軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

15:帰り用でした

リゼルはある喫茶店で一冊の本を開いて、何枚かの用紙と見比べていた。

オープンテラスでの穏やかな光景は、品の良い青年が読書をしているか書類を見ているか、とにかく道行く人の視線を引きながらも和らげている。

店からすればリゼルが居るおかげで雰囲気が増し、少し寄って行こうかと思わせてもらえる為に通常より少しだが客入りが良い。ちょうど朝食の時間からやや過ぎた今は普段なら人入りが無いのだが、ぽつりぽつりと席が埋まるのは間違いなくリゼルの影響だ。

紅茶の注文に、焼き菓子もちょっと 贔屓(おまけ) してしまうぐらいに。

それなりに広い通りだが、メインストリートのように露店に溢れている訳でもない通りは心地よいと感じる程度のざわめきに溢れている。

時折カラカラと馬車が通り過ぎて行く音を聞きながら空を見ると、やはり青空を区切る宣伝の旗がハタハタと揺れていた。

前日までにマルケイド名物の賑やかな人混みと客引きの怒涛の音に囲まれていたリゼルが一息つくには丁度良いだろう。

一息つくと言っても、人待ちなのだが。

冒険者の間では顔も名前も売れているジルは、その強さゆえに憧憬だけでなく妬み嫉みも買う。

Bランクでありながら単体でSランクパーティと渡り合えると云う噂に、不満を持つジルよりランクの高いA〜Sランクも少なからずいるのだ。

ランクが高くなれば思慮深くなるかと思うが、基本的に根は全員荒っぽい冒険者に変わりない。力に物を言わせて金を稼ごうという輩が集まっているのだから仕方ないだろう。

今日もリゼルが他の国のギルドも見てみたいと言う好奇心とついでの用事で商業国ギルドに寄ったら、どうやらAランクらしいパーティにジルが喧嘩を売られたのだ。

ちなみに一人でギルドに行けば良かったのではと思われそうだが、初めにリゼルがそう言ったらジルが顔を顰めた。間違いなく絡まれるぞとの忠告だったので、どちらにせよ絡まれる運命だったのだろう。

