軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

118:憂さ晴らし済(再)

それは圧倒的なまでの魔力がアスタルニアへ衝撃を与える少し前の事だった。信者らは牢屋から離れた地下の一室に集まっていた。

恐らくこの空間で一番広いだろう部屋には、円を描くように魔道具が並べられている。まるで柱のようなそれは薄暗い空間でぼんやりと光を放っており、信者らはそれらの前に一人ずつ立っていた。

「魔力増幅装置に異常なし」

「有る訳がない。師が作り上げたものを模したのだから」

「その通りだ」

使命執行の時は近い。誰しもが高揚する心を抑え込みながら、その時を待つ。

「発動まであと六百秒をきった」

「起動次第この部屋の入り口は埋める。出遅れるな」

「元より隠し部屋だ。そうすれば発見の時間稼ぎにはなる」

一度起動してしまえば、魔力装置は増幅された魔力が切れるまで動き続ける。

何日も続くようなものでもないが、彼らにとっては充分だ。師の魔法が魔鳥騎兵団を地に落とすのを目に焼き付け、騒動の間に悠々とサルスへと帰れば良い。

求めるのは師の魔法が至上であるという証明のみ。一時だろうと他の 魔物遣い(テイマー) という存在を蹂躙すれば、どちらが上かはハッキリするだろう。

「そろそろ時間だ」

信者の一人が鬱々とした声で言った。

しかし実行の中心人物である男がまだ来ていない。少し前までは最終調整の為にと此処で指示を出していたのだが、席を外したきり戻って来てはいなかった。

「何処へ行った」

「 献上品(・・・) の元だ」

「忠告だろう」

「道中騒がれても面倒だ」

魔道具に倣い円を描くように立つ信者たちが誰を見るでもなく言葉を零す。

冷えた空気を湛えた空間に微かに響きながらも、声は止む事は無い。敬愛する師へと用意された献上品に対して賛成だろうと反対だろうと思う所が無い者は無く、特にリゼル本人を目の当たりにした者達ほどそれは顕著だ。

それを止めたのは、一人の男の声だった。

「もう始めるべきだ」

その場にいる全員の視線が、声の持ち主へと向かう。

「だが予定していた時間まではまだある」

「今すぐでも実行は可能だ」

「戻るまで待てと言っていたが」

「従う理由が何処にある」

その言葉に、信者らは各々静かに反応を返した。

同意は無いが反論も無い。男の言葉を値踏みしているような静寂が続く。

信者らが今は居ない男の指示を受けるのは、彼らの中で一番支配者の傍にいた時間が長く一番近い地位に居るからだ。しかし彼らにとっては敬愛する師の他に自らの上はなく、ただ共通の目的ゆえに共に行動しているに過ぎない。

