軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第1話 ガンツの娘(前編)《イラスト:バルド》

1

バルドは、両開きの扉を押し開けて、 宿屋(ガンツ) に入った。

主人らしき男が、カウンターの向こうで食材を刻んでいる。

ちらりとバルドのほうを見たが、そのまま作業を続けた。

騎士を、つまり貴族を迎えるにしては、ずいぶん不作法だ。

もっとも、剣を腰に吊ってはいるし、革の鎧も着けてはいるが、いずれも古びた品であり、汚れてみすぼらしい。

身分のある人間にみえなくても無理はない。

バルドのほうでも、気を遣われたいと思っているわけではない。

この街はパクラ領からそう遠くないが、一度も来たことがなかった。

遠くに行く前に、どんな街か一度見ておきたかったのだ。

パクラからまっすぐ来れば五日もかからない距離だが、ほかにもいろいろ見ておきたい景色があったので、一か月もかかった。

大障壁の切れ目にこんなに近いのに、この村は不思議なほど平穏だ。

バルドは、二羽のコルルロースを男に見せ、交渉を始めた。

男はやはり、この宿の主人だった。

コルルロースは山鳥には珍しく臭みがなく、とてもうまい。

もともと数が少ない上に臆病な鳥だから、なかなか獲れない。

美しい羽毛は、都会では服飾品の素材として珍重されると聞く。

丸々と肥えたコルルロースが二羽。

傷は少ない。

しっかりと血抜きもしてある。

しばらく交渉して、二日の宿泊と食事と酒、体を洗うためのたっぷりの湯、馬の餌と水、干し肉と乾燥パンと引き換えに、二羽のコルルロースを主人に渡した。

ここは、ガンツと呼ばれる共同食堂兼宿屋である。

ガンツは、鉱山や農場の持ち主などが作る。

街の有力者が金を出し合って作ることもある。

労働者はそこで、日に決まった回数の食事ができる。

旅人は、しかるべき料金を払って泊まったり食事をすることができる。

「旦那。

部屋に上がる前に、汚れを落としてくんな」

と主人に言われ、バルドは外に出た。

十三、四歳の女の子が後を追って出て来て、服をはたき始めた。

この一か月、山と荒野を旅してきたから、大量の砂ぼこりが服に付いている。

靴もどろどろに汚れている。

少女の手伝いを受けて、部屋に入れる程度に汚れを落とした。

客室は二階にあった。

荷物を持って階段を上り、指定された部屋に入った。

荷物を床に置き、マントと革鎧を外す。

ベッドに腰掛け、ブーツを脱ぐ。

ゆっくりと脚をもみほぐしていった。

血が通うにしたがって、痛みと疲れがじわじわとしみてくる。

馬を連れての旅なのだが、馬に乗ることはほとんどない。

荷物を背負わせた馬を 曳(ひ) いて歩いてきた。

バルド以上に馬は老いている。

何年も前に現役を引退していた馬なのだ。

置いていけば、食肉用につぶされただろう。

だから、旅の道連れに、この馬を選んだ。

2

大陸東部辺境の一角で、コエンデラ家とノーラ家は、大領主の座を長いあいだ争ってきた。

最近、コエンデラ家がノーラ家に勝利して、ジグエンツァ大領主を名乗るようになった。

バルドが仕えていたテルシア家も、これを認めないわけにいかなかった。

コエンデラ家は、領主会議を開き、以後十年間、ザリザ銀鉱山の収益を戦で荒れた地域の復興に使うことを無理矢理決定した。

むちゃくちゃな話である。

ザリザ銀鉱山とリポジア銅鉱山は、古くからテルシア家が権益を有してきた。

それは、テルシア家が治めるパクラ領が、 〈大障壁〉(ジャン・デッサ・ロー) の切れ目に位置し、魔獣の侵入を阻む役目を務めてきたからである。

その役目はテルシア家に負わせたまま、財源を奪うというのは、筋の通る話ではない。

しかも戦で地域を荒らしたのはコエンデラ家なのだから、その復興のためというのはお笑いぐさである。

だが、コエンデラ家の無理押しを、今は黙って受け入れるしかない。

バルドは、四代のテルシア家当主に仕え、その志の高さを深く敬愛した。

歴代当主もバルドの武勇と忠誠に、手厚く報いた。

何度も領地を分け与えるといわれたが、それは断った。

家族は、もういない。

結婚したことはない。

領主会議の結果を聞くと、バルドは引退を願い出る手紙をしたため、居館と財産を返上する旨を書き添えて、領主に届けた。

返事が来るのを待たず、使用人たちにはそれぞれ慰労金を与えて身の振り方の面倒をみて、旅に出た。

バルドが残した財で、テルシア家は一息つけるはずである。

この旅に目的地はない。

旅の空で死ぬための道行きなのだ。

