作品タイトル不明
秘密の花園
アマーリエが案内したのは、屋敷の裏手、手入れの行き届いた庭園のさらに奥にある、小さな石造りの温室だった。
扉を開けると、外の春風とはまた違う、湿り気を帯びた花の香りと、陽だまりのような暖かさが一行を包み込む。
「ここはね、エルヴィスさまが私のために作ってくださった場所なんです。ハーブや、少し変わった花を育てているのですよ」
色とりどりの花々に、クラウスが「わあ!」と声を上げて駆け寄る。フェリクスは、緊張で強張っていたユリウスの肩が、温室の熱気に触れてわずかに緩んだのを見逃さなかった。
「ハーブも育ててるのか……」
「ええ。煎じてハーブティーにするんです。エルヴィスさまが好んでいるので」
「アマーリエ夫人自ら?」
「そうなんですよ。紅茶の方が美味しいと思うんですけどね」
そう言うと、ユリウスがようやく少し微笑んだ。
「ユリウスさま、一緒にお花を見ましょうか」
フェリクスが声をかけると、彼はゆるゆると頷いてからフェリクスを見つめた。
「アマーリエ夫人と似ているのだな」
「よく言われます」
フェリクスの苦笑に、アマーリエは弟の背中を小突いた。
「なにその言い方。失礼ね!」
「あ、痛い。姉さま」
ふたりのやり取りを珍しそうに見つめるユリウスの手をクラウスが握った。
「ユリウスさま、行こう」
「……うん」
子ども同士手を取り駆け出す。フェリクスがその後に続いた。
アマーリエはハーブの様子を確かめる。緑色のハーブは、青々と繁っていた。
数分もしないうちに、子どもたちの笑い声が響く。フェリクスの花を説明する声がする。アマーリエは屈んでハーブの手入れを始めた。シルクの手袋は外してある。
どのくらいそうしていたのだろう。気づくと隣にユリウスが立っていた。クラウスはフェリクスに肩車され、高い位置にある花を見て喜びの声を上げている。
「……エルヴィスさまがハーブティーをお好みなのか」
「そうなんですよ。眠る前にはこれを飲まないとって。私は紅茶の方が美味しいと思うんですけどね。眠る前にはふたりでハーブティーを飲んでます」
「ふたりで……」
「ユリウス殿下も飲んでみますか? 絶対紅茶の方が美味しいと思いますよ」
ユリウスはその言葉に微笑った。そっとハーブに手を伸ばす。
「……そうだ。フィリップ義兄上から手紙を預かってきた」
「まぁ、フィリップさまから?」
ユリウスが差し出す封筒をアマーリエは大事に受け取った。中を開けると、拙い文字で
「アマーリエ。好き」
と、書かれてあった。アマーリエの顔が思わず綻んだ。
王家との内輪のお茶会は続いていた。城に上がる度に、フィリップのところへもひそかに通っていた。フィリップが穏やかな乳母に甘えているのを見つめる。フィリップの目がぎょろりとアマーリエを見つめると、彼は瞳に喜びの色を浮かべてアマーリエに抱きつくのだった。それを見て、エルヴィスが小言を言うまでが最近の定番になっていた。
「……アマーリエ夫人」
「なんでしょう、ユリウス殿下」
彼はほんの少しだけその豪奢な金の髪を、寂しそうに振った。
「……突然押しかけて申し訳ない。ちょっとだけ……その、疲れてしまった」
「……いいえ。殿下に思いがけなくお会いできて嬉しかったですよ。クラウスもあんなに喜んでいます。来て下さって本当にありがとうございます」
その言葉にユリウスは、はっとしてアマーリエを見つめた。翡翠色の瞳と緑色の瞳が絡まる。先に逸らしたのはユリウスだった。
「……私にもハーブティーを淹れてくれるだろうか」
「もちろんですよ。でも、本当に紅茶の方が美味しいですよ? ……でももし気に入って下さったら、お土産に持って行って下さいね。マルグリットさまにも淹れて差し上げて下さい」
アマーリエはそっとユリウスに寄り添う。アマーリエのドレスと、ユリウスの上着が触れてやわらかな音を立てた。そっと背中に手を回す。
ユリウスの瞳に僅かに涙が浮かぶ。彼は頭を振ってすぐに涙を拭うと、にこりと微笑んだ。アマーリエも微笑む。
「それじゃあ、改めてお茶にしましょうか。フェリクス、クラウス、お茶にしますよ」
「はーい、お母さま」
「はい、姉さま」
温かな温室に、やわらかで楽しげな声が響いた。
「……それで、殿下はハーブティーを持ち帰られたのか」
「そうなんですよ。紅茶の方が美味しいのに」
「そんなことはない……!」
アマーリエの言葉に、エルヴィスが身を乗り出すように答えた。
真夜中の夫婦の寝室には、ハーブティーの香りが優しく漂っていた。月明かりが窓から差し込む。
「君が淹れてくれたハーブティーはなによりも美味しい。……それで、その、ユリウス殿下にも君が淹れて差し上げたのか?」
「はい。殿下の眉間にしわが寄っていました」
アマーリエは楽しそうに笑い声を上げた。それを見たエルヴィスが、複雑そうな表情を浮かべる。
「このハーブティーは我が家だけのものなのに」
「……エルヴィスさま」
「……いや、殿下が喜んだのならそれは良かった」
エルヴィスは口元に手をやる。その瞳には言外に、悔しいという色が滲んでいた。
「おかわりを淹れましょうか?」
「頼む」
アマーリエが慣れた手つきでハーブティーを淹れるのを、エルヴィスはうっとりと眺める。
「はい、どうぞ。視察お疲れさまでした」
「ああ、君も。アマーリエ」
「なんですか?」
アマーリエが尋ねると、エルヴィスは口元に手をやったまま、ぼそぼそと話した。
「今度からは君じゃなく、アンゼルムに淹れさせるといい」
「……まさか、妬いているんですか?」
「まさか……! ただ、君の手を煩わせるまでもないと……思ってだな」
エルヴィスの声音がくぐもる。それを聞いたアマーリエは「考えておきます」と言って笑ったのだった。
ハーブティーの香りが揺蕩う。ローゼンブルグ邸の夜はゆっくりと更けていった。