作品タイトル不明
111.今日も元気にふわふわしてる
新規の迷宮に潜る時は、大抵冒険者達が勝手に潜る。
ものによってはギルド職員が迷宮の扉の前に立ち、入れる人間を選別したり列を整理したりもするが、冒険者達がギルドに何かを報告したりはしない。勿論新しい迷宮に対する依頼など出ている訳も無く、ギルドに寄る事なく迷宮へ向かう。
ただ暗黙の了解として、早い者勝ちの情報提供料を得る為に帰りにはギルドに寄る者がほとんどだった。何せ新しい迷宮なので通った道筋でさえ金になる、先に攻略している者がなければ見事報酬を手に入れることが出来るし、ギルド側も冒険者の攻略進行度を知る事が出来る。
しかし今回は例外がいることを、冒険者もギルドも誰もが知っていた。
「あ、朝一なのに少ないですね」
「ほとんど新規の迷宮に行ってんだろ、こんなもんじゃねぇの」
「今日も混んでそッスね」
その例外がギルドに顔を出した時、いつもより人数が少ない筈のギルドがざわめいた。
リゼル達が昨日新しい迷宮を訪れたことは既に広まっている。そして帰りに一切ギルドに寄ることなくお腹が空いたと言いながら宿に帰って行ったことも。
それは彼らが一番踏破に近いパーティであり、一日で踏破してもおかしくはないと思われているからであり、今日も迷宮に潜るのならば必要の無いギルドに朝から訪れているからであった。
「え? 何、え? 踏破? は、もう踏破?」
「いや無ぇだろ……無ぇよ、うん、無ぇ……はず」
常より更に、むしろ全員の視線が集まる中リゼル達は至って普通に警告ボードへと歩いて行く。リゼル達が気にしないのは何てこと無い、昨日新しい迷宮に潜りに行った帰り道や馬車の中で、ひたすら同じようなことを周囲に囁かれ続けたからだ。
髪を耳にかけながら、リゼルは警告ボードを覗き込んだ。国の東側では魔物の大量発生が警告されているが、新しい迷宮は暫く大丈夫そうだ。
そのまま依頼ボードの前まで移動し、いつも通り低ランクから順に目を通していた時だった。
「おい」
「ん?」
「後ろ」
ジルに呼びかけられ、促されるままに後ろを振り向く。
そこには何かを訴えるような凄い目を此方に向けているギルド職員がいた。相変わらずのスキンヘッドと組まれた腕が彼の迫力を増している。
視線が合い、職員が組んだ腕を解いて手招く。リゼルは何か用があるのかと穏やかに微笑みながら、依頼ボードの前からギルド依頼受付へと移動した。
「どうしました?」
「いや、どうしたじゃなくてだな……」
職員は厳しい、というよりは何かを覚悟したような目をして再び腕を組んだ。
それは自らの威厳を増す為というよりは、来るべき衝撃に耐えるかのような動作だ。ごくりと息を呑み、そして他の冒険者らが見守る中で意を決したように口を開いた。
「おら、言う事があんだろうが、ギルドに」
「あ、この前は机を壊してすみませんでした」
「あぁ、何か結局相手が全額払ってったな……いや、そうじゃねぇよ。ほら、新迷宮のことで何か無いか、あんだろ」
「新迷宮? そうですね……新しい迷宮が出来た時は、専用の馬車を朝夕だけでも例外的に増やした方が良いと思います」
「おう、そりゃそうだな。ただ馬車の数を今より増やそうと思うと予算が……じゃねぇよ!」
ギルド職員は結局使わなかった机の修理代をリゼルへと返しながら何処かそわそわと、怖れるような期待するような様子で視線を泳がしている。
それを見ながら、リゼルは成程と頷いた。そういえば以前、アインが新迷宮に関して交渉しに来た際に、冒険者同士がどうやって互いの進捗状況を知っているのか疑問に思ったことがある。
後々ジルに聞いてみれば、情報提供や自己申告、ギルドカードによりギルドが正確に把握しているようだ。リゼル達のパーティには攻略速度が異常と噂の一刀もいることだし、気になって当然だろう。
「分かりました、迷宮の攻略状況ですね」
「お、おう」
「十階層まで行きました」
ならば別に隠すことでもないと、リゼルは微笑んだ。
