軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

魔女の治療

「来るのが遅いー! このバカタレがっ!!」

とある一軒の家の扉を開けた途端に、罵声が飛んできた。同時に何かが飛んでくる。ユリシーズは冷静に結界を張って、投げつけられたものを弾いた。ゴッと鈍い音を立てて、飛んできた何かが床に転がった。何だろうと床を見れば、重そうな木靴が片方、転がっている。

ユリシーズはそれをちらりと見た後、視線を前に向けた。

「師匠、元気そうで何よりです」

淡々とした口調で挨拶をする。

殺伐とした空気に、ルエラとローレンスはお互いに顔を見合わせた。

ユリシーズにバングルに刻まれた魔術の調整をしに行かないかと誘われて、ローレンスと共にやってきていた。流石にユリシーズと二人きりで旅行するわけにもいかないので、ローレンスはルエラの保護者だ。

「元気そうで何よりじゃないっ! 今年のスイーツの時期は終わってしまったじゃないか!」

屋敷の中から出てきたのは、身長がルエラの胸ほどしかない上品な老婦人だった。美しい白髪を後ろでお団子にまとめ、紫紺のローブを纏っている。口を開かなければ、たおやかな貴族夫人にも見えるのだが。

「今年だけならいざ知らず、何故、毎年毎年忘れるんだ!? お前の頭は藁か? カボチャか!?」

「スイーツに男性が関わると呪われると聞いていますので。不幸な事故が起こらないように、その時期は絶対に近寄らないようにしています」

「お前にかかるような可愛らしい呪いなぞ、ないわっ!!」

どうやらこの老婦人は、ユリシーズがいないことでスイーツを食べ損ねたようだ。よくわからないので、口を挟めない。だが、このまま放っておくと延々と続く気がした。

「あの、そのスイーツとはどんなものなのです?」

「精霊のスイーツだ。知っているだろう?」

「申し訳ございません。精霊のスイーツ、初めて聞きました。どこのお店のものでしょうか?」

申し訳ないように頭を下げれば、老婦人がルエラを凝視した。勢いよく話していた老婦人は突然口を閉ざした。ルエラは助けを求めるようにユリシーズを見る。

「精霊のスイーツは店では売っていない。精霊が視認できる日に精霊から菓子を強奪してくるんだ」

「え……? 強奪?」

ルエラとローレンスは咄嗟に理解できなかった。精霊とは特別な存在で、なるべく触れてはいけないと教えられる。機嫌を損ねると、小さな不幸が舞い込むからと。それがルエラたちの国での教えであるのと、精霊を見る人間はほとんどいないので半分以上はおとぎ話のようなもの。

それなのに、精霊のスイーツを強奪してくるというのはどういうことか。いくつものあり得ないが重なり合っていて、よくわからない。

「わたしはマージェリーという。お前さんの名前は?」

「あ、申し遅れました。わたし、ルエラ・ネスビットでございます。それから兄のローレンスです」

ルエラは車いすに座ったまま、丁寧にお辞儀をした。

「畏まった挨拶なんていらないよ。全くどうなっているんだい!? 体中、ボロボロじゃないか!」

「ボロボロ? まだ歩けませんが、母とユリシーズ様のおかげで随分と良くなりましたのよ?」

マージェリーが何に怒っているのかわからなくて、おろおろする。ユリシーズは難しい顔をして腕を組んだ。

「師匠、そう怒鳴ってばかりでは話がさっぱりわからん」

「怒らせているのはお前だ!」

「俺? 何故?」

ユリシーズは眉間にしわを寄せる。二人の雰囲気がさらに一段と悪くなった。

「もっと早く、ここに来るべきだったと言っているんだ、このバカ弟子!」

「そう言われても。その症状、俺も治したことあるから」

「かーっ! これだから自分に自信のある男は嫌いだよ。顔がいいからって、何でもできると思うなよ!」

顔は関係ないのでは、と思わなくもないが、マージェリーは喚いた。

怒鳴り散らしながら、マージェリーはルエラとローレンスに家の中に入るようにと促す。外からはごく普通の民家のようだったが、中に入ればとても広い。その視覚的な変化に、ルエラはぽかんとした。

温かみのあるクリーム色の壁に、飴色の床、そして部屋の壁を這うように伸びている大きな木。

造り付けの暖炉や置かれている長椅子やテーブルなどの調度品はどこかの大貴族のサロンのようであるのに、不思議な道具が置いてあるライティングデスクと本棚に山のように積まれた本と存在感のある太い木の幹が独特の空気を作り出していた。

