作品タイトル不明
厄介な患者さん
もしも殴られたら、大げさに倒れてやる。
そんな心づもりで奥歯を噛みしめ、衝撃に備えた。
しかしながら、男性の手が私に振り下ろされた瞬間、ガキン! と鈍い音が鳴る。
「ぎゃあ!!」
男性は自ら振り下ろした手を押さえ、床の上に転がる。
驚いた。
私を守るように、結界が現れたから。
「間に合ったか」
診察室からエルツ様が出てくる。
床の上でのたうち回る男性をちらりと見て、しれっとした表情で「急患か?」と問いかけた。
我慢できなくなったクルツさんは、「ぶはっ!」と噴き出してしまう。
エルツ様にジロリと睨まれたクルツさんは、慌てた様子で記録簿を書き始めた。
「あーえっと、ゴホン。こちらの男性は急患のようですので、救急隊員に迎えに来ていただこうかな」
拳を強打、という診断書を書いて、クルツさんが契約しているフクロウ妖精に託していた。
「ビー、ケガはないか?」
「おかげさまで……。ありがとうございます」
「私は騒ぎを聞きつけて、様子を見にきただけだが?」
結界を展開してくれたのはエルツ様だろうが、しらばっくれるつもりらしい。
その後、連絡を聞きつけた救急隊員がやってきて、男性が運ばれていく。
エルツ様は救急隊員に、他の症状も訴えるようならば治療を頼むと伝え、見送っていた。
嵐が去ったあと、エルツ様が診察を待つ人々のほうへ視線を向けると、蜘蛛の子を散らすようにいなくなっていった。
「あの者達は、ようやく休憩時間を挟むことを理解したか」
「あー、助かるなー」
少し強引なやり方になってしまったが、休憩時間を確保できたわけである。
無事、クルツさんやエルツ様と共に昼食をいただくこととなったのだが、問題が解決したとは思っていない。
「エルツ様、普段から、今日みたいに昼休憩を取ることなく、診察をしていたのですか?」
「まあ、そうだな。でないと、全員診察することなんてできないから」
「全員が全員、エルツ様の診察を必要とする患者とは思えなかったのですが」
「それは私も認めよう」
クルツさんは休憩室の患者に対し、〝自称重症患者〟と呼んでいた。
その言葉のとおり、医術の権威の診察を受ける必要がない者まで、のこのことやってきているように思える。
「もしかしたら、これまでそういう厄介な患者さんを、イーゼンブルク公爵家で引き受けていたのかもしれませんが」
「いや、そうではない。ああいう類いの面倒な患者は、昔から多くいたようだ」
なんでも、そこまで重症でなくとも、国王と同じ王室典医貴族の診察を受けてみたい、と望む者が後を絶たないらしい。
一般的な魔法医の治療と魔法薬の効果がなかった重篤患者のみ、診察を受けるという前提なのに、自らの権力を使ってやってくるのだという。
「ああいう者達の相手をするのはばかばかしいから、拒絶せずに引き受けていたのだが、まさかそなたに迷惑をかけてしまうとはな」
「私は迷惑だなんてぜんぜん……大変だったのはエルツ様とクルツさんだったかと思います」
その言葉にクルツさんは感激したようで、涙を浮かべながら「そうだったんだよ」と訴えていた。
「明日より、問診を強化させ、必要な者のみ診察するようにしよう」
「お願いします」
こんなふうに無理をしているから、エルツ様は体調不良を抱え込んでしまったのだろう。
仕事を減らしたら、体の調子もよくなるに違いない。
「今日はいくつか薬草茶を持ってきました。何か体の不調などありますでしょうか?」
「絶不調の一言なのだが、強いて言えば、先ほどの騒動のせいでイライラしている」
「でしたら、神経の昂ぶりを抑える薬草茶を淹れますね」
鎮静作用のあるカモミールと、疲れた心を癒やしてくれるレモングラス、緊張を解すレモンバームをブレンドした薬草茶を作ってみた。
エルツ様は食がまったく進んでおらず、サンドイッチの中に挟まれていたキュウリを一枚抜いて食べただけである。
なんでも普段から昼食を食べる習慣がないようで、あまりお腹が空いていないらしい。
スープだけでも飲んだほうがいいのではないか、と勧めたものの、首を横に振るばかりだった。
食欲がなくとも、何かお腹に入れたほうがいい。
どうしたものか、と考えていたら、今日はお菓子を持ってきていることを思い出した。
「こちらのスペキュロスを、よろしかったらどうぞ」
シナモンとナツメグ、ショウガを効かせたビスケットだ。
クルツさんはサンドイッチとスープだけでは物足りなかったようで、パクパク食べてくれた。
それを見たエルツ様は呆れた視線を向けている。
「クルツ、そなたは餌を貰ったのに、貰っていないように振る舞う犬のようだな」
「だってこれ、とてつもなくおいしいから!」
薬草が入ったお菓子を苦手に思う人は案外多いので、こうやってたくさん食べてくれると嬉しい。
エルツ様も食べてくれたので、ホッと胸をなで下ろした。
「ブルームさん、このお菓子、どこで買ったか教えてもらえる? 本当、おいしくって」
「これは私が焼いたものなんです」
「えー、そうだったんだ!」
職人並みの腕前だと褒めてもらい、嬉しくなる。
「どこで習ったの?」
「慈善活動をするときに、シスターに習ったり、薬草採取にいったときに、宿泊した宿のおかみさんに教えてもらったり、いろいろです」
「へーーーー」
また焼いてくると言ったら、クルツさんは跳び上がって喜んでくれた。