報告は義務ではないとはいえ、知っておきたいというギルドの気持ちも分かる。仕事熱心なのは良いことだ、と思いながら到達階層を口にした。
一応証拠としてギルドカードも必要だろうか、そう思いながらリゼルが職員を見ると、顎鬚をざりざりとなぞりながら何とも言えない顔をしていた。
「十階……昨日一日で十階か……普通に凄ぇ早い攻略だな……」
凄く早いなら良いんじゃないだろうかと思う三人の前で、職員は何故か微妙にがっかりしている。他の冒険者らも安堵しつつも似たようなものだ。
「期待を裏切っちゃったんでしょうか」
「アホ」
悪い事をしたのだろうかとリゼルがジルを見ると、呆れたように視線を返された。
それが聞こえた職員は一度咳払いし、気を取り直すように笑みを浮かべて首を振る。
「いや、悪ィな。依頼探しに来てんなら踏破してんじゃねぇかって思っちまったんだ」
「あぁ、成程」
可笑しそうに笑うリゼルに、どうやら怒ってはいないようだと職員は安堵する。しかし一日で踏破を選択肢に入れるあたり、すっかり目の前の三人に感化されてしまったようだ。
勝手に期待されて勝手にがっかりされては嫌だっただろう、反省せねばとしみじみと顎鬚をなぞる。その程度のことを不快に感じるような男には見えないが、それはそれだ。
越えてはならない一線さえ越えなければ基本的には穏やかで気の良い男なのだと、うんうんと頷いた。
「もし、やっておきたい依頼があったら受けようと思って来たんです。でも無さそうですし、今日もやっぱりあの迷宮ですね」
ただ新迷宮を踏破する実力を持ちながら依頼を優先する考えはいまいち理解が出来ない。
「おう、頑張ってこいよ。踏破報酬が出たら見せてくれ」
「面白い仕掛けが多くて、なかなか進まないんですけど」
苦笑するリゼルに、職員も大口を開けて笑う。それこそが迷宮の醍醐味だ。
そんな職員を何を考えているのか目を細めて一瞥したのはイレヴンで、彼は隣に立つリゼルに近付きトンッと肩を寄せる。どうしたのかと向けられた視線に笑みを浮かべ、至近距離で甘く穏やかな瞳を覗き込んだ。
「リーダーが隠し部屋で見つけた宝石の山とかも見せてやったら?」
職員が笑みを浮かべていた顔を引き攣らせて固まる。
リゼルはそれに気付いているのかいないのか、顔を寄せられているイレヴンの髪をくしゃくしゃと撫でてやりながら仕方なさそうに微笑んだ。にっこりとわざとらしく笑い返される。
その意図を察するのは容易で、なだめるように満足げなイレヴンの頬をぽんぽんと叩いてやると触れ合った肩がゆっくりと離れていった。満足したなら何よりだ。
だが、確かに見せた方が良いだろうか。以前 商業国(マルケイド) でギルド受付の紅一点であるレイラが隠し部屋に証拠はいらないと言っていたが、参考にもなるし無いより有った方が良いのだろう。
「んー……でも、迷宮品とかじゃない普通の宝石ばかりですし。今思えば、何だか隠し部屋が多かったですね」
「お前がいちいち見つけるから進まねぇんだろうが」
「良いじゃねッスか、近道とかもあったし」
そんな事を話しながら遅くならない内にと迷宮へ向かおうとするリゼル達を見ながら職員は思う。この三人相手は、これだから気が抜けないのだ。
やはり何事もなく見送らせてくれないリゼル達を見送る職員の顔は、しかし何処か満足そうだった。
リゼル達は朝一を過ぎて少しだけ空いた馬車に乗り、“人ならざる者達の書庫”へと到着した。空いたと言っても一番混む時間を過ぎただけで混んでいる事に変わりは無いのだが。
やはり新迷宮が出た時期だけでも馬車の本数を増やすべき、などと話し合いながら十階層へと魔法陣で転移する。
相変わらず本棚が広がる光景はリゼルの心を落ち着かせた。それを言えば迷宮で落ち着くのもどうなのかと言われるだろうと口には出さないまま、本棚に挟まれた通路を進み始める。
「全部で何階層なんでしょうね」
「特別長くも短くもねぇんじゃねッスか。四十ぐらい?」
「何で分かるんですか?」
「あー……何つーの、ペース?」
ペース、と不思議そうなリゼルにイレヴンは唸る。どう言えば良いのか分からない。
