軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

盾となる覚悟

明くる日、ローゼンブルグ邸の執務室でのことである。窓からは昼間の温い光が優しく振り注いでいた。執務室にはフェリクスが、エルヴィスから執務を学ぶために待機していた。しんとした静謐な空気に、エルヴィスのペンを走らせる音だけが響いていた。

そこへ扉がノックされる。

「入れ」

エルヴィスの低い声に、フェリクスも馴染みの文官のひとりが扉を開け丁寧に一礼をするとエルヴィスの元へと歩み寄った。

「ライヘンベルク伯爵邸、差し押さえた模様です。財産も凍結、一族の身もおさえました。伯爵家への断絶の王命が伝えられるでしょう……予定より10日ほど早かったですが……」

それを聞いたエルヴィスの口角が僅かに上がった。

「報告、ご苦労。下がって良い」

「は」

フェリクスはその一連のやり取りを聞く。扉が閉まると同時に、エルヴィスに向き直った。

「ライヘンベルグ伯爵家って……昨夜、姉さまに不敬を働いたご令嬢の家では!?」

「そうだが。相変わらず姉弟仲が良いな」

「断絶、とおっしゃいましたか?」

「そうだ」

エルヴィスは決裁書に流れるようにサインをしてから、顔を上げるとフェリクスに向かって微笑む。

「命は取られなかっただけましだろう」

「ましって……」

フェリクスは呆然とした声を上げる。ローゼンブルグ家の権力をまざまざと見せつけられ戦慄する。

初めて会った時、自分たちがなんのお咎めもなかったことが奇跡のように思えた。

「元々、証拠固めのために泳がせていた。それが少し早くなっただけだ。フェリクス」

「は、はい」

「君もリーヴェスヴィンセン家の当主となる身だ。そして私の義弟でもある。ゆめゆめ、隙を見せるな」

「……はい。承知しております」

エルヴィスはくすりと微笑む。そう、元々、証拠固めのために追っていた。その結果が、アマーリエに無礼を働いたため少しだけ早まっただけのこと。手元のベルを鳴らすと、アンゼルムが扉を開けて恭しく一礼した。

「お呼びでございますか」

「仕事がひとつ片付いた。お茶にしたい。アマーリエは?」

「奥さまはまだ、ドレスの染み抜きの作業を見ておいでです。お呼び致しますが?」

「そうだな……いや、いい。作業が捗っているか私も見に行こう。フェリクスは?」

「は、はい!?」

フェリクスの肩が上がるのを面白そうに見つめ、エルヴィスは尋ねた。

「一緒にアマーリエのところへ行くかい? それとも先にお茶をしているかい?」

「あ、はい。一緒に行きます」

そうか、とエルヴィスは言うと立ち上がり部屋を出て行く。フェリクスは後に続いた。

エルヴィスはまるでひとりごとのようにつぶやく。

「決して隙を見せるな。君の失脚はアマーリエも悲しむ」

「心得て、います」

フェリクスの決意に満ちた返事に、エルヴィスは満足そうに微笑む。

聡い義弟だ。間違ってもアマーリエを悲しませることはないだろう。その為にも執務を叩き込まなければな、とエルヴィスは思う。

一方、フェリクスはエルヴィスの言葉を噛み締めると同時に戦慄していた。

(姉さま……たいへんなことになりましたよ……)

昨夜のうちに夜会であったことは姉から聞いていた。帰ってきてからエルヴィスが執務室に籠もったのはこのためだったのか、と思う。

(姉さまにシャンパンをかけた次の日にお家断絶……姉さま、たいへんな方に嫁いだんじゃあ……)

扉が開かれる。脇に控えたアンネが恭しく礼をする。

ドレスを囲んでいる職人たちと、クラウスを抱いた姉の亜麻色の髪が見えた。

「アマーリエ、クラウス」

エルヴィスの声音が途端に甘く優しくなるのを、フェリクスは信じられないものを聞いたような顔で見つめた。

「おとーしゃま、フェリクスにいしゃま」

先に気づいたクラウスが、アマーリエから下りて駆けてくる。エルヴィスが抱きとめて、高く抱えた。

「クラウス、いい子にしていたか?」

「うん。おかあしゃまのドレスを綺麗にしてるの見てた」

「そうか」

そのブルーグレイの眼差しはどこまでも温かい。

(うわ……落差が凄い)

フェリクスは改めて思った。初めて会った時に、無礼討ちされなかったのは、やっぱり幸運でしたよ、姉さま……と。

「あ、エルヴィス様。……見てください、あんなに酷かったシャンパンの染みが、職人さんたちの手で綺麗に消えていくんです。まるで魔法みたい」

アマーリエが屈託のない笑みを浮かべて歩み寄る。

エルヴィスは抱き上げたクラウスを片腕で支えながら、もう片方の手をごく自然にアマーリエの頬に添えた。

「ああ、良かったな。……余計なものは、すべて消し去るに限る」

その愛おしげな囁きに、フェリクスは再び呼吸を忘れた。

「余計なもの」とは、ドレスの染みのことか、それとも今日消し飛ばされた伯爵家のことか。

姉の頬を撫でるその指先は、今朝「断絶」の署名をした時と同じものだ。

(……姉さま。あなた、とんでもない方に愛されてしまいましたよ……)

「あら? フェリクスどうしたの? 顔色が悪いわね」

その言葉にエルヴィスが振り向く。わかっているね、とその瞳は言っているようだった。

「いえ、なんでもありません。姉さま」

フェリクスは内心の動揺を押し殺して微笑んだ。

ふと、アマーリエは夫の指先に視線を落とした。エルヴィスの指先はインクで汚れていた。アマーリエはハンカチでその汚れを丁寧に拭いた。

「……お仕事、お疲れ様です」

「……ああ、ありがとう」

その姿を見たフェリクスは感じる。昨夜からエルヴィスが執務室に籠もったこと、屋敷が慌ただしいことに、姉もなにか違和感を感じているのだ、と。

けれど、姉の耳に偶然と入るまでは、誰もそのことには触れてはいけないのだと言うことをフェリクスは察していた。

(リーヴェスヴィンセン家を継ぐ重み……政敵と渡り合うこと……姉さまを守ることを、もっと深く考えなければ)

フェリクスはそう自分に言い聞かせ、ぎゅっと拳を握ったのだった。