軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

閑話:ある日のアスタルニアの風景

アスタルニアのとある朝。

そこで宿主は、今日も代わり映えのない日々を送っていた。

「全室空き部屋になった」

遠い目をして、握り締めた箒をただ無心に動かす。

宿主の宿は、割と客の入りにムラがあった。コンスタントに八割埋まっている、というのが恐らく宿の理想なのだろうが、この宿はこうしてぽっかりと客足が途絶える瞬間が多々ある。

宿主の宿は格安という訳でもない。

一泊するだけならば安い宿でいいと考える者も多く、逆は少数派。結果として、長期で利用する常連客が多くなる。そういった常連客は、宿泊を終えると次は数年後という者も多い。

常連自体は有難いことだが、やはり新規の客にもガンガン利用してもらいたかった。

そしてあわよくば定宿にしてほしい。個室とかもがっつり利用してほしい。

「個室のベッド二段にしよっかなー」

正直、個室よりも二人部屋のほうが需要はある。

だが、他ではあまり見ない個室も立派な宿の売り。勿論、値段を考えると割高ではあるのだが、少ないながらも需要はあるのだ。アスタルニアの外から来る人々は、不思議なことに一人の空間を好むタイプが少なくない。

アスタルニアではあまり馴染みのない感性だが、そういう人もいるだろうと宿主は気にしない。なにせ個室の長期利用が、売り上げ的にも日々のメンテナンス的にも一番嬉しいので。

「個室なくして貴族なお客さんたちが別の宿行ったらショックすぎるし……」

全開にしている玄関から、土埃を掃き出しながら宿主はもの寂しく笑う。

何故なら、簡単に想像できたからだ。もしリゼルたちがアスタルニアを再訪するとして、きっと宿には自らの宿を選んでくれるはず。そうに違いない。そう信じている。別れ際にも約束したし。

そうなった時に、もし個室をなくしたことを伝えればどうなるだろうか。

『実は個室なくしたんっすわー』

『あ、じゃあ違うところにしますね』

想像上のリゼルは特に未練もなく、酷くあっさりと微笑んで去っていった。

宿主は崩れ落ちる。玄関先で崩れ落ちたせいで、通りすがりの男児たちに囲まれてヤンヤヤンヤと囃し立てられた。ついでに、常にいい感じの棒に飢えている男児たちによって箒まで奪われてしまう。

「終わったらここ置いとけよ! そこらへんに捨ててくんなよ!」

走り去っていく男児らに呼びかければ、返事だけは元気いっぱい返ってきた。

そして宿主は立ち上がる。やはり個室はなくせないなと、そう決意した。

「つっても貴族なお客さんたち、どうしても個室って風でもない気もする……」

呟いて、宿の中へ。

リゼルたちがアスタルニアを再訪する時、恐らく次は四人だろうか。以前、何故か行先を告げられないままに別行動をとっていたクァトのことを思い出す。

あの時は色々な意味で驚いた。無事に合流できていればいいのだが。

「呼び込みでも行こっかなー」

客がいないと暇で仕方ない。

宿主は出かける準備を整える。といっても、手作りの看板を持つだけだが。

宿の呼び込みの定番は門だ。外からやってきた人々に、宿のマークが描かれた看板を振り回しながら「今日の宿はぜひここに!」とアピールしまくるのが定石で、同じ狙いを持つ同業者とベストポジションを争い続ける熾烈な戦いの場となっている。

更には、ベストポジションを争う相手は同業者だけではない。

馬を預けるならぜひうちに、と声を張り上げる馬房の主もいれば、長旅で喉が渇いたらぜひこれを、とアスタルニアらしさ全開のヤシの実を売りつけようとする物売りもいる。

ちなみに、宿主の勝率はそれなりに高かった。

「おっし!」

看板を手に、気合を入れて宿を出ようとした時だ。

「お手紙でーす」

「あ、どうも」

若干出鼻を挫かれた。

郵便ギルド職員が、慣れたように専用の鞄から手紙を差し出してくる。宿主はひとまず看板を玄関に立てかけ、その場で手紙の確認を始めた。

手紙は二通。去っていく職員に労いの言葉を送りつつ、一通ずつ裏返して送り主を確認する。

「えーっと、ああ、常連さん。はいはい、部屋空けといてって連絡ね」

一通目は、父親が宿を経営していた時代からの常連客だった。

非常に律儀な相手で、毎度こうして事前に宿泊を知らせてくれる。宿主としても有難いが、こういったタイプは非常に稀有だ。超人気宿でいつも部屋が埋まっている、という訳でもないのでいいのだが。突然の来訪だろうが大歓迎。