その横で、ジルが溜息をつきながら補足した。
「階層を追うごとに魔物が強くなんだろ。短ぇとそれこそ一階ごとにレベル上がるし、長ぇなら五階おきかそこらで変わんだよ」
「それそれ、仕掛けも段々えげつなくなんじゃん。それのペース」
成程、とリゼルは頷いた。
それは酷く感覚的で、数多くの迷宮へと潜って来たジルやイレヴンだからこそ分かる事だろう。リゼルにとっては魔物なんて気付いたら最初より強くなってるような程度だ。
「それにプラスして、一階層がもっと狭ぇなら階層は増えるし広ぇなら減る」
「あ、それは分かります」
ここらへんはジルは大体の所要時間や移動距離で言っているが、リゼルは今まで踏破してきた道筋を思い出しながら聞いている。迷路状の通路で正確に階層の広さを把握出来る辺りがリゼルだろう。
別にそこまで正確に階層のあたりを付ける必要は無いのだが、大体は把握出来た方が良いらしい。冒険者にとって重要な攻略ペースにも関わって来る。
「直接剣を合わせたりする訳じゃないから、俺じゃ余計分かりにくいのかもしれません。出る魔物が変わった時とか、見た事ない動きがあった時は流石に分かるんですけど」
「それで充分ッスよ」
リゼルは決して一人で迷宮に潜らないし、潜るとしたらジルかイレヴンがいるので問題は無いが冒険者として必要と言うなら身に付けたい。ずっと前から身に付けたいと地味に色々努力している気配やら殺気やらは未だに分からないが。
そんな事を話しながらリゼル達が枝分かれする道を魔物と戦いながら進んでいた時だった。進んだ先に、今までと少し違う空間を発見する。
「あれ、行き止まりですね」
今までも、通路と通路を繋ぐように小部屋のようなものはあった。
それは一様に本好きな人間が個人的に作った書庫のようで、隅から隅まで整理されていたり雑多に床に本が積まれていたりと、まるで書庫の所有者の性格が現れているようでリゼルには面白かった。
しかし今回現れた部屋は、小部屋と言うには広い。広めの本屋ぐらいはあるだろうか、棚は壁際に並べてあるものだけで後は開けた空間に本が雑多に散らばっている。
その中で、異彩を放つ一冊の本があった。
「うっわ、でっけぇ本」
「遠近感狂いそうだよな」
「読みにくそうです」
部屋の中央に、ドンと横たわる巨大な本が異様な存在感を出している。その大きさはリゼル達の身長ぐらいだろうか、厚みは膝に届きそうな程だった。
今来た道以外に繋がる通路はないし、この先に進む為には明らかに怪しい巨大本がカギなのだろう。三人で本を囲み見下ろし、大きい大きいと言いながら調べていく。
「金の箔押しの題名、良い本です」
「なんかボンヤリ光ってっけど」
表紙を上向きに横たわっているので、その題名も姿を現している。
その文字は金だからというのを別にしてもボンヤリと光っていて怪しさを助長させていた。
「ん、この題名……」
文字が大きすぎて読みにくかったが、改めて題名を眺めたリゼルがふいに気付く。
記されているのは“Vampire”の文字、とある小説家の代表作と同じ名前だ。魔物としてヴァンパイアは確かに実在するが、まさかその魔物で一冊の本が作れる訳がない。
「ジル、そっちに著者名が無いですか?」
「あ?」
今まで通り意味の無い単語が使われている可能性もあるが、とリゼルは丁度向かい側に立っていたジルに声をかける。表紙には題名以外には何も書かれていないからだ。
ジルは一歩後ろに下がり足元にある本の背を覗き込む。そこには確かにかの小説家の名前が書かれていた。
「ならやっぱり、これは小説家さんの本ですよね」
「何スかソレ、どゆこと?」
「これはもう、いっそ開いてみるしか無い気がします」
リゼルはそう言いながら、巨大な本を迂回してジルの元へ向かう。
そして躊躇なくその後ろへ隠れ、ひょこりと顔だけ出して本を見た。イレヴンも同じく隠れながら、早くと急かすようにつま先でジルの踵をゴンゴン蹴っている。
「ジル、良いですよ」
「ニィサン頑張れー」