「一秒でも早く師を頂に掲げるのが我々の使命だというのに……遂行出来る術を持ちながら待つべき理由など無い」

「正論だ」

「師こそ至高と知らぬ輩が今この瞬間にいるのすら嘆かわしい」

ピリ、と空気が張り詰める。

此処に集まるのは自ら支配者の手足となる事を望んだ者達しか居ない。口には出さないが当然のように、自身こそが師を最も理解していると自負のある者達ばかりだ。

そして、それはすぐにでも実行すべきと言った男も同じこと。とある冒険者からの お墨付き(・・・・) を得た彼は、特にその思いが強い。

「それすら分からぬ者に何を従う事がある」

他の信者全てに対し強い優越感を抱き、男は嘲笑を浮かべ語気を強め言い放った。

「何と浅ましい」

「確かに献上品は師を喜ばせるだろう」

「だが最も優先すべきものこそ使命だ」

「実行が可能ならば待つ理由など無い」

ぼぅ、と魔道具が次々と光を強くする。

一人欠けようが問題は無い、それゆえの実行。もはや躊躇う理由など無い。

「「“我が師に栄光あれ”」」

魔道具が強く光り、その光が魔道具の上で点となり、そして線となって互いを結ぶ。

部屋を覆い尽くすように頭上に描き出された複雑な魔法陣に、彼らは計画の成功を確信した。徐々に強くなる光に、胸の内から湧き上がる高揚で誰もがくぐもった歓声を上げる。

その、直後のことだった。

「何……ッだ、これは!!」

唯一人以外の他者への配慮など一切考えもしない、それが許されると錯覚させる程の威圧的な魔力に信者らはよろめいた。

「今のは、魔力……ッ?」

「ッバカな、こん」

「そんな事はどうでも良い!!!」

ただただ信じられない思いを抱きながらの混乱は、しかし誰かの悲痛な慟哭に遮られた。

定まらぬ視線は流れるように声の主へと向き、そして彼が目を限界まで見開き見上げる天井へと向かう。そしてようやく、彼らは真の絶望を目の当たりにした。

「何が、起こった……」

ぽつりと零された声は、酷く掠れて小さかった。

彼らの淀みきった瞳に、完成した筈の魔法陣は浮かばない。確かに頭上で煌々と光を放っていた筈のそれは、何処を探してもない。

「そ、装置は!!」

誰かが声を裏返しながらも叫んだ。全員が反射的に背にしていた装置を振り返る。

血走った眼で魔力装置に食らい付くも、先程まで光を灯していた装置はただひたすらに沈黙をしていた。魔力を送ろうが力任せに叩こうが、ただ石のようにそこにある。

「ふざけるなッ、何故このような事になる!」

「予定の時刻まで待てばこのような事態には……ッ」

耐え切れず叫ぶ声は、ただただ絶望を孕んでいた。

長い時をかけ計画を進め、ここまで完璧にこなして来た。しかしその達成の瞬間になって、後一歩の所で此方の思惑など気にも留めない魔力により無に帰した。

あまりにも理不尽だ。納得出来る筈がない。絶望と憤りが交じり信者らは発狂するように一人の男に掴みかかった。

「貴様の所為だ! ッ貴様が実行を早めた所為で!」

「師を裏切るなど許されるか!」

「黙れ!! 私が最も理解しているのだから! 私が最も正しいのだ!!」

掴みかかられた男は拳が壊れるのも厭わぬ力で殴られ続けながら叫んだ。

その目はもはや何処も見ていない。怪しい光を宿しながら、やがて声が出せなくなるまで彼はずっと叫び続けていた。

襲い掛かる業火に、奴隷の男は一切躊躇う事無く突っ込んだ。

その炎が彼を傷つける事はない。鈍色の髪が炎を映しチラチラと光り、入れ墨に覆われた褐色の体を獣のように躍動させながら奴隷は一瞬の間に炎を抜ける。

その先に見えた信者の姿は、直後行く手を阻むように現れた石壁に遮られた。しかし関係は無い。入れ墨を裂くように伸びた刃がそれを切り捨て、その手が信者の首を食いちぎる様に握り壁へと叩きつけた。

「グッ……我々へ逆らうか、奴隷風情が!」

「もう、違う」

まるで刃物をすり合わせたような、不思議な音を孕んだ声が強く意思を持って告げる。

「お前の、違う」

カツリと、靴が石畳を叩く小さな音がした。

信者が呼吸も満足に出来ないままにそちらを睨み付ける。そこにはベッドから降り、確かめるように未だ手首を拘束する手錠を見下ろすリゼルの姿があった。

俯いていたその視線が、ゆるりと上げられる。チャリ、と鎖を鳴らしながら持ち上げられた手が自然な仕草で髪を耳にかけ、優しくピアスをなぞり降ろされた。

「そのままで」

一言零された声は、甘く優しい命令だった。奴隷の手に力が籠る。それは喜びから、あるいは次を望む期待から。

喉を締め上げられた信者は、視線だけで人を殺せそうな目でリゼルを射抜いた。

「人の奴隷をかすめ取るなど、手癖が悪い……ッ野蛮な、冒険者め」

吐き捨てられた言葉に、リゼルはゆるりと首を傾け微笑んだ。

「要らなかったんでしょう? なら、良いじゃないですか」

チャリ、と鎖の音を立てながらリゼルの指先が何かを招くように動いた。

直後、その隣へと現れた物に信者は目を見開く。彼は実物など見た事も無いが、知識としては知っている。

迷宮の奥深くから時折持ち帰られるとされる銃が、リゼルの隣でピタリと静止しながら浮いていた。その時ようやく、彼は自らの立場を思い知った。

「貴方のした事に比べれば」

そして、献上品扱いしていた男がどんな存在だったのかも。

高貴な色を宿す瞳に、人を呑み込む清廉な空気に、彼にとっての唯一頂点であった師の存在が揺らぐ。その事実こそが信者にとっては何事にも代えがたい絶望だった。

喘ぐように開かれた口は、声にならないままにひたすらに許しを乞うていた。それが敬愛する師に対してなのかは、恐らく彼自身にも分からない。

「可愛らしいことでしょう?」

「……ッ待」

キュンッと銃が宙を滑り信者へと肉薄した。こめかみに向け停止した一瞬、信者は必死に視線をそちらへ向け暗い銃口を見据える。

直後、発砲音が地下に響き渡った。しかしその銃弾が信者を貫く事は無い。

「か……グ、ガ……ッ」

びくりびくりと信者の体が跳ねる。断末魔を上げることすら出来ない喉から血を噴き上げ、見開いた瞳は瞳孔が開き切り石に覆われた天井を映していた。

その喉には咄嗟に飛び退った奴隷の手は無く、太いナイフが突き刺さっていた。ナイフは首を貫通し後ろの壁へと突き刺さり、弱弱しく歪に動き続ける男を標本のように張りつけている。

