作品タイトル不明
189:ずっと起きてるしいざとなったら飛び出す
リゼルは一人、喫茶店のテラス席でゆったりと読書していた。
つい先日潜った迷宮が、精神的にも身体的にもなかなかに負担の大きい迷宮だったからだ。
当日は宿に帰ってすぐ、三人揃ってベッドに潜りこんで熟睡した。そして翌日に起きてようやく、深い疲労の原因が体力だけでないことに気づいたのだ。
相当メンタルがやられてたな、というのはジルの談。花もどきの錯乱であったり、巨蛇の震える呼気以外にも、知覚し得ない攻撃を知らず知らずに受けていたのだろう。
海千山千の元冒険者、宿の老夫婦も似たような経験があるという。この予想も、間違ってはいまい。
「(変に迷宮で自覚しなかったのは、運がいいのかな)」
自覚がないのも危険だが、自覚して立ち往生する羽目になるのは避けたい。
ジルはあの迷宮のボスが気になっているようなので、彼が次に潜る時までに解決策が見つかればいいのだが。迷宮仕様ならば仕方ないが、もし疲労を軽減できる方法があるのなら使うに越したことはない。
そういう考えからリゼルは今、関連しそうな魔法の研究書をひたすら読み込んでいた。
「(学院の論文は殴り書きが多いな……)」
もはや本人にも読めないのでは、そんな書面を解読していく。
喫茶店を訪れる前、魔法学院にも寄っていたのだ。ひょこりと顔を出し、“聖なる巨獣たちの国”について軽く説明した後、こうこうこういう資料が欲しいと告げれば、学院の研究者たちはこぞって関連しそうな書物や論文を持ち寄ってくれた。
その場で「それは関係ないだろう」「こっちの理論が使える」「魔道具が有効では」など激しい議論が巻き起こり、各々の所持する資料の壮絶なプレゼンが行われたが、リゼルはおおむね平和的に気になった資料を借りることができた。
「(そもそも本当に魔力的な原因があるのかどうか……心当たりもないし)」
癖の強い字を目で追いながら、紙面を捲る。
「(迷宮の中で感じてた、威容とか異様がそうなのかも)」
だとしたら防ぎようもないが、果たして。
リゼルは一人、小さく微笑む。まるで、学院の研究者にでもなった気分だった。
「おや、楽しそうだね」
ふいに声をかけられ、リゼルは視線を上げる。
水路に張り出すテラス席、そのすぐ隣にある橋にいたのは、蜘蛛の杖を持つ老紳士だった。
彼は小さくハットを持ち上げ、深く皺の刻まれた目元を茶目っぽく細めて見せる。
「少し話がしたかったんだが、邪魔だったかな」
「いえ、全く」
リゼルも笑みを返し、向かい側の椅子を勧めた。
老紳士は店に回り、店員と親しげに言葉を交わしながらテラス席へとやってくる。
「改めて、アスタルニア王家への紹介の感謝を伝えたかったんだ」
穏やかで深みのある声が、ゆっくりと告げた。
リゼルは既に、アリム宛てに紹介の手紙を送っている。正確には宿主に向けて、だが。
アスタルニア行きの手紙には数量制限があるので、宿主の封筒にまとめて同封したのだ。
両国の距離を思えば、いまだ返答を受け取れてはいないはずだが、アスタルニア王家との協力関係は間違いなく成立するという確信があるようだった。
リゼルもそう考えたからこそ、紹介を申し出たのだが。
「元は俺からのお礼なので、気にしないでください」
「そうは言うが、いささか私が貰いすぎてはいないかな」
「商人らしいですね」
「何にでも貸し借りを持ち出すような真似はしないが、どうにもね」
我ながら度し難い、と老紳士は軽く苦笑を浮かべてみせた。
店内を通るついでに頼んだのだろう。ほどなく彼のコーヒーが運ばれてくる。
店員に礼を告げた老紳士は、少しばかり考えるようにして口を開いた。
「お礼に指名依頼でも、と思ったんだが」
「貴方からですか?」
「そう、報酬には色をつけてね」
悪友と悪だくみをしているような声で、老紳士は悪戯っぽく囁いた。
冒険者に指名依頼を出すことが礼になるのか、それは十分になると言えるだろう。
指名依頼は報酬の自由度が高く、親しい間柄の依頼人が安く受けろと自ら依頼用紙を押しつけてくることもあれば、実際の依頼ランクよりも高いランクの冒険者に受けてほしい時などは割り増しすることもできる。
そもそも大半の冒険者にとって、指名依頼というのはなんとなく嬉しいものだ。
その認識がややズレているリゼルたちは、指名依頼であろうと選り好みするが。それは一刀の知名度の高さゆえに、知らない人間から指名されることが多いというのもあるだろう。
リゼルにしてみれば知人からの指名は嬉しいし、可能なかぎり受けたいと思っていた。
勿論、ジルとイレヴンの賛同が得られればというのは大前提だが。
「どんな依頼ですか?」
「そうだね」
老紳士が、にこりと笑う。
「君たちに、運び屋になってほしいんだ」
リゼルは一度だけ目を瞬かせ、詳しい話を聞くのだった。
二日後の早朝、リゼルたちは大橋の門の手前に集まっていた。
目の前を、入国したり出国したりする人々が頻繁に行き交っている。
「ここ?」