「心配しなくても空いてまーすよ」

近くの棚から宿帳を取り出し、該当の人物のページを捲る。

もはや色褪せた紙面。その後ろには、足りなくなる度に何度も新しい用紙を差し込んでいる。

宿主は、同じ人物のページに並んだ宿泊記録を見るのが大好きだ。ニヤニヤとしながら、手紙に書かれていた予定を書きこんでおく。律儀なだけに、予定している日程がズレることもないだろう。

「で、もう一通はー……」

読み終えた手紙を宿帳に挟んで、残る一通を裏返した。

書かれていたのは、リゼルの名。喉から変な声が出た。

「き、貴族なお客さん……ッ」

まさかの相手に、宿主は無駄に宿の中をうろつきながら何度も封筒を確認する。

間違いなく、あて先は己の宿であり、差出人はリゼルだった。封筒は純白のもので、少し右肩上がりだが流麗な文字が綴られている。謎の感動を覚え、思わず両手で手紙を持ち直してしまった。

「何、何で? 俺に?」

破るのは躊躇われるが、ペーパーナイフなどという洒落たものなどない。

宿主は指先で少しずつ封を切る。封蠟とか使わないんだ、と意外に思うも、そういえば冒険者だったかと思い直した。もはや何度目かという自問自答だが、いつまで経っても違和感しかないのだから仕方ない。

「そういや、前の宿の女将さんとかにも書いてたなぁ……」

突っ立ったまま、ちまちまと封を切りながら思い出に浸る。

以前に泊まっていた宿の女将にお礼状を書いたのだ、と郵便ギルドの場所を聞かれたことが懐かしい。律儀なことだとその時は感心したが、こうして貰う立場になってみると嬉しいものだ。

「お礼状、か」

ただ、少しばかり寂しい気がするなと苦笑いする。

王都の女将とやらに送る手紙に、何が書いてあったのかは知らない。だが、お礼状という響きが少しばかり他人行儀な気がしたからだ。聞く限り、随分と親しくしている間柄だったというので、余計に。

自分も、リゼルにとってそういう相手になってしまったのだろうか。

お礼状を送って、一区切り。宿の客人が元気に旅立っていったというのは歓迎すべきことだが、それはそれとしてもの悲しくなってしまうものだ。

そう宿主は悟ったような顔をして、何枚かに分かれている手紙の束を取り出した。

随分と枚数が多い。やはり格式ばった挨拶状には、季節の挨拶やら何やら、そういうものがつらつらと書き綴られていて長くなるのだろう。

訳知り顔で頷いて、一枚だけ独立して折りたたまれている手紙をゆっくりと開いた。

「魚拓!!」

魚拓だった。

「え、何、あっ、端っこに釣った日付と貴族なお客さんのサイン書いてある! しかも『種喰いワームで釣れました』とか一言添えてある! あ、俺が教えたとおりにしたら釣れたよって報告してくれたってこと!? 覚えててくれてありがとねお客さん!!」

動揺のままに歩き回りながら、数枚綴りで折りたたまれた手紙を開く。

こちらが本文だったようで、一枚だけ分厚いからと先に開いてしまった魚拓に、開く順番を間違えたことを悟った。わざわざ手紙の間から抜き取って開くべきではなかった。

「えーと何々……『宿主さんへ』、はい、俺ですよ。おお、やっぱちゃんとした季節の挨拶から始まってる……で、今はサルスね、成程、何処か分からんけど。へぇ、湖の上の国、え、すっご、絵本みたい……あ、だから魚とか釣れるのね、はいはい、そんで釣ったから見せたかった、と……」

ざっくり読み終わり、宿主は手紙から顔を上げて天井を見上げる。

確かに挨拶文も兼ねてはいたが、なんだか思っていたようなものとは違った。

恐らく、王都の女将とやらに出した手紙も似たような感じだったのだろう。宿主の記憶が徐々に蘇ってくる。

そういえば、郵便ギルドについて尋ねられた前の日、リゼルにレシピを聞かれた気がする。

確か朝食に出したパンで、アスタルニアの朝食には定番のもの。元は船乗りのための保存食で、少し硬めに作るものだが(それでも本物よりは余程柔らかいはずだが)、リゼルは興味深そうにしながらも美味しいと言ってくれた。

