軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

少年を変えた掌

「ようこそ、アマーリエ夫人」

エリオット国王陛下が馬車から降りるアマーリエをエスコートする。続いて馬車から、エルヴィスとクラウスが降りてくる。

「エルヴィスとクラウスもようこそ。クラウス大きくなったな」

2歳半になったクラウスは力強く自分の足で大地を踏みしめた。グレーのベストと半ズボンに、アマーリエが誂えてやった青い宝石のタイをしていた。金の髪はくせっ毛でやわらかく、空のようなブルーの瞳は澄んでいる。

「こんにちは」

そう言ってお辞儀する姿が愛らしい。

王家との内輪のお茶会は続けられていた。先月はローゼンブルク家にマルグリットとユリウスが訪れた。秋晴れの今日は、ローゼンブルク公爵家が王家に招かれていた。

「クラウス」

「ユリウスしゃま」

子どもたちは仲良く手をつないで階段を上り始める。それを微笑ましく見ていた時だった。突然

、甲高い声が鳴り響き、クラウスとユリウスは足を止めた。マルグリットとアマーリエは急いで子どもたちのところへと行くと抱きしめた。

「あーー!!あ!!!!あーー!!!!」

奇声がだんだんと大きく聞こえ始めて、ばたばたと複数人が駆けてくる足音もする。アマーリエはぎゅっとクラウスを抱きしめた。

「おなか、すいたーーっ!!!!」

現れたのはまだ7歳ほどの子どもだった。顎がしゃくれており、上顎と下顎が上手く噛み合っていない。ぎょろりとした目玉はせわしなく動き、手はおこりのように震えている。髪の色は金色。ではこの子どもが、とアマーリエは思う。

子どもの後ろから侍女と道化師だろうか、大きな体躯の少年が走ってくると、フィリップは容赦なくその道化師の少年を叩いた。まるで怒りのすべてをぶつけているようだった。道化師の少年はされるがままになっている。侍女の髪もつかんでフィリップはひとしきり暴れた。呆然と、腕にしっかりとクラウスを抱きながら、フィリップを見つめた。フィリップは、侍女の髪を掴んで離さず、もう片方の腕で道化師の少年を叩いていた。

アマーリエは息を呑んだ。――これが、王家の「隠し子」と噂されるフィリップ殿下。

驚くべきは、周囲の反応だった。控えていた衛士も、近侍たちも、誰もが石像のように動かない。あるいは、見て見ぬふりをして視線を地面に落としている。

その沈黙を切り裂くように、フィリップは背後に控えていた大きな体躯の少年――道化師の衣装を着た影――に殴りかかった。さらに、泣きそうな顔で立ち尽くす侍女の髪を掴み、力任せに引きずる。

「おなか、すいたーーっ!!!!」

叫びながら少年を叩き、女の髪を毟る。その暴力は純粋な悪意というより、言葉を持たない飢えた生き物のように見えた。

アマーリエは、腕の中で震えるクラウスの鼓動を感じた。同時に、目の前で一方的に虐げられている使用人たちの絶望が、冷たい刃のように心に刺さる。

(このままでは、この子も、周りの人たちも壊れてしまう)

アマーリエはクラウスをエルヴィスへと託した。「よせ……!」夫の止める声が聞こえる前に、彼女の足は一段上へと踏み出していた。

「お腹がすいたのですか?」

フィリップの側まで行くと屈んで目線を同じくする。

フィリップはぎょろりと目玉を動かしてアマーリエを見つめる。アマーリエは優しく穏やかに声をかけた。

「お腹がすいたのですね。食事の用意をしましょう? 好きな料理はありますか?」

「ケーキ!! ケーキが食べたい!!」

「ケーキですね。わかりました。殿下いま持ってこさせましょうね。でもその前に、その方たちの髪をつかんでる手を離してくださいね」

「これは、僕のだ……! 僕が何をしても良いんだ!!」

「だめです、フィリップ殿下。ケーキを用意してもらえなくなりますよ」

諭すような低い、けれど確かな響きを持った声。初めて「恐怖」でも「嫌悪」でもない眼差しを向けられた少年は、毒気を抜かれたように呆然と口を開け、その手の力を緩めていった。

「うー……あう……」

「そう。そうです、手を離してください。さあ、あなた、いまのうちに、ケーキをお持ちして」

「は……はい……!」

侍女は目に涙を浮かべながら立ち去った。道化師の少年は震えている。アマーリエはフィリップに、一歩近づいた。

「さあ、ケーキがもうすぐに、来ますよ。フィリップ殿下は待っていられますか?」

「待っていられないー!!」

「すぐですよ。お待ち下さい」

侍女が急いでケーキを持ってくると、それをフィリップは手で掴んで食べた。ボロボロと床にケーキを零していく。上顎と下顎が上手くかみ合わないため、上手く咀嚼できないのだ。飲み込むようにして平らげると、フィリップは道化師の少年を小突いた。

「フィリップ殿下、ひとを叩いてはいけません」

「僕のだから、僕の好きなようにして良いんだ!」

「いいえ、フィリップ殿下。それはしてはいけません」

「うるさあい!!」

フィリップは手を上げようとするが、その手が宙で止まる。アマーリエは身動ぎもせず、それを見ていた。

「アマーリエ!!」

力強い腕がアマーリエを引き寄せる。飛び出してきたのはエルヴィスだった。アマーリエとフィリップの間に立ちふさがると、フィリップに礼を執る。

「フィリップ殿下。もうお部屋に帰るお時間です」

「嫌だ、まだ遊ぶ」

「誰か、フィリップ殿下をお部屋へ」

エルヴィスの凛とした声にやっと衛士が動き足音がした。有無を言わせず、フィリップを部屋へと引き立てて行く。

「嫌だ、嫌だ!!」

フィリップは喚いていたが連行された。嵐のように過ぎ去って、アマーリエは、ほっとして思わず床にうずくまった。

「アマーリエ、大丈夫か」

「エルヴィスさま……私……どうにかしないとって思って……。クラウスは!?」

「大丈夫。抱えていたから見てもいない。まったく、君という人は……心配をかけないでくれ……」

エルヴィスの顔色が悪い。アマーリエはエルヴィスの肩に手をかける。少しだけ小刻みに体が震えているのを感じて、アマーリエはエルヴィスの背に手を回した。

「バカなことを……」

「ごめんなさい、エルヴィスさま」

エルヴィスは何も言わず、アマーリエを抱きしめた。