それならば自分に被害が無い方が良いと、リゼルは共について来てくれたジルに感謝している。

ジルが喧嘩を売られたのなら自分は関係ないだろうと、此処でのんびりジルの 用事(けんか) が終わるのを待っていられるのだから。

『じゃあ俺はあっちの喫茶店でお茶でもして待ってますね』

『ああ』

そうして去って行ったリゼルに対し、喧嘩を売ったAランクパーティは唖然としていた。

見方によっては仲間を見捨てて去って行ったリゼルだが、そもそもジルが負けるとは微塵も思っていないので見捨てたと言われるのは遺憾である。

出来れば絡まれても無視したかったのだが、一方的に斬りかかられればそうはいかない。

先程の一言は、面倒そうにその剣を受け止めたジルに微笑みながら言った言葉だ。

ギルドからわずかに離れたこの場所にも、微かなどよめきが届いた。

どうやら決着が着いたようだと広げていた用紙をまとめ、少なくなった紅茶をポットから注ぐ。

大分ぬるくなってしまったが丁度良いだろう。しばらくもしない内に此方へと歩いてくるジルの姿が見えた。

持っていた用紙をひらりと振ると、リゼルの席へと近付きドカリと椅子に腰かける。

「お疲れ様です」

「喧嘩売んなら実力つけてからにしろっつの」

「ジルは実際に誰に対してなら苦戦するんですか」

「俺が知りたい」

注いだばかりの紅茶をぐっと飲み干すジルに苦笑し、リゼルは二つあった内一つ残しておいた甘さ控えめな焼き菓子の載った皿を差し出した。

リゼルが何口かに分けて食べたものを一口で食べきり、唇に付いた欠片を舌で舐めとる。

リゼルの意外な待ち人を喫茶店の若いウエイトレスは驚きながら見ていたが、その仕草の最中に視線を寄こされると顔を赤くして他のテーブルの接客へと移った。

二人と懇意にしている者達は気付いているが、リゼルとパーティを組むようになったジルはリゼルと共に居る時は雰囲気が変わるようになった。

鋭い視線は鋭いままだがやや柔らかく、ガラの悪さは悪いままだが多少緩く、人を突き放す空気は少なからず鳴りを潜める。

親しく無いと気付けない程度の変化なので殆どの者は気付いていないし、更に常にそのジルと接しているリゼルも気づいていない。しかし確実に何かが変化している。

もし以前のままのジルだったら先程のウエイトレスは顔を赤らめる以上に青ざめ、まるで殺されると言わんばかりにさりげなく逃げるはずだ。

しかし当の本人も共にいるリゼルも気付いていないのだから二人の行動に何ら変化はない。

リゼルは持っていた本の表紙をジルへと見せるように向きを変えて差し出した。

昨日手に入れたばかりの攻略本だ。

「“水晶の遺跡”って 此処(マルケイド) から近いんですよね?」

「西の門から馬車で20分ぐらいだな」

「冒険者の為に馬車が出てるんですか?」

「観光客の為だ。受けの良い造りのおかげでギルドが観光客向けに一階層の案内して稼いでる」

ジルの言葉に成程と頷き、リゼルは表紙へと視線を落とした。

“The ruin of crystal(水晶の遺跡)”と書かれた文字の背面に、表紙裏表紙つながった内部の様子であろう緻密な絵画が描かれている。

輝きさえ再現されそうなそれは、書物としてはもとより芸術品としての価値もありそうだ。

絵画でさえコレなのだから、現物は確かに観光名所としては充分だろう。魔物さえ出なければ。

だからこそ危険の少ない一階層限定であり、ギルドが主導で冒険者などを護衛に観光ツアーを行っているのだ。

リゼルの今回のギルド訪問の目的のひとつが、この遺跡だ。

遺跡そのものと云うよりも、遺跡の攻略本の為と云える。

“水晶の遺跡”と呼ばれる迷宮は割と以前から存在する迷宮のようで、充分探索されつくしている為に全階層の地図が既に出来ているのだ。

「しかしお前は情報の裏付けかかさねぇな……」

「間違ってたら嫌じゃないですか」

「攻略本に間違いはねぇってのは暗黙の了解だが」

そう言って購入した全階層の地図を仕舞い込んだリゼルを、ジルは呆れたように見た。

そもそも攻略本を手に入れるような金持ちは、中の情報が正確かどうかなどに関心は無い。

冒険者も手に入れたら売ってしまうし、そもそも攻略本の方が間違っているとは思う事も無い。

リゼルのように攻略本を手に入れながら、その迷宮の地図も全部購入する者は稀だろう。むしろリゼルが初めてかもしれない。

「ギルドの地図にも間違いは無いんですよね……」

「何百人も潜ってるからな、違ったらその都度直される。古い迷宮の地図は確実に間違いは無ぇだろ」

「そうですよね、間違ってないんです」

うーん、と本を捲るリゼルの指先をジルはじっと見た。相変わらず荒れる事の無い冒険者らしくない指だ。

欠ける事すらない整った爪の先がとあるページの地図の一か所を指す。

