作品タイトル不明
ケルンブルンの街へ
ケルンブルンは切り立った山岳に挟まれるようにある街である。
谷間から平野部に流れてくる山風と、山の傾斜面に沿って上下する斜面風が混ざり合い、嵐のように風が強い土地だった。
「ケルンブルンは、なんと言いますか、激しい気候なのですね」
「峡谷風だな。これが普通なのだろう」
この状態からさらに乱れるときがあるらしい。
風の乱れは悪天候の先触れとも言われているようだ。
ケルンブルンはオイゲンの母親の実家である、ソビドール家が領地として治めている。
渓谷風の影響で農作物はまともに育たず、他の産業もないため、やせ細った土地だという。
伯母のアネモネという名は、この土地の風から着想を得て付けたのかもしれない。
ふいに突風のような風が吹き、体が吹き飛ばされそうになる。
よろけてしまったのだが、エルツ様が抱き止めてくれた。
「ありがとうございます」
「気にするな」
思いがけない接触に照れてしまう。数ヶ月一緒にいるというのに、いっこうに慣れないものだ。
再度、強い風が吹く。今度は足を踏ん張ってなんとか耐えた。
それにしてもこの強風の中、クワルツはよく着地できたものだ。
何かご褒美をあげなくては、と思ってしまった。
「エルツ様、クワルツは魔宝石の粒など食べますか?」
「ああ、大好物だ」
グリちゃんにあげるために鞄に入れておいたものを、クワルツの口元へ届くよう手を上げてみた。
『キュルル?』
これは何? と言わんばかりに小首を傾げている。
「エルツ様、クワルツはなんと言っているのですか?」
「はっきりわかるわけではないのだが――いつもは魔宝石の塊で渡すので、何かわかっていないのかもしれない」
「そうなのですね」
この魔宝石は細かく砕いたあと、私の魔力をほんの少しだけ付与させたものである。
最近作り始めたのだが、我が家の薬獣に好評なのだ。
「これは私の魔力を付与させた、特別製の魔宝石です。ここまで乗せてくれたお礼にどうぞ」
説明すると、クワルツは理解したようで尻尾を左右に振り始めた。
私の手のひらに顔を近付け、細長い舌でちょろちょろと舐める。
するとおいしかったのか、瞳が宝石のようにキラキラ輝いた。
『キュルルルルル!』
高く甘い鳴き声を発したあと、あっという間に魔宝石の粒を完食した。
なくなったあとも、しばらく私の手のひらを舐める。くすぐったくて、くすくすと笑ってしまった。
「よほど、ビーの魔宝石がおいしかったんだな」
「お口に合ったようで何よりです」
エルツ様は真面目な表情で、本気か冗談かわからないことを言いだした。
「ビー、私も特製の魔宝石を食べてみたいのだが」
「人間が食べられる物ではないのでは?」
「私はクリスタル・エルフだ」
「たしかに、大きな枠組みの中で考えたら、妖精族と言えるのでしょうが」
お腹を壊されたら困るので、丁重にお断りさせてもらった。
ガッカリした様子を見せていたので、本気だったのだろう。
「エルツ様、調査をしに街に行きましょう」
「そうだな」
一瞬で何事もなかったかのように振る舞う。
やはり冗談だったのか、とわからなくなってしまった。
クワルツはここで待っているらしい。
風が強い日に空にいても、疲れるだけだからだとか。
エルツ様は魔物避けの魔法を展開させ、クワルツの安全を確保していた。
「クワルツ、またあとで会いましょうね」
『キュルル!』
尻尾を振りながら、私達を見送ってくれた。
「クワルツがあそこまで懐くとは、驚いたな」
「差し上げた魔宝石がお気に召したのかもしれません」
「まあ、それだけではないだろうが」
今回、私とエルツ様は婚約の挨拶回り、という設定でやってきた。
他人同士の異性が二人で旅行というのは、悪目立ちしかしないからだ。
エルツ様は注目を集めないように全身を覆う外套に、頭巾を深く被っている。
私は顔を出しておく予定だったのだが、あまりにも風が強く、砂の粒が飛んで痛いので、エルツ様と同じ恰好になってしまった。
ケルンブルンの街はレンガや石畳で舗装されておらず、あちらこちらで砂が舞っている。目に入ったら、のたうち回るほど痛いだろう。
頭巾を深く被って歩く私達に対し、不審な視線が集まるのではないか。そう危惧していたものの、街行く人々はたいてい同じような恰好だった。
曇天のせいか、街の雰囲気はどこか暗く、すれ違う人々から覇気を感じない。
市場で販売されている野菜や肉は、明らかに状態が悪いものばかりだった。
私達がよそ者だとわかっているのか、わざとぶつかってこようとする者も数名いた。
ぶつかったタイミングで、お金を盗む気なのだろう。
人が接近するたびに、エルツ様が私の腕を引き、守ってくれた。
「まったく、油断ならんな」
「え、ええ……」
明らかに、以前ケルンブルンについて話を聞いたときよりも治安が悪くなっている。
何かあったのだろうか。
「エルツ様、伯母の実家であるソビドール家のお屋敷はあちらです」
街の中でもっとも目立つ、赤いレンガの屋敷だと聞いていた。
歩くこと五分で到着する。
門は開けられており、誰かがいる気配はない。それは庭も同様に。
庭には草木が植えられていたようだが、世話をする人がいないようで、ほとんどが枯れていた。
屋敷も全体的にカーテンが閉ざされており、人の気配はない。
「なんだか今のイーゼンブルク公爵家そっくりです」
「ああ、そうだな」
もしや誰もいないのではないのか。
そう思いながら扉を叩くと、老執事が顔を覗かせた。
「申し訳ありません、主人は現在、人に会える状態ではなくて」
主人というのはオイゲンの母方の祖父だろう。
「あの、アネモネ・フォン・ソビドールに会いにきたのですが」
「おりません」
まるで吐き捨てるような、不在を知らせる言葉だった。