その時に、作り方を聞かれた気がする。

とはいえアスタルニアでは定番の品なので、特別こうという作り方もないのだが、幾つかコツを教えた覚えもあった。その時に、このレシピを人に教えてもいいか、と聞かれた覚えも。

もしかしなくとも、そのレシピは王都の女将へと贈られたのだろう。

宿主は魚拓を眺めながら思う。これらの一体どこが、他人行儀だというのか。

「俺『お礼状、か……』とか言っちゃったんだけど」

しかも悟ったようにもの悲しげな笑みで言ってしまった。恥ずかしい。

今更ながら異様に恥ずかしい。誰にも見られてなくて良かった、と無駄に階段を上ったり下りたりしながら、さてこの魚拓はどこに飾ろうかと内装を見回した。立派な額縁とかに飾りたくなってしまう。

「にしても手紙まだあんだよな。なんだろ」

数枚の手紙が折りたたまれたものが、もう一組。

お礼状や近況報告はすでに読んでいるので、また別の内容だろうか。そう思いながら広げた手紙の書き出しに、ナハスの名前を見つけて慌てて閉じる。

「やっべナハスのじゃん。ああそっか、余所からうちに出そうと思うと制限あんのか」

アスタルニアは、とにかく他国からの来訪が困難だ。

郵便ギルドでも行き来できる職員が限られており、一度に運べる手紙の量も厳密に定められているので、大体の場合は一人一通までしか受け付けてもらえない。

よってリゼルのように複数人に送りたい場合は、一つの封筒に数人分の手紙を入れるのが一般的だ。送り先が全員既知の仲であることが条件なので、実際にそうする者は少数派だが。

とはいえ、他国からアスタルニアに送る分には比較的多い。

何故なら受け取り手がアスタルニアの人間だった場合、「ここら辺に住む誰々にもう一通は渡しておいてくれ」と書いておくと大体どうにかなる。アスタルニア国民は、少しくらい他人に手紙を読まれようが気にしない。

「ちょい見ていい?」

それは宿主も例に漏れなかった。

居もしないナハスに確認をとり、チラリと折りたたまれた手紙の端を捲る。

さてさて何が書かれているのか。ナハスへの手紙だから、他国の魔鳥情報でも書かれているのか。もしや他国の軍事機密がリゼルを通して密かにアスタルニアの魔鳥騎兵団に流れていたり……というのも熱いかもしれない。

そうニヤニヤ戯れつつ、わざとらしく細めた目でこっそりと手紙の後半だろう部分を眺め、

「……」

静かに手紙を閉じる。

断じて詳細は読んでいない。等間隔で並んだ読みやすい文章を、ひと目眺めただけだ。

ただそれだけで、宿主の目に飛び込んできた単語が幾つかある。

ナハス、殿下、情報屋、アスタルニア、腕輪、抜け道。

特に二番目がやばい。二番目さえなければ「おっ、なんだか男のロマンを感じる」で済んだものを。二番目のせいで全ての単語が全力で宿主の心臓を殴りつけてきている。動悸が激しい。

宿主は一周回って表面上は冷静になりながら、無表情で手紙を封筒へとしまう。

そして、手紙を握り締めたまま宿を飛び出した。手紙を握り締める手からは冷や汗が止まらない。

「なんで俺経由すんの!?!?」

目指すは、魔鳥バカの友人がいるであろう王宮だった。

ナハスは頭を抱えながら王宮の廊下を歩く。

向かう先は王宮の深部。ある時期から頻繁に行き来するようになり、またある時期からあまり縁のなくなった場所。並んだ柱の影が横たわる廊下を歩き、擦れ違う王宮守備兵に驚いたような顔を向けられ、辿り着いたのは半地下へと繋がる階段だった。

まるで隠されるようにひっそりとある階段の前には、一人の守備兵が立っている。

中にいる人物、この場所そのものの価値を思えば当然だろう。ナハスは守備兵と軽く挨拶を交わし、気を落ち着けるようにゆっくりと息を吐いて、そして階段の奥にある扉へと足を踏み入れた。

