作品タイトル不明
夕暮れの福音
「お母さま? どうしたの?」
それはごく普通の夕食時のことだった。忍び寄る夕暮れの色がローゼンブルグ邸の部屋の中に差し込んでいた。その声に、全員の食事をする手が止まった。
アマーリエは眉間にしわを寄せていたが、慌てて笑顔を浮かべてクラウスを見つめる。
「なんでもないのよ、クラウス」
「どこか、痛いの?」
その一言で、今度こそ全員の時が止まり、アマーリエに視線が注がれた。アマーリエは慌てて首を振る。
「どこも痛くありません……! ただ、ちょっと……胸やけがして」
「医者を呼ぼう」
エルヴィスが立ち上がり、アマーリエの元へと忙しなく歩み寄った。フェリクスもカトラリーを置き、心配そうな顔で姉を見つめる。
「あの丈夫な姉さまが胸やけなんて……医者を呼ぶのに賛成です」
「本当に失礼ね……!」
「お母さま、大丈夫?」
クラウスがアマーリエの右脇に駆け寄ると、その紺色のドレスにしがみつく。
「クラウス、お母さまは大丈夫よ。心配しないで」
「姉さまが胸やけを起こすなんて聞いたことありません」
その言葉にエルヴィスの顔がますます青ざめていく。有無を言わせずアマーリエを抱き上げると、アンゼルムに厳しい視線を送る。
「アンゼルム、医者を」
「畏まりました。直ちに」
「アンネは寝る用意を」
「畏まりました」
「ちょ、ちょっと……! 皆大げさです。本当になんでもないんです。食事を続けましょう」
アマーリエの周りに人が集まる。フェリクスがクラウスの背に手をやり、真っ直ぐにアマーリエを見つめた。
「なにもなければそれでいいんです。ともかくお医者に診てもらって下さい」
「そうだよ、アマーリエ。君は無理をしすぎるところがあるから」
「お母さま……大丈夫?」
3人に詰め寄られてアマーリエは白旗を上げる。
「わかった。わかりました。お医者さまに診てもらいます。それはともかく、ひとりで歩けますエルヴィスさま」
「ダメだ」
そこへアンネが戻ってきて恭しく頭を下げた。
「準備整いました。よろしければお着替えを」
エルヴィスは頷いてアマーリエを抱き上げたまま、食堂を出て行く。後ろにクラウスとフェリクスも続いた。
「本当になんでもないのに……」
アマーリエのつぶやきは、誰も一切耳を貸さなかった。