軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

後半

「ユリア、お前には少し休息が必要だろう。それから、ニーアはまだ若く、経験もない。しばらくはお前が補佐しろ。あくまで姉として陰から支えるんだ」

父の言葉は、あたかも気遣うような声音だった。だがその実、告げられたのは事実上の追放だった。

表向きの理由は、療養。わたしの心身を労わるために領地へ送るのだという。同時に、これまで伯爵家の後継ぎとして受けてきた教育を無駄にしないために、妹の補佐役として働けと言う。

つまり、わたしを領地に幽閉し、領主の実務を担わせようというのだ。どれほど都合のいい話か、子供でも気づく。

そして、領地の古い屋敷へと移り住んだわたしは、思いがけず「真実」を知ることになった。

ある日、使われなくなった物置部屋の奥で、一枚の肖像画を見つけた。厚く積もった埃の下から現れたその肖像に、わたしは息を呑んだ。

描かれていたのは、わたしの祖母。先代伯爵夫人だった女性だった。

黒髪に黒い瞳、凛とした顔立ち――それは、まるで鏡に映った自分を見るかのように、わたしによく似ていた。

祖母は、生前、非常に厳格な人物だったと聞く。父に対しては容赦なく責任を与え、後継ぎとして徹底的に教育を施した。嫁いできた母に対しても同様だった。礼儀作法、家政の才、家名を守る気概。すべてにおいて完璧を求めた。

父も母も、先代伯爵夫人である祖母に畏怖と反感を抱いていた。

そして、そんな祖母の面影を色濃く受け継いだわたしの存在は、彼らにとって疎ましい存在だった。

反対に、妹のニーアは違った。彼女は、母譲りの明るい金髪に、笑顔を絶やさない柔和な笑み。父にも母にもよく似ていて、自分たちの延長のように感じられたのかもしれない。だからこそ、あれほどまでに甘く、過保護に育てたのだ。

――わたしがどれほど努力しても、愛されなかった理由。

ようやく、すべてが腑に落ちた。

あれほど懸命に学び、ふるまい、家のために尽くしてきたのに、認められたことが一度もなかったのは、見た目が祖母に似ていたから。それだけの理由。

その事実は、胸をえぐるような痛みを伴った。

けれど同時に、妙な納得もあった。ああ、そうだったのか、と。

わたしが欲しかったものは、努力では手に入らなかった。

それは、最初から与えられる人間と、最初から奪われる人間がいるという、残酷な現実。

今までの人生、そのすべてが空しく感じられた。

血のにじむような努力も、涙を堪えて耐えた日々も、すべて――無駄だった。

愛されるために捧げた年月は、何の意味もなかった。

「……あはは。わたしの人生って、なんだったんだろう」

呟いた言葉は、自嘲と絶望のあわいに揺れた。

けれど、その深く沈んだ暗闇の底で――なにかが、ゆっくりと熱を帯びはじめていた。

甘やかされるまま傲慢に育ち、ついには、わたしの婚約者の心まで奪っていった妹。

その身勝手さを後押しし、わたしを使い捨てた両親。

わたしを裏切り、あろうことか妹に愛を囁いた、エドワード。

――許さない。許さない。許さない!!!

燃えるような怒りが、冷たい胸の奥から立ち昇る。痛みの代わりに、それがわたしを支えていた。

わたしは、復讐を誓った。

すべてを奪われたのなら、今度は――わたしが奪う番だ。

デュヴァリエ家の領地は、王都から馬車で数週間。西の果て、風に波打つ金色の平原を越えた先に広がっている。陽光に揺れる麦畑、永い時を湛えた深緑の森、それらに囲まれたこの地は、見た目にはただ静かで穏やかな肥沃の地に過ぎない。

けれど、真に富をもたらすのは、地中深くに眠る魔性の鉱脈だった。

そこには、金がある。人の心を狂わせ、争いを呼び、時には国さえも動かす力を持つ、光の中の闇。

その鉱山を巡り、かつて幾度となく血が流れた。最も熾烈だったのは、隣領のヴェルノア侯爵家との対立――利権を巡る長き戦いの末、勝ったのは我が家、デュヴァリエ家だった。だが勝利は、代償を伴った。侯爵家の誇りを踏みにじった報復の炎は、決して消えていなかった。

そして今――その宿敵と、わたしは手を結んでいる。

ニーアがエドワードと結婚し、「デュヴァリエ家の若き女当主」として正式に迎えられたのは、ほんの数ヶ月前のことだ。結婚式は王都の教会で盛大に執り行われ、父は妹に爵位を譲った。政略に忠実なその儀式の最中、わたしは遠く離れた領地にいた。呼ばれなかった。いや、呼ばれても行かなかっただろう。

