軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

191.公演は一日二回

依頼の帰り、リゼルたちはサルスの街並みを歩いていた。

今日の依頼は至って王道な、街道に出る草原ネズミの駆除。ただしランクはCだった。

どうやら街道からやや離れたところで大繁殖していたようで、いつの間にかとてつもない数に増え、移動してきたそれらが急激に街道を穴まみれにしたらしい。

しかも増えすぎたせいか、群れでの動きが統率されており、一匹を倒している間に他の穴から残るネズミが逃げ出す始末。攻撃性の高い個体と、逃げ足の速い個体が綺麗に役割分担して、一匹残らず駆除をしてくれという依頼の難度を上げていた。

「俺ら本当に全部駆除したと思う?」

「多分な」

そこを断定するための方法がないので、なんとも言えない。

とはいえそれは依頼主側も同じこと。後日になって一匹の草原ネズミが近くを歩いていようが、また余所からやってきたのだろうと言われてしまえば納得せざるを得ないだろう。それほどに、草原ネズミはどこにでもいる。

依頼人もそのくらいは承知のはずだ。結局のところ、街道に被害が出なくなればいい。

「巣穴には魔物避けを撒いて、そのうえで埋めたので大丈夫だと思いますよ」

「古巣で張ってても戻ってこなかったしな」

「じゃあいっか」

できる手は打ったのだから、あとは依頼人の判断に任せるのみ。

依頼の種類的に、依頼主は国か商業ギルドか。個人名だったので、その内の誰かなのだろう。

ならば理不尽なクレームは来るまいと、リゼルたちはさして心配していなかった。

「あ、俺ここで抜けていい?」

「じゃあギルドカードだけ貰いますね」

「ん、よろしく」

何処かに遊びに行くらしい。

後は冒険者ギルドに依頼完了の報告をするだけなので、全員揃っている必要はない。手続きに使うギルドカードだけ預かって、リゼルとジルは機嫌良さそうに離れていく鮮やかな赤を見送った。

「そういえば昨日の迷宮、クァトと一緒だったんですよね」

「勝手についてきた」

「一人でどんどん斬るってちょっと拗ねてましたよ」

「あいつが遅ぇのが悪ぃんだろ」

そんな雑談を交わしていれば、すぐに冒険者ギルドへと辿り着く。

早朝に依頼を受け、今は昼を少しすぎた頃。大体の冒険者が出払っている時間帯だ。

受付も空いているだろうなと、リゼルはジルに続いて建てつけの悪い扉をくぐった。

「劇場の空きが全っ然見つかんねぇ、景気いいなコンニャロ」

「えー、どうだろ。てか前どこいたんだっけ? 王都?」

「そん次がアスタルニアな。結構長くいたけど、今思うとあっという間だった気もすんな」

「いいなぁ、ワイルド系イケメンいた?」

「ねぇ男装してきてよー、前の少年役すっごい良かったよ」

受付がなんだか華やかだし、聞き覚えのある声が聞こえた。

リゼルはジルの後ろから顔を出し、そちらを見る。ジルの歩調は変わらないので、恐らくまだ気づいていないのだろう。王都でもアスタルニアでも交流ある彼女のことを、忘れてはいないはずだ。

リゼルは微笑み、ジルを抜かすように受付カウンターに向かう。

どうかしたのかとそれを目で追ったジルが、リゼルの進路の先にある小さな背中を見つけ、一瞬だけ足を止めた。だがすぐに歩みを再開し、小さく溜め息をついてリゼルの後ろに続く。

「設営の依頼出すでしょ?」

「出したくても出せねぇんだよコンニャロ、劇場が見つかんねぇと」

「あ……」

ふと、集っていた受付姉妹たちがリゼルを見上げる。

それに気づいた彼女も、怪訝そうな顔をしながら後ろを振り返った。

「お久しぶりです、団長さん」

「おま……」

国から国へと渡り歩き、圧倒的演技力で人々を魅了する劇団“Phantasm”の団長。

彼女はリゼルを見上げ、その後ろに立つジルを眺め、唖然と開きっぱなしの口で叫んだ。

「またかよ!」

「はい、またです」

「依頼は出してねぇぞ!」

「それは残念」

ぶっきらぼうながらも、再会を喜んでくれているのだろう。

サイズの合わない大きな眼鏡の向こう側で、彼女は勝気な笑みに目を見開いていた。

一方、冒険者ギルドの受付姉妹たちはやや騒然とする。彼女たちは団長とはそこそこ長く付き合いがあり、劇団“Phantasm”がサルスに公演で訪れるたびに仲を深めてきた。

