作品タイトル不明
公爵閣下の包囲網
「いや、本当に良かったです。姉さま」
柔らかな陽光が差し込む公爵邸の応接室。フェリクスは差し出されたティーカップを受け取りながら、しみじみとつぶやいた。
フェリクスの言葉に、アマーリエはバッチリよ、と微笑む。
結婚してひと月半が過ぎた。今日はフェリクスが公爵邸にアマーリエに会いに来ていた。
「こちらにも援助して下さって、おかげで皆元気にやっています。僕もこのように……」
見ればフェリクスの上着も新しくしつらえたものだ。アマーリエはほっと安堵した。
「それは本当に、良かったわ……ありがたいことね。フェリクス、あなた、勉強を怠ってないでしょうね?」
「もちろんです。来年復学できるように、首位をとるために頑張っていますよ!」
「それならいいわ。リーヴェスヴィンセン家を建て直すのはあなたなんだから、頑張るのよ」
「はい、姉さま」
フェリクスはしっかりと返事をする。アカデミーを優秀な成績で卒業すれば、文官への道も開かれる。1年遅れてしまったのは残念だが、フェリクスの背にもまた、皆の期待がかかっていた。勉強疲れだろうか、少し面窶れした弟をアマーリエは少し不憫そうに眺めた。
「ところで、姉さま」
「なによ?」
「公爵閣下とは上手くいってるんですか?」
「……上手くはいってるわよ」
その言い方、とフェリクスはじっとアマーリエを見つめる。
「もしや、公爵さまとは……」
「なにもないわよ」
「やっぱり……」
フェリクスががくりと項垂れる。保険が、と言う苦悩に満ちた声がする。
「保険がなければいざという時どうすれば良いんだ……? 姉さまだって路頭に迷ってしまう」
その言葉を聞いて、アマーリエはだから、と声を上げた。
「もしもの時には、莫大な慰謝料を貰うっていってるでしょうが……!」
「できればそのもしもの時がないほうが姉さまにとっても良いんです! なぜ、公爵閣下は姉さまに手を出さないんですか! そりゃ姉さまは口は悪いですが、黙っていればどこの令嬢にも引けをとらないのに!」
「失礼な事を言うわね……!」
「本当のことじゃないですか!」
アマーリエは落ち着くために紅茶を飲んだ。ふう、とため息をつく。
夜は3人で川の字で眠っている。エルヴィスとクラウスを離すのも気が引けたし、ちゃんと侍女たちにもクラウスの夜泣きや朝早く目が覚めてしまった時には手伝ってもらっている。ただ、最近、人見知りがはじまったのか、エルヴィスかアマーリエでないと、中々泣き止まない時がある。
「元々、クラウスさまの乳母にって話だったし、私は良いのよ」
「僕、姉さまにも幸せになってほしいんです!」
「幸せよ。クラウスさまは可愛いし、エルヴィスさまは優しいし、アンゼルムやアンネも良い人だわ。それに実家も安泰になって、フェリクスもアカデミーに復学できる。これ以上ないほど幸せよ」
「姉さま……。姉さま自身の幸せはどうするんです。姉さまだって自分の子どもがほしくはないんですか?」
そう尋ねると、アマーリエはうーん、と首を傾げた。
「自分の子ども……家のことで手一杯だったし、まだ考えたことないからわからないわね」
「姉さま……結婚なさっててそれはないですよ」
「とにかく! 私は元気で大丈夫だから! あなたは自分の心配をしてなさい!」
その時静かなノックがされた。扉を開けて入ってきたのはエルヴィスだ。クラウスを抱きかかえている。クラウスはフェリクスに興味を引かれたかのように身を乗り出す。
立ち上がったアマーリエにエルヴィスは近づくと微笑みかけた。
「せっかくの団らんに申し訳ない。私も挨拶をさせてもらいたくてね」
「お仕事は大丈夫なんですか?」
「ああ。一息ついたからクラウスを預かってきたんだ。弟君には、クラウスも世話になったからね」
立ち上がり姿勢を正したフェリクスは丁寧な礼をとった。
「公爵閣下におかれましてはご機嫌麗しく……」
「いや、堅苦しい挨拶は抜きでお願いしたい」
エルヴィスはフェリクスの言葉を制すると、クラウスを抱えたまま、頭を下げた。
「その節は本当に、世話になってありがとう」
「いいえ。お元気になられたようなら良かったです」
「君には、アマーリエも紹介してくれて……感謝してる」
「は?」
「うん?」
だって、姉には手を出してないのでしょう? お守りとしてちょうど良いと言うことですか、と喉まで出た声を我慢する。
アマーリエが嫁ぐことになったのは確かに自分の言葉がきっかけだ。美しいのに口が悪い姉だけど、弟妹には優しく、家のために一生懸命に動いてくれた。なのに、姉自身の女性としての幸せが掴めないなんて、あんまりだとフェリクスは思う。
「アマーリエ、ドレスの採寸だけど、明日デザイナーが来てくれることになったから」
「えっ、明日ですか。早いですね」
「それから宝石商も……。その、私も夜会服を仕立てようと思うのだが……君の瞳の色を取り入れても良いだろうか」
「ええ、私もエルヴィスさまの瞳の色をいれますし、問題ありません。じゃあ、明日、エルヴィスさまも一緒に採寸ですね」
アマーリエがそう言うと、エルヴィスの表情がぱあっと明るくなった。
「ああ。よろしく頼む。楽しみにしているよ」
フェリクスはふたりの会話をじっと見つめる。これは、とフェリクスは思う。
「それとフェリクス、もし良かったらなんだが、復学までローゼンブルグ家で執務などについて学ばないか」
「えっ」
「君さえ良ければ、ここに部屋を用意しよう。通ってくれても、ここに留まってくれてもかまわない」
(囲い込みだ……! 姉さまだけでなく、弟の僕まで……!)
フェリクスはその鮮やかな手腕に戦慄する。
「エルヴィスさま。そんなご迷惑をおかけするわけにはいきません」
アマーリエの言葉に、エルヴィスは微笑んだ。その笑みは慈愛にあふれていていながらも、決して否と言わせない凄みがあった。
「迷惑と言うなら、私のほうがかけているよ。フェリクス、考えておいてくれ。じゃあ、邪魔したね。ごゆっくり」
クラウスを連れて出ていくエルヴィスを見ながら、フェリクスは呆然と口にする。
「姉さま……あれでも、なにもないと……?」
「ないわよ、残念ながら」
アマーリエは椅子に座ると、肩をすくめて紅茶を飲む。そういえば、と彼女は続けた。
「エルヴィスさまが、うちで飲んだハーブティーが飲みたいと言い出して、夜眠る前に一緒に飲んでるの。物好きよね……紅茶の方がこんなに美味しいのに」
「……僕にはわからない愛の形なのか?」
フェリクスは頭が痛くなってこめかみを押さえたのだった。