「はい」
「本人が来んだろ」
「そうだと思います」
三人は依頼で、とある相手を待っていた。
その相手こそ老紳士であり、リゼルたちは彼からの指名依頼を受けてここに立っている。
リゼルは喫茶店で話を聞いた後、ひとまず返事を保留にしてパーティに相談した。ジルは特に異論なく、イレヴンはやや渋ったが嫌とまではいかなかったようで、円満に指名を受けることになり今に至る。
「ロマネの通行証ってマジ?」
「凄いですよね、所有する商人なんて滅多にいないのに」
「それ受け取って、明日隊商に渡せってんだろ」
「そんくらいあの爺がやりゃいいのに」
「できれば、そうしてるんでしょうけど」
リゼルは苦笑する。
「過去二回、通行証を持った隊商が襲われてるみたいです」
「だろうな」
ジルが当たり前のように、リゼルの言葉に同意した。
ロマネ公国は、高品質の酒造りで名を馳せる国だ。その性質上、国内に足を踏み入れられる者は酷く限られていて、国外に居を構える者が領地内の親せき家族に会うことさえ難しい。
必然、その酒を扱える商人も限られる。
かの国の信頼を勝ち得た商人たちであり、そんな彼らであっても、年一回の開放日以外は領地内に立ち入れないという。そこまで徹底しなければ、品質と価値を保つのは難しいほどの酒なのだ。
「襲われたっつっても奪われなかったんだしいいんじゃねぇの?」
「通行証を任せられるだけの優秀な人材を、そう何度も危険に晒せませんよ」
「ふぅん」
「そんなもんか」
「そんなものです」
いまいちピンと来ていない二人に、リゼルは思わず唇を綻ばせる。
冒険者は基本的に成果主義かつ、自己責任の部分が多いので分かりにくくて当然だ。
「襲撃があったのは、直近の二回」
「完ッ全にルート読まれてんなァ」
「ロマネの開放日なんて隠しきれるもんでもねぇしな」
普段から商人が出入りしている国ならばともかく、ロマネは決まった一日のみ門を開ける。
盗賊などからしてみれば狙い放題だ。ロマネから出た隊商は、襲われないほうがおかしいとまで言われている。よって各隊商は、金が許すかぎり護衛を雇うし、血眼になってSランク冒険者を探したりするようだ。
「ブツ狙われんなら分かるけど通行証は何なんだよ」
深い親交のある隊商しか入れないのだから、通行証を奪ったとしても入国できるはずもない。
怪訝顔のジルに、あっさりと答えたのはイレヴンだった。
「そんなん酒よか金になるからじゃん」
「あ?」
「通行証偽造して売り捌く、元の持ち主脅して金毟る、ホンモンあんなら密造酒とかロマネ産つって高値でばら撒いてもいいし。やっぱニセモンとは説得力違ぇんだよなァ」
確かに本物は説得力が違う。
リゼルは感心したように頷き、ジルは捕まれと思った。
「だからこそ、彼も往路には細心の注意を払っていたらしいんですけど」
「情報屋が情報抜かれてんのウケる」
「てめぇんとこのが動いてねぇだろうな」
「多分?」
イレヴンは曖昧な返答を寄越しながらケラケラと笑う。
たとえ精鋭のうちの誰かが動いていたとして、それはそれで最短で解決するのだから問題ないだろう。リゼルたちが依頼で動いているのを知れば、己の身の安全を優先してきっぱりと身を引くはずだ。
「精鋭さんが二回も続けて失敗するとは思いませんけど」
「は、なんで?」
「引き際はしっかりしてるので。初見はともかく、二度目を見誤るのはなさそうかなと」
「あ、そっちね」
リゼルが見るかぎり、そのあたりはイレヴンの教育の賜物だと予想している。
教育というよりも、引き際の分からないメンバーはすでに淘汰されているというのが正しいか。今なお生き残っている元フォーキ団のメンバーを眺めているとよく分かる。
自分のルールしか大事でないので、それを侵されなければ変に意地を張ったりもしない。
簡単に捨てられるし、簡単に従えるし、簡単に負けられるし、簡単に台無しにできるのだ。
「ならどっかの盗賊かなんかが来んのか」
「密売人とかかなァ、裏商店が組んだりとか」
「その誰かから通行証を守って、明日の朝にロマネ行きの隊商に渡せば依頼完了です」
つまりは。
「合法的運び屋ですね」
何故か少し誇らしげなリゼルに、ジルとイレヴンは本当に何故なのかと思った。
「隊商って護衛付き?」
「それはもう、過去最高の護衛で固めるって言ってたので」
「ニィサンついてけば?」
「入れねぇのについてってどうすんだよ」
早朝の門前は、数多の通行人で賑わっている。
のんびりと話している三人に、今から旅立つ冒険者たちが「何してんだろう」という目をしながら通り過ぎていく。
そんな光景が十何回目になる頃、悠々と現れた老紳士は一人の女性を連れていた。
話は二日前の夜まで巻き戻る。
ジルとイレヴンは宿の自室で、リゼルから老紳士の依頼について聞いていた。
ついでにクァトも聞いていた。興味深そうではあるものの、口は挟まずのんびりしている。
「絶対内通者いんじゃん」
「そうですよね」
爪にヤスリをかけながら告げたイレヴンに、リゼルも同意した。