直後足を踏まれてイレヴンは無言で悶絶した。ジルはそれを全く気にする事なく呆れたように溜息をつく。
いかにも怪しい物に触れる時に一番に注意すべきなのは罠で、今回は恐らく罠ではないとは思うが警戒はするべきだ。だからリゼル達はジルに開けて貰って後ろに隠れている。これが一番早い。
ちなみに何故罠ではないと予想されるかといえば、攻略上必ず突破しなければいけない仕掛けにまず罠は仕掛けられないから。どうやっても絶対に回避できないような理不尽な罠は迷宮には存在しない。
「開くぞ」
「重そうな表紙ですよね」
興味深そうな癖に身を乗り出そうともしないあたりが流石だと、そんな事を思いながらジルが分厚い表紙へと手をかけた。
直後、題名しかなかった表紙へと滲みだすように新しい文字が姿を現す。ぼんやりと光る金箔の文字、そこには“貴方は成りきらなければならない”と書かれていた。
そして少しだけ持ち上げかけていた表紙の隙間から光が漏れる。眩しい光に三人の視界が白に覆われたのは一瞬で、不思議と痛みは感じない眩しさが消えた時にはリゼル達がいる場所は書庫では無くなっていた。
「大丈夫ですか、二人とも」
「あぁ」
「うぃッス」
見知らぬ風景の中、穏やかに問いかけたリゼルは返って来た二つの返事に頷く。掴まれていた腕が離されるのを感じながら、周りをゆっくりと見回した。
そこは良くあるような、と言えば良いか。何の変哲も無い村の中だった。リゼル達が覚えてる限り時間は昼にも届かない朝だったというのに、村は静寂に包まれた夜を迎えている。
三人が立っているのは村の端にある、川の前だった。川は闇を孕みながらも月の光を反射して流れと共に煌めいており、すぐ横には小さな橋がある。
「誰もいねッスね」
「魔物の気配はしねぇな」
「見覚えの無い景色ですね。イレヴンの格好が変わってるのも気になりますし」
「は? うわっ、俺何か変な格好してる! 髪おりてっし!」
自らの服を見下ろしたイレヴンが声を上げる。確かに一瞬で服が変わるとは思ってもいないだろうし、鏡でも無ければ直ぐには気付けないだろう。
その服は黒を基調に貴族服のような形をしていた。品が良いような白いシャツを、しかし正道を連想させない闇を凝縮したような黒が覆う。その背には同じく漆黒のマントが歪に伸び、その上をイレヴンの結び目を解かれた鮮やかな赤が這うように流れていた。
「何だか牙も少しだけ長くなってませんか? 肌もちょっと白いような……あ、鱗が無くなってます」
「マジすか。あ、ほんとだ。ちょい尖ってる」
「微妙に似合ってんな」
「微妙って何」
鱗の無くなった頬をつつかれながら、イレヴンは手を握り開きする。身体の調子は特に何も変わりは無い、変わったのは格好だけのようだ。
しかし腰にあった武器は消え、仕込んであったナイフまで手持ちの物は全て消えてしまっている。リゼルやジルは何も変わらず手元にあるようだが、何とも落ち着かない事だと嫌そうに顔を顰める。
リゼルはそんなイレヴンに苦笑し、慰めるようにつついていた頬を撫でてやりながらも成程と頷いた。
「“貴方は成りきらねばならない”、イレヴンがヴァンパイアに成りきらなきゃいけないみたいですね」
「ヴァンパイアァ? ってあのマントが本体……あー、美中年の暗い方?」
「それもう別人じゃねぇか」
「“却下だ”。 似てる?」
「あっ、似てます似てます」
今頃シャドウがペン先をぶち折っているだろうが、そんな事は知らないとばかりに三人は楽しそうだ。しかしシャドウに似ているのはその“ぼくのかんがえたさいきょうのびけい”と称された外見だけなのだから、シャドウの真似をしても成りきれはしないのだろう。
その時、ふいにイレヴンが絶妙に似ているシャドウの真似を止める。何かを察したように視線が向けられたのは、川にかけられた橋の更に向こう側だった。
「誰か来るかも。女の声?」
「相手役の女性かもしれません。イレヴン、頑張って成りきって下さいね」
「いや無理なんスけど。え、ノーヒント?」
「だって俺も読んだこと無いですし」
