるなどあり得ない。老紳士は劇団ファンタズムの実力を誰より理解し、友人の願いを引き継ぐ者たちの想いを確信していたからこそ託したのだ。
だがそれはそれとして、商人として利益を求めることは厭わないので。
「姿絵でも売らないかって話もしてくんだぞコンニャロ!」
「ねぇそれいつから売るの!?」
職員シスターズの一人が乱入してきた。
「売らねぇよ!」
そして帰った。
ついでに空になった団長のティーカップも回収されていった。それにしても、いかにも客用のティーカップだがサルスの冒険者ギルドにも応接室があるのだろうか。
「まぁ嫌だっつったらすぐ流れたけどな」
「姿絵、嫌ですか?」
「私らが売ってんのは芸であって物じゃねぇからな。ましてや接遇でもねぇし!」
「冗談じゃーん」
「お前らはなコンニャロ!」
受付から飛んできた笑い声に、団長はそんなことは分かっているとばかりに返す。
つまりは、他所からも似たような声が上がったのだろう。この場にいる姉妹たちのように、親しい間柄からの軽口ではなく、明確な不満としてそれらを求める声が上がったのだ。
「断りにくい相手からですか?」
「まぁな」
受付の中で、姉妹たちが手元にあった凶器を握り締めて立ち上がる。
「でも、貴女のパトロンが動いてくれたでしょう?」
「あの商人すげぇな! 相談したら次の日には解決してた!」
そして座った。
ペーパーナイフやキリを手にした女が何人も立ち尽くす光景は迫力があった。
「それだけ人魚姫と、彼女に恋する面々が魅力的だったんですね」
「今回は一気にいろいろ試しすぎたな。短期の上演っつうのもあって詰め込みすぎた」
「レストランでの上演が終わったら、また別の国へ?」
「考えどころだなコンニャロ。サルスで目ぇつけてた場所がそろそろ空きそうっつう話も聞いたし、馴染みの酒場から『宿とメシつけるから自分とこで似たようなことしてくれ』って話も来てる」
「それも楽しそうですね」
短期公演というのは、老紳士との契約に元々含まれていたものだという。
劇団ファンタズムの公演によって、彼のレストランはその特異性を国中に知らしめた。だがあまり演劇が長期化すると、そちらの印象が強くなってレストラン自体の評価が上がらなくなってしまうからだ。
老紳士は真摯にそれを説明し、団長がそれでもいいと頷いた。
「ねぇ人魚姫もう終わるの!? 早くない!?」
だがファンとしては、仕方がないとあっさり諦められるものでもないのだろう。
話を聞いていた職員シスターズらが一斉に団長に詰め寄った。
「いつもはもっと長いじゃん! え、やだあと百回行こうと思ってたのに!」
「金あんなコンニャロ!」
「金はないよ! 親から給料の前借りしたよ!」
「せめて公演後に衣装展とか開いて欲しいんだけど駄目? 無理? いけそう?」
「私に聞くんじゃねぇよ!」
「分かった、どこに手紙出せばいい? レストランに預ければいい?」
姉妹たちにもみくちゃにされながらも、団長は楽しそうだった。
こうも熱心に応援してくれる友人の姿を目の当たりにしたのだ。嬉しくて仕方ないだろう。
もしかしたら、老紳士と前団長の関係も似たようなものだったのかもしれない。ここまで熱意を露わにする姿は想像できないが、畏まった劇場だけでなく、市井の酒場での公演にだって顔を出すような友人だったのではないか。
リゼルはそんなことを考えながら、ゆっくりと紅茶を堪能する。
そして読書を再開する。目の前ではいまだ団長が質問攻めにされていたが、賑やかで良いなと微笑ましく思うばかりでまったく気にならなかった。
その晩、宿の食事にキノコとベーコンのパスタが出た。
「ジル?」
リゼルは向かいに座るジルが、フォークを手にしたままなかなか動かないことに気づく。
確かにジルはキノコが好きではないが、食べようと思えば食べられる程度の苦手だ。不味いとまでは行かないが、好き好んで食べたいとは思わず、だが出されたものは食べるという絶妙な苦手ラインを持っている。
よって普段の食事で、露骨に嫌がる姿を見ることなど滅多にないのだが。
「やる」
「あ」
ジルはキノコだけリゼルの皿に移動させた。
これはもしやと正面を見れば、苦々しい顔をしたジルに忌々しげに目を逸らされる。
どうやら昨日の迷宮の影響が残っているのは、イレヴンだけではないようだ。
「お婆さまには内緒にしてあげますね」
「そりゃどうも」
リゼルは可笑しそうに笑い、味の染みたキノコをパスタと一緒に巻き取った。