鮮やかな赤い髪が、ランプの灯りしか光源のない空間で毒々しく艶めいた。

「良いよ、こんな事しないで」

嵐の前の静けさのような、感情の抜けおちたような声でそう告げたのはイレヴンだった。微かに乱れる呼吸を落ち着かせるように深く呼吸をしながら、その視線がゆっくりとリゼルへと向けられる。

「だいじょぶ?」

柄が軋む程に力の籠められていた手がナイフを離し、銃口を逸らしていた手も下ろされた。

「イレヴン」

「何された?」

声と同様に笑みすら浮かばない顔で、イレヴンが問いかける。

リゼルしか映さなかった視線は一部が刻まれ欠けている檻へと移り、そして両手を拘束する手錠で止まった。自らへと向けられた穏やかな呼びかけを遮るように問いかけてしまったのは、孕んだ激情を掻き消されたくなかったからなのかもしれない。

磔にされた信者の男から溢れる血が勢いを無くしていき、遂にはぴくりとも動かなくなる。血の匂いが充満していく空間で、ふいにイレヴンは足を踏み出した。

「何されて、そんな怒ったの。教えて、大丈夫、何もしなくて良い。だから、ほら」

少しの音も反響する空間で、しかし微かな足音すらさせない歩みは空気を更に張りつめさせる。誰しもがただ殺されるのを待つしかないような、そんな空気。

そしてイレヴンは、優しく、甘く、微笑みを浮かべた。

「誰が、アンタのこと怒らせた?」

直後、ギィンッと刃物同士がぶつかる音が破裂した。リゼルの傍まで引いていた奴隷が腕を構え、斬りかかる双剣を受け止めている。

数瞬遅れ、喉元に猛毒滴る牙が晒されるような殺気がその場を支配した。ざわりと背筋を何かが這い上がるような感覚に、奴隷は明確に目の前の鮮やかな赤を敵だと認識する。

連綿と続く血統に刻まれた戦士としての本能が、彼に臨戦態勢をとらせていた。そうじゃなければ初撃で勝負はついていた筈だ。

「……ッぜぇなァ!」

イレヴンの声には多大な憤りが込められていた。

何故剣が通らないのか、そんな物はどうでも良い。目の前にいる男がリゼルを攫った人間であれば充分で、それだけで殺す理由にはなる。

一度距離を置き、イレヴンは深く息を吐きながら天井を仰いだ。

「イレヴン」

かけられた声に、視線だけでそちらを向く。目を細め、しかし何も言うことは無く石畳を蹴った。

「(睨まれた……)」

リゼルは苦笑し、数歩後退して背後の鉄格子に背を預けた。

黙って見ていろと、そう告げられた。つまり制止されようと止められないという事なのだろう、随分と心配をかけてしまったようだ。

ならば止めようとは思わない。何を優先すべきかは分かっているし、イレヴンもリゼルが止めようとした意図は汲むだろう。来た時の状況も見ている事だし、殺しはしない。

「……」

剣と剣がぶつかり合う音を聞きながら、リゼルは長く息を吐いた。久々に乱れた感情に自分もまだまだだと苦笑しながら、怒るのって疲れると目を伏せる。

微かに感じる眩暈を落ち着けようと、少しだけ明滅する視界を閉じた。色々とタイミングが悪かったなぁと、そう思いながらゆっくりと瞳を開く。

「……ジル?」

「どうした」

近付いて来る影と見慣れた靴先に、視線を上げる。激しい剣戟の音と濃密な殺気に一切関心を向けることなく、真っすぐにこちらを見ながら歩み寄って来るジルがいた。