ロマネ公国との取引、その交易ルート、まさに商会のトップシークレットに違いない。
それを知る人間など、商会内でも恐らく片手で足りるほどの人数しかいないはずだ。
「そいつ情報屋の頭なんだろ、分かんねぇのかよ」
ベッドに何本もの剣を立てかけ、入念に手入れをしているジルが怪訝そうに言う。
巨蛇との戦闘では、あらゆる武器を使っていた。駄目になったものは置いてきたが、まだ使えそうな剣をジルはしっかり回収している。空いた時間に、その手入れに精を出しているようだ。
自らの手に負えないものは鍛冶屋に任せたらしいが、一体何本の剣を持っているのだろうか。
リゼルはそんなことを考えながら、昼間に顔を合わせた老紳士を思い出す。
「多分、分かってはいるんだと思います」
「なら分かった時点で処分しろよ」
「仮に内通者がいるとして、その相手がすごく優秀なら泳がせるかなと」
「あー……」
イレヴンが納得したように半笑いで頷いた。
リゼルが生まれた時からいたのは、清濁併せ吞む貴族社会だ。全員が清廉潔白というのはあり得ず、思惑を通すための腹芸など当たり前で、むしろそれができない人間は政治に向いていない。
自らの領地に、ひいては国に、最大のメリットを齎すことが第一と考える者ばかりだ。
「国も商会も、存続させることに一番労力がかかりますからね。そこに能力を発揮できるような優秀な人材は手放しがたいですし、そのためなら多少の損失だって必要経費です」
組織が消えれば、もはや損得すら考えるどころではない。
老紳士も野放しにしている訳ではないだろうが、手綱を握ったまま泳がせる程度には好きにさせているらしい。とはいえ代わりの人材が見つかり次第、あっさりと首をすげ替えるのだろうが。
「つっても今回は動くんだろ」
「それこそ、代わりの人材が見つかったのかも」
「ああ……」
「動いたとこ捕まえて自警団送り?」
「それが一番、部下の反感を買わないですしね」
内通者は間違いなく、長く商会に貢献してきた重鎮なのだろう。
容易に切り捨てれば、部下の信頼を失いかねない。だが商会の格を一段も二段も上げるような取引で、ただ妨害するのみならず、同僚に襲撃犯を差し向けるような真似が露見すればどうなるか。
信頼を失い、失墜するのは内通者ただ一人だ。
「ようはパフォーマンスか」
「あのクソ爺っぽい」
「受けたくないですか?」
傍に来たイレヴンに促され、リゼルは素直に手を差し出した。
自らの手入れは終わったらしいが、ついでにリゼルの爪も整えてくれるようだ。
今回が初めて、という訳でもないので自然体で任せる。イレヴンは度々、リゼルの爪を整えたがった。
「嫌じゃねぇけどさァ……」
「報酬は弾んでくれるらしいですよ」
「通行証でもくれんのかよ」
「それは俺も聞いてみましたけど、用意はできても冒険者は入国できないみたいで」
用意はできるのか、とジルとイレヴンは一瞬無言になった。
ジルも冗談半分で口にしたので、まさか肯定が返ってくるとは思ってもみなかったからだ。
「冒険者は全員ムリ?」
「基本的に商人以外は無理らしいです」
「じゃあ商人になりゃ入れんだ」
「転職しますか?」
「じょーーだん」
弾かれたように笑うイレヴンだが、その手元は一切揺らがない。
流石だなと感心しながら、リゼルは少しずつ削られていく爪を眺めていた。
「現物支給は」
ジルは金貨よりロマネの酒が欲しいらしく、それを隠そうともしない。
それもそうだろう。幾ら金を積んでも手に入らない、そういうものの代表格だ。
その希少価値は、空間魔法と比べても引けを取らない。
「交渉済みです」
「やりィ」
「一本だけですけど、融通してもらえますよ」
「充分だろ」
ジルが唇の端を持ち上げるようにして笑みを浮かべる。
イレヴンも乗り気になったようで、これならば老紳士には快い返事ができそうだ。
リゼルは飲めない己を少し悔やむ。どれほどの酒なのかと、気になって仕方がなかった。
「なので、クァト」
「?」
リゼルの呼びかけに、うつらうつらしていたクァトが顔を上げる。
「襲撃犯が来るかもしれないので、当日は別の宿に泊まりますね」
「ん」
「それで一つ、お願いがあって」
「うん」
「できるだけ君も宿に残って、お爺さまとお婆さまを守って欲しいんです」
クァトは鈍色のまつ毛の下で、一度、二度と目を瞬かせた。
リゼルの言葉の意味を考えているのだろう。数秒の間が空いて、彼はこくりと頷いた。
「守る」
「お願いします」
「その、襲撃犯? 来る?」
「可能性はゼロではない、くらいです」
リゼルたちが通行証を持っているとバレた場合にどうなるか。
直接奪いにくるならばともかく、人質をとって交換条件を出される可能性もある。
幸いと言っていいかは分からないが、今のところ、サルスでリゼルたちが懇意にしている相手はそれほど多くない。襲撃犯に入念な下調べをする時間がないことを思えば、条件に上がるのは宿の老夫婦くらいだろう。
なにせ、依頼決行は明後日だ。