「この木、すごく大きい」

「この木は庭に生えているんだ。ユリシーズ、こっちの椅子に座らせて。その椅子の方が車椅子よりも心地がいいはずだ」

その気遣いに、ルエラはふんわりとほほ笑み礼を述べた。

「師匠、俺たちは?」

「テキトーに座んな」

マージェリーはユリシーズには口が悪いが、丁寧にルエラに接した。彼女はルエラの隣に座ると、ローブの中からメガネを取り出す。何が始まるのか全くわからないルエラはただただそんな彼女を見ていた。

マージェリーはふんふんと言いながら、全身を眺め、そして手を握ったり、頬に触れたりした。

「なるほど、なるほど」

何がなるほどなのか、さっぱりだが、マージェリーの顔に怒りが滲んでいたのできっとルエラの体の状態を正確に理解したのだろう。ユリシーズをじろりと睨んだ。

「お前の判断は?」

「全身に魔力塊ができていて、炎症を起こしている」

「半分正解」

マージェリーは眼鏡をはずすと、ため息をついた。

「解毒作用のある薬湯を用意しよう。それと、このバングルの治癒をお前さんに合わせて調整する」

「薬湯ですか?」

バングルの調整は元々の目的。だけど、薬湯は予想外のことだった。

「秘毒には薬が効かないと聞いています。だから今までも解毒剤は飲ませていません」

ローレンスも戸惑っていた。マージェリーはふんと胸を張った。

「秘毒は解毒できないと言われているけどね。わたしはその秘毒を作れる魔女だよ。解毒剤が作れないわけがない」

秘毒を作れると聞いて、目を見張った。マージェリーはニヤリと笑う。

「二人は庭から材料を取っておいで」

マージェリーはさらさらとメモを書くと、二人にそれを渡した。ローレンスは首を傾げた。

「初めて聞く薬草だ」

「ん? それでは摘むことはできないね。じゃあ、薬草はユリシーズが、お前さんはこっちで手伝いだ」

役割を決めると、マージェリーは部屋の奥へ引っ込んだ。ローレンスは慌ててその後を追う。ユリシーズはため息をついた。

「しばらく一人になるが、大丈夫か?」

「ハリエットもいますから、心配いりません」

「そうか? 何かあったら、庭にいるから呼んでくれ」

そう言って、ユリシーズも部屋から出ていった。

ハリエットと二人きりになって、ようやくルエラは体から力を抜く。居心地の良い長椅子に背中を預ければ、体が恐ろしいほど重くなった。

「とても良い方ね」

「本当に。ユリシーズ様がたじたじになっていて、面白かったです」

二人で小さな声で笑いあう。

「お兄さまも、なんだか嬉しそう」

「魔術の勉強がお好きな方ですから。マージェリー様に弟子入りしそうな勢いではありませんか」

「それはしないのではないかしら? お兄さま、仕事を周りに押し付けてここに来ているから」

魔術師団の仕事は主に討伐だ。主力メンバーのはずで、いなくなっては困るはず。

「奥様一人で何とかなってしまっていそうな気がします」

確かにラモーナが八つ当たり気味に討伐している可能性は捨てられない。二人は勝手な想像をして、笑いあっていた。

どろりとした深緑に、茶色の筋がマーブル模様を作っている。今日の薬湯には赤い色が見えなかった。

この屋敷に来てから、茶色と共に赤色がマーブルを作っていたのに。上手くマーブルにならなかったのかとカップを揺すってみたりしたが、特に赤色が浮かび上がることはなかった。

ルエラは顔を上げて、リビングの奥で窯をかき混ぜているマージェリーに声をかけた。

「マージェリー様、赤色がありませんわ」

「今日から赤はなしでいいんだ。あれは最初の五日だけ飲めばいいものだ」

「もしかして使っている薬草も昨日とは違うのですか?」

厚手のカップに入った薬湯の匂いを嗅いで、首を傾げた。昨日まで飲んでいた薬湯と同じように見えるが、少しだけ匂いが違う。ただ、赤い色の薬草が入っていないので、匂いが変わった可能性もあった。

「緑の薬草はいつもと同じだ。赤い薬草の代わりに、新しい薬が入っている。匂いが変わっているのはそのせいだ」

「とても……飲みにくそうな香りです」

「我慢しな。まだまだ飲み続ける必要があるんだから」

「そうでした」

体が治るならこのぐらい、と小さな決意をすると、カップに口をつけた。

青臭い匂いに、ツンとする薄荷のような味が喉を通る。気を抜けば吐き出してしまいたくなるほど不味い。

でもこれは貴重な薬草でできていて、この一杯を作るためにローレンスとユリシーズは毎日霊峰へ出向いている。そう思えば、吐くわけにはいかず、気合で薬湯を飲み干した。

「お嬢さま、お水です」

薬湯を一気に飲んだ後、すかさずハリエットが冷たい水を差しだした。薬湯の苦みとえぐみを洗い流すように、水を一思いに流し込む。すべて飲み切った後、ルエラはほっと息を吐いた。