微笑むと、眉を寄せられる。身に着けた黒い手袋を片方だけ外しながら向かい合う様に立ち止まったジルが、その手を伸ばしリゼルの額へと触れた。

前髪をくぐるように押し当てられた掌に、リゼルは心地良さそうに目を細める。

「熱か」

「はい」

「他は」

「それだけです」

他というのは、熱以外でという事だろう。筋肉痛もほぼ治ったし、信者らに暴行を加えられたとかいう事も無い。

ジルは確認するようにリゼルを上から下まで眺める。手首を覆う手錠に額から離しかけた手をピクリと止め、そして背後の檻を一瞥して小さく舌打ちを零した。

「上着はどうした」

「荷物と一緒に取られました」

話しながらも、額から離れた手はゆっくりと降りていく。

そして手錠にたどり着き、手錠と手首の隙間を確認するように指先で撫でた。くすぐったそうに揺れた手首は、しかし逃げることなく体の前に降ろされたままだ。

長い指がたどる様に鎖へと引っ掛けられた。少しだけ引き寄せ、しかし直ぐに離す。戯れるようなその仕草だが、戯れている訳では無いのだろう。

「何時から」

「今朝から絶不調です。全身の関節が痛くて」

「ならかなり熱高ぇな」

情報は正確な方が良いと、無理に平気を装わないのがリゼルだ。言葉に偽りは無いのだろう、ジルはそう思いながら徐に手錠へと手をかけた。

決してリゼルを傷つけないよう加えられた力に、パキンッと小さく欠ける。そこから徐々にヒビが広がり、完全に壊れて床へと散らばっていった。

「有難うございます」

「もう片方寄越せ」

そして容易に破壊された手錠が、音を立て床に落ちる。軽く感じる、と興味深そうに持ち上げられた手首に傷が無いことを確認し、ジルは手袋をはめ直して上着を脱いだ。

「着てろ」

「そういえば前、イレヴンに黒が似合わないって言われたんですよね」

「アホ」

押し付けられるように渡されたそれを、リゼルが遠慮なくもぞもぞ身に着ける。

それを眺めながらジルは小さくため息をつき、リゼルの隣へと腕を組んでもたれ掛かった。体調が悪い上、血の匂いも不快だし早く此処から出た方が良い。

しかしイレヴンがただ攫われただけでは無い憎悪を抱いているようだし、自身より早く到着した彼は何かを見たのかもしれない。直ぐ様リゼルに構わないほどの、何か。

「 二人(・・) が終わるまで待ってましょうか」

「……そうかよ」

結局のところリゼルが待つと言うのだから、ジルにここを動く理由は無い。

その時、トンッと肩が寄せられた感覚がした。見下ろすと二人を見ながら此方に寄りかかるリゼルがいて、好き放題やらせた後は強制的に寝かせてやると内心で呟く。

限界が来れば言うだろうと、リゼルの言葉の真意を探りながら決着がつきそうな光景を眺めた。

ガツッと骨に届く衝撃に奴隷の男は顔を顰めた。

魔物を一方的に追い詰めるような戦闘しか経験の無い彼が、知ったばかりの刃や戦いでの体の使い方を知っているのは本能としか言いようがない。遥か過去に最強の名を欲しいままにしていた種族において、誰もが持ち得るものだ。

だが、どれほどに素晴らしい刃を持とうと磨かなければ最強には決してなりえない。常人相手ならば通用するだろうが、一定のレベルを越えた者達の刃は何処までも鋭く研ぎ澄まされているのだから。

