作品タイトル不明
グラス越しの本音
グラスの氷が小さく鳴った。
木目調の個室の静けさの中で、雨木は次に頼む酒を選ぶようにメニューへ目を落としていた。
向かいではコメットが一足先にグラスを空にし、卓上のタブレット端末で新しい酒を注文している。
「お酒、強いんですか? 俺のペースに付き合わなくても大丈夫ですよ。コメットさんのペースで飲んでください」
言葉は柔らかいが、そこに情けはない。
まだ本題を切り出す前の“間”にすぎない。
コメットはその意図を読み取っているのかどうかは分からないが、ほんのり笑いながら空のグラスを回した。
「アマギはんは、お酒強いん?」
「強いかどうかは自分では分かんないですね。ただ最近は外に出た時しか飲まないようにしてるんですよ。なんで今日は“お酒を飲める席”にしてもらいましたが、コメットさんは酔わない程度でお願いしますね」
声音は穏やかだが、テーブルの上に漂う空気は探り合いのそれだった。
互いに、本題へ踏み込む瞬間を測っている。
店員がやってきて、二人の前に新しい酒を置く。
氷が一度だけ澄んだ音を立て、また静寂へと溶ける。
コメットはそのグラスを両手で包み込み、迷いの揺れをそのまま指先に託すように揺らしていたが、やがて意を決したように口を開いた。
「……あの、アマギはん。〝相互〟のことなんやけど……」
想定していた言葉だった。
雨木はグラスを持ち上げ、わずかに口をつけながら頷く。
「あー、まぁ、考えましたけどね。カナタの時に自分が参加するのはいいですけど、ガキ二人の時に一緒に行くのは遠慮したいです」
言葉にしてしまえば、その拒絶は驚くほどあっさりしていた。
雨木は視線をテーブルへ落とし、グラスを軽く回す。
コメットからの連絡は確かに“相互”の件ではあった。
だがそれは「次も呼んでな」という念押しではなく、「他の時でも来てくれへん?」という願いだった。
同じタイミングでカナタからも連絡が来ていたこともあり、状況は分かりやすく絡まっていた。
カナタが肉ダンジョンを予約すれば、相互の義務としてコメットを呼ぶ必要がある。
その場に雨木にもいてほしい――そういう話だった。
雨木は小さな息を吐き、グラスの縁を指でなぞる。
「ただ代わりに、自分の時にコメットさんと一緒にカナタも呼ぶ感じにはなりますけどね。俺とカナタの間で、また別の〝相互契約〟を結んでると思ってもらえたら」
その言葉に、コメットの目がわずかに見開かれる。
頬の奥で息をのんだ気配が揺れ、グラスの中の氷がかすかに震えた。
「……ウチもそれは助かる……カナタはんには嫌われてもうたみたいやしなぁ……」
コメットはグラスの底を見つめ、ゆっくりと揺らし、それから沈むような声を落とした。
「……出来たら本音で聞かせて欲しいんやけど、ウチ、主催者としてそんなにアカンかったかな? いや、力不足は自覚しとるんやけど、なるだけ……上手く回るようにと気を使ったつもりなんよ」
その表情は半泣きに近かった。
瞳の奥に小さなため息の層が積もり、指先がグラスの縁に沿って止まる。
雨木は一瞬だけ口を閉ざす。
どう言葉を選んでも、あの日のメンバーで上手くいくはずがなかった。
だが、それをこの場でそのままぶつけることが正しいのか判断が難しい。
「あー……頑張ってたのは伝わって来てましたけどね。ん~~……多数決がかなりまずかったかな」
歯切れ悪く言葉を落とす。
その瞬間、グラスの底で氷がちいさく鳴った。
(……あれが決定的だったろうしな)
酒の匂いの向こうで、雨木の記憶が温度を持ち始める。
「……なぁ、カナタ。もう帰ろうぜ」
怒りを押し殺しながら進もうとしたカナタに、雨木は声をかけた。
「走るのも戦うのも俺たちだけじゃん。やる気削がれるわ」
カナタは目を見開いて振り返り、頷く。
「そうだな、……うん、賛成だ。こんな調子じゃ身が持たねぇ」