本好きの癖に割と交流のある小説家の作品を読んでいないのかといえば、そんな事は決して無い。基本的に若い女性をターゲットとした恋愛小説作品が多い小説家だが、時々推理小説などの他ジャンルにも手を出している。
リゼルも前者は手を出さないが、後者ならば彼女の作品をいくつか読んだことがある。それに関して小説家本人と意見を交わしたことだってあるのだから。
しかし一番の有名作である“Vampire”のことは残念ながらリゼルは全く読んでいなかった。普段から読まないジャンルだと言ってしまえばそれまでだが、今となってみれば読んでおけば良かった。
「あ、でもこのシーンの事は聞いたことがあるかもしれません。前に団長さんと小説家さんが話してました」
川の流れる音さえ聞こえる静寂の夜に、未だリゼルには靴音の一つも聞こえない。
登場人物である村娘が来るまで時間の余裕はありそうだ。リゼルは焦ることなく以前に「舞台化するならどのシーンを入れたいか」について論争していた事を思い出す。
ちなみにリゼルは普通に歩いている時に声をかけられ意見を求められた。
その時に話していた中に、確かこんなシーンがあった筈だ。月夜の村、川辺、夜に出歩く村娘の存在。
「確か……ヴァンパイアと少女の出会いがこんな感じだったと思います」
「へー、俺何すれば良いんスか」
「憂い気に何か言って下さい」
「何か!?」
ノーヒントの現実は変わらなかった。
「お前……」
「団長さん曰く、『月夜に出会ったヴァンパイアの憂い気な呟きに女が惹きこまれんだろうが! この最初の一発をぶちかませなけりゃ総崩れだコンニャロ!』みたいです」
呆れたような視線を寄越すジルに、むしろ覚えていた事を褒められるべきとリゼルはほのほの笑う。かの団長と小説家の話し合いはとにかく激しい、喧嘩腰になり話がずれていく度にリゼルがさりげなく宥めて軌道修正をしては礼を言われたものだ。
「結局どうすんだよ」
「アドリブです、アドリブ」
「つっても魔物が何を憂うんスか、腹減ったとか?」
「それ、宿主さんも言ってましたよ」
団長らの打ち合わせに協力した後、宿に帰ったリゼルはそのシーンのことを宿主に聞いてみた。魔物であるヴァンパイアが何を憂いたのか、完全なフィクションの存在とはいえ少しだけ気になったからだ。
小説家に直接聞くのは憚られ、有名な作品の有名なシーンならば宿主でも知っているかもと駄目元で聞いてみたが当然のように読んでいなかった。だが本にあるヴァンパイアの存在は知っていたようで、去り際背中から悲痛な叫びが聞こえてきたのを覚えている。
『とにかく美形で色気が有って艶やかな黒髪で血のような赤い目で孤高な雰囲気を纏いつつ何処か危うげで美声で身長高くて足が長くて紳士で品があって悪の雰囲気もそこはかとなく有るとにかく美形な奴が何を憂うことがあんの!? 面白可笑しく笑って生きてろよ俺に失礼だと思わないの!? 腹減ったとかなら許すよ俺も腹減るし!?』
完全に私怨だ。
「奇跡的に母性本能をくすぐる可能性もありそうですね」
「無ぇだろ」
しかし他に思い付く案も無く、確かにヴァンパイアといえど血を飲むのなら腹が減るのだろうと空腹を訴える方向で決まった。これ以上は考えてもどうにもならないだろう。
微妙に考えるのが面倒になってきたというのもある。
「おい」
「あ、来ましたか?」
ふいにジルに声をかけられ耳を澄ますと、リゼルにも聞こえる程に靴音が聞こえてきていた。
月の光も隠れ始めてしまい闇が深くなっていく。そろそろ姿が見えるぐらいの距離に近付いている筈だが、この暗さでは大分近付かないと相手の姿など見えないだろう。
自分達は隠れていた方が良いだろうと、リゼル達はすぐ近くにある橋の影へとしゃがんで隠れる。ちらりと橋の隙間から覗き込んで見ると、丁度村娘である少女が橋へと足をかけた所だった。
呟かれるのは家で受けているのだろう継母からの辛い叱咤への悲しみで、涙をこらえ唇を震わせる姿が気丈ながらも何処か儚げだ。その少女が、ふいに足を止める。
「貴方、は……」