「はあ、今日もまずかったですわ。朝晩二回飲んでいるのに、少しも好きになれない」

「これを好きになるには味覚が破壊されていないと無理だろうよ」

呆れたようにマージェリーは肩を竦めた。窯から離れると、ルエラの方へとやってきた。じろじろと遠慮のない目でルエラを観察し、口の中を覗き込む。ルエラも大人しく、言われた通り口を開けたり、上を向いたりした。一通り、確認が終わると、マージェリーは満足そうににんまりと笑った。

「一番最初の治療が的確だったのだろうな。思っていたよりは早く効果が出ているよ」

「お母さまが全力で治癒魔法をかけてくださったんです」

ラモーナを褒めてもらって、なんだかくすぐったい気持ちになる。はにかんで見せれば、マージェリーは目を細め、柔らかい笑みを見せた。

「ネスビット侯爵夫人の噂は聞いているよ。かなり過激な性格のご夫人だと。娘のために頑張ったんだね」

「お母さま、他国でもそんな風に言われているのですか?」

「大きな討伐の話は直接関係なくとも仕入れてくるからね。活躍すれば、どこの国でも噂になる」

そういうものなのか、と頷いた。ルエラはラモーナがとても優秀な魔術師であることを知っていても、その活躍はほとんど見たことがない。討伐の後、貴族たちが褒めたたえる言葉だけは聞いているが、他国にまで噂される活躍だったのは初めて知った。

「わたし、昔から魔術にはあまり興味がなくて」

「ん?」

「だから、身内以外の人にお母さまの活躍を聞くことがあまりなかったのです」

マージェリーはハリエットにお茶を用意するようにと指示をした。この家にお世話になるにあたって、ハリエットは家事全般を手伝っている。今ではすっかり馴染んでいる。

「お前の兄もかなりの使い手じゃないか。それなのに、興味がない?」

「はい。魔力はそれなりにあるようなんですけど、なんというのか……聞いているだけで眠くなってしまって」

幼い頃は二人並んでラモーナの魔術講義を聞いていた。だけど、ルエラには理解することができず、また細かな反復練習が向いていなくて、いつからかやらなくなってしまった。その代わりに、ネスビット侯爵のやっている仕事は興味深く見ていた。

「理屈が覚えにくいというのなら、魔法を好きにぶっ放せばよかっただろうに」

「そういう考えはなかったわ。お母さまもお兄さまも研究がとても大好きだから」

あの二人はよく似ていて、色々な事象を組み合わせて効果を想定してから、魔術を使う。完全に研究者だ。魔物討伐も、どちらかというと研究結果の確認の色合いが強い。

「それはもったいなかったね。でもまあ、興味が持てないものを無理にする必要もない」

「今から勉強しても、使いこなすことは難しいでしょうか?」

ルエラはふと思いついたことを聞いてみた。マージェリーは目を瞬く。

「今から?」

「ええ。体がもう少し動くようになれば、何かしないと」

「婚約解消の慰謝料、がっぽり貰ったんだろう? それがあれば働かなくても生きていけるだろうに」

「そうかもしれませんが、暇すぎるのは落ち着かなくて」

体が動かない時は気にならなかった。ルエラは今まで分刻みの予定を組んできたので、元気なのにのんびりとすることに罪悪感がある。動けるのなら働かないといけないという意識がどうしても抜けない。

