作品タイトル不明
執務室の若き光
アマーリエがマナー講師の特訓を受けていた頃、執務室では重厚な空気の中に、カリカリとペンが走る音だけが響いていた。
「……あ。いえ、ここですが。この税率の計算、前年度の収穫量と照らし合わせると、少し齟齬がありませんか? 3%ほどの乖離が」
フェリクスが眉を寄せ、分厚い台帳の一点を指さす。その横顔には、朝食時の少年らしい面影はなく、領地を背負わんとする緊迫感が宿っていた。エルヴィスは彼の手元を覗き込み、わずかに口角を上げた。
「よく気づいたな。それは意図的なものだ。予備費としての調整分だが、初心者がいきなり見抜くとは。……筋がいい」
「ありがとうございます、エルヴィスさま」
フェリクスは照れたように、けれど誇らしげに微笑った。エルヴィスはそんな彼の肩に、大きな手を無造作に乗せる。
「いいか、フェリクス。領主の仕事は数字を追うことではない。数字の向こうにいる領民の生活を想像することだ。……お前がアマーリエを気遣うように、領民を気遣え。そうすれば自ずと答えは見えてくる」
その言葉に、フェリクスは深く頷いた。かつての少年の瞳には、今や明確な「守るべきもの」が映っている。
一息つこうと茶器を持って覗きに来たアマーリエは、ドアの隙間から見える二人の姿に、思わず足を止めた。
大きな机を挟んで並ぶ、広い背中と、まだ少し細いけれど真っ直ぐな背中。
エルヴィスが時折、厳しい口調の中にも慈しみを込めて指導し、フェリクスがそれを一言も漏らさぬよう食い入るように聞き入っている。
(フェリクスは、もう私の知らないところで、あんなに大人びた表情をするようになったのね。エルヴィスさまも……あんなに根気強く、優しく教えてくださってる……)
アマーリエは、自分が持ってきたお茶が冷めないうちに、けれどこの優しい時間を邪魔しないように、そっと扉をノックした。
「……お勉強の邪魔をして、よろしいですか?」
二人が同時に振り返る。その仕草までがどこか似てきていることに気づき、アマーリエは思わず、今日一番の笑顔をこぼしたのだった。