公演も必ず見に行くし、休みの時にはプライベートで一緒に遊ぶほどには仲が良い。

そんな団長が、現在のサルスで注目度ナンバーワンのパーティを相手に、自分の依頼はやりたくてもないぞと言い張ったのだ。それを受けたリゼルも、親しげな笑みを浮かべて自然体だ。

「お前らもアスタルニアからこっち来たのか」

「いえ、一度王都に寄りました。団長さんは来たばかりですか?」

「おう、一昨日な」

「劇場が見つからないって聞こえたんですけど」

「それなんだよコンニャロ!」

そわそわとしている受付姉妹たちがいるカウンターに、団長は頭を抱えて突っ伏した。

リゼルは苦笑し、ジルは面倒そうに視線を流す。そんなジルは、そうそうに撤退を決めたらしい。無言でリゼルを促し、三人分のギルドカードを受け取って空いている受付へと向かってしまった。

「お願いします、ジル」

「ああ」

受付姉妹の内の一人が、ジルについて隣の窓口へと向かった。

残る姉妹たちは、突っ伏す団長の頭をよしよしと撫でてやったりしている。

「昨日サルスの劇場全部回ったんだよ……でもまとまった期間だと一軒も空きがねぇ……」

「演劇だとねぇ、準備とか撤収とかあるしねぇ」

「一度準備したら日数やったほうが元とれるもんね」

「可哀想、可哀想」

団長の無造作に跳ねていた髪が、細い指に撫でられるたびに収まりをみせていた。

とはいえ生来癖の強い髪なのか、撫でられた端から毛先だけぴょんぴょんと浮いていく。

そんな彼女の言葉に、リゼルは受付姉妹たちへと問いかけた。

「今の時期、そんなに混むんですか?」

「そうですねぇ。まずサルスですが、劇場自体がそれほど多くないんです」

「場所とるし、道狭いし、道具の搬入も難しいしで、流れの劇団もあんまり来なくって」

「それにプラスして、広い空間に人数集められるっていうのが意外と重用されてまして。会議とかイベントとかでこまごま使うんですよ、うちの父も会合とかでよく行ってます」

成程、とリゼルは頷いた。

そうなると確かに、まとまった期間を独占して契約するのは難しい。流れの劇団があまり来ないというなら、公演自体はとても歓迎されているはずなので、日程以外に原因があるということもないだろう。

一日二日ならすんなりと決まったはずだが、劇団“Phantasm”はしっかりと舞台を作り込む。だからこそ設営の手を募集するぐらいなので、日替わりで別の劇場へ、などという真似はできるはずがない。

そこでリゼルはふと、サルス城へ突撃した時に老紳士に聞いた話を思い出す。

「あ、あそこはどうですか? 首都にある国王像がある広場、スペースもありますし」

いかにも憩いの広場、という雰囲気だった。

王都で野外に設営したように、あそこならば借りられるのではないだろうか。

そう考えて口にしたリゼルだったが、返ってきたのは困惑したような沈黙だった。

「ええと、式典で人が集まることもあるって聞いたんですけど」

「はい、あの、そうです、式典で……」

「ただその、ええと、国の中枢機関に囲まれて、お城のど真ん前ですし」

何かが違ったらしい。

元教え子などは城前に劇団が来たら大喜びだろうな、と思って提案したのだが。普通に人々が行き交い、特に立ち入り禁止になっている訳でもないのに何故、と不思議に思う。

「お城で過ごす人は、目の前で公演があっても誰も気にしませんよ」

「お前はどの立場からそれ言ってんだコンニャロ!」

受付姉妹たちが必死でリゼルのギルド登録を漁り、やっぱり間違えて王族貴族を冒険者登録したのでは……とその証拠を探す。リゼルがサルスを訪れてから、既に数度行われている作業だ。