「領主代理としての文書に署名をお願いします、お嬢様」

執事の乾いた声が、静まり返った書斎に落ちる。

慇懃ではあるが、そこに感情の起伏はなかった。手には、今日だけで五通目となる行政文書が抱えられていた。土地税の調整、鉱山の管理報告、交易路の許可申請――いずれも、かつて父が担っていた政務。今や、それらはすべて、わたしの元に集まってくる。

「……」

無言のまま、わたしは羽ペンを取り、慣れた手つきで次々と署名を続けた。紙にインクが滲む音だけが、時を刻むように部屋を満たしていく。

王都にいる妹のニーアは、今日も社交界を忙しく飛び回っていることだろう。美しい衣装と愛想笑いで、舞踏会や午後の茶会を巡り、夫のエドワードを伴って、デュヴァリエ家の新当主として貴族たちの視線を集めているに違いない。

実際には、政務に関する知識も関心も持ち合わせていない。帳簿を読むことすら面倒がり、書類の山には目もくれない。けれど両親は、彼女の無能を覆い隠すために、平然と世間にこう触れ回るのだ。

「デュヴァリエ家の新たな当主は、天性の政才を持つ才媛だ」と。

滑稽な作り話だ。実務に一切の関心も能力もないあの妹が、当主なんて。

政務の全てを担っているのは、他でもないこのわたしだというのに。

だがわたしは、怒りの言葉を口にしない。ただ黙って、ペンを走らせる。

最初は理不尽さに震えた。だがすぐに悟った――これは、「掌握」の機会なのだと。

わたしは密かにヴェルノア侯爵家に接触した。デュヴァリエ家の崩壊と引き換えに、私自身の地位と自由の保障を取りつけるために。

侯爵家は、わたしの立場を正確に理解していた。交渉は驚くほど迅速に進んだ。

わたしは家の財務上の弱点を洗い出し、買収可能な職員の名簿を添付し、秘匿されていた帳簿の抜粋を提供した。

ヴェルノア家は、即座に動き始めた。交易路の再編、鉱山管理の信頼失墜、そして資金提供者への水面下の圧力。情報が武器に変わり、網の目のようにデュヴァリエ家を包囲していく。

父も、母も、何も疑わない。ニーアは、あいかわらず無邪気な笑みを浮かべて、家が傾いていることにすら気づかない。

そして、最初の異変は、結婚からわずか半年で訪れた。

長年の取引相手であった銀の商会が、突如として契約更新を拒絶した。「取引信用の低下」との理由だったが、それはわたしが流した帳簿のごく一部に過ぎない。ヴェルノア家が仕掛けた風評と、いくつかの帳簿操作の証拠だけで、商会は一斉に背を向けた。

収入は激減。交易の利益は三分の一に落ち込んだ。

次に崩れたのは、鉱山だった。

中央監督庁による突然の査察。「安全管理上の不備」の名目で、西鉱脈は操業停止に追い込まれる。父が誇っていた金の泉は、わずか一月で干上がった。

窮した家は、税収の穴を埋めるため、領民からの臨時徴税を決定する。

その年の夏は、日照り続きだった。作物は不作に終わり、民は飢え、怒りを燃やした。

反発の声が広がり、やがて王都からの融資元までもが沈黙を守るようになる。

後ろ盾たちは、ヴェルノア家との「より堅実な関係」を選び、借金の返済を求める通告を送りつけてきた。金利はすべて契約上限――つまり、徹底的に悪意ある条件だ。

そしてついに――国王陛下より公式な勅命が下る。

「公務不履行および領地経営の著しい失策を理由として、デュヴァリエ家は爵位を返上し、領地の管理権を王家に返還せよ」と。

その勅命文が王都のデュヴァリエ邸に届けられたのは、ちょうど午後の紅茶が運ばれたばかりの時間だった。庭には薔薇が咲き誇り、陶器のティーセットには陽光が反射していた。その静けさを破るように、重厚な革鞄を手にした王室の使者が現れ、黙したまま黒い封蝋の文書を差し出した。

室内の空気は一瞬で凍りついた。

わたしは、勅命が届く直前に領地から王都の屋敷へと戻っていた。

――この瞬間を見届けるために。

報せを聞いたニーアは、何が起きたのかすぐには理解できない様子だった。全てを失いつつあるというのに、彼女はまだ、その現実に気づいていない。あまりにも愚かしく、滑稽だった。

