軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

99:やっぱり本は読みたがった

イレヴンは機嫌良さそうに鼻歌を歌いながらアスタルニアの街並みを歩いていた。

その顔に浮かぶのは普段の人を嘲る笑みでは無く、必要になれば容易に浮かべて見せる上辺だけの愛想の良い笑みでも無く、そして関係者に向けるような人を喰ったような癖のある笑みでも無い。一番近いのはリゼルへと向ける優越感と甘さと甘えの含んだ笑みだろうが、それさえも違う。

瞳は存分に甘さと愉快さを湛え、耐えきれないと緩む口元が笑みを浮かべ、その唇から女性を口説くより甘い声が零れる。その姿に周囲は視線を絡め取られた。

「ニィサン、ギルドかなァ」

しかし周囲の視線が向けられる原因はイレヴンだけでは無い。

そのもう一つの原因である腕の中の存在へと、普段は滅多に人前で聞くことの出来ない声は惜しげも無く注がれていた。

パーティを組む冒険者が依頼を受ける時、彼らは当然パーティでそれを受ける。

一人で受けようと多人数で受けようとギルドからの評価はどちらも変わらず、そもそも一人で達成可能な依頼はギリギリでDランクまでかというのが周囲の認識だ。ギルド側がはっきりパーティを推奨した事は無いが、難易度から必然的に組む必要が生じる為に自然とそうなっていた。

当然決まったパーティを持たない者も多々いるが、持たない者は持たない者同士その都度手を組んで依頼を達成する。一人で依頼を受けるなど、冒険者の大部分が初心者の頃に相手が見つからずFランクに挑んだ時ぐらいだろう。

「俺最初あのパーティ見た時、一刀のおこぼれ貰えて美味ぇなと思ってたんだよ」

「誰でも思うだろ」

ギルドの中、いつものように依頼を選びに来ていたとある冒険者達が依頼ボードを眺めながら何でもない世間話をするように話している。その視線は慣れきったように手頃な依頼を探していた。

「でも違ぇってその内気付くよな」

「あ、そういう事? みたいにな」

「なんつーか……気付くよな」

分かる分かる、と頷き合いながら話す冒険者が数メートル横に立つジルをこっそりと見た。

その横には何度見ても冒険者という事に違和感しか感じないリゼルも、喧嘩を売ると一番やばいと何時の間にか噂になっているイレヴンもいない。いつもならその二人を伴ってあれでも無いこれでも無いと話し合っているのに、一人でさっさと目当ての依頼用紙を手に取り依頼受付へと進んでいる。

男として妬ましいを通りこして羨ましい程の足の長さを持つ後ろ姿を見ながら、冒険者達は今まで何度も疑問に思いながら流していた事を口にした。

「何であの人達一人で依頼受けんの?」

三人が余りにも自然に一人で依頼を受けるものだから今まで話題に上げた事は無かった。最初など有り得無さ過ぎて一人が依頼を受けに来て後で合流するものだと思っていた。

しかし違う。奴らは完全に好き勝手に依頼を受けに来ている。

仲違いでもあったのかと思えばそうでも無いし、ギルドで偶然会って折角だから一緒にという場面も見た事がある。なら最初から一緒に来いよと思わないでも無いが、確かに日々互いの予定を把握しているのも変か。

いやそんな事は無い。依頼を受けるのにパーティで意思を揃えない方がおかしい。三人が堂々と当たり前のように振舞い過ぎて流されそうになった冒険者達だった。

「最初に穏やかさんが一人で来た時はそわそわしたよなぁ」

「何かの間違いかと思ったな」

リゼルは一部の冒険者に“穏やかさん”と呼ばれている。

「あの赤いのと一刀は分かんじゃん。受けてく依頼上位ランクばっかでマジかよとか思うけど、まぁ……分かんじゃん」

「一人で依頼受けてもまぁ、何で? とは思うけど違和感は無ぇよな。実際一刀どころか赤いのまでソロでこなすし」

「でも穏やかさんはさぁ……そわそわするよな。え、良いの? みたいに」

アスタルニアで最初にリゼルが一人で来た時、周囲は思わず何をしに来たのか分からず全員で疑問を浮かべてしまった。至って穏やかに入ってきて、普通に依頼ボードに向かって、そして冒険者で混んでいる依頼ボードにどうやって近付くのか分からなかったらしく後ろでうろうろしていた。