当然ながら新事実が突然出てくることもなく、リゼルが立派な冒険者であると証明されただけだった。その現実に、彼女たちは途方に暮れるしかない。

「今回ができるだけ室内がいいってのもあるしな」

「“幻想の旅人”じゃないんですか?」

「一応そっちもできるようにはしてある。ただサルスで新しいのやりたかったんだよ」

「あ、楽しみです。ぜひ観に行きますね」

「おう、来い。劇場見つかんねぇとできねぇけどなコンニャロ」

団長は綺麗に梳かれた髪を遠慮なくかき混ぜながら、背筋を伸ばす。

「折角水に囲まれた国に来たんだから、やりてぇんだけどな……人魚姫」

リゼルはいつか、アスタルニアで彼女と話した時のことを思い出した。

それは迷宮“人魚姫の洞”を踏破した後、その迷宮とボスについて団長と話していた時だ。

『舞台の真ん中に貝殻置いて、ライトは下から煌めかせて、中から美しい人魚姫が!』

あの時点ではただの、思いつきにも似た構想だっただろう。

だが彼女はそれを諦めず、練って研ぎ澄まし、一つの作品として仕上げたのだ。

「人魚姫……」

リゼルは呟き、思案する。舞台として相応しい場所に心当たりがあった。

それは先日、老夫婦に誘われてパーティ三人で参加した立食パーティーでのこと。パーティーの舞台は、視界いっぱいに水面下の風景が広がる“水中レストラン”だった。

その時、レストランにある舞台でオーケストラの演奏があった。演劇を行うには狭いし、そもそも立食パーティー用に設えただけかもしれないが、舞台を置くことは可能なのだ。

「団長さん、一か所だけ心当たりがあるんです。ただ、正式な劇場じゃなくて」

「紹介しろお願いします!」

団長の即答にリゼルは頬を緩ませ、頷いた。

ちなみに団長だが、高揚しきった様子で今すぐ行くぞと駆け出すも、ちょうど依頼の完了手続きから戻ってきたジルによって襟首を引っ掴まれて止まった。リゼルが止めるよう頼んだのだ。

「先方が忙しい方なので、予定を聞いてからでもいいですか?」

「毎朝ここ来るから顔合わせの予定立ったらお前らが呼びにくるんでいいか!」

「分かりました」

歓喜の声を上げる団長が、まぁ落ち着けと受付姉妹たちに連行されていく。

階段をのぼって行ったので、行先は彼女たち一家のプライベートスペースだろうか。

リゼルは本当に仲がいいんだなと微笑ましく思いながら、隣に立つジルを見た。

「ロマネの件での“貸し”、使ってもいいですよね」

「もともとお前の分だろうが」

老紳士が折角作ってくれた、リゼルから老紳士への貸しだ。

ならば使ってしまおうと、二人は老紳士へのアポイントメントをとるためにギルドを出た。

ちなみにここでのアポイントメントとは、精鋭を呼んで老紳士に伝えてもらうことを指す。

老紳士からの返答はすぐに来た。

なにせその日のうちにきて、翌日の朝一なら時間がとれるという。よってリゼルは翌朝になって早速、ジルを引き連れて朝からギルドを訪れていた。

ちなみにジルと一緒なのは、リゼル一人に行かせることをイレヴンが渋ったからだ。

ジルに懇切丁寧に老紳士の情報屋としての側面を説明し、「それもうてめぇが嫌いなだけだろ」と突っ込まれ、開き直ってからも駄々をこね続けての粘り勝ちだった。

ちなみにジルは特に予定もないので引き受けた。ならさっさと頷け、というのはイレヴンの談。

「団長さん、来てるでしょうか」

「ギルド開く前から来てても驚かねぇな」

そしてギルドに入れば予想どおり、ギルドの隅で仁王立ちする団長の姿があった。

混んでいるなら邪魔になるだろうという気遣いから、ポジションを隅っこに定めたようだ。だがそのポジションも相まって、微動だにしない姿はそういう置物のようにも見えた。

今も目の前で、団長のことを完全に置物だと思って油断していた冒険者が、前を通りがかった時に本物の人間だと気づいて驚きに飛び跳ねている。

「団長さん、お待たせしました」

「来たか!」

動いた、と周囲の冒険者たちから謎のざわめきが上がった。

「対応早ぇな、何モンだ!」

「商人です、とても優秀な」

「そりゃ納得だ、この行動の早さは見習わねぇとな!」

「ただ、早朝しか空いてないみたいで」

「充分だコンニャロ!」

団長のテンションが非常に高い。

舞台役者だからだろうか。普段からハキハキと喋る彼女だったが、今日は声の張りが違う。

とはいえ本当に公演ができるのかは、現場を見てみないことには分からない。団長が舞台には適さないと判断するか、老紳士に公演の許可をもらえなければ、すべて振り出しに戻ってしまうのだから。