「……こうむ、ふりこう?失策って、何のこと……?うちは別に、何も悪いことなんて……」

ニーアは困惑したように眉を寄せ、王家の紋章が刻まれた封蝋を見下ろした。だが、その象徴が意味するものを理解できるほど、彼女は現実を生きていなかった。

「ねぇ、冗談でしょう?こんなの……お父様?お母様?」

だが、誰も答えなかった。

母は口元を手で押さえたまま、まるで時間が止まったかのように硬直している。

父は文書を握る指をわずかに震わせ、ゆっくりと視線を走らせていた。その指先の震えはすぐに全身へと波及し、やがて手にしていたグラスがテーブルから滑り落ちて、ガシャン、と鋭い音を立てて床に砕けた。

「馬鹿な……これは……何かの間違いだ……!」

父の顔から血の気が失せていく。こめかみに浮かぶ冷や汗が、ゆっくりと額を伝って落ちる。野心に満ちて誰よりも威圧的だった男は、その威光をいとも容易く剥ぎ取られ、ただの震える老人へと変わり果てていた。

「国王陛下が……我らから爵位を?領地まで……?ば、馬鹿な……こんなこと……」

彼は膝から崩れ落ち、砕けたガラスの破片の上に文書を抱きかかえるようにして座り込み、呻いた。

「どうしてだ……我が家が、なぜ……!」

「えっ、ちょっと待って……じゃあ、わたしたち……爵位が無くなったらどうなるの?住む場所は?使用人たちは?ねぇ、エド、どうにかしてよ!」

ニーアが叫び声を上げる。声は裏返り、甲高く震えていた。

その声に応じたのは、あまりにも冷ややかな返答だった。

「……これは、陛下の勅命だ。逆らえば逆賊として断罪される。それがこの国の法だ」

エドワードはニーアを見もせず、淡々とした声で言った。

「爵位を剥奪された貴族は、ただの平民だ。処分次第ではそれ以下になることもある。……救済の余地は、ない」

「……嘘。そんなの……嘘よ……!」

ニーアは信じられないとでも言うように首を振り、膝を抱えて崩れ落ちた。

彼女の世界では、自分が中心だった。

何もかもが彼女のために回り、用意され、許されるはずだった。

だが今、その幻想は音を立てて崩れ去った。

ぽろり、と。それまで押しとどめていた涙が一粒、頬を伝うことすらなく、ニーアの目元から零れ落ちる。

母はソファの端に身を預けたまま、虚ろな目で庭の薔薇を見つめていた。

「どうして……あんなに輝いていたデュヴァリエ家が……こんなことで……」

カップを握る指が震え、紅茶がこぼれても彼女は気づかない。

屋敷の中は、まるで空気そのものが崩れ落ちたかのような沈黙に支配されていた。

音も色も感情も失われ、ただ――崩壊の余韻だけが残る。

だけど、わたしは違う。

わたしは静かに、遠巻きにその光景を見つめていた。

泣き叫ぶ妹を。

夢にすがり続ける母を。

呆然と呻く父を。

そして、何一つ守ろうとせずに背を向けるエドワードを。

これこそが――

わたしが望んだ結末。

「こんな勅命、受け入れられるはずがない……!誰が……誰が国王に讒言を吹き込んだのだ!?領主を……!」

父の怒声が空気を震わせた瞬間、血走ったその目が、まっすぐにわたしへと向けられた。

「――お前だな。ユリア……!」

名を吐き捨てるように呼ばれた瞬間、屋敷の空気が一層重く淀んだ。

「領主の代理として、役人との折衝も書類の確認も……お前がやっていたはずだ……!お前が我が家を裏切ったのか……!」

「まさか……!」

母が目を見開き、椅子の背もたれに手を添えたまま立ち上がる。

「まさか、ユリア……あなた、わたしたちを裏切ったの……!?」

「姉さま……嘘よね?」

ニーアの声も震えていた。信じたくない、というより、もう頭が働いていないのだろう呆然とした声音で。

わたしは静かに微笑んだ。

「……そうよ」

そして、はっきりと告げる。冷ややかに、淡々と。

「そうよ、私の仕業よ。この結末は、すべて私が引き起こしたの」

「な……!」

「領地の荒廃も、財政の破綻も、王家への報告も――全部、私がやったのよ。正確に、冷静に、丁寧に。陛下が判断を誤らないよう、資料を添えて、数字を並べて、証人の証言もつけて」

わたしはゆっくりと立ち上がり、怯える家族の顔を一人ずつ見渡した。

「――復讐よ」

一語一語、静かに、確かな意志を込めて。

「今まで私を何だと思ってたの?便利な道具?黙って働き、搾取され、無視される存在?次期当主なら当然、姉なのだから我慢しろと、言ってきた癖に……その役目すらわたしから奪っておいて」