その瞳に映るのは血のように鮮やかな赤い髪で、温度を感じさせない白い肌で、闇に溶け込むような黒い服装だった。まるで意識を囚われたように目を奪われた少女が、こくりと息を呑んで絡められたように動かない足を震わせ辛うじて半歩後ずさる。
彼女が震える喉で零した吐息のような声は畏怖を孕み、静寂の闇に静かに落ちる。
「人では、ないの?」
ザッと、二人の間を風が通り過ぎた。曇り隠れていた筈の月が再び姿を現す。
その光に照らされた二人は小さな橋を挟んで見つめ合っていた。それはまるで世界が切り取られたかのような空間で、少女は自分が返答を待っている事に疑問を覚えながらもただ静かに待ち続けた。
そして目に映る憂いた表情は何処か妖艶さを孕み、零された言葉に息を呑む。
「腹減った」
直後、リゼル達は元の書庫へと戻っていた。
「やっぱり駄目でしたね」
「てめぇ凄ぇ目で見られてたぞ」
「俺の所為じゃねーし!」
予定通り空腹を訴えたら不審者を見る目をされて逆ダッシュされた。行けるとは思っていなかったが悲しいものがある。
成りきりは失敗と見なされたのだろう、戻ってきた書庫は先程と何も変わりは無く巨大な本も目の前に横たわったままだった。イレヴンの格好も元に戻り、腰にさした剣を満足そうに弄っている。
「あ、本の題名が変わってます」
「何回でもチャレンジ出来るっつーこと?」
リゼルがまじまじと巨大本を見ると少しだけ装丁が変わっていた。
イレヴンの言う通り何回でもチャレンジは出来るのだろうが、余程分かりやすい状況でも無ければ実際に読了している本でもない限り望まれるままに成りきって物語を進めるのは難しいだろう。
しかしこのアスタルニアにおいて一番とも言える知名度を誇る“Vampire”を出してくるあたり、冒険者にとって全くの超難関だという訳では無い。まだ十階という事もあるだろうが、何度も挑む内に馴染みの話の一つや二つ出てくる筈だ。
「うん、これなら読んだことあります」
ただ、やはり量を読んでいる方が有利なのは確かだ。深層にも同じような仕掛けがあるのなら、その本が余り出回らない本である可能性もあるのだから。
頷いたリゼルに、やはりこの迷宮と相性が良いとジルは呆れたように溜息をつく。迷宮に対して相性の良い悪いがあるのは何処の冒険者も同じだが、何故リゼルは冒険者的な意味で相性が良いと言えないのか。
「どんなんスか」
「ちょっと変わったミステリーです。相棒の犬と一緒に事件を起こる前に解決していく情報屋の話で、決め台詞は『俺にかかれば事件は未然に防がれる』でした」
数多くの伏線と事件は防ぎながらも犯人は決して分からない危機迫る描写が面白いのだと、そのまま語り続けそうなリゼルの話を逸らすようにイレヴンは問いかけた。
「何でそいつ憲兵になんねぇの?」
「ですよね」
リゼルも読みながら思った。聞いていたジルも思った。
三人は内容を覚えているのなら先程のような失敗はしないだろうと、再び巨大本の前に立つ。相変わらずリゼルとイレヴンはジルの後ろだ。警戒を怠らない、何という冒険者の鑑。
そして先程と同じように視界を白く染めるような光に包まれ、周囲は物語の世界へと変わる。この本ならば場所は事件の舞台である洋館か、それとも主人公のホームである酒場かと思いながらリゼルが閉じていた瞳をゆっくりと開いた。
「ジル?」
「ウォン」
目に入ったのは煌びやかな洋館と、リゼルの腰ほどもある大きな真っ黒い犬だった。
「え、マジでニィサン? 情報屋の方に成りきるんじゃねぇとか予想外なんスけど」
「俺もです」
「……嬉しそッスね、リーダー」
イレヴンの言葉に笑みを深めながら、リゼルは犬になったジルの前へとしゃがむ。
手を伸ばしても避ける様子は無く、そっとその毛皮に触れてみた。少しだけ硬めの毛はしかしふさふさとしていて、特別長くもないが指を埋められる程度には短くもない。
両手でわしわしと首のあたりを掻き混ぜると、ジルは若干嫌そうだったが好きなようにさせている。リゼルはそれに甘え耳をふにふに触り、頬をうりうり触り、鼻先を良し良しとして顔を逸らされた。