今日パーティの了承を得て、明日冒険者ギルドで依頼を受け、明後日に通行証の引き渡し。
余分な情報を漏らさないためとはいえ、流石は老練の商人だ。計画実行がとにかく早い。
「その可能性あんのに断らねぇのか」
「珍しっ」
「それなんですけど」
意外そうな二人に、リゼルは苦笑を返す。
「俺に話を持ってくる前に、もう宿のお二人には了承をとっていたみたいで」
「あ?」
「お爺さま曰く『望むところだ』、お婆さま曰く『受けたい依頼なら受けてちょうだいね、私たちはそっちのほうが嬉しいわ』らしいです」
「つよ」
「むしろ、わざわざ違う宿をとらなくていいのに、とまで言われました」
宿に帰ってきた際、一応の確認に向かったリゼルに、二人は笑ってそう告げたのだ。
遠慮や気遣いなどではなく、たとえ本当に襲撃を受けようが本気で気にしないのだろう。
そう如実に伝わってくるような言葉だった。安心して依頼を受けられるというものだ。
「でも、別の宿、行く?」
「はい。依頼人の方が用意してくれた宿です」
「あー、はいはい、で、その情報流すんだ?」
「内通者が襲撃犯にコンタクトをとるところを押さえたいですしね」
とはいえ、内通者云々はリゼルたちが勝手に予想しているにすぎない。
老紳士は敢えてそれを悟らせるような説明をしたが、基本的には依頼に関係する内容ではなかった。親切心で、こういう裏事情があるよと知らせてくれただけだろう。
話も散らかってきたしと、リゼルは改めて依頼内容の全容を口にする。
「依頼は、ロマネへの通行証を丸一日守ること」
「りょうかーい」
「通行証を狙う相手が現れるかもしれないので要注意です」
「了解」
「美味しいお酒を飲むために頑張りましょうね」
「リーダーも飲む?」
「飲ませんな」
リゼルは少しばかり残念に思いつつ、老紳士へと依頼を受ける旨を伝えたのだった。
そして依頼当日、リゼルたちは老紳士から一冊の本を受け取った。
「私のおすすめだ。楽しんでくれると嬉しいな」
「有難うございます」
リゼルは微笑む。受け取った本こそが通行証なのだろう。
間に挟まっているのか、それこそ本自体が通行証の役割を持つのか。
老紳士の言い方からして、目を通しても問題のない本なのだろう。あとで中を覗いてみよう、なんて思いながら丁寧にポーチへと仕舞った。
「それで、そちらの方は……」
「ああ、彼女はうちで外交を担当してくれていてね」
老紳士の紹介に、女性は挨拶として礼儀正しく腰を折ってみせた。
年頃は妙齢で、しっかりと結い上げた髪と襟付きのシャツがよく似合っている。
冒険者相手にも礼を尽くしてくれるのは、流石は外交担当か。振る舞いに嫌味がなく、言葉遣い一つとっても親しみを抱きやすい。そんな女性だった。
「ロマネとの取引も、ここ十年は彼女が担当してくれているんだ」
「なら、襲撃にあったのも?」
「そうだね。幸いにも、傷一つ負ったことはないが」
リゼルの気遣うような視線にも、女性はあっさりとした笑みを浮かべてみせる。
そもそもロマネとの交易には襲撃が付きもの。往路での襲撃が問題視されているだけで、復路では毎年欠かさず、護衛が盗賊を千切っては投げ千切っては投げといった光景が見られるという。
それで気圧されるようであれば、初めから担当など任されていないのだろう。
「彼女にはこの後すぐ、護衛をつれてロマネへと出発してもらう」
賑やかな空気のなか、老紳士がわずかに声を潜めた。
その言葉に、イレヴンが控えめながらも怪訝そうな声を上げる。
「はァ? 通行証は?」
「囮っつうことだろ」
「今日出発と見せかけて、明日に本命の隊商が通行証を持って出発する、ですか?」
「そう、ルートもメンバーも変える」
老紳士が笑みを深め、意味ありげに片眉を持ち上げてみせた。
「これを知っているのは、ロマネとの交易に携わる者だけでね。私と、君たち、彼女と、ここにはいないが後二人だけだ。今日、彼女に同行する護衛たちにも伝えていない」
「雇い主クズで可哀そう」
「つっても護衛はやること変わんねぇだろ」
「もちろん報酬に色はつけるよ。君たちも、くれぐれも他者に漏らすことのないように」
「分かりました」
頷くリゼルに老紳士は軽くハットを上げて、大橋へと靴先を向けた。
「宿も好きに使ってくれていいから。じゃあ、よろしく頼むよ」
出発する隊商を見送るのだろう。
女性と共に去っていく老紳士を見送りながら、ふむとリゼルは思案する。
並ぶ二人の背中は親しげで、随分と付き合いが長いのだろうと思わせた。女性が外交を任されるようになって十年と言っていたし、短くとも二十年以上の付き合いがあるはずだ。
手塩にかけて育てた自慢の部下なのだろう。いつか自分が支えようと憧れる上司なのだろう。
深い信頼関係がある、そう思わせる二人だった。
「(なら、もしかして)」
「リーダー?」
思考に耽っていると、ふと名前を呼ばれた。
行かないのかと不思議そうな瞳が二対、まっすぐにリゼルへと向けられている。
「いえ、行きましょうか」