3

お湯が沸いたよー、と少女が呼びにきたので、荷物を持って一階に下り、ガンツの裏側に回った。

井戸のそばに砂利を敷き詰めた洗い場があり、その奥に、たっぷりと湯の入った大樽がある。

なんと、湯船で体を洗えるようだ。

これは、ありがたい。

脇の小さな塀に剣を立てかけ、服を脱いだ。

すると、少女が、これを使ってね、と手桶を差し出した。

大樽の湯を手桶ですくい、頭からざっぷりとかぶる。

髪を、ひげを、体を、湯が流れていく感触が、なんとも心地よい。

もう一度湯をすくい、体をこすりながら掛けていく。

それから、湯に体を沈めた。

体が大きいので、たくさんの湯があふれ出る。

うわわ、おじいさん、体おっきいね−、と少女が目を丸くしている。

足が、腰が、背骨が、肩が、ぴしぴしと音を立てながらほぐれていく。

痛みや苦しさに耐えることは、騎士の最も基本的な資質といってよいが、さすがにこの年で一か月も徒歩で野営の旅をすれば、体にこたえる。

押さえつけ、無視し、忘れていた痛みが、体中でよみがえる。

だが、これが生きているということだ。

バルドは、湯船で疲れを癒す幸せを満喫しながら、押し寄せる痛みに、顔をしかめた。

しみるの、と少女が聞いてきた。

バルドの体には、たくさんの傷がある。

その傷に湯がしみるのか、と心配してくれているのである。

バルドは柔らかくほほえんで、

傷はどれも古くてのう、今さら痛くはない。

お湯があまりに気持ちようて、体がびっくりしとるのじゃ。

と、少女に答えた。

ポルポスの実を干した垢こすりが置いてあったので、湯船の中で全身をこすった。

湯はどんどん汚れていく。

あとで掃除が大変だろうのう、と少女に申し訳なく思った。

少女は、砂利の上で、ブーツや下着を洗ってくれている。

ごしごしとブーツをこすりながら、少女は馬の名前を聞いてきた。

スタボロスという名じゃよ。

と答えると、それはどんな意味なの、と少女が聞いた。

知り合いの人が付けてくれた名でのう。

意味は聞かなんだ。

と答えた。

スタボロスには餌とお水をあげたよ、あとで洗っておいてあげるね、 角(つの) が短いけど大丈夫だよねと少女は言った。

馬に限らず家畜の多くは額に角を持つ。

角は老いるにしたがって小さくなっていくが、見えないほど小さくなると凶暴化することがある。

大丈夫じゃよ。

とバルドは答えた。

湯船の底にだいぶ泥と垢がたまったころ、一度栓を開けて湯を半分ほど抜き、新しい湯を注ぎ足してくれた。

腕まくりをして、うんしょうんしょと、ガンツの裏口から湯桶を運んで往復する姿は、見ていて心安らぐものがある。

いやあ、いい湯だのう。

はっはっはっはっ。

バルドが楽しそうにしているのを見て、少女もうれしそうだった。

風呂から上がり、部屋に戻り、ベッドに横たわると、すぐに眠りに落ちた。

イラスト/谷町クダリ氏

4

一階は、大勢の客でにぎわっていた。

バルドは、剣を持って階段を下り、空いた席に座った。

ほどなく、主人が、シチューとパンと 酒壺(さけつぼ) と 椀(わん) を持ってきた。

丸々一壺とは気前がいいなと驚きながら、酒を椀についで、ぐいとあおる。

蒸留酒が喉を焼き、体の中を落ちていく。

ほどなく、ぽかぽかとした熱が腹の底に生じ、 臓(ぞう) の 腑(ふ) がぐにぐにと動き始める。

シチューは、肉や採れたての野菜が入ったもので、食欲をそそる匂いを放っている。

木のスプーンですくって口に運び、じっくりかみしめた。

うまい。

コルルロースの肉だ。

とても柔らかく煮上がっている。

そのくせ、かめばかむほどうまみが染み出してくる。

野菜も、よく味が染み込んでいるが、ほどよい歯ごたえがある。

絶品だ。

バルドの向かいに座っていた男が、主人に向かって、

「俺にもあれをくれ」

と言った。

主人は、特別料理だから別料金になると言い、値段を告げた。

「おい、高いぞっ」

と男が言う。

バルドは、もう一度シチューを口に運び、今度はその味が消えないうちに酒をあおる。

シチューのうまさが酒の味を引き立てる。

何ともいえない幸福感を感じながら、

ふうーっ。

と息を吐く。

その様子を見た男が、ごくりと喉を鳴らし、

「くそっ、とっととあのシチューを持ってこい!」

と怒鳴った。

それにつられるように、あちこちのテーブルからシチューを注文する声が上がった。

少女が忙しく走り回ってシチューを配り、金を受け取る。

シチューは売り切れだと主人が告げるまで、さほどの時間はかからなかった。

