作品タイトル不明
「ありがとう」の魔法
「はー。公爵家の庭園は凄いわね」
アマーリエはクラウスを抱きながら公爵家の庭園を歩いた。実家のリーヴェスヴィンセント家では庭にさくお金も手間暇もなかった。ハーブを少しだけ植えて、食事や飲み物に使用していた。
ローゼンブルク公爵家の庭は色とりどりの花が、美しく咲き乱れている。しかも庭師の丁寧な手が入っているから、緻密に設計されているのがわかる。まるで絵画の中にいるみたいだと思う。
「クラウスさま、綺麗ですねー」
そう話しかけると、クラウスは嬉しそうに声を上げた。アマーリエは、ふふ、と笑ってそのほっぺにほっぺをくっつける。やわらかくぷにぷにした感触が気持ちいい。ミルクの甘い匂いがした。
「奥さま。お疲れにはなりませんか?」
付き従っていたアンネが伺うように尋ねた。アマーリエは笑う。
「全然。アンネのおかげで眠ることもできたし、弟妹が多かったから子どもの面倒には慣れてるの。アンネこそ、寝不足じゃない? ごめんなさいね」
「いえ、そんなとんでもありません……!」
「エルヴィスさまは、クラウスさまと少し離れたほうが良いわ。いろいろ面倒をかけてしまうけどよろしくね」
「奥さま……。私たち頑張ります! 奥さまがいらしてくださって本当に良かったです」
いや、仮の妻だからね、とアマーリエは心の中で苦笑する。クラウスの子守係が実質的なところだろう。けれど、クラウスは可愛いし、実家も援助してもらえる。フェリクスもアカデミーに復帰できる。アマーリエにとっては良いことだらけだ。ならば、自分もやれるだけのことはやらなければならないと思う。
「あぶ……あう……」
クラウスが白い薔薇に手を伸ばそうとする。アマーリエは少し遠ざけてからその薔薇を見た。少し赤みがかっている美しい薔薇だ。アマーリエはクラウスを見つめて微笑んだ。
「ひとりで寂しくお仕事なさっているお父さまにお土産を持っていきますか?」
その言葉にクラウスが笑う。
「アンネ。庭師の方はいるかしら。この薔薇を一輪、棘をなくしてもらえるかしら?」
「もちろんです、奥さま」
アンネはすぐに庭師を呼んできた。アマーリエは礼を言うと庭師に微笑む。
「お仕事中ごめんなさいね。クラウスさまが、お父さまにこの薔薇を一本手土産にしたいのだけど、棘をとってもらえるかしら」
「はい、ただいますぐに」
老齢の庭師は器用な手つきで薔薇を切り、ナイフで棘を取っていく。その手早さにアマーリエは感嘆した。
「凄いのね! お名前を聞いても?」
「ハンスといいます。奥さま」
「ハンス、ありがとう」
そう言うと、ハンスは慌てたように使い古した帽子を取り頭を下げた。礼を言って別れると、アンネが少し言いづらそうに言葉を紡ぐ。
「奥さま。あまり簡単に礼を言われないほうがよろしいかと……」
アマーリエはきょとんとして、それから笑った。
「それは目をつぶって欲しいわ。私は感謝したら礼を言うように育てられたの。まあ、公爵家の中でだけにするから、目をつぶってちょうだい」
「はい」
上流の婦人は確かに自分より下位の者に礼は言わないかもしれない。けれど、アマーリエにとっては礼を言うのが普通のことなのだ。変わりものと言われても仕方がないとは思うが改める気はない。
「さあ、クラウスさま。綺麗なお花ですね。お父さまのところへ持っていってあげましょうね」
そう言って高く抱き上げるとクラウスは、キャハハと楽しそうな笑い声を上げたのだった。