三人は、老紳士が手配した宿へと真っすぐに向かうことにした。
もちろん道中でしっかりと食糧を調達する。腹が減っては攻略できぬ、冒険者の常識だった。
老紳士によって手配された宿は、比較的門に近い市街地にあった。
特別栄えている訳でも、廃れている訳でもない。昼間は人の往来が途切れないが、飲食店などは一つ隣の通りにあるので、夜になると時折水音が聞こえるだけの静寂が落ちる。
四階建てで、二階から四階が客室。ワンフロアに三つの部屋があり、その他設備は一階に集められている。特出したところのない、綺麗にまとまった宿だった。
「誰も泊まりに来ないですね」
「そもそも宿の人間がいねぇよ」
「絶対わざとじゃん」
リゼルたちは四階の真ん中の部屋に陣取っていた。
時刻は夜。昼間はまったく平和だったので、今のところ三人はのんびりしているだけだった。
元々、昼間に何かあるとは思っていない。何をするにも人目につくので、後ろ暗いことをしようとしている人間は活動を避けるだろう。
折角、夜には人気がなくなるのだ。襲撃があるとすれば夜か、もしくは明け方だろう。
「クソ爺の持ち宿だったりすんのかな」
「好きに使えっつってんならそうなんだろ」
「手広くやってますね」
リゼルたちはすっかりと夕食も済ませ、今はカードゲームに興じていた。
これも立派に依頼に関係がある。三人揃って寝る訳にもいかないので、見張りの順番を決めているのだ。ついでに、どのベッドを使うのかも。
どの部屋にもベッドが三つずつあったのは、普段からそうなのか、それともリゼルたちに合わせてセッティングしたのか。
普通ならば後者など思いつきもしないのだが、相手が相手なだけにやや疑わしい。
なにせ老紳士はインサイの旧友、もとい腐れ縁。大侵攻の際には空き家を用意し、世話役を派遣し、危機的状況にあって上げ膳据え膳の環境を整えた男と、知己の仲なのだから。
「あ、アガリです」
「うわ、久々負けた」
「最初の見張り、貰いますね」
「ベッドは真ん中使え」
「分かりました」
ベッドを選ぶ権利をさりげなく奪われたが、リゼルは気にしない。
その後のゲームで、ジルが窓際、イレヴンが扉側のベッドを使うことになった。
襲撃を見据えて選んだ、というよりもただの好みだろう。イレヴンは朝が眩しいという理由で窓際を嫌い、ジルは朝に目を覚ましやすいからと窓際を好みがちだ。
「じゃあジル、次に起こしますね」
「ああ」
「寝よ寝よ」
「おやすみなさい」
ジルとイレヴンが、装備の上着だけ脱いでベッドに潜っていく。
それぞれの剣は枕元に立てかけていたり、腰元に置いていたりと個性が出ていた。
リゼルには分からないが、置く場所によって剣が抜けやすい抜けにくいがあるのだろう。
「(明かり、つけっぱなしだけど)」
寝られるのだろうか、と毛布に潜り込んだジルたちを眺める。
三人は今いる部屋以外、全ての客室の明かりをつけ、更にカーテンも閉めていた。
これで外から見ても、どこの部屋に誰がいるのか見分けがつかないだろう。
明かりを全て消す案もあったのだが、有事の際に立ち回りにくいからとこちらを選んだ。
「(さて)」
リゼルはいそいそとポーチから一冊の本を取り出した。
通行証として老紳士に渡されたものだ。昼の間にひと通り目は通しているものの、ほぼ流し読みだったのでじっくりと読み込みたかった。
この本だが、なんと一冊丸ごと通行証というとんでもないものだった。
まずは国の紋章が緻密に描かれており、続いてロマネ公国におけるあらゆる組織、栽培管理者、醸造所、ビン製造所、ラベル製作所などの印章が捺されている。
続いて国産の酒の流通を認める旨と、本の持ち主である老紳士の商会の細かい情報。過去の入国記録、種類別の取引数、一本一本の金額はもちろん、それがどこの果実園や畑からとれたものを使っているのかまで、詳らかに記載されていた。
更には何十ページにもおよぶ流通規約まであり、流通の始点となる商人たちにはかなりの責任が伴うのだろうと伝えてくる。
とはいえ二次流通に関しては、そこまで徹底されている印象はないが。
「(ブランドイメージを下げないため、かな)」
敢えて数量制限をして、希少性を高めているようにも思えない。
ならば手間暇かけ、妥協せず、最高品質を極めた酒が正当に扱われるための決まり事だ。
「(勿体ないなぁ)」
そんな比類なき逸品ではなく、ただ金になるだけの通行証が狙われる。
価値の逆転が起きているのではと思わずにはいられなかった。
「(来るかな)」
来るだろう。襲撃者は、必ず来る。
それが老紳士にとって、もっとも 都(・) 合(・) が(・) い(・) い(・) からだ。
「(頑張ろう)」
リゼルは気合を入れた。
それというのも、自分が見張りの時に襲撃があった場合、できるだけ一人で頑張ってみるとジルとイレヴンには伝えてあった。
深い理由はない。ジルやイレヴンだったら、誰も起こさず片付けるだろうと思ったからだ。