振り向いてリゼルが単体でいたのを目撃した冒険者はさぞ驚いたのだろう。威勢良く「一刀の腰巾着が一人で何をしに来た」といつもならば飛ばす啖呵も忘れ、やはり心底疑問を浮かべて状況について行けて無かった。

此れ幸いと開いた隙間から潜り込み、同じようなことを数度繰り返して依頼ボードに辿りついたリゼルが依頼を選び始めた時は思わず全員でジル達の姿を探していた程だ。お連れさん迷い込んでますよ、と完全に場違いという名の迷子を見つけたような気分になっていた冒険者達はその時未だに状況について行けていないままだったのだろう。

一通り依頼に目を通した後、良しと頷いてFランクから一枚の依頼用紙を持って行ったリゼルを全員でそわそわしながら見送った。心配とかでは無く、果たしてこの現状はあって良いものなのかという落ちつかなさからだ。

「まぁ今のトコ低ランクばっかだけどな。あれは?」

「面倒くさそ。でも穏やかさんさぁ……低ランクだからって選んでる訳じゃねぇよな、絶対」

「それな」

一人ではやはり低ランクしか受けられない、一刀からおこぼれを貰う冒険者だと最初は周囲も馬鹿にしていた。一刀と組んでいるからCランクに上がれたのだと疑いもせず。

しかし彼らはその内自らの間違いに気付く。誰に何を言われた訳でも、リゼルの実力を見せつけられたからでもない。

「あの人の選ぶ依頼変なのばっかだもんな」

「あれはいっそ趣味だよな」

最初は確か“舌の肥えた者募集! 魔物素材を使った食堂新メニューの試食”だったか。

他の者には食事代が浮いてラッキー程度で報酬など微々たるものだが、やけに満足げに受付へと持って行っていた。食事代をケチる程に金が無いようには全く見えないので何故だと思ったものだ。

その次は“港の船舶誘導魔道具の増設”で気難しい作業員相手に至って平和に提案を通して魔道具の性能を飛躍的に上げたりしていたし、“船の誘導員募集”で港でパタパタと旗を振っていたりもした。後者に至っては船頭に二度見される為に見逃す者が出ないと大変好評だったと共に、誘導員だとは思わなかったと少しだけ苦情も出た。

ちなみに何故未だに依頼を決めかねている冒険者らがこれ程知っているかと言えば、噂になったからに他ならない。あの人何やってんの? と度々リゼルは噂になる。

「これは……無いな。この前は“トロピカルジュースに使う果物調理”選んでたな」

「穏やかさんが何か知らんがスキルアップの為とかギルドのおっさん説得してた奴だろ。おっさんオッケー出さなかったじゃん。あれは?」

「あー……もうちょい報酬欲しいな。料理出来そうには見えんもんなぁ……」

ちなみにリゼルは伝家の宝刀“猫の手”を切り札で提示したがあっさり無理だと言われ、あれっとなっていた。

「見てると分かっけど、あの人やった事ないもんやりたがんじゃねぇかなぁ」

「上位になると戦闘関係ばっかだもんな。言われて見りゃ低ランクは意味分からんもん色々あるし」

結局、リゼル達を見ていたら誰もが同じ結論に達する。

三人は好き勝手依頼を受けており、其処に利害関係など存在しない。むしろ利害関係があるならもっときちんとした依頼の受け方をする、少なくとも“やってみたい”という理由で低ランクの依頼など受けない。

そしてリゼル達に慣れきった王都の冒険者達と同じ思考へと落ち着くのだ。そう、何だか振り回されてるような気はするけど見てて面白い気もするし好きにすれば良いと。

「でも穏やかさんが雑用っぽいの受けんの正直どうかと思わねぇ? あ、あれなんかどうよ」

「それは思うわ。あの人多分魔法使いじゃん、勿体ねぇし何つーの。何かすんませんっつーか……あれは無いわー」

「おいてめぇら何時までボードの前占領してやがる! 見えねぇだろうが、さっさと決めて退け!」

「「さーせーん」」

そんな後ろの喧騒に、我関せずとジルは依頼用紙を片手に受付へと並んでいた。

しかし我関せずいようと聞こえるものは聞こえてくる。本人の口から聞いた依頼もあれば初耳の依頼もあり、あいつそんな依頼受けてんのかと呆れて手に持つ依頼用紙を見下ろした。

