軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

普通の顔の、その向こう

『美濃原 道三』

その名前を熊澤は知っている。

ダンジョン勤務の公務員であれば、当然のように知っている存在で、雲の上の人物だ。

「あの……雨木さん、その電話の相手の美濃原さんって……特殊空間管理省の方では……?」

そう言いながら、熊澤の視線はイージス端末に向いていた。

雨木はそれに気づく。

「あぁ、ですです。美濃原っていう、ヤクザみたいなおっさんです。

知り合いですか? ……って、ダンジョン勤務なら当然か」

「と、当然じゃないですよ! ダンジョン関連のトップじゃないですか!

話したことも無いです! は、はやく出てくださいっ!!」

美濃原は、一度だけゴブリンダンジョンに来たことがある。

熊澤は顔を合わせてはいないが、そのときは所轄の署長や幹部が慌てて挨拶に来ていた。

それほどの存在だ。

(……そういえば、あれ……雨木さんが来た日……?)

ふと、そんな記憶がよぎる。

「いや~、でも多分、ろくな電話じゃないんですよ。

さっきのもその部下の人なんですけど、言いにくいことほど女性に伝えさせるんですよね。

酒を飲んだ日に聞きたくないし、どうせ出るまでかかってくるんで。

もう一回くらい焦らそうかなって」

そう言って笑う雨木の顔は、今日一番意地悪く見えた。

普通だと思っていた男が、また少し怖くなる。

だがそれ以上に焦りの方が強く、熊澤は必死で着信を促した。

「――はぁ……はい、こちら警視庁刑事部特命係。

事件ですか? 事故ですか?」

ものすごく嫌そうな声で電話に出た雨木は、訳の分からないことを言い始める。

その態度に、熊澤は思わず頬を引きつらせた。

『――ふっ、特命係か。

ではお前は杉下右京、ということでいいか?』

「――良い訳あるかっ。大物過ぎるわっ!

俺は名もなきただの死神代行だよ。

で、何? 今酒飲んでるから、真面目な話ならしらふのときにして欲しいんだけど」

持ったグラスを軽く回しながら、雨木は面倒くさそうに答える。

『ふむ、特命係でも死神代行でも、俺の部下には違いないな。

なら、酒を飲んでる場でも問題ない。

まぁ聞け、良い話とすごく良い話がある』

「いや、それ悪い話とすごく悪い話の間違いだよね?」

雨木は思わずため息を吐き、額を軽く押さえる。

「というかどっちでも部下って何様なんだ? 労働基準法って知ってる?