扉は重い。たとえ大雨に廊下が水没しようが、浸水を拒むほどに頑丈だ。

「……失礼いたします」

入室し、声をかける。

見渡す限りの書架の海があった。それらは余白を許さないと言わんばかりに、空間を埋め尽くす。それでも尚、入りきらぬ書物が書架の上に床にと積み上げられていた。

四方の壁も、見上げるほどの書架の崖。所々のランプにのみ照らされている空間は、良い言い方をすれば温かみのある仄明かりを、悪い言い方をすれば気分の落ちそうな薄暗さを感じさせた。

痛烈な太陽の光に慣れたアスタルニア民にとっては、後者の印象が強いか。

「……」

目的の相手は、いまだ見えない。

返答もいまだ、返ってはこない。

ナハスは手にした皺くちゃの封筒を一瞥し、無意識に靴音を潜ませながらも歩き出す。

「(ここは、これほどに歩きづらい場所だっただろうか)」

思いかけ、首を振る。

そう、確かにそうだったのだ。常に気を張る必要があっただろう。

ここにいる相手を思えば当然だ。緊張という訳ではない、気が引ける訳でもない。だが、気安く訪れるような場所では決してなかったはずだ。それを、忘れていた訳ではなかった。

ただ少し前までは、ここを――書庫を訪れる理由が、とある冒険者たちだっただけのこと。

「(そうだな)」

笑みを零す。

例の冒険者たちを間に挟むだけで、我ながら随分と気が楽になっていたものだ。いい意味で鈍感、と称されたこともあるが、もしかしたらこういうことだったのかもしれない。

床に積まれた本を崩さぬよう、跨いで歩くのも何度目か。

ふと、視界が開けた。

「殿下」

書庫の中央、ぽっかりと空いた空間に呼びかける。

いつかはあった机と椅子は、いまや姿を消していた。雑多に散らばっているように見える書物も、この書庫の主からしてみれば分かりやすい配置なのだという。ナハスにはいまいち理解ができないが。

捜している相手は、色鮮やかな布を纏い、いつ何時でもここにいる。

「……ナハス?」

数多の色糸が紡ぐ、美しいアスタルニア紋様。

それを幾枚も重ね、身に纏う彼こそがアスタルニア王族であり、現国王の長弟だった。

アリムこと、アリムダード。王位継承権を放棄し、しかし国のためならば蓄えた知識を惜しみなく使う。学者、と称されるほどに知識の探求に余念のない賢人であった。

床に座り込んでいる彼は、ナハスの呼びかけに意外そうに書物から顔を上げる。

「どうした、の」

「リゼル殿から手紙が届いております」

「先生から?」

ナハスは手にした手紙を渡そうとして、それが皺だらけなことに気づいた。

しまった、と一旦引っ込める。加減に気をつけながら両端を引っ張り、そして力の限り両手でプレスした。

それで割となんとかなってしまう辺りに、アスタルニア軍人の逞しさが垣間見える。

「珍しい、ね」

重なる布の隙間から、褐色の腕が伸ばされた。

手首に揺れるは黄金の腕輪。ナハスは思わずそちらに視線を絡めとられる。

ナハスは既に、手元の手紙へと目を通していた。宛名が自分だったのだから仕方ない。

そう誰にともなく内心で言い訳を零してしまうのは、書かれていた内容が自らの手に負えないものだったからなのだろう。

「珍しい、というのは?」

「うふ、ふ」

手紙は、布の中へと攫われていった。

そこから艶のある低い笑い声が零れることに、とっくに慣れたと思っていた。だが間が空いたせいか、なんとも奇妙な感覚を覚えてしまう。端的に言えば物凄くシュールだった。

「先生からの手紙、この前は、ハディルから来たから」

「ハ……」

ナハスは絶句した。

ハディル、ハディルダード。その名はアリムの父親のものだ。

何故ナハスがそれを知っているのか。そんなものは当たり前だ。アリムの父ということは、つまり現国王の父であるということ。つまりは、先王の名前であった。

その存在とリゼルとが結びつかない。ナハスには良くも悪くも、アスタルニアでのリゼルたちをよく知る身であるという自負、ではないかもしれないが、ともかく件の三人組が何かしらやらかす度に報告されてきたという事実がある。