今日潜ろうと予定していた迷宮に関する依頼だ。毎回では無いもののジルはどうせ迷宮に潜るならついでに依頼も受けて行ってやろうと考える事が多い。

朝は少し寄る所があった為に一番混む時間帯では無いが、まだ充分冒険者がギルドに集まる時間だ。流石に並ぶか、と思いながら昨晩聞いたリゼルとイレヴンの予定を思い出す。

『明日、朝一でギルドの依頼を見に行ってみようと思うんです。受けないけど良い依頼があったらキープしても良いですね』

『明日自由っぽいしニィサン迷宮? 俺もたまには朝一で行ってみよっかな、オススメある?』

リゼル達パーティの予定はリゼルに一任される。

明日冒険者活動したいなと思えば三人共そうするし、特に何も無ければ各々好きに過ごす。その際に雑談混じりでも無ければ互いの予定をわざわざ聞くという事も無いので、恐らくリゼル達は互いの予定を知らないままに早朝のギルドで顔を合わせたという事もあるかもしれない。

そうすればどうなるだろうか、イレヴンが一緒に行こう行こうとリゼルを誘うだろうかと暇つぶしに考えていた時だった。

「あ、ニィサンみっけ」

気にも留めず聞き流していたギルドの扉が開閉する音と共に聞こえた声に、ジルは微かに眉を寄せる。昨日言っていた通りなら朝から迷宮に潜っていたイレヴンが戻って来るには中途半端過ぎる時間だし、その上わざわざ自分を探していたという理由が思い付かない。

何よりふいに止んだギルドの喧騒に嫌な予感しかしない。ガラの悪さを増した顔で嫌々ながら振り返った先にある光景に、ジルは珍しくその動きを止めた。

「ニィサンいたねぇ、リーダー」

「ジル」

イレヴンの腕に抱かれている子供に、とてつもなく見覚えがある。しかも割と最近。

小さいと言うよりとにかく幼い。子供に詳しく無いジルには正確には分からないが、恐らく三歳ぐらいの子供ではないだろうか。

ジルの反応に満足したのか、イレヴンはスリスリと頬の鱗を幼子の髪に擦り寄せながら意気揚々と歩み寄って来る。見るからにテンションが高い。

「見て見てニィサンリーダーマジ可愛い! 思わず連れて帰って来ちゃった!」

取り敢えず一発引っ叩いた。

「“対価を払う道”行ってさー、リーダー何かちっこくなったから連れて帰って来たんスよ。ほらニィサンも見てぇと思って!」

そんな事してくれなくとも見た事がある。

「なーんか俺らのことは覚えてっけど子供になってるっつうか、そこら辺迷宮が上手いことしてんスよ! でも思考は完ッ全に子供!」

説明してくれなくとも知っている。

「ほら抱いてみれば! でも直ぐ返して! もうリーダーすべっすべのふっくふくで凄ぇ可愛い! 普段のリーダーもすべっすべだけど!」

言いたくないが経験済みだ。

「俺も一緒だったけどリーダーだけなんスよね、ちっこくなったの。俺も子供になったら多分すっげぇ可愛いだろうなァ。むしろ絶対可愛い」

こいつは可愛げ皆無でしかもクソ生意気だった。

取り敢えず宿へと帰って来たジル達はリゼルの部屋で一通りの確認作業を終えた。もはや抱えっぱなしのイレヴンはベッドに座ったその足の間にちょこんと小さな体を座らせ、両手を腹に回して離さない。

リゼルが身に付けているのは以前と同じく冒険者装備をそのまま小さく子供仕様にしたもので、細かい装飾でさえそのままミニチュア化されている所に迷宮の並々ならぬこだわりが見える。