その会話にタカオが不満げに口を尖らせる。
「いや、俺ら本気出せばいけるし」
それを受けてレオニスが腕を組んだまま鼻で笑う。
「そうそう、俺らはまだ様子見てるだけだ。おっさんらがどれだけ出来るか確認してやってんだよ」
ーーードスッ
レオニスの言葉を聞いた雨木は、肩に担いでいたバールを地面に叩きつけていた。
隣ではカナタも、眉間を寄せて剣を握りしめている。
「っ……な、何だよ急に……!」
レオニスは一瞬だけ後ろへ跳ねた。
しかしすぐに顎を上げ、精一杯の強がりを見せる。
「はっ、作業服なんかでダンジョンに来やがって! どうせリストラされて、やることなくて冒険者になったクチだろ! 働けよ!」
横でタカオも肩をびくつかせながら、慌てて言葉をつないだ。
「そ、そうだよ! 働けよ! だからリストラなんてされるんだよ! 俺が怪我したらどうすんだよ、無能が!」
二人の足元はかすかに震えている。
それでも表情だけは必死に“強者のふり”を保とうとしていた。
「おい、あんまり調子のんなよ……ぶっ殺すぞクソガキぃ!」
カナタが剣を抜き、低く唸る。
「はっはっは、面白いなお前ら。ダンジョンの中は自己責任だぞ? 自分の言葉に責任を持てよな?」
雨木はバールを担ぎ直し、体を半歩だけ引いた。
(次に舐めたこと言った瞬間、これを口におもくそ叩き込んでやる)
あの時雨木は、本気でそう思っていた。
そして二人も、雨木とカナタの本気を肌で感じ取ったのだろう。
沈黙が場を支配する。
声をあげれば即座に衝突になる空気が濃く張りつめる中、
コメットが慌てて両手を広げ、二人の間へ割って入った。
「ちょ、ちょっと待って! 喧嘩せんといて……な? じゃ、じゃあ多数決にしよ、な?」
その言葉にカナタが大きく舌打ちし、肩を揺らした。
「もう、おしまいでいいよ。俺は帰る」
手を挙げた。その言葉に雨木もうなずく。
「俺も、帰るに一票」
対してタカオとレオニスが「続ける」に挙手。
最後にコメットが小さく手を上げた。
「せっかく来たんやし、もうちょっと頑張ろ? な、せっかくやし……な?」
無理に作った笑顔がこちらの顔色を探るように揺れた。
その瞬間、カナタの表情が弾けた。
「……じゃあ好きにしろ! 自分のケツは自分で拭けよな!」
吐き捨てて歩き出していく。
記憶の熱がゆっくりと溶けていく。
気づけば雨木はまた、グラスの氷を見つめていた。
コメットも視線を落とし、グラスをちいさく回している。先ほどまで笑っていた表情は影を潜め、沈黙が濃く沈んでいた。
「……あそこで帰ってれば、誰も怪我しないで済んだでしょうしね」
雨木はそう言いながら、コメットの腕へと視線を向ける。
服の下に隠している包帯は布地の奥で形を主張していた。
「…………ごめんなぁ」
コメットは吐き出すように言った。
「ウチ、あんまり今余裕無いんよ。つい、欲を出してもうたな」
その声はダンジョンで響いていたものとは違う、弱くて素直な音だった。
(ま、そんなとこだろうなぁ。俺は怪我してないからそこまででもないけど……カナタは怪我したから、なおさら頭に来てるんだろうし)
(とはいえ、カナタも悪い部分はあるんだよな。俺が帰ろうと言った時点でそれ以上進まなきゃ終わるのに。怒ってどんどん先に進んじゃうんだもんなー)
(ガキ二人もだけど、コメットさんも自分じゃ戦えないんだから、放っておきゃ帰る一択だったのに)
(ま、そんなカナタを追いかけた俺も悪いんだけどさ。あの状況で一人で進ませる訳にもいかなかったからなぁ)
(結局、全員悪いんだよな。あの面子じゃどう足掻いても上手くいかなかっただろうよ。やっぱ 寄せ集め(臨時) はクソだよな)
雨木はグラスの縁を指先で軽く回す。
氷がコトン、と小さく鳴り、個室の照明がぼんやりと光を返した。
二人の間に沈黙が落ちる。
(……いやー、なんて返していいか、わかんねー)