よって、リゼルたちが先王と顔を合わせる機会などなかったと言い切れるはずだ。

「何故、あいつらが先王陛下と」

「先生、今はサルスに居るらしい、ね」

「そう聞いていますが」

ナハスが直近で貰った手紙にも、そう書かれていた。

ちなみに手紙には“口にすると鳥語が話せるようになる花粉”が同封されており、魔鳥騎兵団へと衝撃をもたらした。己のパートナーとは今更、言語を同じくしなければ意思疎通が図れないような仲ではない。それはどの騎兵も同じだ。

だがそれはそれとして、もし話せるようになったらどうしようと一同夢見心地になった。鳥語が魔鳥までカバーしているかは分からないし、どの種類の鳥の鳴き声になれるのかもランダムだというので、あまり当てにはできないが。

結果として、未使用のままナハスの引き出しにしまわれている。

「サルスと先王陛下は、特に関わりがないのでは?」

「サルスっていうより、先生が泊まってる宿のほう、かな。元Sランクの冒険者が経営していて、その人たちがハディルと交流があったみたいだ、ね」

また癖の強そうな相手といるな、とナハスは仕方なさそうに眉を寄せる。

冒険者の最高峰に上り詰めた、リゼルたちに言わせれば先達だ。冒険者がそういった考え方をするのかは分からないが、先達を見習って少しは落ち着いてくれればいいのだが。いや、落ち着きというと他の冒険者よりも余程あるのだが。

しみじみとそう考えるナハスは、先日のサルス中枢への申し立ての際、当の元Sランクが意気揚々と同行した事実など知る由もなかった。リゼルたちのことは理解しようとも、冒険者についての理解度はまだまだだ。

「先生、王宮のおれ宛てに手紙を出すにはどうするのか相談した、って」

「まぁ……他国からここに、となると問題は多そうですが」

辛うじて同意を返す。

ナハスにしてみれば考えたこともない問題であり、そこで何故宿の老夫婦が相談相手の候補にあがるのかもいまいち理解できない。パルテダールの王都に貴族の知人がいたはずなので、普通はそちらに相談するべきではないのかと思わずにはいられなかった。

そもそも冒険者に親しい貴族がいる、というのも奇妙だが。それどころか、目の前の王族とさえ親交があるのだから今更か。ナハスはやや投げやりになった。

「そうしたら、宿の老夫婦がハディルへの直通ルートを貸してくれた、らしくて」

「そう簡単に紹介されては、前隊長たちから小言も出るでしょうに」

ナハスはなんとも言えない顔をして、己の上司である騎兵団隊長から聞いた話を思い出す。

先王の引退際には、王宮守備兵の前兵長と、魔鳥騎兵団の前隊長も退いたという。二人はそのまま、どこぞの島で隠居暮らしを楽しみたいという先王夫妻に、護衛という名目で共についていったというのだ。

実のところ、こうして軍の二大頭が国王と共に退くのは、先王以前からのお決まりらしい。

そう制定されている訳でもない。暗黙の了解が強制力を持っている訳でもない。だがきっと、なるべくしてなっているのだろう。

いつの時代からだろうか、その三つの席が揃って空いたのが始まりだ。次代の王と、それに仕える者は、共に歩みを進める唯一無二の友となる。だから、退く時も共にあるのだろう。

それが今まで続いていることが、軍属であるナハスにはなんとも言えず誇らしい。

ちなみに海兵団の頭はいつの時代も自由で、大抵は死ぬまで船に乗り続けるようだ。今の海兵団団長も、前国王の治世の半ばから頭を張り続けている猛者だった。

「ナハスは、あの三人が揃っているところを見たことないんだ、ね」

「そういえば、直接顔を合わせたのはうちの前隊長くらいでしょうか」

「そう」

アリムが笑う。

「あの三人は共犯者みたいなもの、だよ」

つまり、小言などあり得ないと言いたいのだろう。

ナハスは渋い顔で黙り込んだ。ただの名目とはいえ、護衛として隠居に同行しているのだからと思わずにはいられない。いや、本当に心の底からただの名目だっただけなのだろうが。

「それで、この手紙」

「はい」

「郵便ギルドから?」

「はい。受け取ったのは、俺とリゼル殿の共通の知人ですが」

「知人、ね」

「殿下も会ったことがあるかと。彼らの泊まっていた宿の主人です」

布の塊が小さく動いた。

納得し、頷いたのだろう。アリムもナハスも、郵便ギルドの配達数制限のことは知っている。

何故かと言うと、アスタルニア王族はプライベートの手紙を出すのに、普通に郵便ギルドを利用するからだ。一日に一回、郵便ギルドの職員が集荷に来てくれる。利用しているのはほとんどが王宮勤めの人間だが、時々普通に王族が交じって手紙を出したりしていた。