「子連れで攻略できねぇ迷宮じゃねぇだろうが」

「咄嗟にリーダー抱えて来る以外の選択肢あんの?」

つまりわざとだ。リゼルを戻すにはもう一度迷宮に潜って同じ階を攻略すれば良いが、しかし条件は前と同じで無ければいけない。

この場合イレヴンとリゼルの二人で潜らなければならず、当のイレヴンに攻略する気が全く無いのが一番の問題だろう。このままリゼルが迷宮の影響切れで自然に元に戻るまで絶対に戻そうとしない事は想像に難く無い。

「お前も対価取られっぱなしだろ」

「俺今ノーパン」

「履いて来い」

のーぱん、と呟いたリゼルにイレヴンはやばい忘れろ忘れろとその頭を撫でる。

小さくなっても関係性などは覚えているが、知識などは年齢相応まで失われる。既にそう把握済みなジルは迂闊なイレヴンに顔を顰めた。

でなければ以前迷宮で二人が小さくなった時の戦闘ではイレヴンが小さい体ながらも獣人の力と戦闘知識をフル活用して魔物一体ぐらいなら倒しただろうし、リゼルなど簡単な魔法では無く普段使うような応用に応用を重ねた魔法展開を披露した筈だ。

子供など撫でた事は一度も無いイレヴンだからか、リゼルへと触れる手付きは慣れていない。心地良いというよりは少しだけ強い力にぐらぐらと首を揺らしながら、リゼルは小さな手を伸ばして頭に乗るイレヴンの手を握った。

「イレヴン、そろそろおりたいです」

「えー、駄ぁ目」

「だって、ずっとこのままだから」

「駄目ー」

手を掴んで来た小さな掌をにぎにぎと握りながら、イレヴンは我儘を諌めるように目を細め此方を見上げる大きな瞳を見下ろした。その視線に押されるように俯きそうになる顎を指一本添えるだけで止め、包み込むように身をかがめて顔を近付けコツリと額同士を合わせる。

互い違いに合わせた額をごりごりと擦り合わせ、そして微かに浮かせる。触れそうな距離でじっと合う瞳を見て、やはり幼くともリゼルなのだと確かに思い知る事に笑みを零した。真っ直ぐ向けられる視線も、その瞳に映る幼いながらも高貴な色も、そして。

「おりたいです、ジル」

「てめぇはさっさとパンツ履いて来い」

「痛ッて!」

自分では無理だと分かれば即行一番有効な手段をとれる所も。

傍の椅子に座っているジルに足を蹴られ、イレヴンはぶつぶつと言いながらリゼルの脇へと手を差し込みひょいっと持ち上げた。重さなど微塵も感じない動きはまるでぬいぐるみでも抱いているようで、リゼルもまさに自分がぬいぐるみになったようだと感心しながら差し出されたジルの顔を見上げる。

「……何だよ」

「ちょっと抱いてて」

「下りたがってんだから下ろしとけ」

「どっか行ったらどうすんスか」

宿の部屋の中だというのに一体何処に行くというのか。

つまりイレヴン本人が目を離すと何処かに消える子供だったのだろう。迷子と言う可愛らしいものではない、部屋の中だろうが何だろうがどんな手段を取ろうと好き勝手に動くタイプだ。

「どこにも、いかないです」

体を支える手をぎゅっと握られ、イレヴンはしぶしぶと床へと下ろしてやる。

迷宮ではテンションが上がり過ぎてすぐさま抱き上げそのままだったが、改めて見下ろすと足の付け根にも頭が届かない小ささだ。ジル同様子供と接する際にしゃがむ発想など欠片も無い為、近いと逆に見にくいと思いながら部屋を出て行く。

残された部屋の中、床の上で立っているリゼルを見下ろしジルはさてどうするのが良いかと溜息をついた。

「ジル、ジル」

「何だよ」

ちょこちょこと近寄って来たリゼルに、ジルはガラの悪い顔をそのままに返事をする。

膝に両手をつき此方を見上げる姿は相変わらず自分の見せ方を知っているとしか思えず、しかしわざとやっているなら嫌悪感が浮かぶが彼は決してわざとでは無い。こいつらしいかと、反対の膝の上に肘をつきながら伸ばした手で抱きあげられた事で少しだけめくれた服の裾を直してやった。

