作品タイトル不明
灯火と祈りの夜
「名前を……名前を決めなくては」
エルヴィスはつぶやくようにそう言うと、自分の寝室へと戻った。
ランプの灯りをつける。仄暗い室内に温かな光が灯った。
手帳を出し思いつくまま名前を書いて、やがて目の前が滲んだ。
「――良かった」
胸の奥底から、せり上がるものがあった。アマーリエの呼吸は穏やかで、その腕に抱かれた小さな命もしっかりと息をしている。張り詰めていた全身の強張りが、あたたかな弛緩へと変わっていく。
かつて失ったあの時の、冷たい指先。三日で止まったあの時間……。
そう思い出し、まだ気は抜けないと思う。けれど、先ほど目にした我が子は、小さな拳で驚くほどの力で握り返してきたのだ。産屋に満ちていた、あの圧倒的な熱。
「神よ……感謝します」
そう祈りを捧げると、再び名前を考え始めたのだった。
手帳の余白に連なる、いくつもの候補。その中で、ふと一つの綴りにペンが止まる。
――アリーゼ。
高潔な、という意味を持つ古い名だ。
泥にまみれても決して気高さを失わず、自らの足で運命を切り開いてきた愛する妻、アマーリエ。その生き様を受け継ぐ娘であってほしい。そして、彼女が命がけで繋いでくれたこの命を、今度は自分が誇り高く守り抜くのだという、歪みのない誓い。
「アリーゼ」
その名を何度か、唇の上で転がしてみる。
「アリーゼ」
エルヴィスはその綴りを、迷いなく、そして愛おしそうに丸で囲ったのだった。
姉は昔から丈夫だった。いつだって元気に、貧乏だったリーヴェスヴィンセン家の太陽でいてくれた。その姉があんなに苦しそうにしている。
フェリクスは扉を閉めると、そのままそこへ座り込んだ。やわらかな雪あかりが、仄かに室内を照らしていた。
「神さま、ありがとうございます……」
ふと、自分の両手に目を落とす。姉の苦しみを前に、何もできずにただ祈ることしかできなかった、頼りない自分の両手。
先ほど見たあの赤ん坊の、今にも消えてしまいそうなほど小さな、けれど胸を打つほど確かな熱を持った手のひら。
それを思い返した瞬間、自分が「叔父」になったのだという実感が、遅れて胸の真ん中に突き上げてきた。それは、これまでの人生のどこにもなかった、言葉にできないほど切なく、尊い重みだった。この頼りない自分の両手で、これからあの小さな命を、姉の掴んだ幸せを支えていくのだという、静かな決意。
自分のことなど二の次で、泥を払って前を向き続けた強い姉。彼女がようやく、自らの手で掴み取った幸せ。
「姉さまが、幸せになってくれて、本当に良かった……」
一筋の涙が頬を伝う。
今日の日のことをきっと自分は忘れないだろう。そう考えて、自身の拳をそっと握りしめた。
「本当に、良かった……」
そうつぶやいて、フェリクスは自分の膝に顔を埋めた。