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作品タイトル不明

第4話 ハドル・ゾルアルス(後編)

3

今までカーズは、クラースクの街を避けていた。

それはもっともなことである。

クラースクは、ザルバン公国の遺民たちが作った街なのである。

亡国の王子であるカーズは、この街の人々と顔を合わせづらい。

二十七年前、ザルバン公国は、シンカイとその同盟国に攻め込まれた。

そのときザルバンの最後の抵抗拠点となったのが、南部の街ファロムだった。

ファロムの領主であったハドル・ゾルアルス伯爵は、パルザム軍の代表として救援に駆け付けたライド伯爵と策を練った。

そして君主である大公家一族を滅ぼして生き残った民を救うという、苦渋の決断をした。

パルザムは形式だけは整った宣戦布告をして、騎士による代表戦を行った。

パルザム側の代表が勝利し、ザルバンは降伏した。

この事実をもって、シンカイ国の、物欲将軍の征服者としての権利と対抗したのである。

もつれた協議の結果、侵攻に参加した国々はザルバンの山々を分割して得ることになり、ザルバン大公一族は残らず死ぬことになった。

その代わり、生き残った民はみのがされたのである。

みのがされたといっても、国と財を失った人々の先行きは絶望そのものだったろう。

ハドル・ゾルアルスはその人々を率いて辺境に落ち延び、クラースクの街を作ったのである。

それはどれほど過酷な道のりであったろうか。

おそらく、大勢の人々が道行きの途中で倒れていったに違いない。

カーズは、おのれの民を守れなかった男なのだ。

物欲将軍に打ち負かされ、国を蹂躙させた男なのだ。

クラースクの人々に合わせる顔はない、と思っているに違いない。

しかも、である。

カーズは、〈分けられた子〉なのである。

カーズは、エニシリトルグと同じ母から同時に生まれた。

そして同じ場所にあざがあった。

大公家の跡取りが〈分けられた子〉であることは、絶対に許されない。

だからカーズはただちに殺されねばならなかった。

けれどもカーズは〈先祖返り〉でもあったため、生き永らえた。

呪われた自分が生き永らえてしまったがために、国は滅んでしまったのではないか。

きっとカーズはそう思い続け、自分を責め続けたはずだ。

カーズは〈先祖返り〉であり〈分けられた子〉であったから、国民一般からは隠されていた。

だが一部の高位貴族はその存在を知っていた。

ハドル・ゾルアルス伯はまさにカーズの存在も顔も知っている人物なのだ。

いったい、ハドル・ゾルアルス伯爵は、カーズのことをどう思っているだろう。

バルドはこの傑人に、二度会ったことがある。

このような年の取り方をしたい、と思わせる騎士であった。

器量の大きな人物である。

しかしカーズのことをどう思っているかは分からない。

呪われた子が生き永らえ、〈王の剣〉として国の守りにあたったことが、逆に国の滅びを呼んだと憎んでいるかもしれない。

ハドル・ゾルアルスはザルバン最後の宰相となり、亡きエニシリトルグの長子であるスワハルトルグを大公位に就けた。

そのわずか十三歳の大公スワハルトルグに、毒を飲んで死ねと告げたのもハドル・ゾルアルスだ。

もう一人の〈王の剣〉たるカントルエッダに自刃を迫ったのもハドル・ゾルアルスだ。

その無念はいかばかりであったことか。

民を率いての流浪は、どれほどの苦難であったことか。

辺境に街を作る労苦は、想像も及ばない。

そして豊かになった今になって、カーズが姿を現したとして、ハドル・ゾルアルスはどんな顔をみせるだろうか。

ハドル・ゾルアルスは知っているだろうか。

カーズが中原に散って苦しんでいたザルバンの民をみつけては助け、クラースクに送っていたことを。

そういう働きをしている者がいるということは気付いていただろう。

だがそれが〈分けられた子〉たるカーズのしわざだとは、気付いたかどうか。

そもそもカーズは表向きは死んだことになっている。

カントルエッダが真相を告げない限り、ハドル・ゾルアルスはカーズの存命を知らない。