「遅ぇよ」

「ッグ」

防御が間に合わない。しかし、斬られても傷など負わないのだから端から防御など捨てている。でなければとうに斬り伏せられていた。

相手が恐らく自分では敵わないだろう事など初めから分かっている。自分が何故攻撃されているかは気付いている。目の前の人間から大切な人を奪ったからだ。

許さないでと告げたのだ。止めてくれなど身の程も知らないような事は決して思わないし、微かな安堵すら抱いている。死にたい訳ではないが、許される方が怖い。

「斬る、無駄ッ!!」

赤い髪を翻しながら繰り出された攻撃を防ぐことなく耐え、奴隷は咄嗟に刃を携えた腕を前へと突き出した。

数ミリの差で避けられたそれを予想していたかのように突き出した手を思いきり握り込んだ。ズ、と入れ墨を引き裂くように真横にあるイレヴンへと新たな刃が飛び出す。

鱗のない頬から、微かに血が飛び散った。

「雑魚がさァ……ッ」

まさか避けられるとは思わず、奴隷は目を見開いた。

しかし驚くより先に体は反射的に動く。防御に転じようと手を引き寄せかけた彼は、しかし瞬時にそれが間に合わない事を悟った。

「調子こいてんじゃねぇ!!」

引き寄せる腕に絡みつくように伸ばされた足へと、反応するのは不可能だった。

剣すら効かない体に蹴りが効く筈が無い。奴隷は迫る靴底を睨みつけ、攻撃が叩き込まれて直ぐに反撃に転じられるよう防御を捨て攻撃の為に更に腕を引く。

しかし直後感じたのは、顔面に叩きつけられた靴の感覚と目の奥が焼け落ちる程の激痛だった。

「ッアァアアァァァ!!」

奴隷は片目を押さえ後ずさる。押さえた手からはダラダラと血が流れ落ちていた。

何も無かった筈だ。こんな何かを差し込まれたような痛みを与えるようなものは、何も。

「う、ぅ……」

痛みに耐えきれないと膝をつき俯く男へと、イレヴンはゆっくりと近付いた。

歩きながらも剣と共に何かを服の下へと仕舞っている。まるで何も持っていないかのような手元には、確かに指で挟み込まれながら存在していた。

余りにも薄く透明なそれが極限まで薄くされたとある魔物の鱗だと、ましてや眼球に向かい垂直に放られれば薄暗い空間において気付くのは不可能だった。

「これ、どうすりゃ良い?」

床に踞る男の前に立ちながら、イレヴンはようやくいつもの調子を取り戻し問いかけた。

落ち着いたようだと、その視線の先に居たリゼルが檻から背を離す。ジルの上着を着こんで近付いて来るその姿に、気に入らないというように顔を顰めた。

「やっぱ具合悪い? 平気?」

「そう思うなら放置すんじゃねぇよ」

「無理無理、むかつき過ぎてリーダーに当たりそうだったし」

軽い口調とは裏腹に気遣う様に覗き込んでくる姿に、リゼルは褒めるように微笑んだ。

傷に触れないよう頬を突いてやると、気付いたかのように回復薬を取り出す。本来ならば回復薬など勿体ない傷だが、リゼルが気にするのでジルもイレヴンも見える範囲で血を流したら治すようにしていた。

低級の回復薬で洗う様に傷を流すと、すぐに跡すら消える。

「迎えに来てくれて有難うございます、イレヴン」

「んー」

イレヴンは伸ばされた手を握り、その手に頬を押し付けるように擦り付けた。

その手が頬を覆い撫でる感触に満足げに笑みを浮かべ、しかし普段より高い手の体温に不満を隠さず口を開いた。

「熱あんじゃねッスか。回復薬とか飲んでみる?」

「あれって飲めるものなんですか? それより、薬なら彼に渡して下さい」

リゼルが言いながら視線を向けた先では、激しい痛みに耐えながら埋まる鱗を引き抜いた奴隷がいた。溢れる血を押さえながら、自分の話だと分かったのかゆるゆると顔を上げている。

止まらない血は腕を伝い肘から落ちて、床に血だまりを作っていく。

「えー……」

「俺は荷物とられてますし、駄目ですか?」

すり寄っている手がむにむにと頬を揉んでくる感覚に、イレヴンは拗ねたように視線を逸らした。その視線の先にはジルがいる。イレヴンがダメならリゼルはジルに頼むだろう。

そちらの方が簡単だと言うのに自分に頼むのならば、それはつまりこの場はこれで手打ちにしろという事だ。全力で嫌だが、体調の悪いリゼルをいつまでも此処に留めるつもりはない。

イレヴンは思い切り渋々という顔をしながら、回復薬を取り出した。嬉しそうに笑うリゼルから視線を逸らしながら、指で弾くように栓を抜き奴隷に向かってぶちまける。

「…――――っっっ!!」

「あっ」

頭上から浴びせられた回復薬に、しかし奴隷は呑み込みきれない悲鳴を上げた。

強く傷ついた目を押さえ踞る姿を見て、リゼルは気遣う様に膝をつく。

「俺が使った事ないから忘れてました……大丈夫ですか? 傷は治ってる筈なので、落ち着いて」

「う、ぅ……」

「イレヴン」

「回復薬渡せしか言われてねぇもん」

通常、迷宮産の特殊な回復薬以外は治癒の際に強い痛みを伴う。それはもう、実際傷を負った以上の痛みを伴うので色々な意味で最終手段だ。

リゼルが少しだけ咎めるように名を呼ぶと、悪びれない言葉が返って来た。イレヴンにしてみれば回復薬を出しただけ上々だろう、そう思うので叱りはしないが。

「手、離せますか?」

真っすぐに此方を向く無事な瞳が涙を孕んでいるのに苦笑し、慰めるように指先で目元を撫でる。優しい感触にコクリと一度頷いた奴隷は、まだズキリズキリと痛み続ける目から手をどけた。