「時間ねぇならさっさと行くぞ」

「おう!」

上手くいくといいなとリゼルは微笑み、老紳士の待つレストランへと向かった。

そのレストランの入り口は、湖に面した宿の一階にある。

サルスの首都の一角、品の良い建物が並ぶ場所にある宿だ。周囲に馴染む外観は、歴史を感じさせる風格を持ち、国賓をもてなすのにすら使えるだろう。

広いエントランスにある、天鵞絨の絨毯を歩いた先に階段があった。

下りていくと、眩しい青の世界を見られるだろう。豪奢な扉の先に、湖中の世界は待っている。

「やぁ、今日はよく来てくれたね」

「よろしく頼む」

団長と老紳士が握手を交わすのを、リゼルは口を挟まずに眺める。

ジルはというと、劇団員ではなく団長としての彼女の姿が珍しかったらしい。落ち着き払った対応を、胡散臭いものを見る目で見ていた。

老紳士が案内をするように歩き始めるのを、団長は隣に、リゼルたちは後ろに控えるようについていく。

「このレストランはまだお客様を入れたことがない。プレオープン代わりに、親しい間柄の相手を呼んで立食パーティーを開いただけでね。正式なオープンは十日後の予定なんだが」

「オープンが近ぇな」

「そうだね」

老紳士が柔和に笑う。

これは断られるかと、団長は頭の隅で冷静に思った。だが――。

「それに間に合うなら、公演を許可しよう。ああ、舞台に不足しているものがあれば改装も視野に入れているから、遠慮なく言いなさい」

「は……」

団長が勢いよくリゼルたちを振り返った。

お前らどんな弱み握ってんだよ、という目だった。リゼルはひとまず首を横に振っておく。

「おや、何か不安かな」

「そりゃ、まぁ、なんでそこまでしてくれるかが分かんねぇと同意しようもねぇだろ」

「芸術に投資をする者は珍しくないだろう?」

老紳士は、磨き抜かれた大理石の床に杖をついた。

白を基調にした床に、水面から差し込んだ光が柔らかく揺れている。

「私は君たちの劇を見たことがある」

「ああ」

「素晴らしかったよ。若手の多さに反して、随分と腰の据わった芝居をしていた」

「……」

「何より君たちは、他の流れの劇団が避けるサルスに、何度も訪れてくれている」

心からの称賛に嘘偽りはなく、間違いなく老紳士の本心だった。

彼の瞳が、ただ静かに団長の瞳を見据える。

「それは何故だい?」

「届けたいと思ってるからだ」

団長の答えは簡潔だった。ただそれだけなのだと、何も語らないことで語ってみせた。

それでも老紳士は笑みを深める。満足げに、憧憬を抱くように、一度だけ目を伏せた。

「そんな君たちだからこそ、私はこの場所を使ってほしいんだ」

一瞬だけ見せた懐古を、老紳士はすぐに消してしまった。

いつもどおり、人当たりのいい穏やかな笑みを浮かべる彼に、団長がリゼルを振り返る。

受けるぞと伝えているのか。リゼルは小さく微笑み、頷いてみせた。

「いいのかよ」

「大丈夫ですよ」

小声で呟いたジルに、リゼルもまた囁くように返す。

老紳士は心からサルスを愛している。そんな彼が、サルスの国民のためにとやってきた彼女を邪険に扱うはずがない。

そんな二人の前では、老紳士と団長が使用料に関しての熾烈な金額交渉を行っている。どうやら店の格に比べれば破格の提示があったようだが、それでも団長側からすると目玉が飛び出そうなほどの金額だったようだ。

その交渉はしばらく続いていたが、遂には両者合意と相成ったのだろう。なかなか楽しかったとばかりの老紳士と、もはや息も絶え絶えな団長が交渉成立の握手を交わしていた。

「くそ、これだから商人は……コンニャロ……」

「団長さんは頑張りましたよ」

「てめぇ交渉もすんだな」

「団長だからやるに決まってんだろうが……」

できる、と言わないあたりにやや苦手意識が垣間見えた。

「さて、案件を詰めていこうか」

片やまったく消耗した様子のない老紳士が、朗らかに話を進める。

団長も一度大きく息を吸い、呼吸を整えた。整えたように見せているだけかもしれないが。

「後ほど、このレストランの設計者と技術者を一人ずつ派遣しよう。彼らには公演期間、ここに常駐するよう頼んでおくよ。舞台に足りない資材なども聞いてみるといい、彼らは顔が広いから用意してくれるだろう」