死んだはずだ、と思っているかもしれない。

そのカーズが姿を現したとき、ハドル・ゾルアルスはどんな反応を示すか。

ハドル・ゾルアルスに対面するということは、カーズにとっては非常につらいことであろう。

それでも、会っておくべきだ。

カーズの心に巣くっていた赤い死の鴉の影を完全に振り払うには、ぜひ必要なことだ。

今までは、それはできなかった。

カーズがクラースクを訪れれば、ザルバン大公家の血筋の者が生きていたことが明らかになってしまうおそれがある。

ザルバン大公家の血筋は断絶させる、というのがザルバン戦役での戦勝国同士の申し合わせだ。

そしてハドル・ゾルアルス伯は、敗戦国たるザルバンの最後の宰相として、その申し合わせを承認し誓いを立てた責任者だ。

申し合わせを遵守する義務がある。

戦勝国側も放置できないだろう。

平和なクラースクが、そのために新たな戦乱や面倒に巻き込まれないとも限らなかった。

だが、物欲将軍が死に、シンカイが中原諸国の敵対国となって敗退した今なら。

これだけの時間を経た今なら。

カーズはクラースクを訪れることができる。

それは、ののしられるための訪問となるかもしれないが。

ハドル・ゾルアルス伯爵は生きているだろうか。

もう九十歳ほどになるはずである。

生きていてくれ、とバルドは祈った。

4

クラースクに着いたのは夕刻だった。

そのまま伯爵を訪ねたかったのだが、なにしろこの街では許可を得た者以外町中では馬から降りて歩かねばならない。

夕刻にもかかわらず市街は混雑していた。

以前にも増して繁栄している。

市街区そのものも広がっている。

一行は宿を取り、翌朝早く出かけた。

宿でそれとなく訊いたところ、伯爵は健在であるらしい。

領主館に着き、バルドとゴドンの名で面会の希望を告げた。

ほどなく離れに案内された。

庭を通る途中、庭園の工事の監督をしていた男が、じっとカーズを見つめていた。

「伯爵様はご体調がすぐれませんので、ベッドに入ったままでお客様をお迎えするご無礼をお許しいただきたい、とのことでございます」

との案内人の言葉通り、案内されたのは寝室だった。

部屋に通された一行を、伯爵が迎えた。

前に会ったときより、一回り小さくなったようだ。

豊かだった白髪は、もうわずかしか残っていない。

それでも、肌の色は健康だ。

ベッドから半身を起こして、バルドとゴドンに笑みを向けてきた。

目も落ちくぼんでいるが、快活な光は失われていない。

と、三番目に入ったカーズの姿を見て、そのまなこは大きく見開かれた。

伯爵の目はカーズにくぎ付けである。

やがてその口から、しわがれた、しかし毅然とした声が発せられた。

「者ども、部屋から出よ。

キズメルトルは残れ。

しばらく誰もこの部屋に近づいてはならん。

ノアを呼べ」

伯爵の指示を受けて、部屋の中にいた小間使いの娘や薬師風の男が部屋を出て行った。

残った騎士には見覚えがある。

前にも伯爵に 侍(はべ) っていた騎士である。

一行の全員が部屋に入ったあとも、伯爵の眼差しはカーズの上にそそがれている。

「キズメルトル。

ベッドから降りる。

手伝え」

その指示を聞いて騎士はかすかに驚きを顔に浮かべたが、言われた通りに伯爵がベッドから降りるのを手伝った。

騎士は近くの椅子に伯爵を誘導しようとしたが、伯爵は床に膝を突いて、カーズに 跪拝(きはい) した。

騎士はその姿を見てはっとし、伯爵の後ろから、やはり膝を突いてカーズに礼を取った。

もう一人の騎士がドアから入って来た。

やはり前にも伯爵に近侍していた騎士だ。

二人の様子を見て、それにならった。

バルドとゴドンはカーズに道を譲った。

カーズは伯爵の眼前に進んだ。

「伯爵。

苦労をかけた。

許せ」

その短いカーズの言葉に込められた万感の思いを、バルドはかみしめた。

ゴドンも、タランカも、クインタも、そしてカーラも同じであろう。

「いえ。

いえ」

首を振る伯爵の目からはぽたぽたと涙があふれ出て、床に落ちている。