バルドがシチューとパンを食べ終えるころ、主人が小皿を持ってきた。

カリカリに焼けたコルルロースの皮だ。

向かいに座る男の凝視を受けながら、バルドは皮を一切れ食べた。

ざっくり塩を振った味の加減が絶妙であり、振り掛けた柑橘系の果物が油臭さを消して、後味もよい。

蒸留酒と抜群の相性である。

向かいの男が値段を聞き、主人は先ほどのシチューより高い値段を告げた。

上質の炭をたっぷり使ったからだそうだ。

シチューよりも短い時間で、皮焼きは売り切れた。

酒もよく売れていた。

最後に主人は、小さな鉢に盛った煮込み料理を持ってきた。

何の料理か分からなかったので、これは何だと聞くと、コルルロースの 臓物(ぞうもつ) の煮込みだという。

そんな物が食べられるのかと思ったが、主人の料理の腕はすでに見たところであるし、器の料理はおいしそうに見える。

一切れを食べた。

これは!

臭みもえぐみも、まったくない。

薄味のだしがよく染みて、酒好きにはたまらない逸品に仕上がっている。

思わず、もう一切れを食べた。

うむむ!

先ほど食べた肉片と、味が違う。

全然違う。

歯ごたえが違い、口の中に広がる肉汁の質が違う。

しかも、何と言えばよいのだろうか。

臓腑の隅々にしみる味なのである。

バルドの体の中の、シチューや、パンや、皮焼きを味わったのとはまた違った部分が、この料理を味わっているような気がする。

驚くバルドに、主人が説明する。

「旦那がよく血抜きをしといてくれたからね。

こりゃいけると思ったんだよ。

何度も水を替えながら、とにかくあく抜きをするのさ。

もちろん、内臓だからいろんな物が詰まってるが、それをきれいに掃除するのがミソだな。

そして、この街特産の岩塩が味の決め手だ。

いやあ、この料理は素材次第では生臭くなっちまうからね。

これほどの煮込みが出来るのは、何年かにいっぺんだ。

臓の腑ってのは、部位によって味が違うからねえ。

このちっぽけな器の中に、ありとあらゆるうまみが詰まってるのさ」

向かいに座った男が、臓物の煮込みを注文した。

主人が値段を答える。

皮焼きより、さらに高い。

めったに食べられない珍味で、しかも最高の状態だからだという。

男は構わず煮込みを持って来させる。

一口食べて、うめえ!と男が叫ぶや、あちこちから注文が殺到する。

少女が元気に走り回り、あっという間に売り切れた。

今夜、主人は、なかなかよい商売をしたことになる。

バルドも満足した。

そろそろ食事を終えようかと思ったころ、にぎやかだった店が、突然、静まりかえった。

皆、入り口のほうを見ている。

三人の男が、開き戸から入ってきたところである。

荒くれ者、というのがふさわしい人相と態度をしている。

先頭に立つのは、大柄ででっぷりと太った男である。

左耳がつぶれ、左の頬に大きな傷痕がある。

いやらしい目つきで、店の中をぐるりと見渡すと、

「おうおう。

どちらさんも、ご機嫌なようで、俺もうれしいぜ!」

と、どら声を上げた。

そして、右手に持ったバトルアックスを床に打ち付けると、

「もちろん、お楽しみのあとだからって、明日仕事に遅れるようなやつはいねえよなあ?

おお、そうだ。

こんなに元気なんだったら、明日の休憩時間は半分でいいだろう!」

と、憎々しげに顔をゆがめて言い放った。

店にいた客は、一人また一人と席を立って店を出ていく。

バトルアックスの男が、帰ろうとした客の一人にあごをしゃくった。

荒くれ男の一人が、その客を店の隅に連れて行って、何かを話している。

借金がどうとか、妹を今夜どうとか、何かろくでもない話をしているようだ。

一人席に座っているバルドの横に、バトルアックスの男がやって来た。

バルドの顔と、横に立てかけてある剣をにらみつける。

バルドは、椅子に浅く腰掛け、左手を遊ばせて、いつでも剣を取れる態勢を保っている。

バトルアックスの男は、次にバルドの手元を見た。

ナイフとフォーク。

客のほとんどは手づかみか、手製の木べらや串で食事をしていた。

それが普通である。

バルドの持ち込んだものは、ずいぶんしゃれている。

両方とも金属製である。

特にナイフは、複雑で美しい文様が彫り込まれた品で、銀色の上品な光を放っている。

こんな田舎のガンツには不似合いなこと甚だしい。

バトルアックスの男が放つ殺気に頓着せず、バルドは、煮込みの最後の一切れを静かに口に運び、残った蒸留酒をぐいと飲み干して、ふうっと息を吐いた。

気勢をそがれたように殺気を消し、男は仲間を連れて店を出た。