「この道、ギルドの地図には描かれてないんです」

「あ?」

ジルも覗きこむ。

完全に覚えきっているらしいリゼルにこの階層の地図を出させて見比べると、確かにギルドの地図には描かれていない。

誰も見つけていないのか、見つけた誰かがギルドに報告していないのか。どちらにせよ簡単に見つかる道では無いということだ。

道はしばらく続いて小さな部屋で止まっている。

「この部屋がですね、この……」

ぱらぱらとリゼルが何枚かページを捲った。

そしてとあるページの地図。道が複雑に繋がっているその隅に、どの道にも繋がっていない空間が存在していた。

先程のページと見比べてみると両者の位置はほとんど同じであり、無関係とは到底言えないだろう。

「迷宮は確か地下に向かってたな……」

「落とし穴とかですか?」

「それか転移魔法陣があるか、だ」

「隠し部屋とか、何か良い物ありそうです?」

「大抵貴重な迷宮品か……強敵か」

ジルが目を細めて好戦的な笑みを浮かべた。

中層の隠し部屋から繋がる部屋は最下層一歩手前、もし魔物が待ち構えており、その敵がその階層の敵と比べて格段に強くなるのならかなりの強敵となるはずだ。

最近雑魚ばかりだと言うジルにとっては何よりの娯楽となり観光となるだろう。

「多分邪魔にならないので、一緒に行っていいですか? 隠し部屋とか見てみたいです」

「お前が邪魔になるとか最初から思ってねぇよ」

「でも普段迷宮に行く時は誘わないじゃないですか」

「腕鈍らないように潜ってんだから誘っても意味ねぇだろ」

確かにジルの鍛錬にリゼルが付いて行ってもやる事が無い。

リゼルの本集めにジルが付いて来てもやる事が無いのと一緒だ。

世の冒険者は鍛錬のついでにと迷宮を攻略する訳ではないのだが、成程とリゼルは頷いた。

「それにただの隠し部屋だったら普通に見つかってる。それが見つかってねぇんなら何かあんだろ」

ちらりとジルがリゼルを見て立ちあがった。

冒険者らしい目の付け処ならジルだって分かるので、つまりリゼルの視点や知識が必要となるかもしれないという事だろう。

ジルに続くように席を立ち、本を仕舞って紅茶の代金より少し多い金額を机の上へと置いて行く。

先を進むジルに追いつき、隣に並んでリゼルはまるでからかう様に笑みを浮かべた。

「初めて頼りにされちゃいました」

「アホ」

ぴしりと額を叩いた手の甲はやはり痛く無かった。

水晶の遺跡への馬車は観光客が殆どだったが、中にはチラホラと冒険者の姿も見えた。

迷宮は中に入ると一パーティごとに区切られる制限があるので、冒険者が最初にパーティごとに潜り観光客は 案内(ガイド) 兼護衛と一丸となって入るらしい。

彼らはパーティを組んでいる訳でもないのに一パーティとして見なされるのだとか。迷宮は融通が利きすぎると冒険者の間ではもっぱらの噂だ。

リゼルも同じくジルと共に入ったが、後ろの観光客から驚愕の気配が伝わって来た。慣れたが。

「これは良い観光名所ですね、明るいし綺麗です」

「 戦(やりあ) ってて落ちつかねぇけどな」

透明感のある水晶によって、名前の通り遺跡が形作られている。

崩して売ったら高いのでは無いかと思うが、迷宮に共通する通り迷宮本体にはどうしても傷つけられないそうだ。

コンコン、と柱を叩くリゼルを余所に、ジルは入ったばかりの場所にある魔法陣の上へと立った。

途端にぼうっと光り出す魔法陣を確認し、リゼルを呼ぶ。

「隠し通路がある階は」

「19階です」

「じゃあ20階行って上がるぞ」

ジルが以前攻略しきったマルケイドの迷宮の中に、当然この迷宮もある。

迷宮は一階層が広いのでわざわざ一階から降りて行くのも面倒だろう。当然のように転移魔法陣を利用する。

リゼルも何回かジルと共に迷宮の深部まで潜っているので、特に不安は無い。

深部でもジルが苦戦することなく魔物を倒してしまうし、リゼルの銃も充分有効だからだ。

ふわりと体が一瞬浮く感覚の後、一瞬で周りの景色が変わる。

いや、水晶の遺跡としてはむしろ一階層と大した変化は無い。

慣れない内は今何階に居るのかが分からなくなりそうだろう。

景色が変わったと感じたのは、転移した直後の二人にまるで覆い被さらんとばかりに襲いかかる魔物が居たからだ。

リゼルには黒っぽい何かとだけ分かった。はっきりとその姿を見る前にその頭に向かって銃を向け撃ち抜き、ぐらりと踏みとどまる魔物をジルが真っ二つに斬る。

「階段も水晶ですね、割れそうで怖いです」

「割れねぇよ」

「イメージですよ、イメージ」

何事も無かったかのように後ろを振り向いて階段を見上げる二人は、とてもDランクのパーティとは思えない。パーティランクはメンバーの平均からとられるので、リゼルがEである限り仕方が無いのだが。