ちなみに公的な文書の場合は、速い・安全・手続き要らずの騎兵団が駆り出される。

「それで、内容ですが」

「うん、読んだ、よ」

どうしたものか、とナハスは仕方なさそうに眉を寄せる。

手紙の内容は要するに、サルスの要人に会うために腕輪を使っちゃいましたというものと、いい情報屋を見つけたので紹介できますよというものだった。手紙自体はナハス宛てなので、それらをアリムに伝えてほしいという文言も添えて。

それらはいつもの挨拶文と近況報告の最後に、しれっと書かれていた。

「全く、あいつはいつも突拍子がない」

「そう、だね」

「大体、情報屋なんていう怪しい人間に近づくなとあれほど言っただろうに」

「先生にとっては、怪しさよりも有益かどうかが重要なのかも」

「それは、そうかもしれませんが」

思わず零した愚痴にも、アリムは少しばかり楽しげにしていた。

決して口数が多くなく、興味を引かれない相手は平気で袖にするアリムが会話に応じるのは、きっと話題のおかげなのだろう。応じるだけで、決してナハスに同意はしてくれないが。

アリムは特に、自由にしているリゼルこそ観察し甲斐があると考えている節がある。

なにせ学者の通称に恥じず、興味を惹かれたものの探求にはどん欲だ。自身の予想しない結果をもたらす存在が、興味深くて仕方ないのだろう。ナハスの説教からリゼルを庇うことも多々あった。

それは甘やかしている訳ではなく、許していると言うほうが近いのかもしれない。

「それに、おれに紹介するくらいだから怪しくもないはずだ、よ」

「怪しくない情報屋、というのも想像できませんが」

ナハスは怪訝そうに告げ、手紙の内容を思い出しながらため息をつく。

「手紙に書かれている情報屋の特徴が“抜け道に詳しい”だけというのは……やんちゃな子供みたいな書き方をされては逆に、他になんらかの大きな問題がある奴なんじゃないかと勘繰ってしまうものでしょう」

吐息のような笑い声が、ナハスの眼下から零される。

「先生が、そこを見落として紹介することはないと思う、けど」

布の間から伸びる腕に、手紙を差し出された。

ナハスはそれを受ける。ナハス宛てだから、と返してくれるようだ。

「情報屋については王と相談、かな」

「腕輪についてはいかがしますか」

「あれは先生にあげたものだし、どう使おうかも自由だから、ね」

布の隙間に隠れかけた腕が、再びナハスへと伸ばされた。

金の腕輪が擦れ合う音がする。その指先が、ナハスの持つ手紙をゆっくりとなぞった。

「それでも先生は、お礼、してくれたけど」

「ああ、情報屋を」

「う、ふふ」

蠱惑的な笑い声を最後に、アリムは何も語ろうとはしなかった。

その晩、ナハスは久しぶりに宿主と 宿(いえ) 飲みしていた。

ちなみに宿主からの呼び出しだ。彼は昼間、王宮でナハスを呼び出した時、封筒を押しつけて「覚えてろよお前! 後で宿屋裏来い!」と叫びながら走り去っていった。

ナハスはその後、それを見ていた門番に果たし状でも渡されたのかと心配されたし、向かった先の宿屋には普通に玄関から入った。

「それにしても、あの去り文句はないだろう。俺が嫁でも奪ったのか、なんて聞かれたんだぞ」

「しょうがねぇだろ俺の本心でしかねぇんだから」

「お前についてはパートナー募集中だと説明しておいた」

「やめろそういうの! 欲しいけど!」

宿主が飲んでいたエールをテーブルに叩きつける。

外飲みに、という案も出たが、話の内容が内容なので迂闊に誰かに聞かれる訳にもいかない。結果、宿主は自分のざわついた心を静めるために、自分で酒を準備し、自分でツマミを準備し、自分の宿のテーブルを手荒く扱うことになっていた。