「助かる」

「舞台は壁に寄せているが問題ないかな」

「できりゃ水中を背景にしたいとこだな」

水中レストランは、サルスの土台から半円状に湖へと張り出している。

天井は丸みを帯びており、なるべく多くの光が入るよう計算されている。それに加え、豪奢なシャンデリアが並んでいるので夜間の営業も可能だ。

舞台はサルスの土台側、つまりは品のある装飾が施されている壁側にある。

「残念だが、それは止めたほうがいい」

「そりゃどうしてだ?」

「ん」

ジルが視線で、ちょうど水面を横ぎった影を示す。小舟だろうか。

水中レストランとはいえ、水面にほど近い。陸地側が見えないよう工夫はされているも、行き交う船を見えないようにすることは流石にできなかった。

「私も景観にはこだわりたかったが、レストランを理由に航路の変更は流石にね」

「それでも、真上は立ち入り禁止にしたんですよね」

「こちらも、許可をとるのにだいぶ苦労したよ」

苦労したという割には、なんてことなさそうに老紳士は告げた。

なんとなくリゼルは思う。支配者の件でサルス上層部に突撃した際、仲を取り持ったとして老紳士が国から恩賞を賜われたとしたら、こういう点で便宜を求めるのではないかと。

とはいえ、建設当時から通行禁止にしていたというのならタイミング的にあり得ない。

ではあの時の貢献により恩賞は、一体どこに使われるのだろう。これと同じ規模の事業を進めようというのなら、成程、確かに彼が「貰いすぎだ」と返そうとするのも理解ができた。

「どうした」

「いえ」

怪訝そうな顔をするジルに、なんでもないと首を振る。

サルス上層部への突撃、それに関連するものを口にするなど、藪蛇にしかならないのだから。

リゼルのさりげないご機嫌取りは、密かに続いていた。

「天気が悪けりゃ水も濁るっつうしな。こっちは無理か」

団長が名残惜しそうに、ガラスの向こうの水面を見上げる。

「ただ、なるべく光は受けてぇんだよな」

「ではあちらかな。背後が壁だから、カーテンを引けば演者の入れ替わりも容易だろう」

「いや、ここいけるか。舞台は円形がいい」

彼女が指さしたのは、レストランのほぼ中央だった。

真ん中に舞台を置いて、観客が周囲を囲む形だ。中心よりもやや壁よりなので、そちらだけは席を置かないのかもしれない。イレギュラーだが、前例がないこともない配置だった。

「ここだと、それほど大きな舞台は置けないよ」

「一人が演じられんなら十分だ!」

団長が勝気に笑う。

恐らく、中央に立つ演者だけを際立たせる配置になるのだろう。なるべく全役者の見せ場を作りたいと脚本づくりに励んでいた団長からは、少しばかり矛盾しているような気もした。