そもそも水晶の遺跡の20階ともなると適正ランクはBだ。Eのリゼルは思い切り場違いとなるし、Bのジルが一人で潜れるような場所ではない。

しかしジルのランクが実力と比例していないのは周知の事実だし、そのジルが止めないのだから大丈夫だろうとリゼルも思っている。

早くランクを上げた方が面倒が少なくなるかもしれない、なんて話しながら階段を登り目的の階層へと辿り着いた。

相変わらず代わり映えの無い景色は、綺麗だがすぐに飽きてしまいそうだ。

だからこそ観光も一階層だけで十分なんだろうと納得しながら早速三つに分かれている道を眺める。

「どっちだ?」

「こっちです」

「お前がいると便利で良い」

「人を物みたいに……」

苦笑したリゼルが、前方の角から現れた魔物を撃ち抜く。

通常ならば迷いながらウロウロするか、立ち止って周囲を警戒しながら地図を広げるかする所をスムーズに進めるのだ。

元々気の長い方では無く、迷宮に潜ってもとにかく勘でひたすら進むジルは(言い方は微妙だが)感心していた。

しかもわざわざ暗記しようとしている訳でもないのに覚えているのだ。下手に時間を取られなくて良い。

「距離的にここらへん、ですか」

直線の通路をやや進んだあたりでリゼルが足を止めた。

問題の隠し通路がある筈の壁は何処もなだらかで、扉があるような様子は欠片も無い。

リゼルがぺたりと壁に手を付くがあるのは堅い感触だけ。凹凸も仕掛けも何もない。

うーんと悩みながら立ち止っていると魔物が寄ってくるが、その都度気付いた方が対処していく。

「大抵は仕掛けがあるんですよね?」

「壁の一部を押す、ギミックを動かす、そんな感じで扉が開くのが定番だな」

「扉って言っても、少しの境目も無いですもんね」

偶然押した壁の一部分が鍵で、何処かの扉が開くなんて事はまず無い。

最初に微かな色の違いや段差に気付き、怪しいと思って調べてそれが隠し部屋への扉だと判明し、そして初めて扉を開ける為の手段を探すのが普通だ。

なのに問題の壁はつるっとしていてジルから見ても扉なんてありそうにも無い。

これまで見つからなかったのも当然だろう。

「なら、」

リゼルはおもむろに銃を構えると、壁に向かって唐突に連射を始めた。

キィンッキィンッと弾かれる音に何をしているのかとジルは響く音に顔を顰めながらその様子を見る。

音に釣られてやってくる魔物を薙ぎ払っている時だった。流れるように撃つ位置を変えていたリゼルがとある壁に辿りついた時、甲高い音がその部分だけ鈍い音を立てる。

続けて進めるように何発か撃つと、鈍い音を立てたのは一発だけでその先の壁は再び甲高い音を立て始めた。

鈍い音をたてた部分へと近付き、何処だろうと思いながら探す。

予想通り銃弾が跳ねかえって削れた跡を見つけ、リゼルはその跡をなぞりながら微笑んだ。

迷宮は傷つかない。それが決まり事ならばこの壁は迷宮ではないか、迷宮によって壊されるべきと定義されているか。