「ふわふわですね。ジル、お手。ジール」
「ウォン(アホか)」
断固としてその前足は動かなかった。
リゼルは全く残念ではなさそうに残念だなんて微笑みながら、そのふわふわの首に抱きつく。大型犬だけあって少し体重をかけたぐらいじゃビクともせず、首の後ろを優しく撫でてやりながら頬を擦り寄せた。
「うちのペットを思い出します。元気にしてると良いんですけど」
「へぇ、リーダー何か飼ってたんスか。ニィサンおかわり。おかわりってば。痛ッて!」
無理矢理前足を持ち上げようとしたイレヴンはその手に物凄く爪を立てられた。穴が開いたかと思った。
「飼ってましたよ。ほら、子供の頃って親に内緒で何か飼いたくなるじゃないですか」
「あー、あるある。反対されてたんスか」
「そういう訳じゃなかったんですけど、内緒が良かったので」
何となく本末転倒な気もするが、イレヴンにもリゼルの言いたいことは分かる。
ロマンと言えば良いだろうか。とにかく子供は隠しごとを作りたがるものなのだ。
「でも俺一人で育てようと思うと勉強とか習い事で全然世話が出来ないし、どうしても無理そうで」
「そういうの考えるトコがリーダーっぽい気がする」
「そうですか? それで、その時に護衛についてた警備兵の一人に相談してみたんです」
「警備軍って前言ってた……あー……白い軍服ってやつ? ニィサンと真逆っぽいのがトップの?」
元の世界での出来事は聞かれれば普通に話すし、リゼルの公爵家が治める都市を守る警備軍のことも時々話題に出していた。
ジルの首筋に抱きついたままのリゼルの肩に、ふいにトンッと重みがかかる。横目で見るとジルがその顎を乗せていて、ふぅと鼻で溜息をついている姿に可笑しそうに笑い首輪も何もない首を撫でてやる。
「それです。その時にいたのは総長じゃないんですけど、そのお陰でペットが出来たんです」
「へぇ、犬? 猫? リーダーならでかい動物似合いそー」
同じくしゃがみ込み、ジルにちょっかいを出しては力強い尻尾の一撃をくらっているイレヴンを見ながらリゼルは懐かしそうに思い出す。
『ないしょですよ』
『分かりました、内緒ですね……』
幼子の内緒の相談に静かに微笑んだ相手は、本当に最後まで内緒にしてくれた。
そしてその三日後、再び警備についた彼がこっそりと一つの瓶をリゼルに手渡してくれた。内緒、と薄く微笑みながら優しく差し出されたそれを嬉しそうに微笑み幼かったリゼルは瓶の中を覗き込んだ。
『お世話も凄く楽ですし、これなら内緒で飼えますよ……是非可愛がってあげて下さい……』
白い羽毛のような丸い毛玉が瓶の中で一つふわふわ浮いていた。
『ケセランパサランです……』
「ケセ……何て?」
「ケセランパサラン、知りませんか? 俺も実際に後から調べて分かったんですけど、幸せを運ぶ精霊っていう伝承が残ってるんです」
「リーダーのトコ精霊なんていんの?」
「いないですけど、でも他に説明のしようが無いので」
それで良いのか、という視線がイレヴンどころかジルからも飛ぶがリゼルは気にしない。
普通ならばそれらしいものを渡して満足させようとしていると考えるだろうが、幼いリゼルは自分を守ってくれる人達がそんなことをしないと知っている。教えて貰った育て方は本当に簡単で、一緒に貰ったパウダーを一日一回パラパラ入れてあげるだけで良かった為にリゼルでも充分育てられた。
それは瓶の中でふわふわと浮いているだけだったが世話をしていれば愛着も湧くもので、リゼルは毎日せっせとお世話を続けていた。
「育ててる内に大きくなっていって、このくらいの大きさになったので隠し切れなくなっちゃったんですけど」
このくらい、と丁度人の顔の大きさぐらいを示すリゼルがやっぱりこういうのって親にバレちゃうんですよねとほのほの笑っているが、気になるのはそこじゃない。
結局その白い毛玉は何なのか、まさか本当に精霊などという夢見がちな存在なのだろうか。正直ただの毛玉じゃないのかと思っていたイレヴンやジルにとって、大きく育ったの言葉から受けた衝撃は計り知れない。
