軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

1

〈最果てのパラディン 第五章:たそがれの国の女神〉

考えてもみたまえ。

――われわれは、なぜ永遠を恐れねばならない?

『不死神スタグネイトの問い』

――洞窟を抜けると、そこは人の領域ではなかった。

唐突に広がった茫漠たる荒野。

地平線は見えない。視線の先では白い霧のようなものが明滅している。

霧の向こうで、瞬く間に森が育ち、建物が立ち並び、そして燃え上がり崩れて消えるさまが、蜃気楼かなにかのように薄ぼんやりと見えた。

ぶぅ――ん……ぶぅ――ん……と、虫の羽音のような異音が煩わしい。

「…………」

視線を上に向けてみれば、広がる夜空には星はない。

代わりに北のある一点を中心に、虹を思わせる色合いの、輝く巨大な渦巻き模様があった。

思わず魂を吸い込まれてしまいそうな空だ。サイケデリックな印象すら感じる。

……前世の記憶が確かなら、長時間露光で撮影した星空が、こんな風になるはずだ。

遠くに明滅する蜃気楼めいた風景の様子なんかも兼ねて考えれば、時間の流れがおかしいことは明白だ。

振り返ってみると、さっきまで通ってきたはずの洞窟はどこにもなかった。

覚悟はしていたけれど、やはりここは相当な場所のようだ。

……一緒に洞窟を潜ったはずの 彼女(・・) の気配が感じられないため、僕は少し待つことにした。

その間に、装備を軽く確認する。

喪ってしまった《おぼろ月》の代わりに、柄を仕立て直して 薙刀(グレイブ) にした黄金の霊剣、《 夜明け呼ぶもの(コールドゥン) 》。

ブラッドから受け継いだ、かつて悪魔たちの《上王》が振るったという命を啜る魔剣、《 喰らい尽くすもの(オーバーイーター) 》。

なんてことはない自作の投石紐が二本に、楕円形をした鉛の弾体が半ダース。

ナイフや作業用を兼ねた丈夫な短剣。

厚手の衣類の上に着込んだ防具は、 竜鱗の鎧(ドラゴンスケイルアーマー) 。

あの邪竜ヴァラキアカの革を毒抜きしてなめし、延々と妖精の蜜蝋で煮込んだ 硬革鎧(ハードレザーアーマー) に、同じく毒抜きしたヴァラキアカの竜鱗を縫い付けたものだ。

耐火性と耐蝕性が冗談のように高く、赤熱する焼きごてを押し当てても焦げひとつなく、呪毒や強酸を垂らしても僅かな損耗もない。加えて魔法に対する耐性もある。

アクロバティックな動作や、水泳や登攀、長時間の歩行を要求されるような状況になっても対応できる優れもので、この前人未到の領域に来るならばこれしかない、という装備だ。

ほか、竜革を用いた革手袋――指先まで篭手で覆うと『書く』魔法が使いづらくなるので指の防護はやや落とさざるをえない――に頑丈なブーツ。

大きくポケットの多い背負袋に、ベルトポーチ。替えのブーツを一足。

細めのロープを一束に、毛布に手鍋に保存食に水袋、針と糸に着替え一揃い、ナイフ一振りに手斧一丁、太めの釘が十本に、若干の火酒や塩、香辛料。

フード付きのマントには、各所に《守護のことば》を記した護符を念入りに仕込んである。

――最近完成した邪竜素材の装備を除いては、おおよそいつも冒険に出向く時の一揃いだ。

これらを繰り返し点検し、軽く手足を動かし、そして神さまに祈る。

それが冒険前の、僕のいつものルーチンだった。

この習慣は、勇気と安心の源だった。

多くの問題を、これらの装備と、身につけた技術と、神さまの加護とともに一緒に切り抜けてきた。

だから今度もそうできるだろうと、自分に言い聞かせることができたから。

「…………」

けれど今、僕は不安に苛まれていた。

装備を確認して。

手足が普段通りに動くと確認して。

けれど手を組み、祈りを捧げても、あんなにも身近だったはずの神さまの存在が、微かにしか感じられない。

―― ここ(・・) では、灯火の神さまの存在は、あまりにも遠い。

「……灯火の、加護を」

いつもの祈りの聖句を。

いつも以上の切実さを籠めて呟く。

――どうかお守り下さい。

と、その時だ。

背後から、バサバサと羽音がした。

振り向けば、紅玉のように赤い瞳をした大鴉が、ゆっくりと降下してくるところだった。

不本意ながら革篭手をつけた腕を差し出すと、大鴉は僕の腕にとまる。

「やあやあ、遅れてすまないね。――待ったかい?」

大鴉は僕を見上げると小首をかしげて、そんなことを言い出した。

「割と待ちましたね、退屈でした」

「そこは『今来たところです』とでも言いたまえよキミ」

「嘘をつくと《ことば》が鈍るんですよね、魔法使いなので」

「つれないなァ、聖騎士殿!」

くつくつと笑い、嘴を鳴らす彼女は――不死神スタグネイト。

僕の宿敵であり、僕の神さまである灯火の神グレイスフィールの宿敵であり、そして姉妹神だ。

「ま、ともあれ無事に辺縁までは到達できたわけだ」

「ここから目的地まで、あとどのくらいですか?」

そう問うと、スタグネイトはふむ、と一息。

しばし沈黙し――そして首を傾げた。

「……どのくらいだろう?」

「なんで貴女が分からないんですかっ!?」

「仕方がないだろう、命あるものがこの領域に入り込むなど本当に稀なのだから」

まぁ進んでいればいずれは着くさ、などといい加減なことを言う。

勘弁してほしい。

「ともあれ《最果ての聖騎士》よ。まずは到着を言祝ごう」

僕の腕の上で、彼女はくつくつと笑い、その黒い翼を大きく広げる。

すると黒い鴉が幻のように、ふわりと霞んで消えて――

気づけば、腕の中に長身の美女がいた。

灯火の神さまに似た、ウェーブのかかったうつくしい黒髪。

大胆に肩口や胸元を露わにした薄紫のドレス。

そして何より、彼女らしい気性の強さと、すぐれた知性と、愛らしい稚気が矛盾なく同居したその顔が、そのルビーのような瞳が。

僕を上目遣いに見つめながら迫り――

「――っ!?」

慌てて首を振ってかわし、腕を払って飛び退く。

荒野の砂が、靴底でジャリジャリと音を立てるほどの勢いだった。

「…………そんなに怯えないでも良いだろう?」

「生来、臆病なもので」

心臓が緊張に高鳴っている。

本当に油断がならない。

「ま、いいさ。今回は別件だしね、そういうことは後の楽しみとしておこう」

彼女はそう言って、肩を竦め――

「……生ける者よ、《最果ての聖騎士》よ。幽明に揺蕩いし不死者たちの神秘郷、《たそがれの国》へ、ようこそ!」

芝居がかった表情でそう言った彼女は、実に嬉しそうな表情をしていた。

遠くから、灯火の神さまがとても心配している気配がする。

……僕がどうしてこんな場所に、しかも不死神と一緒にやってくることになったのか。

その経緯は、数時間前――夏至の日の夜に遡る。