「あ、血は止まってますね」

「ん」

「ちゃんと見えてますか?」

コクリ、コクリと頷く姿に大丈夫そうだとリゼルは立ち上がった。

肩からずり落ちそうになるジルの上着を引き寄せながら、見上げて来る鈍色の瞳に微笑む。すると奴隷の唇が何かを告げるように薄っすらと開き、しかし直ぐに噤まれた。

言いたいことがあるのかと、促すように首を傾けてみせる。奴隷は恐る恐るといった様子を隠さずに、ゆっくりと口を開いた。

「クァト」

乞う様に告げられた声に、リゼルは何も返さずただ微笑んで彼を見下ろす。

奴隷はぐぅっと喉を鳴らしながらも、しかし諦めきれず自らが従うべき相手を見上げた。どこか必死な面持ちで、もう一度願う。

「名前……俺の、名前。クァト」

許さないでと告げた。それだけが奴隷の望みだった。

しかしそれは決して邪険にされたい訳では無い。居ないように扱われたい訳じゃない。許されるなら呼んで欲しい、そう思ってしまうのは図々しいだろうか。

「俺の荷物、何処に置いてあるか分かりますね」

ふいに落とされた声に、奴隷は一瞬きょとんと眼を瞬いた。

ほぼ無意識ながらに頷くと、ふいに手が伸ばされる。その指先は優しい仕草で、血で固まった前髪が目に入らないようによけていく。

リゼルはその感覚に目を細める奴隷を微笑んだまま見下ろし、そして告げた。

「此処で待ってるので、持って来て下さい。クァト」

奴隷は、クァトは弾かれたように顔を上げた。

いそいそと立ち上がり、そわそわとリゼルを見て、向けられた笑みに彼自身も嬉しそうに笑みを浮かべる。何処か力が抜けたような、子供のような笑みだった。

そのまま後ろ向きに数歩下がり、直ぐに踵を返して通路の奥へと駆けて行く。その姿を見送るリゼルに、ふいにイレヴンが肩を寄せてきた。

「で、アレ何スか。すっげぇ甘やかしてんじゃん」

「そうですか?」

向けられた不満も露わな視線に、リゼルは苦笑して此方からも寄りかかる。

ちらりとジルを見ると、珍しくイレヴンに同意のようだ。呆れの中に不信感を滲ませた目に、確かに自覚はあるけどと内心で呟く。

「確かにな。お前にしちゃ焦らさねぇし」

「人聞きが悪いです。否定はしませんけど」

ほのほのと言いながら、けほっとリゼルは軽く咳き込んだ。

直ぐに心配そうに窺ってくるイレヴンに大丈夫と微笑んで、しかしうーんと何かを考えるように口を閉じる。何処か言いよどむような様子に、珍しいことだと二人の視線が向いた。

「頭回んねぇほど辛いなら黙ってろ」

「いえ、そうじゃないんです。何て言ったら良いのかな」

リゼルの視線が、壁に磔にされ絶命している信者を見た。

そういえばのんびり話すには何とも場違いな場所だろう。ここで待っていると告げたのだから待っているが。

「彼は元々、あの信者さん達に奴隷として教育されてたんです。洗脳とかもあったと思います」

「怖ぇよ」

「奴隷とか今時マジで言ってんの? それ変態とかじゃなくて?」

「そうみたいですよ。本当に奴隷っぽくて驚きました」

ドン引きしているジル達に、やはり此方の世界でも似たようなものらしいとリゼルは頷いた。つまり、現実味が無いということ。

実際に人を奴隷にしようなどと、人を支配したがる支配者独特の発想なのだろう。

「リーダーだいじょぶ? 鞭で打たれて重い荷物運ばされたりとかした?」

「鞭は誰も持ってなかったです」

典型的な奴隷イメージを持つイレヴンに、大丈夫だと安心させるように微笑む。誰も入れない牢の中に居たのだ、ある意味もの凄く安全だった。

「つか信者って? 大侵攻のアレ関係だと思ったんスけど」

「そうですよ。支配者さんを盲目的に崇拝してる人達なので、信者さんって呼んでます」

言いえて妙だ。ジルもイレヴンもある程度予想通りだったのだろう、特に驚きもせず納得している。

そして、それがどうしたという視線がリゼルへと向けられた。奴隷だろうと何だろうと、それがリゼルがクァトを受け入れる理由にはならない。

「同情でもしたか」

「まさか」

薄らと笑みを浮かべたジルに、リゼルは目を細めながら微笑んだ。

こうもあからさまに試すような視線は、出会ってから暫く護衛を頼んでいた時以来か。あの時との違いは返答を間違えれば離れていくようなものでは無く、確認程度の戯れであるという事だ。