「こまってますか?」

純粋な目で、そしてそれは自分の所為でという意味を含んで問いかけられた。

思わず眉を寄せる。確かに色々考えてはいるが、自分は決して困ってなどいない。

恐らく今までの“対価を払う道”の噂を聞く限り数日このままだろう姿にリゼルが元に戻った時に記憶に差異が生じそうだとか、自分も覚えていない子供姿を周囲に晒すのはどう思うのだろうとか、そもそもジルが考えているのもそれらの事でジル自身が直接困る事など無い。そして恐らくリゼルは元に戻って事情を知ろうと「へー」で済ますので些細な問題だ。

「困ってねぇよ」

「なら、いいです」

裾を直した手で普段彼自身がやるように頬に貼りつく髪を耳へとかけてやる。

くすぐったそうに首をすくめたリゼルは、しかし嬉しそうだった。それはジルの言葉が本心であるが故で、置いていた両手を伸ばしてぽすりと膝の上に乗せると機嫌が良さそうにふわふわと笑っている。

以前より甘えが見えるのは前が迷宮の中だったからだろうか。此方を見上げる顔を見下ろし、変に遠慮されるよりマシかと仕方なさそうに息を吐いた。

「あ、本当に立ちっぱなしにさせてんじゃん。それ可愛い、俺にもやって」

ふとパンツを装備し直したイレヴンが戻って来る。

その服装は冒険者装備から普段着へと変わっていた。流石にこれから何処かに出かけようとは思わないようだ。

そのままリゼルを抱き上げ、やってと言った癖にベッドに腰かけて先程の体勢へと戻る。リゼルは不思議そうだ。

「おい、本当に戻す気は無ぇんだな」

「当然。リーダーだって俺らがなりゃ似たような考えしそうじゃん」

否定は出来ない。

ジルはイレヴンの腹にポスリと背を預けてくつろいでいるリゼルを見た。むにむにむにむに頬を触られて若干困っている。

「……変な影響が出んなら即行戻すぞ」

「りょーかい」

無理矢理迷宮に向かわせようとして、どこかに隠れられても厄介だ。

どうせ数日経てば勝手に戻るのだから好きにさせておけと、ジルは諦めたように溜息をついた。

最初はどこかで誘拐して来たのかと思ったと、後に宿主は語った。

しかし赤い獣人の腕の中にいる子供の顔立ちは不思議と見た事がある気がした。アスタルニアでは滅多に見ない幼いながら品の良い顔立ち、凝視していると不思議そうに目を瞬いてじっと此方を見る瞳の色、細く柔らかそうな髪が小さく傾げられた首にサラリと音を立てるように揺れている。

いかにも育ちが良さそうな幼児がふんわりと微笑んだその笑みすら見覚えがあり、宿主はうめき声を上げながら心臓を押さえ息も絶え絶えに言葉を発した。

「まさかの貴族なお客さん子持ち疑惑……だと……」

「いやリーダー本人だし」

「待って意味が分からない」

「迷宮でしばらくちっさいままだから、飯とかそれ用で準備して」

「何一つ分からないけどお客さん達なら何があっても不思議じゃない気がする」

冒険者じゃなければ迷宮だから仕方ないの法則も理解が出来ないだろう。

しかし宿主は混乱した頭のまま目の前の幼児が小さくなったリゼルだという事実を何とか受け入れた。流石にいきなり子供になる事まで容易に受け入れられるとはどんなイメージを持たれているのかと思いたくなる。

ジルはそう思いながら、抱えられたリゼルに視線を合わせるように腰を折る宿主を見た。宿業務だから流石に子供の相手が慣れているなと思って見ているが、宿業務じゃなくても大体の人間が視線を合わせようとするだろう。

