作品タイトル不明
額に触れた祈りと感謝
眩しい陽射しに、エルヴィスはううん、と目を擦った。はっとして目を開けると、すぐ隣にアマーリエの寝顔があった。長い睫毛が落ちて、形の良い唇からは微かな寝息が聞こえる。エルヴィスは、アマーリエのその姿に見入った。隣にアマーリエがいることが、なぜか心強かった。しかしすぐにクラウスがいないことに気づき、エルヴィスは落ち着かなくなる。生まれてからずっと世話をしてきた。夜離れたこともなかったのだ。
「ん……」
アマーリエがエルヴィスの気配に気づいたのか目を開ける。少しぼんやりとした表情になってから、微笑んだ。
「おはようございます、エルヴィスさま」
「おはよう、アマーリエ。その、クラウスは……」
「クラウスさまは明け方に起きられましたよ。先ほどまで私があやしていたのですが、アンネに引き受けてもらいました」
「そうか、すまない。私だけぐっすり眠ってしまって……」
「ぐっすり眠れたなら良かったです」
アマーリエはそう言うと、凝り固まった体をそぐすように伸びをした。そしてにこりと微笑む。
「エルヴィスさまには休息が必要です。そう言ったでしょう」
「しかし……君に任せて眠ってしまうなんて」
「任せてくれて良いんですよ。私もアンネに任せましたし。それに……ごめんなさい」
急に謝られてエルヴィスは目を瞬かせる。アマーリエはエルヴィスに向き直った。
「ひとりでクラウスさまを見るのはたいへんだったでしょう。クラウスさまがあんなに健やかに、真っ直ぐ育っているのは、エルヴィスさまが心血を注いでこられた証拠です。それは、誰にも否定できない誇るべきことです」
「……アマーリエ」
「ですが、クラウスさまが一番に見ているのは、誰の背中でしょうか? 疲れ果てて今にも倒れそうな父親の顔を、あの子に見せ続けたいのですか?」
鋭い指摘に、エルヴィスは言葉を失う。アマーリエは彼の両手をそっと包み込んだ。
「周りを頼ることは、育児を捨てることではありません。クラウスさまに『世界は優しい人たちで溢れている』と教えることなんです」
「アマーリエ……ああ……わかった」
「わかればよろしいんです。なんでもひとりで抱えこまないでくださいね。エルヴィスさまに何かあったら、クラウスさまが大泣きしちゃいますよ」
アマーリエはにっこりと微笑む。エルヴィスはアマーリエの両手を握った。アマーリエはきょとんとしている。エルヴィスはその両手を握りしめ自分の額につけた。
「ありがとう……アマーリエ」
「どういたしまして」
振り絞るようなエルヴィスの声に、アマーリエは晴れやかに笑ってそう言ったのだった。
その時、控えめにノックがされる。
「入れ」
エルヴィスが声をかけると、執事のアンゼルムが扉を開けて恭しく頭を下げた。
「おはようございます。朝食ですがこちらでなさいますか? それとも天気も良いのでテラスになさいますか?」
「クラウスさまはどうしていらっしゃるのかしら?」
「クラウスさまは、先に朝食を済ませていまは、アンネたちが見ております。ご機嫌ですよ」
「そう……それじゃあ、テラスに食事を持ってきてくれるかしら? エルヴィスさまよろしいですか?」
「……クラウスの離乳食は……私が作らなければ」
そう言って立ち上がろうとすると、アマーリエは笑ってエルヴィスの袖を引いた。
「ご心配なく。いつもエルヴィスさまが作られていたんですよね。今朝、エルヴィスさまのレシピのメモを見つけましたよ。差し出がましいのですが……厨房に細かく指示を出させていただいて、作ってもらいました」
アマーリエがエルヴィスを見つめる。エルヴィスさま、いいですか、と顔を近づける。
「たまに離乳食を作られるのは良いと思います。ですが3食毎日、エルヴィスさまが作るのは辞めていただきますからね。良いですか?」
「それは……」
「エルヴィスさまが無理をすれば、クラウスさまが困ることになるんですよ? クラウスさまに寂しい思いをさせてもよろしいんですか?」
エルヴィスの喉がなる。少しの逡巡の後、再びアマーリエの両手に額をつけた。それを見たアマーリエは笑顔になる。
「おわかりいただけて良かったです。さあ、私たちも食事をとって、早くクラウスさまのところへゆきましょう」
「……ああ」
その言葉にアンゼルムは、深く深く、いつもより長く頭を下げた。
「アンゼルム」
「はっ……」
「頼む。2人分の食事をテラスへ」
エルヴィスの穏やかな声が部屋に響いた。