マージェリーはよくわからなかったらしく、首をひねっている。

「いいじゃないか。暇なら好きなことをすれば」

「よく考えてみたら、好きなことがなかったのです。令嬢や夫人たちと会話をするために必要だからやっていたことは沢山あるのですが」

「はあ? 若い娘が何を言っているんだい。時間なんて足りないぐらい、世の中、刺激に満ち満ちているだろうが」

刺激、とルエラは呟いた。

「例えば、暗殺者が来るとか、ハニートラップの顔のいい男性に口説かれるとかですか?」

「どんな基準をしているんだい。そんな殺伐とした世界が楽しいわけないだろうが。新しい劇を見に行ったり、スイーツを楽しんだり。色々あるだろう?」

マージェリーがドン引いた顔でルエラを見た。

「ははは、師匠、ルエラにときめきを求めたら駄目ですよ」

おかしそうな笑い声に、二人は顔を上げた。戸口には霊峰へ薬草を取りに行ったローレンスがいる。その手には血抜きが終わったウサギが握られていた。

「お兄さま、薬草を取りに行ったのでは?」

「そうだよ。薬草の方はユリシーズが今処理している。こっちは夕飯用ね。ウサギのソテー好きだろう?」

食べるのが好きと、死んで間もない動物を見るのは違う。

少しでも距離を取ろうと、長椅子に座ったまま後ろに下がった。

「霊峰のウサギは非常に美味なんだ。良く捕まえられたね。足が速かっただろう?」

「そうですね。もう何羽か取りたかったけど、一羽しか獲れなかった。他は全部逃げられた」

「お兄さま、とにかくウサギはハリエットに渡してください。わたし、血の匂いが駄目で」

「ああ、そうだった」

青い顔でお願いすれば、ローレンスはすぐにハリエットに手渡した。ハリエットはすでに準備万端で、汚れないように専用のエプロンをつけている。

「下処理してきます」

「ワイン煮も作っておくれ」

マージェリーはリクエストを出して、ハリエットをキッチンへと見送った。ローレンスも着替えてくると言って、姿を消した。

マージェリーと再び二人きりになって、ルエラは息を吐いた。

「どうした?」

「いえ、ここは心地よくて」

「結構なことだ。人生はまだ長い、ちょっと休んだぐらい大したことないさ」

体のことだけでなく、心のことまで言われたような気がした。ルエラはそうですね、と嬉しそうに頷いた。

「たまには気晴らしに町に行っといで」

ある日の朝食が終わる頃、マージェリーが言った。

「でも」

「ユリシーズが一緒に行くのだから、大丈夫だ」

そう押し切られて、それに外に出かけてみたい気持ちもあって。ルエラはユリシーズとハリエットと共に町に行くことになった。

隣国の山間の小さな町であるため、とても長閑だ。

広めにとられた石畳の道、両脇には白い壁に赤い屋根の大小さまざまな店が建ち並ぶ。

生活雑貨、可愛らしい小物、それから食材。

ルエラの知っている王都や領都とは違って、心が躍るほどの華やかさはない。でも、落ち着いた優しい雰囲気がとても居心地が良かった。ユリシーズのことを知っているのか、町の人たちは気さくに挨拶をしていくが、おかしな詮索や意味ありげな眼差しを向けてこない。これほどの美貌の男性が普通に歩けることにまず驚いた。

「俺は師匠の弟子だからな」

その説明だけで、わかったようなわからないような。

曖昧に頷けば、ユリシーズは説明を加えた。

「ここは師匠が作った町なんだ。だから弟子の俺に変なちょっかいは出さない」

「マージェリー様が町を作るなんて意外です」

「半ば力技だ。魔法で道を作って、建物を作ったらしい。それで、使える人間を脅しつけて、管理させている」

マージェリーはこの町では絶対権力者のようだ。ただ、それだけではない、温かい何かを感じるのは気のせいではないはず。

「師匠はああ見えても乙女趣味なんだ。だからきっとルエラ嬢も楽しめると思う」

ユリシーズに車椅子を押してもらい、ゆっくりと町を回った。少し後ろからハリエットがついてくるのだが、ハリエットも興味津々で時々姿が見えなくなる。きっとどこかの店で値切り交渉をしているのだろう。

「ハリエットなら大丈夫だ。異変があればすぐにわかる」

「ふふ。心配はしていません。でも、荷物が多くなりそうで」

ユリシーズが明後日なことを言うので、ルエラは笑ってしまった。

「すごい信頼だ」

「マージェリー様、とても優しいですもの。それにハリエットの作る料理を気に入って下さっているし」

「師匠は料理が適当だからな」

町歩きも楽しいが、こうして二人きりで話せることがまた楽しかった。あちらこちらに目を向けて、町の雰囲気を満喫する。

「あれは何かしら? どの家にも飾ってあるわ」

家の扉の飾りを指さした。縦長の、楕円形をしていて、そこに花や果物が飾られている。それぞれに個性的で、同じものは一つもない。

「ああ、あれは魔除けだな」

「魔除け? 沢山の果物とお花を飾ることが?」

「色々な説があるが、なんでもおいしそうな果物と綺麗な花があると、師匠に真っ先に助けてもらえるからだと聞いたことがある」

賄賂で優先順位が変わるのなら、気に入りそうなものをたくさん用意してしまいそうだ。目につく変わった物のほとんどは、マージェリーが関わっていて、その逸話をユリシーズはすべて知っていた。