「えーとお客さん、いやお客たんも此れぐらいなら大体二人と同じような食事とれそう。一緒で良いですかね」

「いっしょがいいです」

「良し良しなら肉とチーズの挟み焼きでもほぐしながら」

ふっと上体を起こそうとする宿主は、しかしふと感じた抵抗にその動きを止める。

見るとイレヴンの腕の中、片手を精一杯伸ばしたリゼルが宿主が身に付けるネクタイを掴んでいた。引っ張った事に少しだけ申し訳なさそうに眉を下げ此方を見る姿にキュンとしながら、再び視線を合わせるように屈んでやる。腰が辛い。

「リーダーどしたの」

「えっと」

「あー……」

ふとジルが何かを思い出したように目を細める。

あれはとある迷宮でのことだ。今では好き嫌い無く何でも食べる為に女将や宿主らに楽だ楽だと言われるリゼルだが、実は過去苦手なものがあり結構な力技で克服していた事が判明した。

いつの頃かは知らないが、あの時見た映像は明らかに今の年齢より後の出来事だ。ならば未だ苦手なものは苦手なまま。

リゼルはそろそろと宿主のネクタイを手放し、縋るようにイレヴンへと体を押し付けてすりりと目の前の首元にすり寄った。ゆるゆると持ち上げられた視線が宿主を捉え、こてんと首を傾げながら数秒悩んだ末に口を開く。

「チーズ、たべれないです」

「その上目づかいに奴隷と化しそうな俺がいる! でもその年ぐらいならやっぱり味覚を育てた方が絶対良いし苦手でも我慢して食べた方が」

食べられないのが悪いと知っているけれど、リゼルは悲しくなった。

そもそも苦手程度ならば良い子なリゼルは小さい頃も食べていた。美味しくないけれど食べている内に、ちゃんとそれらも美味しく感じるようになったのが現在のリゼルだ。

しかしチーズだけは無理だった。美味い不味いじゃない、口に入れられない。一度だけ食べてごらんと彼の父親がこの年齢の頃に口に入れさせたが、噛めず飲み込めず無言で瞳いっぱいに涙を浮かべるリゼルに謝って出させた程だ。

「………」

「(怖ぇぇぇぇぇ!!)」

ちなみに今、宿主は確かに命の危機を感じている。

リゼルの後ろで静かな殺意を醸し出しているイレヴンが怖くて仕方が無い。この瞬間何故命が有るのかと言えば、宿主が食べさせようとする理由がリゼルを想っての事だからに違いない。

しかし好き嫌いが多い筆頭のイレヴンだ。食べれないものがあって何が悪いとリゼルを困らせる男へ容赦はしない。

いやしかし此処で引いては、と子供の将来の味覚の為に滅茶苦茶腰が引けながらも何とか説得できないかと気合いを入れた瞬間のことだ。

「……やだ、やどぬしさん」

「でもお客たんには関係ないもんね大人だもんね! 今宿主さんが美味しい美味しいチーズ入ってないご飯作って来て上げるから良い子で待ってましょうねぅわぁぁぁちっさいお客たんの威力半端無い! こっちが正しいこと言ってる筈なのにじっと見られると罪悪感半端無い!」

奴隷と化した。

「リーダー流石」

「お前は一々殺気放ってんじゃねぇよ」

「良いじゃん、リーダーには気付かれねぇようにしてっし」

ひたすら騒ぎながらキッチンへと入って行った宿主を見送り、ジルはリゼルを見下ろす。先程の誰であろうと向けられた者が悪者になりそうな悲しげな顔は無く、すでにチーズが出てこないことに機嫌良くふわふわと笑っていた。

普段のリゼルも過ぎてしまえば全て気にしないタイプだが、この切り替えの早さは生まれ持ったものだったらしい。そういえば以前も切り替えは早かった。

「おなかすきました」

「腹減ったなァ、リーダー俺の膝の上で食べる? 届く?」

「とどきそうです」

「あー、ギリギリ。やっぱおいでリーダー、あーんしたげる」

膝の上に乗ってしまえば普通に食べられる高さだ。あーんはいらない、と首を振ったリゼルにイレヴンは心底残念そうにしている。

しかし子供の世話をするどころか、気に入らなければ子供でさえ内臓が破裂する程の勢いで蹴飛ばす男が良く世話をしているものだ。慣れていないのは事実なので膝の上に乗せるにしても良い体勢など分からないのかリゼルが若干ふらふらしているが、ジルとて分からないので口を出せる訳が無い。