……くそっ、どこにクレーム入れればいいか分からん。

で、何? 大事な話ならそれこそ真面目に、しらふの時にして欲しいんだけど?」

熊澤は思わず息を呑み、二人のやり取りを見守っていた。

『鷲倉に明日、メールでもう一度送らせる。それで問題ないな。

俺もさっき、会議を終えたところだ。

どんな仕事もブラックな面があるのは仕方がない、諦めろ。急ぎ伝えたい』

「まぁ言っても無駄だとは思ってたけどさ。で、何?」

雨木は肩を竦め、諦めたように続きを促す。

『……すごく良い方からいくぞ。

引退を申し出てきた冒険者がいてな、

装備を一式、格安で譲ってもいいという話なんだ。

それをお前にどうだ? と思っている』

「……それ絶対条件があるやつだよね?」

雨木は目を細め、わずかに口元を歪める。

「それを先に言いましょうよ、外部監察官さん」

熊澤は、その肩書きにわずかに息を呑んだ。

『まぁお前に不利な話ではない。

単独でダンジョンに入ることのある冒険者に限り、

俺たち特殊空間管理省から見て有望そうな奴、ということになっている』

「……それだけなら別に、いっぱいいそうだけど?」

雨木は持ち上げていたグラスを口に運び、一口飲んだ後に言った。

「……ちなみに、おいくら万円なんです?」

『……会って気に入ったら百万円でいいそうだ。

自己申告では槍術がレベル2と、他に細かくいくつかあるそうだ。

まともに買ったら五百万円ってところか。

どうだ? 悪い話じゃないだろう?』

「……そりゃ~ねぇ……」

雨木は目を強く細め、考えるように視線を落とす。

「槍のレベ 二(に) ってだけで相場じゃ……超える……ねぇ。

百万か……破格だな……」

熊澤はそのやり取りを聞きながら、思わず息を詰めていた。

――百万円。

その金額だけが、やけに耳に残った。

スキルカードが高価だという話は知っている。

だが、漏れて聞こえる会話だけでは、どの程度の話なのかまでは分からない。

それでも――

そんなに安いはずがない。

雨木の 表情(カオ) が、そう言っているのは分かった。

雨木はイージス端末を耳から外し、小さく呟いた。

「……そもそも金があっても、出物がなければ買えないからな。

だからこそ胡散臭ぇ……」

暫く雨木は、熊澤の頭の上あたりをぼんやりと見つめていた。

何かを考えるように、わずかに目を細めている。

その視線の意味が分からず、熊澤は息を詰めたまま動けなかった。

『……どうした、雨木?』

やがてイージス端末の向こうから美濃原の声が静かに響く。

雨木は小さく息を吐き、端末を耳に戻した。

「ん~、とりあえず保留で」

『……良い話だと思うがな? 何が気に入らない?』

「だからだよ。良い話過ぎる」

雨木はそう言うと、端末を耳から少し離し、

「――何か、罠がありそうじゃんか。なんでわざわざ俺に……?

その意図が分かんねぇと……な」

小さく呟く。

「……見返り、何だ?」

一拍、間が落ちる。

「……ただで貰える話じゃないよな」

さらに言葉を重ねる。

「……飴か? ぼたもちか?

……で、代わりに何をさせる気だ?」

最中、目つきが徐々に鋭くなっていく。

熊澤はそれを、目の前で見ていた。

「――確認したいんだけど。それってその冒険者と二人で会うの?

二人っきりになった瞬間、ケツを差し出せ、とかって言って来ないよね?」

『断じて違う。そんな話はない』

「なら、考えるけど

ちなみにもしそうだったら……、

――あんたらの連絡には、二度と出ないよ、いいね?」

『――あぁ、分かった』

雨木はグラスの縁に指をかけたまま、視線だけを落とす。

指先でわずかにグラスを回した。

「ははっ、マジで頼んますよ、美濃原さーん。

あと、先に言っておくけど

会ってからそういうのを強制したら、マジで――」

その言葉の途中で、ほんの僅かに間が落ちた。

「――殺すよ?

例えアンタでも、どんな手を使ってでもね。

まぁそんなことはしないと信じるけどさぁ……」

殺す。

その一言が落ちた瞬間、空気が変わった。

軽口を叩いていた男とは、まるで別人のようだった。

熊澤の背筋に、ひやりとしたものが走る。

(……今の……)

言葉にする前に、理解してしまった。

冗談めかして言っているが、あれは冗談ではない。

本気で言っている。

出来る出来ないではない。

ただ自分はそうするという事実を告げただけだ。

平坦な声音。

そこには感情の揺れが一切なかった。

ついさっきまで、普通だと思っていた男。

どこにでもいそうで、

少し体格の良い、ただの会社員にも見えた。

だが――

(違う……)

胸の奥で、何かが確かに引っかかる。

怖い。

そう思うのに、目が離せなかった。

その奥にあるものを、確かめるように見つめた。

雨木は、何事もなかったかのように端末を耳に当てたまま軽く息を吐いた。

イージス端末の向こうから、男の声が返る。

『問題ない。そもそもこの話は鷹見がお前を――』

言葉を続けようとした、その直後。

端末の向こうで、別の声が割り込んだ。

聞き覚えのある、女性の声。

雨木は、わずかに力を抜く。

「……そう……ならいいや。

で、いまのが“悪い話”だとして、もう一個の“すごく悪い話”ってのは何ですかね?」

声は、いつもの調子に戻っていた。

だが熊澤には分かってしまった。

さっき見たものは、消えたわけではない。

ただ、隠されているだけだと。

『〝良い話〟だ。

前にお前が狼山に話したサークル臨時の話があるだろう?

喜べ、さっきの会議でそれを議題にあげた。

結果、要調査と判断された』

「ほんほん、それはおめでとう……で、いいんですかね?」

雨木は軽く眉を上げ、椅子に背を預ける。

『それでお前にもう一度、前回と同じサークル臨時に参加し、詳細な報告書を提出してもらいたい』

「――断る!」

即答だった。

流れるように、雨木はイージス端末の通話を切り、そのまま電源を落とした。

あまりに躊躇のない動きに、熊澤は思わず目を丸くした。