不変の決まり事を逆手に取る奴が何処に居る、と仕入れたばかりの情報さえ活用するリゼルの発想にジルは溜息をついた。

「ジル、多分ここです」

「幾ら不壊の加護が付けられてるとは言え、叩き折れそうだな……」

向こう側に繋がっているとはとても思えないが、リゼルが間違っているとも思えない。

剣を石壁に叩きつけるに等しい真似を出来る筈も無く、ジルは下がってろとだけ言って片足を持ち上げた。

振り下ろすようにして叩きつけた靴底は、まるでガラスを叩き割るような感覚と共に分厚い水晶を貫通する。

かなりの力が必要だろうに、と感心しながらリゼルは音に釣られてきた魔物を撃ち抜いた。

割れた水晶を踏みながら侵入した通路は今までと何も変わりが無い。

リゼルは割れた水晶の大きい塊は持ち帰れるのだろうか、と疑問に思い持ってみようとしたが無理だった。

割れた途端迷宮の一部となったかのように、床に散らばったまま動かせなくなっている。

不思議に思いながらも迷宮だから、の一言で説明をつけて納得するしかないだろう。

「進むぞ」

「はい」

知識の探求に余念のないリゼルを促すように声を掛ける。

大抵ジルは呆れた顔で待っているのだが、今回は余程強敵との邂逅を楽しみにしているらしい。

意外な所からジルのテンションの高揚に気付き、リゼルは微笑んだ。

然程歩く事無く、一つの部屋へと辿り着いた。

小さな部屋の奥には水晶で出来た祭壇があり、その祭壇の前には二メートル程の大きさの魔法陣が光っている。祭壇の真ん中には宝箱が置かれているのだが、それ以外は何も無い部屋だ。

ぐるりと見回して、とりあえず魔法陣を避けて祭壇の前に立つ。水晶で出来たそれは美しかった。

「ここで宝箱が来たなら、強敵っぽいですね」

「転移先に宝箱が並んでんならわざわざ此処に置く意味がねぇしな」

ヒュン、と大きな剣を回す様子はひどく嗜虐的だが楽しそうだ。

とりあえずとリゼルが宝箱を開けると、そこには一枚の地図があった。

どこかの森の真ん中にバツが描かれており、森の周りには目印になりそうなものは一つも無い。

裏を見ても何も描いていない紙は破ろうとしても破れず、確かに迷宮品ではあるがリゼルにはただの地図にしか見えなかった。

「ジル、何でしょう」

「さぁな、隠し部屋にあんだから価値は高ぇんだろ」

「帰ったらジャッジ君に見て貰おうかな」

隠し部屋の中に存在するものは魔物にしても宝箱にしても希少性が段違いなのだそうだ。

それならば何かに使えるか、とリゼルはその地図を丁寧に仕舞う。

もうやる事は無いかと周りを見渡し、魔法陣を見下ろした。

「これって一方通行じゃないですよね」

「普通の転移魔法陣とは違うか」

「いえ、まるで一緒です」

「なら大丈夫だろ」

聞いておいてなんだが、リゼルが複雑な紋様の描かれた迷宮の魔法陣を覚えているとは思わなかった。

リゼルにしてみれば 転移(・・) 魔法陣という点が元の世界に関係するのではと初回の迷宮で覚えて帰ってその後一通り調べたのだが、リゼルが知っているものとはまるで別物だった。