これで実際食べさせるなんて事になれば顔面にスプーン突っ込むんじゃないだろうかと思いながら向かいへと座ると、安定する体勢が出来たのか満足そうなリゼルとイレヴンがいた。高さは充分なようだ。

「はいお待たせしました毎度恒例お昼の定食二人前です」

下準備は済んでいたのだろう、思ったより早く料理は運ばれてきた。ジルの前と、そしてイレヴンのナナメ前に置かれていく皿にもはや疑問は抱かない。

そしてリゼルの目の前に置かれたのは白い皿に彩りよく飾られた料理の数々だった。良く良く見れば内容はほとんどジル達のものと変わらないが、食べやすいよう細かく切られたりなどの配慮が多々見られる。

しかもデザート付きだ。後で自分も催促してやろうとイレヴンは内心で呟く。

「はいお客たんには特別ランチプレートですよ冷たいゼリーのおまけつき。特別にチキンライスに旗を差してあげようかな何が良いかな子供に人気の魔鳥騎兵団の旗にしましょうか?」

「へーかのハタがいいです」

「ごめんね宿主さん分かんない」

良い良い、とイレヴンが手を振ってやると宿主は落ち込みつつ暗い空気を纏いながら去って行った。

そして予想通りと言えば良いか、リゼルはまるで高級レストランのように綺麗にフォークとスプーンを使って美しく食事を終えていた。貴族の英才教育半端無い。

今日はこのまま宿の中で過ごそうかと、リゼルは一日外に出る事無くジルの部屋で過ごした。イレヴンも勿論入り浸った。

元々インドアな性格をしている為に文句も言わず、本さえ渡しておけば一人でずっと読んでいる。むしろ心配になる程にひたすら読んでいる。

それは確か手に入れていた筈だとジルがリゼルのポーチから勝手に取り出したいつかの絵本だったり、イレヴンが元盗賊らを動かして集めさせた本だったりする。ちなみに最初いつも読んでいる本を丁度部屋に置きっぱなしだったからと渡してみたら無言で読んでいたが、ふとジルが見てみたらめくって戻ってを繰り返していた。良く分からないなりに何とかしようとはしたらしい。

それからはそういえばそうかとジルとイレヴンも反省して文字多めの絵本を渡している。迷宮の絵本はクオリティが違った。飛び出た。

「ニィサン、リーダーお風呂入れたげて」

そして宿主の気遣い溢れる夕食を終えて少し経った頃、ベッドの上で本を見下ろすリゼルを膝に乗せて眺めていたイレヴンがふいにジルを振り返った。剣の手入れをしていたジルはその言葉に眉を寄せる。

「そんだけひっついてんだからてめぇが入れろ」

「俺風呂ムリだもん。ちゃんと入りたいんだってさ」

「おふろがいいです」

絵本をぽすりと膝の上に乗せ、リゼルもイレヴンの体で見えないながら振り返る様に上を向いた。

目が合い、唇を吊り上げながらイレヴンはそのまま後ろへと倒れる。加減しながらボスンと柔らかいベッドの上に仰向けになると、膝の上に乗っていたリゼルも本を手放さないままにイレヴンの腹の上に仰向けになっていた。

目をぱちぱちと瞬かせる小さな姿に笑い、慰めるように温かな腹に掌を乗せる。リゼルはそれにふわふわと笑い、喉を反らすように今度こそジルへと視線を向けた。

「ジル、いっしょにおふろ」

リゼルに一日の汗を流さず眠りにつく考えは無い。

そしてこの頃一人で風呂に入ったことなど無い。当然の思考だった。

「……行くぞ」

「はい」

手入れ途中の剣を置きかけて、しかし空間魔法へと仕舞い直しジルは立ち上がった。

リゼルもイレヴンの上でごろりと転がり仰向けからうつ伏せになり、柔らかさなど欠片も無い腹に手をついて起き上がる。イレヴンは送り出すようにひらひらと手を振ると握られている絵本を受け取り、もぞもぞとベッドを降りるリゼルを眺めた。