「ユリシーズ様はマージェリー様の理解者なのね」

「少し違う。弟子になって最初の試練が師匠のすべてを理解すべしだった。その時に色々と聞いて回ったから知っているんだ」

「仲がいいのね」

ルエラが微笑ましい想像をしているのがわかったのか、ユリシーズは微妙な笑みを浮かべた。何か勘違いしただろうか、と問う前にハリエットの元気な声が聞こえた。

「お嬢さまー! ちょっと待ってください!」

足を止めて振り返れば、大きな紙袋を二つ抱えた彼女がこちらに向かってくる。その大量の食材に、目を丸くした。

「買い過ぎじゃない?」

「仕方がないじゃないですか! マージェリー様の食事を作っていると言ったら、あれもこれももっていけと言われて。こんなにも沢山おまけしてくれたんですよ!」

袋の中を覗けば、野菜も果物もたんまりと入っている。食べきれないほどではないが、これだけ荷物を抱えて、散策は難しい。

「わたし、一度、荷物を置いてきます」

「だったら一緒に戻りましょう」

予定よりも短い時間だが、久しぶりの散策にルエラは十分満足していた。

「駄目です! 絶対にカフェには寄って来いとマージェリー様も言っていました!」

「そうなの?」

確認するようにユリシーズを見れば、頷かれた。

「確か、カフェのケーキをホールごと買って来いと頼まれている」

「それなら、寄らないといけないわね」

「カフェに寄って、ケーキを買ったらすぐに戻る。だから、ハリエットはそのまま屋敷に留まってくれ」

ハリエットを見送ると、ユリシーズとカフェへと向かった。

案内されたカフェはこの町で唯一のカフェ。

置いてあるお茶の種類やケーキは限られていたけれども、驚くほどおいしかった。

花の香りのするルビーを溶かしたような紅茶に、沢山のドライフルーツの入ったケーキ。

クリームと砂糖をたっぷり使うのが主流だった祖国のケーキに比べると、とても素朴な味わいだ。

「すごく美味しいわ」

一口食べて思わず零れた言葉に、店員が嬉しそうに笑顔を見せた。

「ありがとうございます!」

「他にも種類があるのかしら?」

「ドライフルーツを入れないケーキや食用の花を使ったケーキもありますね」

どれも食べてみたい、と密かに思っていれば、ユリシーズが店員に全種類を包んでほしいと頼んだ。店員は驚いて目を丸くしている。

「マージェリー様への献上品の他にですか?」

「献上品?」

「そうですよ。この店はマージェリー様が出資していて。わたしは雇われ店長なのです。毎週、新しいケーキを試作して、それをマージェリー様に献上する契約になっています」

どうやらこのカフェはマージェリーの好みのケーキとお茶のために作られた店だった。その理由も驚いたが、ユリシーズも知らなかったようで目を丸くしていた。

わざわざユリシーズをこの店に行かせたのだから、驚かせたかったのだろう。

マージェリーのにんまりとした笑顔が見える気がした。そして、そのにんまりとした顔を思い描いて、ルエラもにんまりと笑う。

テーブルに手を置いて、ルエラはゆっくりと腰を上げた。足がまだ震えるが、テーブルを支えにしていれば転ぶこともない。バランスよく立った後は、テーブルから手を離して見せた。

「うふふ、驚いた?」

ユリシーズが絶句しているのを見て、思わず声を上げて笑った。

「立っている?」

一人で立てるように、マージェリーの指導を密かに受けていた。こうしてユリシーズの驚きの顔を見られてとても嬉しくなる。歩いて見せようと、足を踏み出した。

「危ない!」

ルエラがバランスを崩したので、ユリシーズは慌てて彼女を支えた。そして、椅子に座らせる。

「あまり無理するな」

「家では数歩だけど、歩けたのよ」

ユリシーズはルエラの言葉に頷く。

「……もっと体調がよくなったら」

ユリシーズは言葉を切ると、迷うように少しだけ視線をうろつかせた。ルエラは黙って続きを待つ。

「色々なところに出掛けよう」

言葉が足らな過ぎて、今日みたいな散歩がてらのお遣いなのか、それともまた違うお出かけなのか。

はっきりはしなかったけれども、それもまた時間が経つにつれて、行く場所が決まってくるのだろう。

「そうね、一緒に同じものを見てみたいわ」

恋をしている感覚はないけれど、彼と一緒にいたいという気持ちを無視したくなかった。

それが恋になるのか、愛に変わるのか。

まだわからない。

貴族の枠から外れたルエラには自由になる時間が沢山ある。

その間にきっと見つかる予感がした。

二人が寄り添ってマージェリーの屋敷に結婚の報告に来るのは数年後の話。

Fin.