自身の実力を二人と並べるつもりはないが、二人を起こさずに済むのならそれに越したことはない。とはいえ依頼に私情を挟んで失敗する訳にもいかないので、無理そうなら遠慮なく起こすことになるだろう。
そのまま読書を続け、リゼルがロマネ公国の流通規定を修めようとした頃だった。
ふと物音がした気がした。金属音のような音で、階下から聞こえてきたようだった。
リゼルは通行証を閉じて、静かに椅子から立ち上がりながら耳を澄ます。
通りすがりの誰かが、ドアノブに袖を引っかけただけならそれでいい。だが続いて聞こえてきたのは、ガチンと金属製の何かを叩いたような音だった。
「(慣れてそうかも)」
音は一度きりで、こじ開けようと試行錯誤する様子もない。
その一度だけならば、近所の人間も不審に思うこともないだろう。それこそ、誰かが飲んで帰ってきて玄関を開け損ねたかと、そう思われるだけだ。
リゼルはいまだ眠り続けているジルとイレヴンを見る。
いや、眠り続けるフリをしてくれているジルとイレヴンを、だ。任せてくれるらしい。
「(よし)」
リゼルはまず、通行証を安全なところに隠すことにした。
なるべく静かにジルのベッドに歩み寄り、ずぼりと彼の頭が載っている枕の下に突っ込む。
流石に予想外だったのか、小さく唸るのが聞こえた。安全性を重視した結果なので許してほしい。
「(後は)」
襲撃犯はすでに侵入してきているだろうか。
扉に顔を寄せ、足音から何人が来ているのかを探ろうとする。分かるはずもなかった。
「う~ん足音は三人分むにゃむにゃ」
棒読みの寝言がイレヴンから零れた。素直に有難い。
リゼルがこういう時に参考にするのは、ジルやイレヴンだったり、後は元の世界で公爵家の警備を務めてくれた白い軍服の人々だったりと、ある意味でプロフェッショナルと呼ばれるような面々だった。
前者は護衛依頼で、後者は日常の警備で、誰か何かを守るような振る舞いを目にする。つまりはもっとも身近な手本なのだが、実力が秀ですぎていてリゼルが実行するには難がある。
というのを、リゼルは今思い知っていた。
「(とはいえ、言ったからには頑張らないと)」
真似をしようとするから駄目なのだ。
自分らしく通行証を守ればいい。その通行証がジルの頭の下にある今、失敗を気にせず試したいことを試せるのだから、この機会に護衛依頼の経験を積んでおくべきだ。
「(一階から順番に確認してるのかも)」
玄関をこじ開けた時よりも小さな音が、断続的にリゼルの耳に届く。
もはや、こちらにバレても問題ないと考えているのだろう。一階を押さえてしまえば逃げられない、襲撃者たちがそう考えても不思議ではなかった。
「(銃は……近所迷惑だな。誰かが確認に来て、巻き込んだら申し訳ないし)」
ならば、と魔法を発動しようとした時だ。
「う~んむにゃむにゃ窓の外」
再びの棒読み寝言に、外かとリゼルはひとまずそちらを優先した。
下から登ってくるとは考えにくいので、屋根からロープでも使うのだろう。確かに玄関をこじ開け、客室の扉を破るよりは、窓を開けるほうがよっぽど簡単だ。
窓枠から外れるように窓の傍に立ち、カーテンの僅かな隙間からそっと外を窺う。
どうやら、カーテンを開けたらいきなり襲撃犯が、ということにはならなそうだ。
「(先手を取りたいな)」
リゼルはそっとカーテンを開き、窓を大きく開けて身を乗り出した。
その背後ではジルが、落ちないように手だけを伸ばしてリゼルの服の裾を掴んでいる。
「あ」
「!」
今まさに隣の窓から侵入しようとしている男と目が合った。
咄嗟に魔法を発動。いつか劇団の壇上に登った時の、光を遮った暗闇の箱を作り出す。
位置は襲撃犯の頭。視界を奪われた襲撃犯が、何が起こったのか分からず手を振り回す。
ちなみに魔物相手には滅多に使わない。動くのが早すぎて発動位置が掴めないからだ。
「(うん、ひとまず大丈夫)」
ロープを支えているだろう相手が、パニックを起こす男を叱責する声が聞こえる。
リゼルからは屋根が邪魔で見えなかったが、それは相手からも見えていないということだ。何が起こったか分からないのは、突然視界を奪われて暴れる男も、ロープを支える相手も変わらない。
これで少し時間が稼げると、リゼルはいそいそと部屋の扉に戻る。
「(もう来るかも)」
鍵を壊しながら近づいてくる音は近い。
リゼルは部屋を出て、シーツを被って階段の陰に隠れる。迎え撃つにはいい位置だろう。
部屋の明かりは廊下に漏れず、真っ暗で、階下の明かりだけが階段の途中まで滲んでいた。
「いたか」
「いない、上だ」
潜められた声が、階段のすぐ下から聞こえてくる。
ところでリゼルとしては、可能なかぎり襲撃犯を無力化して老紳士に引き渡したい。
情報屋というからには、情報を引き出すのもお手の物だろう。ならば生かしたまま引き渡せば、十二分に活用し、宿の壊れた箇所の修理代ぐらいは軽く回収できるはずだ。
だが、その無力化というのが難しい。