熱で弱っている所を狙うなんて性根が悪いと、吐息のような笑みを零した。

「でも、そうですね」

悪戯っぽく呟き、もたれていたイレヴンの肩から身を離す。

「恥ずかしいから、今はまだ秘密です」

ここまで来てズルいと不満そうなイレヴンのブーイングに、リゼルは可笑しそうに笑いながらジルの上着を手繰り寄せた。訝しげに此方を見ていたジルが、諦めるようにため息をつく。

その時、裸足が石畳を叩く音が徐々に近づいて来た。

「あ、帰って来ましたね」

「どうすんだよ」

「取り敢えず連れていきます。仲良くとまでは言いませんけど、あまり大喧嘩しないように」

喧嘩のくだりで視線を向けられ、イレヴンが軽薄ににこりと笑ってみせる。

リゼルも自分の事を心配してくれた気持ちや、それ故にクァトへ怒りを抱く気持ちも理解している。嬉しくも思っているからこそ、その気持ちを無視したりはしない。

だから今はそれで良いと、結局返事の無かったイレヴンに何も言わず微笑んだ。軽薄な笑みは満足そうなものへと変わったので、対応としては間違っていなかったのだろう。

「つかニィサンには言わねぇんスか」

「ジルは大丈夫です。弱い者苛めしないので」

「えー、過大評価ぁ」

「うるせぇ」

そう話している間に、手に荷物を持ったクァトが駆け寄って来た。

何処かそわそわとジルやイレヴンを気にかけながら、リゼルへと歩み寄る。まるで壊れ物のようにそっと差し出されたのは、確かにリゼルの上着とポーチだった。

「持って来る。来た」

「有難うございます」

リゼルは借りていた上着を脱ぎ、それを隣へ立ったジルへと渡した。自らの上着を身に着け、そしてポーチを受け取り装着しようとした所でそれが横から奪われる。

どうやら持って行ってくれるようだと抵抗せずに見送ると、ジルによって再び彼の上着が頭から被せられる。

「着てろ」

「あったかいです」

リゼルは遠慮なく借りた上着を羽織った。相変わらず寒気はするので有難い。

「じゃあ、そろそろ行きましょうか。ジル達って何処から入って来たんですか?」

リゼルが地下通路内を見たのは、此処に連れて来られた時に牢屋へと向かう道筋だけだ。此処に来るまでも目隠しをされていたし、草木の香りから森に一度入った気がする程度で入口の場所は分からない。

信者らの目的を考えれば、此処が何処かは想像がつかなくはないが。

「俺は森」

「王宮」

「は、王宮?」

「壁越えて入ったから場所は良く分かんねぇ。どっかの裏庭の隅だった」

やっぱり、とリゼルは地下通路を眺めた。

「此処は王族用の脱出経路みたいですね。何かあったら王宮から森に抜け出せるように」

勇猛果敢なイメージのあるアスタルニア王族が、民を残して脱出する事態など恐らく今まで一度も無かっただろう。知る人間も酷く限られるだろうし、普段は人が立ち入る場所では無い。

食事も保存食のようなものばかりだったし、まさに非常時に蓄えられていたものを勝手に拝借していたのではないだろうか。綿密な計画の上に選ばれたのだろうが、大胆な事をする。

「イレヴンは早かったし、森にいたんですか?」

「まぁ森に隠蔽魔法あるのは分かってたし。街中は捨ててそっち調べてた時に、ヘーカの魔力たどって見つけたんスよ」

通常、余程強大な魔力でなければ他人の魔力など感じることも出来ない。魔法使いならば慣れさえすれば流れ程度は知ることが出来るが、それでも離れれば分からなくなる。

決して魔法が得意ではないジル達二人が入口を見つけられたのは、ただ知っているからに他ならない。自力で空間を割り開く圧倒的な魔力を感じた事があるからこそ、魔力の源流を見つけることが出来た。

「つかニィサン無断侵入じゃん」

「てめぇに言われたくねぇ」

「バレなかったんですか?」

「タイミング良かったからな」

ちなみにクァトはテンポ良く進む会話にきょろきょろとしている。

「タイミング?」

「王宮の上に魔法陣が出て騒いでた。すげぇ一瞬だったみてぇだが」

「何それ、騒いでたんなら国の魔法陣じゃねぇの?」

発動したのか、とリゼルは少し意外そうだ。

それもそうだろう、纏め役だろう信者はリゼルの目の前にいたのだ。彼を外して使命を実行する理由は無い。

予想では性能の良い魔力増幅装置があった筈だ、そこに魔力を溜め込んだままならば被害は最小限で済んだ筈なのだが。功を急いた誰かが先走ったのかなと、リゼルはのんびりと微笑んだ。