だが、恐らく心配することはないのだろう。彼女は、己を曲げることなど決してないとばかりの強い眼差しで、自らの発想を実現すべくレストランのあちこちに目を通していく。

「食いながら見てもらうなら、スタッフの動線も考えなきゃなんねぇなコンニャロ!」

「食事と観劇を一緒にするんですか?」

「聞いたことねぇな」

「私としては、劇場として貸し出すつもりだったんだが……」

「あとで企画書出すから検討しといてくれ!」

顔を見合わせる三人にそう言い残し、団長は紙とペンを手に脚本の世界へと旅立った。

劇団“Phantasm”主催。演目、人魚姫。

空に、吹く風に波打つ水面がある。そこから差し込む日差しが、中央の舞台にいる少女の白い肌に、青い鱗を映し出しては揺れていた。

大きな貝殻に身を任せ、彼女は伸びやかな声で波の言葉を歌う。

その抑揚は、寄せては返す波のようだった。

その高音は、地底に差し込む光の柱を上っていくかのようだった。

その低音は、底のない海峡を覗き込んだかのように深かった。

彼女は歌う。

自らを包み込む海の温かさを。体を揺らす波の心地よさを。海底の砂のきらめきを歌う。

「見ろ、見ろ、あいつは海にしか興味がないんだ」

いつの間にか客席に現れていた少年が、近くに座る少女に呆れたように告げた。

鱗を縫い合わせたようなフォーマルを身につけ、岩場を縫うようにテーブルとテーブルの間を歩き、歌う美しい姫へと決して近づかないよう一周してみせる。

少年は席に座る人々と視線を合わせ、触れられる距離をゆっくりと歩いていた。

「海を愛して、海に愛され、そのうち泡となって消えていくんだろうさ」

吐き捨てるように告げ、少年がリゼルを見つける。

美しい旋律が、水の中で反響している。舞台の上の彼女は途切れることなく歌い続ける。

その旋律の中を、少年はまっすぐにリゼルのもとへと歩んだ。明確な意思を持った足取りに、人々のざわめきが徐々に大きくなっていく。

「なぁ、一緒に考えてくれよ」

リゼルのすぐ隣で、テーブルに手を添えて、はっきりと少年は告げた。

リゼルは座ったまま、ただじっと少年を見上げていた。縋りつくような声、ただしその表情は皮肉げな笑みを浮かべている。

それは確かに、海への愛を歌い続ける少女に恋い焦がれる少年の顔だった。

「あんたならどうする?」

何か言うのを、求められているのだろうか。

リゼルはふと、同席しているジルたちを見た。ジルは感心半分呆れ半分で肉を食べ、イレヴンはいまだに少年の正体が信じられないのか半目になっている。

そしてクァトはというと、完全に世界観に呑まれているのだろう。真剣な顔でリゼルの答えを待っている。その手元は完全に隙だらけで、半目で少年を凝視するイレヴンに食事を掠め取られていた。

「俺は……」

答えるべきなのだろう。

周囲が固唾をのんで見守るなか、リゼルは少しだけ悩んで答えを出した。

凄いことを考えるなと、リゼルは客席の間を行き来する演者たちを眺めた。

今回は劇団からの設営依頼は出なかったようだ。リゼルが知らないうちに出て、知らないうちに捌けた可能性もあるが、恐らく老紳士や紹介された建築士の伝手で賄ったのだろう。

しかし、劇場を紹介した礼なのだろうか。

冒険者ギルドごしにチケットが贈られ、これはぜひ見なければと、リゼルは初めて何の前情報もなしに彼らの演劇を見ている。

「凄いですね」

「何がだよ」

「間違いなく演劇なのに、別物みたいに新しくて」

食事にばかり没頭しないよう、演劇にばかり没頭しないよう、絶妙なバランスの脚本が形作る世界。それこそが、観客も演者として扱うというものだった。

とはいえ食事の邪魔をしないよう、演者からの絡みは一瞬。絡む相手もよく選んでいる。

酷くアドリブ力が求められるも、それこそ劇団“Phantasm”の得意分野だ。皆いきいきと演じているように見える。

「これなら舞台が狭くても問題ないですしね」

「レストラン丸ごと舞台にしてんだもんなァ」

実際にレストラン中央に置いた舞台は、美しい人魚の少女が独占している。

大きくも繊細な貝殻が煌めき、少女は時折ゆったりと姿勢を変えながら歌い、もっとも美しい光景が見られる場所。たおやかな仕草で、美しい旋律を奏でる少女が、まさか背景音楽の役割を果たすとは。

「そういえば今日、ヴァイオリン演奏がないですね」

「また手首でも折ってんじゃねぇの」

「まさか。裏方でしょうか」

リゼルは可笑しそうに眼を細め、レストランを見渡した。

手首を折った時に回復薬をかけられて泣いていた姿も、なぜかアスタルニア王族の前で延々生演奏することになって泣いていた姿もどこにも見当たらない。演技はできないと聞いたことがあるし、やはり裏方に回っているのだろう。

「(それにしても)」

リゼルは老紳士の穏やかなたたずまいを思い出す。

彼は確かに伝統を大切にするが、新しいものを育てることにも積極的だ。団長から持ち込まれた新しい演劇の形も、きっとすぐに理解を示して了承したに違いない。

なにより新しい店舗は、何をおいても周知が最優先だ。

この演劇が話題性として非常に優れているのは考えるまでもなく、老紳士に断る理由など一つもない。

「上手いなぁ」

「?」

「劇団員の方、みんな演技が上手ですよね」

「えん……ぎ……?」

正直に言うのも憚られ、そつなく返せばクァトの夢をもれなく壊してしまった。

こうして劇団“Phantasm”の初回公演は、見事に大成功を収めるたのだった。