この手の相手に戦意喪失を狙うのは望み薄で、縄で全身を縛りでもしなければ抵抗を続けるだろう。理想は気絶状態に持っていくことだが、何をどうすれば確実に襲撃犯が気絶してくれるのかが分からない。
よってリゼルは今回、事前にイレヴンから麻痺毒を受け取っている。
「行くぞ」
その囁きを最後に、襲撃犯たちの声が止んだ。
リゼルの前を襲撃犯の三人が通りすぎていく。ダン、と屋根の上で物音がした。
屋根の上に配置した仲間がミスをしたかと思ったのか、三人のうちの一人が舌打ちを零す。
同時に、リゼルは廊下の奥に小さな光を灯してみせた。
「なんだ……?」
淡い光は揺れて、襲撃犯たちから離れるように廊下の暗闇を泳ぐ。
襲撃犯たちはそちらに気を取られ、追いかけるようにゆっくりと足を踏み出した。
リゼルの目の前に、三人分の無防備な背中が現れる。傍に置いておいた瓶をそっと引き寄せ、そこに刺さる非常に攻撃力の高そうな針を数本引き抜き、ダーツのように狙いを定めた。
イレヴン曰く、掠ればいいとのこと。リゼルでも簡単に扱える。
「い、ぐ」
「ぁ」
「なん……、ッ」
ぺいぺいと十本ほど立て続けに投げれば、なんとか三人を昏倒させることに成功した。
よし、と笑みを浮かべて立ち上がる。それにしても抵抗なく綺麗に倒れてくれたものだ。
リゼルは少しばかり自画自賛しながら、廊下に折り重なるように倒れてピクリとも動かない襲撃犯へと歩み寄る。麻痺毒というぐらいだし、体が動かないだけで意識は残っているのだろうかと、一人の顔を覗きこんでみた。
「?」
白目を剝いていた。
麻痺毒だったはずと、リゼルは握っていた瓶をまじまじと確認する。残念ながらラベルはなかったが、イレヴンが匂いを嗅いで確認するのを見ていたので間違いないはずだ。
だが現実に、倒れ伏している襲撃犯たちは呻き声も上げない。
「(ひとまず、屋根のほうを先に対処しないと)」
リゼルは襲撃犯たちの容態を後回しにして、部屋に戻った。
先程の音は、恐らくロープでぶら下がっていた男が屋根に引き上げられた音だろう。
ならばもう、視界を奪っていた魔法は消えているはずだ。大きく移動すると普通に外れる。
「(この部屋に来るから)」
相手は既に襲撃がバレていることを知っている。
ならば奇襲はなく、早期制圧に移るだろう。今にも窓を蹴破って飛び込んでくるはずだ。
それは困る。ジルとイレヴンが起きてしまう。もう起きているのは置いておく。
静かに速足で窓へと近づいた。カーテンを開き、窓も開けようと手をかける。
「(壁を)」
目にしたのは、もはや隠密を捨てて窓を破ろうとする二つの靴底だった。
リゼルは魔力防壁を展開する。防壁だけは最初から、いつでも使えるように幾つか用意していた。よってタイムラグなしに発動することができる。
窓の外側に張ったそれに、窓を突き破ろうとした勢いのまま襲撃犯が激突する。
ほっとするリゼルの後ろでは、飛び出しかけたジルとイレヴンが密かに毛布の中に戻っていた。
「あ」
リゼルは小さく声を零した。
防壁に跳ね返った男が、大きく体勢を崩す。その勢いが凄まじかったのだろう。
屋根から伸びるロープが撓んだかと思えば、屋根の上にいただろう相手ごと落下していった。
「……」
そろ、と窓の外を覗いてみる。
呻く声は聞こえるので、生きてはいるのだろう。結果オーライだった。
リゼルは廊下に戻ると、まずは落ちている針を丁寧に拾った。
目で見て分かる範囲で麻痺毒が散っていないか確認して、零れているようなら隠れるのに使ったシーツでふき取る。それでも少し心配なので、老紳士には入念な清掃をお願いしたほうが良さそうだ。
十本間違いなく回収した針は、瓶に戻してシーツと一緒に廊下の端に置いておく。
倒れ伏している襲撃犯は、いまだに回復の兆しを見せない。呼吸はしているようだが。
「(外の人たちも中に入れておかないと)」
朝になって、通りがかったサルス国民が見つけてしまったら可哀想だ。
リゼルは魔法で明かりを灯しながら、いたって穏やかな歩調で階段を下りていく。
夜の宿が闇に閉ざされるのはどこも同じなので、慣れたものだった。
「(やっぱり壊されてる)」
辿り着いた玄関の扉は、鍵の部分が歪に割れてしまっていた。
振り返れば、他の部屋も全て戸が開きっぱなしになっている。夜に見ると少し怖い。
「あれ」
僅かに軋む扉を開けば、そこには手際よく襲撃犯二人を縛り上げる精鋭がいた。
長い前髪で両目を隠した彼は、どうもと軽い挨拶を口にしながらロープを巻きつけていく。
ロープは襲撃犯が使っていたものだ。その場にあったものを生かすのは、ただ用意するのが面倒だったのか、それとも他人のものを使うことで己の痕跡を極力残さないようにしているのか。
「精鋭さん、この二人必要でした?」
「いえ、逃げようとしてたんで一応」
「あ、助かります」
リゼルは微笑み、精鋭から襲撃犯を受け取ろうとした。
だが、なんとか引き摺ろうとした段階で止められる。襲撃犯は精鋭の手で宿に入れられた。
