作品タイトル不明
石畳に刻む足音
アカデミーの表門にローゼンブルグ公爵家の家紋が入った馬車が止まる。フェリクスは馭者に礼を言って降り立った。朝の空気が少し冷たくて心地良い。
アカデミーもいよいよ6学年目、最終学年だ。気持ちを新たに門をくぐる。
ざわ、と空気が揺れる。ライヘンベルグ伯爵家の一夜にしての転落騒動はまだ尾を引いている。無理もない。由緒も格式もある伯爵家が一夜にして断絶したのだ。あの時の義兄の一切の容赦のない、けれどまるで意に介してもいない態度は、いま思い出しても手が震える気がする。
フェリクスは背筋を伸ばして歩く。かつかつと、上質な革靴が石畳を叩く。肩まで揃えた亜麻色の髪がさらさらと揺れて、翡翠色の瞳は真っ直ぐ前を向いていた。
遠巻きに見ている生徒ばかりの中で、ひとりの少年が気さくに挨拶をする。
「よぉ、フェリクス。おはよ」
「エルベアト、おはよう」
エルベアト・フォン・ノイエラグーネ伯爵令息は、ふぁーと大きなあくびをひとつすると、がりがりと頭をかいた。
栗毛色の髪を一本で束ね肩に垂らしている。背が高く、容貌も整っていて人懐こい印象を与える。
事実、今となってはフェリクスにとって数少ない友人だった。
「眠そうだね。レポート書いた?」
「領地経営学の? 勘弁してくれよ。昨晩は未明まで領地経営学のレポートと格闘してたんだ。ほら、例の南部関税の特例措置による物流変化の考察」
「ああ、あれか。僕はローゼンブルグ領の帳簿と対照して、実効性の低さを指摘しておいたよ」
「うわ……。それ、教授が泣いて喜ぶか、プライドを折られて激怒するかの二択じゃないか」
エルベアトは肩をすくめて笑う。
「さすがだな。ちょっと見せてくれない? 俺、まだ終わっていないんだ」
「見せないよ。自分でやらなければ意味がないだろう」
そう硬いことを言わずにとエルベアトは笑う。フェリクスは呆れてみせた。
「エルベアト、君、次席だろう? やる気の問題だろう」
「そ。誰かさんのお陰で万年次席です。たまには譲ってくれても良いんだけどな」
「悪いけど首位は譲る気はないよ。総代で卒業を目指すからね」
「フェリクス、たまには肩の力を抜けよ」
そう言ってふにゃりと笑うエルベアトだが、ふいに真面目な顔つきになった。
「俺、婚約するかもしれない」
「えっ、それはおめでとう。エルベアトは伯爵家の嫡男だものね。遅いくらいじゃないの?」
「まぁ、そうなんだけど。お相手の令嬢の顔も知らないんだよね」
フェリクスは考え込む。政略結婚は貴族にとって常識だ。家柄同士の結びつきだから。それでも姉と義兄を見ていると、いつかはあんな風に温かい家庭を築きたいと思う自分がいる。
「フェリクスは婚約しないのか?」
「まだリーヴェスヴィンセン家は建て直しの途中だからね」
それにまだまだ、誰かを守るには力が足りてないと思う。あの義兄のようにならなければ、姉を守れるようにならなければ、とフェリクスは思う。
勿体ないね、とエルベアトは笑う。
「今じゃローゼンブルグ公爵家が後ろ盾にいる。フェリクスを狙っている令嬢はたくさんいると思うよ。美人だしな」
「……なんだ、それ」
「アマーリエさまとそっくりなんだろう? なあ……一度、アマーリエさまと会わせてくれよ」
「……死にたくなければ止めたほうがいい」
なんだそれ、と笑うエルベアトに、本当に笑い事じゃないんだと心のなかでつぶやく。
視線をあちらこちらから感じる。フェリクスが復学したとき、手のひらを返したように近づいてきた者たちもいた。
「僕、休学前にされたことは忘れてないんで。記憶力良いので」
と、綺麗に微笑むとやがて一緒にいるのは、エルベアトだけになった。寂しいとは思わない。友人は選ぶべきだ。
「来週顔合わせなんだよなぁ……」
「良い人だといいね」
フェリクスは万感の思いを込めてそう伝えた。
エルベアトは一瞬、瞳を伏せた。そこにあるのは深い諦念だった。
「来週顔合わせなら、さっさとレポート書きなよ」
「めんどくさいんだよなぁ……」
エルベアトがぼやく。喋っているうちに教室へと着く。1限目は経済学の授業だ。少々頭の固い教授だったが得ることは多い。
フェリクスはエルベアトと一緒に一番前の座席に座ったのだった。