リゼルがとことことジルへと近付くと、それを確認したジルがまるで落し物を拾うかのように身をかがめる。しかしその手はリゼルを捉え、小さな体の脇を通り腹へと掌が回される。

そして子犬や子猫を持ち上げるように腹を持ち容易に持ち上げた。無抵抗のリゼルはそのまま器用に抱き上げられ、そして体勢を変えられその片腕に乗せるように抱えられる。

そしてそのまま出て行く二人を見送り、イレヴンはポツリと呟いた。

「ニィサン子供なんざ触れねぇと思ってたんだけどなァ」

意外だ、と言いながら余りに違和感のある光景に笑いを堪えて震えていた。

意外となんとかなるものだ、とジルは溜息をついた。

「きもちいです」

「そりゃ良かった」

湯船の中、ジルの膝の上に乗せられているリゼルは気持ち良さそうにコテンとジルへと頭を預けた。

宿の湯船は実は宿主の趣味により少し深めに作られている。リゼル一人では座ると沈んでしまうので、ジルは洗い終わった後に迷わず自らの膝の上に乗せた。

洗うにしても相当力加減に気は遣ったが他には特に問題が無かった。じっとしてろと言えばじっとしてるし、目を瞑れと言えば良いというまで瞑っている。

それどころか頭を洗ってやっている間に自分でもそもそと体まで洗っていたのだから、手間がかからない子供だ。とはいえ背中は届いていなかったので洗ってやったが。

「熱かったら言えよ」

「はい」

見下ろした先で浮かべられたふわふわとした笑顔、その頬に自らの髪から水滴が落ちたのを見てパシャリと音をさせながらジルは湯から手を抜き髪を掻き上げる。ついでに丸い額に貼りつく前髪も除けてやれば、むずがるように首を振った後にすっかりと肩まで湯に浸かって寛いでいた。

「あんま潜んな、お前逆上せんだから」

「のぼせないです」

「逆上せんだろうが」

若干語尾が伸びているあたり少し逆上せているのかもしれない。

熱さに白い頬は赤くなっているものの、額を手で覆ってみると子供体温は良く分からないが恐らく異常な程には熱くない。以前カヴァーナでリゼルが逆上せた時の方が熱かったぐらいだ。

ならばと見下ろすと頭がふらふらと揺れている。

「お前眠ィの」

「ねむくないです」

「目ぇ擦んじゃねぇよ。おら、出るぞ」

密着する体温と湯船の温度が丁度心地良いのだろう、未だこのままが良いと無駄な抵抗をするリゼルを容易く抱えてジルは湯船から立ち上がった。軽く少しぬるめのシャワーを抱えたままかけてやり、自らも簡単に浴びて更衣室へと出る。

かなり慎重にリゼルを拭いてやり、宿主が用意した貸し出しの子供用寝巻を渡した。そして自分は何とも適当に水気を取り、とりあえず下だけ身に付けて足元で着替えているだろうリゼルを見下ろす。

「……貸せ」

「はい」

ただでさえ遅い着替えが幼くなった今、更に遅くなった。

もたもたと上着のボタンを嵌めていた手はすんなりと下ろされ、ジルにされるがままに任せている。この年齢なら普通なのか生まれながらの貴族だからなのかはジルには分からなかったが、のんびりと待ってやるには此処は暑い。

さっさと着替えさせて脱衣所を出る。やっぱりちょっと大きいかとすれ違い様にガン見して視力と根性で採寸して行った宿主により明日には丁度良いサイズの寝巻が用意されるだろう。

「お、リーダー出た?」

「イレヴン」

「連れてくなら連れてけ。こいつもう寝るぞ」

ふいに二階からかけられた声にリゼルは上を向いた。

そこにはグダグダしていたジルの部屋から自分の部屋へ帰ろうとするイレヴンがおり、少し大きめの寝巻を着ているリゼルを見下ろし可愛い可愛いと笑っている。

「おいで、俺と一緒に寝よ」

「ひとりで、だいじょうぶです」

「俺が寝てぇの」

柵に凭れ、顎を乗せながらイレヴンが目を細める。唯一人にしか向けられない何処か甘さを含んだ瞳に、リゼルは幸せそうに笑って両手を伸ばした。