一応ナハスも、こうなるだろうと予期してツマミを手土産に持ってきている。

「で、よ」

「ああ」

宿主の顔から表情が抜け落ちる。

「俺死ぬ?」

「どうした」

「だってなんか……手紙見たし……情報屋とか……」

「人の手紙を勝手に読むな」

「すまん」

ナハスの正論に、宿主も深く反省したようだ。

テーブルに置かれたツマミが、献上するかのように押し出される。とはいえナハスは食べずとも飲めるタイプであるので、それほどはいらないと押し返しておいたが。

「まぁ、リゼル殿からの手紙は見られて困ることも書いてないが」

「え、じゃあ情報屋とか抜け道とか」

「随分しっかり読んでいるな」

「違うんだってなんかピンポイントで俺の目がさぁ!?」

嘆くようにテーブルに突っ伏す姿は、嘘をついている訳でもなさそうだ。

ナハスもアスタルニアの男。今回のように内容が微妙でなければ、そもそも多少読まれようが気にしない。溜息をつく代わりにエールを口にし、呆れたように言葉を続ける。

「今回の手紙も気にしないでいい。殿下に伝えてくれ、という程度だからな」

「王族への伝言を掠め取った俺」

「それについては反省しろ」

「心底してる」

「ならいい」

ナハスはあっさりと結論づけた。

宿主が言いたいのは、不敬罪やら機密保持やらだろう。自分が知ってはいけない情報を知ってしまった、だから消されるかもしれない、そう妄想して戦々恐々としているのだ。

そんな物語のようなこと、まずないだろうに。少なくとも王宮勤めのナハスでさえ、そんな物騒なことは噂にも聞いたことがなかった。どうせ、最近流行りだという小説の影響を受けただけだろう。

「安心しろ。そもそも公式な文書でもない、リゼル殿からの手紙だぞ」

「そういやあれ、冒険者から知り合いへの普通の手紙だった」

「そうだろう、知られるだけで危険のある情報を普通の手紙に書くなんてこと」

ナハスはぴたりと言葉を切った。

思い出すのは、リゼルたちと初めて会った時のこと。アスタルニア入り直前に、マルケイドを襲った大侵攻の真相をいきなり暴露された。暴露されたというよりは、リゼルたち三人が普通に会話のネタにしているのを近くで聞いてしまっただけなのだが。

情報の扱いに慣れていない、とは思えない。普通の冒険者相手なら思ったかもしれないが。

ならば敢えて聞かせたのか。それは有り得るかもしれない。とはいえ謀略などではなく、サルスは深読みしそうだけど全然違うよってアスタルニア上層部に伝えておいてね、くらいの気軽さで。