「いえ、信者さん達の魔法陣です。魔鳥騎兵団を“粛清”したかったみたいで」

粛清、それは攻撃と同意語だ。

他国相手に喧嘩を売るなんて面倒な事を良くやるものだと、ジルとイレヴンは然して興味無さそうに頷いた。二人にとっては信者らの目的や騎兵団の進退などどうでも良いことなのだろう。

「じゃあ何でお前が攫われんだよ」

「俺も不思議なんですよね」

「やっぱ逆恨みじゃん。うっぜ」

ジルもイレヴンも、粛清の妨害を阻止するためという信者の言い分など思い浮かばない。

二人はリゼルがそれをしない事を知っている。そこに善意も悪意も他意も無く、むしろ関わろうとすれば周囲から“何で?”と思われる事も想像に難くない。

冒険者の義務であった大侵攻とは違うのだから、ごくごく自然に他の国民と同じように成り行きを見守っただろう。信者が全力で自らの墓穴を掘っただけだ。

「ならまだ騒ぎは続いてるでしょうし、俺たちが出て行ってもバレないでしょうか」

「リーダー王宮側から出てぇの?」

「ナハスさんに全力で看病して貰おうと思ってます」

リゼルとて久々にがっつりと風邪を引いたのだ。

どうせ医者に診てもらうなら王宮に縁があるような優秀な医者が良いし、どうせ看病して貰うなら慣れた人間に看病して貰いたい。ナハスは絶対看病が上手い。

「今回俺は巻き込まれたんですし、それで何とか……ちょっと弱いでしょうか」

体調悪い癖にほのほのとそんな事を言うあたりがリゼルだなぁと、ジル達の視線がそちらを向いた。

とはいえ誘拐されたのだから王宮に行けば保護ぐらいはして貰えるだろう。リゼルは取り敢えず向かいながら考えようかと足を踏み出しかけ、しかし何かを思い出したようにぴたりと止まる。

「そうだ、イレヴン」

「ん?」

「信者さん達、すぐ国外に逃げようとすると思うんです。森側、頼んで良いですか?」

「捕まえりゃ良い?」

「はい。殺しちゃダメですよ」

普段と変わらず微笑むリゼルに、何かを探るようにイレヴンの瞳が細められた。

一瞬の後、にこりと笑みを浮かべてみせる。

「りょーかい」

一言そう告げたイレヴンは、ひらりと手を振りリゼル達を追い越して行った。

蛇のようにしなる鮮やかな赤が通路の先に消えていくのを見送り、自分たちも行こうとリゼル達も逆の方向へと歩みだした。王宮への道筋を知るジルが先導する形だ。

その後ろに、いかにもどうしようと言わんばかりにウロウロしているクァトがいる。置いていかないでと踏み出しかけた足は、しかしふっと振り返ったリゼルの視線に縫い止められ咄嗟に止まった。

「どうしたんですか?」

向けられた笑みを、窺う様にじっと見る。

「行きますよ」

「!」

呼ばれ、クァトがパッと顔を上げた。

いかにも嬉しそうな空気を醸し出しながら駆け足で寄って来る姿に、横目でそれを見ていたジルは呆れたように目を細める。従属を強制する支配者らなど可愛いものだろう、相手の意志を尊重しながらも自分を選ばせるこの男に比べれば。

ジル自身がクァトに何かを思う事は無い。攫われたリゼルがその事に対して怒っていないなら、好きにすれば良いと思う。

深く深く心の底に落とし込んだ憤りも、取り敢えずは晴らしているのだから。

「ちょっとぐらぐらします」

「抱えてやろうか」

「今抱えられると眠くなりそうなんですよね」

まだ寝たくないらしい、辛ければ言うだろうとジルは少しだけ歩くペースを落とした。

そのまま自然な仕草で熱を測ろうとリゼルの額に翳された手が、一瞬だけ視界を遮る。数歩の間だけ額に触れ、離れて行ったその意図にリゼルは気づかなかった。

「?」

クァトだけが、一瞬足を止める。

リゼルとジルが通り過ぎた通路の横、分かれ道の直ぐ向こう側に散らばった信者らの亡骸があった。彼は人の原型を失ったそれをじっと見ていたが、不思議そうに目を瞬かせただけで直ぐにリゼルの元へと戻っていった。