むしろ訳が分からないと言って良い。やはり迷宮は世界の理から外れた存在なのだろう。

しかし詳細まで調べたからこそリゼルは間違いなくこの魔法陣は、通常迷宮内の行き来に使用しているものと全く同じだと断言できる。

二人で魔法陣内に立ち、そして起動させた。

普段同様転移が始まる。

「わ、」

「……ッ」

とはならなかった。

魔法陣の発動と共に消失した足場に逆らう術は無い。魔法陣内どころでは無く部屋全体の床が消失しているのだ。

掴まる場所は何処にもなく、無抵抗に落ちるしかないリゼルの腕をジルが掴んだ。

落下した時は確かに部屋一面の床が無くなっていたはずが、落下している穴は魔法陣の幅二メートルとほぼ同じ。

ジルは舌打ちをして頭から落ちそうになっている体勢を整え、壁に叩きつけられないようにと二の腕を掴んでいた手を離してリゼルの腰に回した。

抱き寄せながら下を窺うと、落下まではまだありそうだ。

「まさかこんな展開だとは……」

「とりあえず底が見えるまで速度は落とさねぇ」

二人が落ちついているのは、頑張れば減速する方法がいくつかあるからだ。

流石に落下しながらだと難しい、とリゼルは銃を消している。

押さえつけられているジルの肩から顔を離し、リゼルも何とか落下先を見下ろした。

「……何か居るな」

「え、落下途中にですか?」

「いや…………まずい、竜か」

「え、強いんですか」

「確かに強ぇが、竜は……ッ」

ジルが盛大な舌打ちと共にリゼルに回した腕の力を強くする。その理由をすぐさまリゼルも察した。

凄い勢いで此方へと迫る熱、下を見れば駆けあがってくる炎が見えるはずだ。

竜のブレス、全てを焼き尽くす炎は広くない通路を隙間無く覆って逃げ道を塞いでいる。

どうするのかとリゼルがジルを見ると、溜息をついていつのまにか抜いていた剣を腰に戻していた。

「装備があるから熱いだけだ、我慢しろ」

「絶対どこか燃えます……」

既に覚悟を決めて平静なジルに、リゼルは苦笑して首を振った。

実際衣服に覆われていない部分はある。回復薬があるとはいえ痛い思いは絶対したくない。

「……真ん中に風穴開けましょう」

「出来るのか」

「すっごく魔力詰めれば、何とかなるかもしれません」

「合図はしてやる」

リゼルは銃を出して、落下で安定しない銃身を無理やり抑え込む。その先端を自らの真下へと垂直になるように狙いを定めた。すでに熱は肌に痛みを与える距離まで迫っている。

ジルは服に覆われていないリゼルの顔を自らの服に埋めるように後頭部を押さえつけ、その髪に鼻先を埋めて唇をリゼルの耳元に運ぶ。

炎が生みだす轟音に聴覚が支配される中、全神経を銃身の制御と魔力の転移に向けるリゼルの耳に、低く落ちついた声が落ちた。

「やれ」

ダァンッとまるで大砲のような音が響いた直後、風の魔力が異常な量込められた細い射線は、自身が生みだす暴風によって炎に一瞬だけ風穴を空けた。

竜のブレスのスピードとリゼル達の落下スピードによって炎と接するのはとても短かったが、しかし触れた途端に全てを灰にする炎は触れずともその威力を発揮する。

通り抜ける際の痛みは強く、リゼルがぐっと額をジルの鎖骨に押し付けると、ジルのリゼルを抱く力も強くなった。

炎を通り抜けた事を確認し、リゼルの頭を押さえつける手の平の力が緩む。

「ッつぃ、これ、絶対髪とか燃えてますよ、ぜったい」

「燃えてねぇ燃えてねぇ」

肺を焼くような熱に止めていた息を吐きながらリゼルは至近距離にあるジルを見上げた。

珍しく強い語調のリゼルに笑い、ジルは抑えていた手でリゼルの髪をくしゃくしゃと掻きまわす。

手袋越しのジルにもリゼルの髪が熱を持っているのが分かったが、その髪は断じて欠片も傷ついてはいない。

熱でひりひりする首筋に手を当てるリゼルの腰はまだ抱いたまま、ジルは自らの空間魔法から巨大なブロンズソードを取りだした。

気遣う様にジルの首にも掌を当てるリゼルの今は冷たく感じる温度を心地よく感じながら、思い切り真下に向かって投げつける。

『グギャゥ!』

「近そうですね」

ビュゴッと凄まじい音を立てて発射されたブロンズソードは目標を貫いたらしい。数秒後に聞こえた呻き声はもうそろそろ到着が近いのだと知らせる。

第二波は無さそうだ、と安堵して体の力を抜いたリゼルをジルはちらりと見た。

「減速するぞ、もう少し働けるか」

「勿論です」

にこりと笑うリゼルが、先程の砲撃とも云える攻撃に膨大な量の魔力を消費したのは理解している。

ただ出来なければ素直に出来ないと言うので、全ての魔力を消費した訳ではないようだ。

ここで魔力切れで動けなくなる方が迷惑になると分かっているリゼルが、自己犠牲的に限界まで魔力を使うことはないだろう。

逆に言えば、動けなくならない限界ギリギリのところまでは平然な顔で魔力を消費するはずだ。

「大丈夫ですって」

苦笑して、リゼルは銃を壁に向けた。

込める魔力は火属性、ジルの背中側へと発射した魔力は壁にぶつかって派手に爆発する。

その爆風に押される様に二人の体は飛ばされるが、ジルが足で支えた為にリゼルは背中を打ちつけずに済んだ。

ジルのブーツが壁を削る音がするが迷宮の壁が傷つく事は無い。

ジルは壁に張り付くようにして体を寄せ、片手で壁を掴むように力を込める。圧倒的な力で壁を離すまいとする指先は水晶と擦れ合って甲高い音を立てているが、最高性能を誇る手袋装備のおかげでジルの手は無事だ。

