作品タイトル不明
小さな騎士の優しい我慢
フェリクスが廊下を歩いていると、部屋の前に佇むクラウスを見つける。
朝日が眩しく窓から差し込み、クラウスの金の髪が透き通るように輝いて見えた。
クラウスはうつむき、じっと扉を見つめている。
「クラウスさま。どうなさったんですか?」
そう声をかけると、小さな肩がぴくりと跳ね上がってフェリクスを見上げた。
「フェリクスにいしゃま」
「入らないのですか? お母さまに御用だったのでは?」
そう尋ねると、彼はううんと頭を振る。小さな手をぎゅっと握りしめてフェリクスを見上げた。
「おかあしゃま、僕のせいでいたいいたいなの。僕、我慢する」
「クラウスさま……」
フェリクスは屈んで目線を同じくすると、クラウスの背に手をかけた。その背は驚くほどに華奢で細い。
「責任を感じていらっしゃるんですね。お母さまは大丈夫ですよ。入られませんか?」
「明日まで我慢するの……」
クラウスはもみじのようなその手を握りしめた。フェリクスは微笑んでクラウスを見つめる。
「お顔を出すくらい大丈夫ですよ。クラウスさまが姿を見せないと、お母さまが心配なさいますよ」
「……本当?」
「本当ですとも。さあ、では一緒に入りましょう」
「……うん!」
クラウスは喜んで顔を上げた。その瞳は嬉しさできらきらと輝いている。
可愛いな、とフェリクスは思った。クラウスに手を伸ばすと、フェリクスの腕の中へと飛び込んでくる。よいしょ、とフェリクスはクラウスを抱えあげた。
「……重く、ない?」
「ちっとも。お母さまより力がありますからね」
「フェリクスにいしゃま、カッコいい……!」
ようやく笑顔になったクラウスを大切に抱き、フェリクスは扉をノックする。
「はい」
アマーリエのやわらかな声がする。フェリクスはノックをして失礼しますと言いながら扉を開けた。
部屋に入ると既に先客がいた。エルヴィスはアマーリエの手を握っている。
それを見てフェリクスは呆れたように小さくため息をつく。
「フェリクス、クラウス。ふたりともおはよう」
「ああ、おはよう」
ふたりの挨拶に出迎えられて、フェリクスは頭を下げて一礼した。
「おはようございます。姉さま、腰はどうですか?」
「だいぶ良いわ。ありがとう、フェリクス」
「ほら、元気になってますよ、クラウスさま」
「……おかあしゃま……だいじょうぶ?」
クラウスがアマーリエを覗き込むように言うと、アマーリエは微笑んで手を伸ばした。
「大丈夫よ。いらっしゃい、クラウス」
「おかあしゃま……」
フェリクスがアマーリエの隣に、クラウスをおろしてやる。クラウスはもみじのような手で、アマーリエの頬に触れた。
「おかあしゃま……いたくない?」
「心配してくれてたのね。大丈夫よ、クラウス」
そう言ってクラウスのやわらかな癖っ毛を、優しい手つきで撫でる。クラウスは甘えるように、アマーリエの膝にもたれた。
「クラウスさま、心配していらっしゃいましたよ。お母さまが痛いから会うのも我慢するとおっしゃって」
フェリクスの目は、まだアマーリエの左手を離さないエルヴィスに向いた。
エルヴィスが少し気まずそうに、視線を反らすと、クラウスの頬に手をやった。
「そうか。偉かったな、クラウス」
その声に、クラウスはぱちりと目を開ける。
「おとうしゃまは、ずっと、おかあしゃまと一緒にいたの?」
「そうですよね、クラウスさま。ずるいですよね」
クラウスはフェリクスを見あげたあと、こくりと頷く。
「おとうしゃま……ずるい」
「いや、それは看病をしてだな。クラウスはまだ看病できないだろう?」
クラウスの純粋な一言に、フェリクスは堪えきれず吹き出し、目尻に涙を浮かべた。
「お、お父さまも形無しですね」
エルヴィスは何か言い返そうと口を開きかけたが、結局、愛息子の真っ直ぐな瞳に勝てる言葉が見つからなかったのか肩を落として降参する。
「……すまない。次は一緒に看病しよう」
潔く謝った父の姿に、今度はアマーリエが鈴を転がすような声で笑った。
部屋が温かな笑い声でつつまれる。
「でもクラウス。まだお母さまを困らせてはダメだ。今日までは休ませてあげないと」
咳払いをして言うエルヴィスに、クラウスはこくりと頷く。
「おかあしゃま……早く良くなってね」
ぎゅっとしがみつくクラウスに、アマーリエは慈しむように髪を撫でた。
「はい。お約束します」
「やくそく……」
ふたりで指切りをして、微笑みあう。
ローゼンブルグ邸には、朝のやわらかな日差しが部屋いっぱいに差し込んでいた。
(ああ、良いな)
フェリクスは胸の奥に灯った小さな憧れを感じる。自分もいつかは、こんな家庭を。
だが、その願いはそっと胸の奥に仕舞い込んだ。
(でも今は、この平和を守るために力を尽くします)
心の中でそう宣誓すると、お茶を取りにそっと部屋を退出したのだった。