「ナハス? なんでそんな変なとこで切った? 何? 怖い話?」

「まぁ……大丈夫だろう、多分」

「怖すぎるから大丈夫の根拠くれ」

「あいつらはまぁ、できると判断した相手に容赦ないからな」

「できるって何が? あ、殺せるの言い間違い?」

「落ち着け」

もはや何も信じられない目をしている宿主に、ナハスはエールを注ぎ足してやった。

宿主がそれを勢いよく呷る。注ぎ足す。呷る。注ぎ足す。呷る。そういう魔道具のようだ。

しかし体に悪い飲み方だなと、ナハスは注ぎ足すのを止めた。震える手で手酌する宿主を一瞥し、ナハスは自らが土産に持ってきたナッツの殻を剝く。

「あの三人に似ているところがあるとすれば、人を使えるところだろう」

「まぁ使われる側じゃないことだけは確かだけど」

「リゼル殿は言わずもがなだな」

「そういやデフォルトすぎて使い慣れてそうとか逆に思ったことないわ」

「そうだろう」

今頃リゼルはくしゃみでもしているだろう。

「一刀なお客さんも?」

「人を使いたくないのと使えないのでは、また別だと思うぞ」

「えー……孤高すぎて想像できなすぎる」

「リゼル殿にも、あれしろこうしろと意外と言うからな」

「そういや貴族なお客さん素直に聞いてた気がする。あ、だからか」

リゼルが疑問も覚えず指示に従う程度には、ジルも人を使えるということだ。

納得したように頷いた宿主が、ナハスが剝いたナッツに手を伸ばしてくる。皿をずらして避けた。自分で剝けないならばまだしも、殻が硬くて剝きづらいというだけだろう。

確かにやや硬めではあるが、味はいい。ナハスの気に入りのツマミだ。

「獣人なお客さんはー……あ、できる、想像できる。なんか下っ端とか顎で使いそう。暇だからなんかしろ、とか平然と言えそう。俺は言われたことないけど」

「下っ端と言うなら、パーティ内では本人がそうらしいが」

「お、マジ?」

「最初はリゼル殿と一刀だけだったらしいな」

「へー」

余計な被害が出ないようで何よりだ。

いや、クァトには出ていたが。彼がリゼルたちのパーティに入るという話を、ナハスは一度も聞いたことがない。にもかかわらず、イレヴンからの当たりは強かった。

宿主の予想ではないが、たとえクァトがリゼル誘拐に関わっていなくとも、パーティに新入りとして入ってきていたらイレヴンに苛められていたのではないか、とナハスは考えていた。

そんなクァトも、今では立派にイレヴンに言い返せるようになっているのだが。

「で、俺の何が大丈夫って?」

「ああ、それでだ」

ナハスは剝いたナッツを幾つかテーブルに転がしながら告げる。

「あいつらは、相手が何をできるのかをシビアに判断するだろう」

「ん? あー……そうか? 見る目厳しいとか思ったことねぇけど」

「厳しくはないんだろうが」

思案しながら、剝きたてのナッツを摘まんだ。

噛み砕けば、独特の風味が鼻の奥に広がった。恐らくウイスキーなどが合うのだろうが、魔鳥騎兵団の給料もなかなかに世知辛い。いや、それなりの給料ではあるし、魔鳥と共に過ごす関係で結果的に衣食住完備となっているが、その魔鳥関係で出費が嵩むのだ。

手入れ道具は用意されているも、己の魔鳥がそれを良しとするかは別。餌は持ち回りで狩りに行くものの、それぞれが好む嗜好品などは別。それらは決して義務ではなく、各々自発的にパートナーにしてやりたくてやっている。

ナハスもまた、己のパートナーが好む花(食用)などを購入したりと幸せな日々を過ごしていた。

「シビアな判断っていうのは、あいつらの基準でって訳じゃなくてだな」

「おう」

「そうだな……例えば俺がリゼル殿として」

「む、無理がある……っ」

「例えばだ」

慄く宿主に、我ながら微妙な喩えだと思いながらも話を続けた。

まだ剝いてないナッツを摘まみ、宿主へと差し出す。

「俺にこれを剝いてくれ」

「どんな状況?」

「リゼル殿が独力で殻を剝けなかった状況だ」

「はい残ねーん! 俺が貴族なお客さんにナッツ出すなら絶対もう剝いてありまーす!」

「いいから剝け」

「はい」

宿主は黙々と殻を剝く。

ナハスの二倍の時間がかかったが、なんとか指先の力を総動員して剝ききった。

「剝いたけど」

「それだ」

「はぁ?」

訳が分からないとばかりの宿主に、説明が難しいなとナハスは顔を顰めた。

「リゼル殿は殻を剝くように頼んだだろう」

「まぁ完全にお前でしかなかったけど」

「ただ、リゼル殿はお前がこの殻を剝いたのを一度も見たことがない」

「今回の場合はね、はいはい」

「だが、お前に剝けるかどうかは聞かなかった」

「お客さんの目には俺が屈強に映ってるかもしれないだろうが!」

「儚い希望に縋るな」

「お前……ほんとお前……」

ちなみに宿主はナハス相手に腕相撲全敗中だ。

働き盛りのアスタルニアの男、実はそれだけでリゼルにしてみれば逞しい印象を受けるのだが、アスタルニアでは標準体型である宿主と、軍人としてしっかり鍛えているナハスは知る由もなかった。

「つまりリゼル殿は、お前が殻を剝けると判断した」

「実際剝けるし。剝けたし」

「そう、だから俺たちは気づきにくいんだ。だが頼まれた時点で、それはできる」

「あー……分かったような分からんような」

ナハスは残るエールを飲み干した。

ナハスとて、リゼルたちのことを完全に把握している訳ではない。把握できる人間などいるのか、とすら思っている。それでも少しだけ、他人よりも分かっていることがあった。

「だから、まぁ、手紙もお前なら変に他言することはないと信じて手紙を預けたんだろう」

「貴族なお客さん……っ」

何故か宿主が、壁に飾られている魚拓へと感謝を告げている。

それを訝しげに眺めながら、さりげなく手紙の内容を他言無用だと伝えることができたナハスは、密かに安堵しながらエールを注ぎ足すのだった。