「じゃあ、いきます」

「ああ」

ガリガリと壁と音を立てるブーツの先に、リゼルは狙いを定めた。

壁に向かって一発、そしてその進行方向に沿う様に何発も撃ち続ける。水属性を持った弾丸は壁にぶつかる度に氷を生みだし、小さな足場を作っていた。

もちろん勢いよく落ちているジルのブーツが踏み抜いて砕けるのだが、何度も続ける内に徐々に落下速度が低下してくる。

「あ、見えましたよ」

「地底竜か、そこそこのでかさだな」

ブレスから数十秒、穴の先に部屋が見えると共に一体の巨大な魔物の姿も確認出来た。

下顎を上手く貫いたらしいブロンズソードの所為でだらだらと口から血を流し、こちらを睨みつけている。

減速が成功し、落下したら間違いなく死亡する速度から、このまま落下すれば骨折する程度の速度まで落ちている。

それを確認し、ジルはまだ撃ち続けているリゼルを止めた。

「もうちょっと撃ちますよ?」

「気付かねぇと思ってんのか」

ジルの肩を掴んでいる手が一瞬カタリと震え、しかしすぐに止まった。

手足の震えは典型的な魔力不足の警告症状だ。ひどい時はそのまま全身の震えへと広がる。

自ら止めることが出来ないはずのそれを抑え込んだのだと気付いた時に、ジルが感じたのは大きな呆れと小さな苛立ちだった。決して自分へと弱みを見せないリゼルに対する呆れと苛立ち。

「ジル、」

「舌噛むなよ」

何かを言いかけたリゼルを遮るように言葉を被せ、牙を剥く地底竜を見下ろす。

グォッとそのまま噛み潰さんとする鼻先を蹴りつけ、反動で真横へ飛び地面を削りながら着地する。

抱えていたリゼルを下ろす手付きは優しいが、ジルの心情はそうではない。

剣を抜いて、立ち上がろうとするリゼルの肩を押さえて座らせる。

「じっとしてろ」

「はい、楽しんで」

微笑んで見送られ、剣を握る手に力が籠る。

ジルは強敵との遭遇で高揚する心の中に、小さな冷たい殺意が存在する事に気づいて笑みを浮かべた。

リゼルがいつもの穏やかな声を強める程度には不快な思いをしたのだ、許せる訳も無ければ殺さない理由も無い。

振りかぶられた巨大な爪を剣で受け止めて払いながら、ジルは獰猛に笑って巨大な地底竜へと斬りかかった。

街(マルケイド) へと帰って宿で落ちついた夕食を食べた後、珍しく本を開かずにベッドに腰かけたリゼルは此方を見下ろすジルに微笑んだ。

折角の観光なんだからと外に夕食を取りに行こうとした自分を止めたジルが、何を思っているのかを見透かすように。

呆れているのも苛立っているのも、勿論心配しているのもリゼルには分かっている。

その苛立ちが頼らないリゼルに対してと、そして頼られない自分に対してのものだということも。

未だに微かに苛立ち続けるジルはやはりマメだ、なんて思いながらリゼルは口を開いた。

「俺って魔力不足の震え、誰にも見せた事が無いんです」

「は?」

「勿論魔力不足が起きる機会なんて少ししか無いんですけど、一回も」

突然何を言い出すのかという顔をしているジルに、リゼルはかまわず続ける。

「痛みに声を荒げたこともないですし、本音で文句を言ったこともないです。抑えない方が楽だとは知っているんですけど、もう抑えるのが普通になってしまっていて」

「……」

「駄目ですね、君と二人だと甘えちゃって」

対等な存在って慣れて無くて、と苦笑するリゼルにジルは目を見開く。

ジル自身も自分が唯一対等を許されているのだろうとは感じていたが、“許されている”と当然のように思う程度には対等では無かったのだ。

それが本人に肯定されただけで溢れ出る感情に名前など付けられず、ただ此方を見るジルに笑い、リゼルはベッドへと潜り込んだ。魔力不足は寝て治すに限る。

「……もっと分かりやすく頼れよ」

ぽつりと零された声に、今でも十分頼っているんだけどと霞がかった思考で返したが、恐らくジルには届いていないだろう。