丁寧に口も塞いでくれているので、これなら朝までは静かにしてくれるだろう。素晴らしいと称賛を送れば、精鋭はなんとも言えない顔をして去っていった。
「よし」
これで後片付けも済んだと、リゼルは部屋に戻る。
明日の朝、貰った瓶は麻痺毒で間違いなかったのかとイレヴンに聞かなければ。少し眠くなってきた頭でそんなことを思いながら、そろそろだろうと眠るジルに見張り交代の声をかけるのだった。
翌日、リゼルたちから通行証を受け取った老紳士は言った。
「これは実は偽物でね。内容自体に違いはないんだが、通行証としては使えない」
「希少なものを読ませてもらいました」
「君ならそう言うと思ったよ」
満足そうに、穏やかに微笑みあう二人に、ジルとイレヴンは胡乱な眼差しを送る。
二人とも、そうかもしれないとは思っていた。これほど貴重なものを冒険者に預けるのかと。
思ってはいたが、こうもあっさりと暴露されるとは思わなかったのだ。
「本物は、昨日紹介いただいた女性の方が持ってるんですね」
「そう、結局いつもどおりだ。――ああ、交易ルートは少し変えたけれど」
「内通者も炙り出せましたか?」
「やはり君にはバレてしまうね」
老紳士が肩を揺らして笑みを零す。
なんてことはない。囮は隊商ではなく、リゼルたちだっただけのことだ。運び屋兼、囮だ。
リゼルたちと老紳士が指名依頼という形で協力関係を結んだ、それを知るのは極々限られた幹部のみ。その限られた者たちに、通行証は冒険者パーティに預けたこと、冒険者たちには念のために宿を用意したことを伝えていた。
それすら嘘であると、それを知るのは老紳士と先日の女性のみ。
内通者は老紳士の嘘を信じ、リゼルたちの下へと襲撃者たちを送り込んだのだろう。
「つうか襲撃者と接触している時点でそいつ捕まえろよ」
イレヴンが不機嫌そうに告げる。
それもそうだろう。悪行の証拠としては、襲撃者との取引だけでも十分だった。
だが、老紳士は襲撃者たちを見逃した。いや、リゼルたちを囮にして対処させたのだ。
「残すと面倒なんだろ」
ジルが面倒そうにそう零した。
「通行証奪えば甘い蜜吸えるって知ったからな」
「過去二年の交易ルートも割れてますし、放っておくにはリスクが高いですよね」
「そんなん俺ら関係ねぇじゃん」
「そう、関係ないんです」
不貞腐れたようなイレヴンに、リゼルは思い出させるように告げる。
それは老夫婦の宿で、依頼を受けるかどうかを決めた時に口にした内容だ。
「おさらいです。今回の依頼は?」
「……ロマネの通行証守る」
「注意が必要なのは?」
「……通行証を狙う奴いるかも」
つまり老紳士は、依頼内容に反することをリゼルたち冒険者にさせていない。
よっぽど悪質であれば冒険者ギルドも動くが、今回はただ伝えられていないことがあるというだけだ。商人であれば守秘義務もあるだろうと、誰も問題視はしないだろう。
更に機嫌を損ねてしまったイレヴンを、リゼルはよしよしと撫でてやりながら老紳士を見る。
やり方に納得はできるが、なんとなく彼らしくないと思ったからだ。
「報酬は冒険者ギルドに預けるから、そちらで受け取ってくれるかな。ただ、約束の品については隊商が戻るまで待ってもらう必要があるね」
「分かりました」
「ああ、けれど、そうだな」
ふいに老紳士が、芝居がかった仕草で首を振った。
「君たちには、随分と負担をかけてしまった。私の説明不足が原因だろう」
それについては問題ないという結論になったのでは、とリゼルたちは顔を見合わせる。
それを見た老紳士は目尻の皺を深め、ハットの下でゆっくりと片眼を瞑ってみせた。
「もし、何か困りごとができたら言いなさい。借りはきちんと返すのが商人だからね」
そういうことかと、リゼルは可笑しそうに破顔した。
最初から老紳士は言っていたのだ。アスタルニア王家への紹介の礼がしたいと。自分の感謝の気持ちだからとそれを断ったリゼルに、それにしても恩を受けすぎではないかと確かに言っていた。
つまりこれは、改めて恩を返す機会を設けようというパフォーマンスでもあったのだ。
「コネ作り慣れてる商人だな」
「ジャッジもいつかこうなんのかな」
「あいつは恩コレクションして満足するタイプだろ」
「あー……リーダーにこうしてあげられたぞ嬉しいなァ的な?」
好き勝手話している二人を尻目に、リゼルは観念したように苦笑した。
「機会があれば、ぜひ」
「ああ、待っているよ」
いつもどおり人好きのする表情を浮かべた老紳士が、落ち着いた声色で優しく告げる。
流石は歴戦の古豪、自分のような若輩はまだまだ敵わないなと、リゼルはもう一度苦笑を零した。
その日、老夫婦の宿に戻った後のこと。
部屋に入ると、呆然と窓から空を眺めているクァトがいた。
「クァト、どうしたんですか?」
「なんか……凄い、凄かった……」
「え?」
「襲撃、あった……でも、俺、何もしてない」
「それは」
「じいさまと、ばあさまが……凄かった……」
リゼルたちはいろいろ悟り、ひとまず感謝を伝えておこうと部屋を出たのだった。