「ヴリエントルグ様。

あなたさまが。

あなたさまがご無事であることが、このハドルの唯一の希望でございました。

カントルエッダ様から、あなたさまのことはお聞きしていたのでございます。

あなたさまがご無事であることを知っておりましたから、エニシリトルグ様を失ったことにも耐えられたのです。

スワハルトルグ様に毒の杯をお勧めし、自らは生き残る不忠にも耐えられたのです。

あなたさまが。

あなたさまがおわせば。

狼人王様のご血胤は絶えることがないのでございますから」

カーズは目を閉じた。

伯爵の言葉を、頭の中で 反芻(はんすう) しているのだろう。

そしてこう言った。

「俺の身の呪いが、国にあだをなした。

伯爵にも民たちにも、つらい運命をもたらした」

伯爵は、首を振ってカーズの言葉を否定した。

「いえ、いえ。

その呪いは解かれました。

エニシリトルグ様が逝かれたのですから。

あなたさまは、大公家の唯一の正統とおなりになったのです。

いや、そうではありません。

大公国が滅びても、なおその正統が滅せぬよう、神々はあらかじめおはからいくださったのです。

あなたさまがお生まれになったことこそが、未来への祝福だったのではございますまいか」

この思いもよらぬ 嘉言(かげん) を、カーズは目を見開いて聞いた。

「それに、あなたさまは。

あなたさまは。

ご自身が苦境にあられるというのに。

何もかもを失われた絶望の身であられるというのに。

苦しむ民を見つけては助け、この街に送ってくださったではありませんか。

新しいザルバンの遺民がたどり着くたびに、このハドルは大陸のどこかでただ一人身を捨てて働きなさっておられるあなたさまに感謝の祈りをささげておったのでございます」

やはり気付いていたのだ。

カーズの献身に。

伯爵は言葉を続けた。

「けれど、ああ。

お許しくださいませ。

わたくしめは、あなたさまの民を奪いました。

ここに率いてきた民たちには、もうザルバンはないのだ、お前たちは新たなクラースクの民となるのだと教えました。

息子にも、孫にも、そのように教えてきました。

また、ここには、新たに参入してきた者たちも数多くございます。

もはやこの街は、ザルバンのものではありませぬ。

あなたさまを君主としてお迎えすることはできないのでございます」

この告白に、カーズは優しく答えた。

「それは、よい。

それでこそ、よい。

俺ももう過去は捨てた。

バルド・ローエン卿の養子となり、カーズ・ローエンとの名を授かった。

古き名は捨て、古き名のもとになした誓約もまた捨てたのだ」

「カーズ・ローエン!

あなたがそうでございましたか。

中原の様子には、いつもまなざしをそそいでおったのでございます。

特にかの怪物将軍が中原侵攻に乗りだし、バルド殿とそのご一統に阻まれる様子には。

ああ、そうでございましたか。

バルド殿のご養子に。

ああ、 善哉(ぜんざい) 。

善哉」

「伯。

身を起こせ。

ベッドに戻れ」

「いえ。

まだ申し上げることがございます。

こちらに控えます二人の騎士は、キズメルトル・エイサラと、ノア・ファクトにございます。

この二人はクラースクの騎士ではございません。

わたくしめの子飼いにして、その忠誠を捧げるは狼人王のお血筋、すなわちあなたさまにございます」

なんと伯爵は、いつ会えるかも分からない、いや会えるかどうかも分からないカーズのために、この二人の騎士を育てていたというのだ。

二人とも壮年だ。

並々ならぬ練達の騎士であることは以前から感じていた。

その物腰も立派なもので、どこの王国の上級騎士かと思わせる雰囲気を持っている。

しばらく伯爵とカーズは言葉をかわし、カーズが今フューザリオンを根拠地としていること、今だ妻も子も持たないことなどを話した。また、今はある目的のために旅をしており、しばらくのあいだはフューザリオンに帰らないことなども話した。二人の騎士はそれぞれの郎党を連れてフューザリオンに行き、カーズの帰りを待つことになった。