「あ、でも成長が止まってからは増え始めたんですよ。ふと見ると最初見た時ぐらいの小さい子が大きい子の周りでふわふわしてました」
増えた。ジルとイレヴンの内心が思わず一致した。
「今は全部で三十匹ぐらいいるでしょうか。余り人が入らない書庫の奥で飼ってるんですけど、餌はパウダーじゃなくても良いみたいで本に積もった埃を食べてくれるので凄く助かってます」
リゼルはぴるぴるとジルの耳を動かし嫌がる様によけていくのを楽しみながら、呼ぶと集まって来てふわっふわのソファになってくれるんですよなどと言っている。自分でそれを思い出されるのは微妙だと、ジルの鼻の上に少しだけ皺が寄ったがリゼルからは見えなかった。
「……で、それ結局何スか。魔物?」
「ケセランパサランです」
リゼルにも良く分からないようだ。
「連れて来てくれた警備軍の人は何も言いませんでしたけど、本当に精霊でもおかしくないかもしれません」
可笑しそうに笑うリゼルに、まさか無いだろうとイレヴンは口元を引き攣らせる。
しかしリゼルはあながち外れていないんじゃと思っている。内緒の約束を叶えてくれた彼は、少し不思議な人だった。曰く、妖精や精霊が見れるのだと。
それを聞いただけではただの頭がおかしい人だが、それが自称では無く他称なのだから一気に信憑性は増す。彼自身が特別何かを言った事は無い。しかしリゼルも見た事があるが彼の周りに時々光がふわふわと浮いているのを目撃する人々もいれば、探し物を頼むと視線を何かを追う様に動かして見つけてくれることもある。
彼が見ているものが何かなど分からないが、彼が連れて来てくれたならば自分を害するものではないのだろう。リゼルにとってはそれだけで充分だ。
「ノアール!」
その時ふと、青年らしき声が聞こえた。
恐らく主人公の情報屋の男の声なのだろう。ノアールとは、彼が相棒である愛犬に付けている名前だ。
ここも洋館であることだし、そろそろ事件の片鱗が見え始めたようだ。後は事件に繋がりそうな物事を片っ端から片付けていかなければならない。
流石に最初から最後まで成りきる必要は無いだろう。一つ目の推理が終結するまでだろうか、それならば恐らく十分もかかるまい。
「じゃあ良いですか、ジル」
リゼルは抱きついていたジルから離れ、乱れた毛を直してやりながら言う。
「一番初めにしなければいけないのが第一の凶器の発見です。今頃主人公は殺害予告の暗号を解いている頃なので、その後調査で歩き回る彼を上手く凶器のある場所に誘導して下さい。客間のクローゼットの上に乗ってる筈です」
「凄ぇ反則臭いッスね」
「楽が出来る方が良いでしょう?」
けらけらと笑うイレヴンに微笑みジルを見る。見るからに嫌そうな様子に、犬って意外と表情豊かだと感心してしまった。
一通りの指示を出し、不満そうに一つ鳴いたそれを了承ととり立ち上がる。腰の高さにあるジルの頭を指先で撫でてやり、リゼルは悪戯っぽく微笑んだ。
「俺以外に飼われる君を見るのは面白くないですし、早く帰って来て下さいね」
その笑みを見上げ、ジルは返事をするように一度だけ尻尾を揺らす。
そして身体を擦り寄せるように頭をリゼルの腰へと一瞬だけ押し付け、行ってらっしゃいと促すように頬を滑る指先を感じながら部屋の向こうへと歩いて行った。その姿からは感情が余り読み取れないが、リゼルは目を細めてそれを見送る。
「俺結局触らせて貰ってねぇんスけど」
「露骨に嫌がってましたもんね」
そのまま我が物顔で寛ぐリゼル達の元にジルが戻って来るのは、迷うことなく凶器の場所を教えて驚かれながらさっさと終わらせた十分後のことだった。
完全に置いてけぼりをくらった主人公が全く成りきる気の無い自らの愛犬を目茶苦茶不審がってはいたものの、迷宮が目指す所の物語の大筋は辿れたのだし問題はなかったのだろう。本の世界から戻るとそこは書庫ではなく次の階層に続く階段の前で、リゼル達は無事攻略を進めることが出来たのだった。