二人の長男はそれぞれ騎士見習いであり、伯爵はみずから騎士叙任を行ってから送り出したいという。

カーズは二人の騎士とも言葉を交わし、打ち合わせをしたのだが、二人の騎士のカーズに対する態度には深い敬愛の念が感じられた。

——カーズよ。お前の無言の献身は無駄ではなかったのう。お前がザルバンの遺民たちに身を捨てて尽くしたことを、この二人も知っておるのじゃ。

「カーズ・ローエン様。

あなたさまにお願いがありまする。

妻を娶られ、子をなしなされ。

男(お) の 子(こ) を」

強い目線でカーズを見上げながら、伯爵は最後にそう言った。

しばらくの沈黙ののち、カーズは、

「分かった」

と返事をした。

5

一行は客棟に案内され、休憩をした。

その夜は歓待を受けた。

なんと床に伏していたはずの伯爵も起き出してきて、宴席に座った。

主賓はバルドとゴドンであり、カーズはバルドの息子として扱われた。

その席に集った人のうち何人がカーズの正体を知っていたのかは分からない。

ただし、カーズは、物欲将軍を二度も倒した騎士の一人である。

クラースクはザルバンの遺民により作られた街であり、この夜宴席に集った人々は、物欲将軍への恨みを強く抱く人々である。

カーズは、まさに英雄として遇された。

この夜カーズは、勧められる杯を残らず受けた。

宴が果てて客棟に向かうとき、その通り道ぞいに庭に控える者たちがいた。

見れば先頭にいるのは朝、庭の造作の指図をしていた男である。

その横にいるのは妻と子たちであろうか。

そこには何十組もの家族が地に伏していた。

カーズを拝んでいるのだ。

おそらく彼らはカーズに救われ、このクラースクに安住の地を得た者たちだ。

ザルバン公国が滅びたあと、カーズは大叔父カントルエッダの遺言に従い、復讐を諦めただ剣を磨くことに没頭した。

そんなとき、ザルバンの遺民が中原のあちらこちらで奴隷同然の、あるいは奴隷そのものの暮らしをしていることを知った。

カーズは彼らを捜し出しては助け、路銀を渡してクラースクに行かせた。

ハドル・ゾルアルス伯爵の手の者だと称して。

実際にはカーズは伯爵から依頼されたわけでもなく、その資金も身を削って稼ぎ出したものだったのだが。

救われた人々はクラースクにたどり着き、伯爵に感謝を述べたろう。

それに伯爵が何と答えたかは知らない。

カーズの正体に見当がついたとしても、まさかそのことを公言したりはしなかったろう。

けれど助けられた人々は、お互いに話し合ううちに、何事かに気付いたのだ。

十数年にわたり、ザルバンの遺民を捜し出し助け続ける人がいる。

少々の資金を預かったぐらいではなし得ないことである。

相当の無理をしながら、それをなし続けてくれている。

たった一人で。

何かいわくのある人なのだろう。

本来は身分もある人なのだろう。

その人の孤独な献身により、自分たちは救われたのだと。

言葉を発する者はいない。

彼らは、カーズには何事か事情があり、本当の名を訊いてはいけないのだと感じ取ったのだろう。

うかつに言葉をかわしてはいけない事情があるのだと察しているのだろう。

だからただ無言で感謝を捧げているのだ。

カーズはしばらくのあいだ立ち止まって彼らの顔を見渡した。

そして、

「息災にな」

とひと言を残してその場を去った。

翌日バルドは革防具職人ポルポを訪ねた。

するといきなり革鎧を脱がされ、取り上げられた。

補修のためである。

この補修には五日間を要し、結局バルド一行は七日間領主邸の客となったのである。

カーズはこの時間を利用して、タランカとクインタにみっちり稽古をつけた。

これは領主邸の騎士や従卒たちの評判を呼び、日に日に見学者は増えた。

キズメルトルとノアの頼みにより、二人の長男ツルガトル・エイサラとダリ・ファクトにも稽古をつけた。

カーズに指南を申し入れるだけあり、二人の若者は素晴らしい剣士だったらしい。

らしいというのは、バルドはその稽古ぶりを見ていないからである。

では何をしていたかというと、バルドはゴドンを連れ、クラースクの街の名物料理店をめぐり歩いていたのだ。

カーラもちゃっかりとこれに同行したのである。

八日目の朝、すっかり新品同様に補修された革鎧を着けたバルドは、一行を引き連れ、なかなか盛大な見送りを受けて、クラースクの街をあとにした。