声が、自然と笑みに変わる。

「……ふふ。愉快だったわ。何も気づかずに、うまくいっていると安心しきった顔を見るのが」

父の顔は怒りで紅潮し、母は青ざめる。ニーアはさめざめと泣き、エドワードは怯えながらも口を閉ざしたままだ。

「あなたたちの誇りだった名門デュヴァリエ家は、私の手で終わるの。今更、謝ったところで遅いわよ。あなたたちはもう、爵位を失った。ただの元貴族。いまや、ただの平民よ」

「貴様……っ!いい気になるな……爵位を失えば、お前とて平民になるのだぞ!この家と、運命を共にするのだ!それが分かっていて……!」

父の怒号が室内に響いた。椅子を蹴り飛ばさんばかりの剣幕で、今にも掴みかかってきそうな勢いだった。

その叫びを遮るように、わたしはふっと笑った。

それは皮肉でも、勝ち誇ったものでもなかった。ただ、乾いた――けれど確かな決意の滲む笑みだった。

「ええ、分かっているわ。だからこそ、選んだの」

「なに……?」

「私はすべてを奪われた。愛も、未来も。それでね、“奪われる”くらいなら、“捨てた”方がずっとマシって気が付いたのよ」

「ユリア……っ」

母の唇が震えるが、もはや言葉にならなかった。

ニーアはまるで現実逃避するように、震える手で自分の腕を抱きしめていた。

「どうして、そんな……どうしてここまで……っ」

「どうして? ……訊くまでもないでしょう」

わたしは静かに、冷たく、最後の視線を彼らに投げかけた。

「私の人生を、私の尊厳を、あなたたちは平然と踏みにじった。だから、わたしも貴方たちのすべてを奪ってあげただけ」

そう言い終えると、わたしは踵を返した。

もう、彼らの顔を見る必要もない。

わたしは、すべてを終わらせたのだから。

父は立ち上がろうとして足をもつれさせ、床に膝をついた。エドワードは呆然としたまま動かず、ニーアは何も言えぬまま、ただ唇を噛んでいた。母は腰を抜かし、何かを呟きながら、虚ろな目で天井を見つめていた。

――その後のデュヴァリエ家がどうなったかを、風の噂で聞いた。

一等地に構えていた王都の屋敷は、あっという間に差し押さえられ、重厚な門扉にも錠が下された。

住み慣れた使用人たちは契約を打ち切られ、誰一人として残らなかった。

爵位を失った途端、かつての知人たちは手のひらを返した。誰もが彼らを「利用価値のない存在」として切り捨てた。

父は、酒に溺れた。

貴族としての誇りを失い、支配者としての威厳を失い、誰からも顧みられなくなった男は、残されたわずかな蓄えを酒に費やした。昼も夜も関係なく酒をあおり、あの日の怒声すらもう上げる力もなかったという。

ある日、浴びるように飲酒した彼は、突然意識を失いそのまま亡くなった。

母は環境の激変に体調を崩し、やがて病に伏した。だが、もはや医者を雇う余裕もなく、貧しい暮らしの中で痩せ細り、かつての豪奢な日々を思い出してはうわ言のように繰り返しながら、静かに息を引き取った。

エドワードは一度婿に出た身。生家には戻れず、肉体労働に従事した。平民落ちした彼に与えられたのは、倉庫の荷運びや下水掃除といった、以前とは想像つかない泥仕事だった。

慣れぬ生活とすれ違うニーアとの喧嘩が絶えず、ついには家に帰らなくなり、消息を絶った。

そして、ニーア。彼女はわがままな暮らしに慣れすぎていた。

質素な部屋、粗末な食事、窓から見えるのは屋敷の庭園ではなく、干された洗濯物と泥だらけの路地。

「こんな生活、耐えられない!」

かつて、家族の誰もが彼女を甘やかした。可愛くて素直な妹として、欲しがるものは与えられ、間違っていても誰も咎めなかった。転落後の現実に、彼女は一切の免疫を持っていなかった。

現実を受け入れらない彼女は借金を重ねて、ついには娼館にその身を売られたという。

――わたしの耳に届いたのは、ただそれだけ。

けれどそれだけで、十分だった。

デュヴァリエ家が歴史から消えた代償に、ヴェルノア侯爵家は望んでいた鉱山の利権を手に入れた。

そして、約束は果たされた。

慎ましく生きるには十分すぎる金銭と自由を、わたしは得た。

いま、わたしは静かな片田舎の小さな村で暮らしている。

爵位も、名誉もないけれど、自らの意思で動き、考え、働く日々。

朝日とともに目を覚まし、土の匂いを感じながら畑を耕す。夜は暖炉の前で本のページを静かにめくる。

誰にも搾取されず、誰にも尊厳を踏みにじられない。

ただそれだけで、人はこんなにも穏やかに生きられるのだと、ようやく知った。

もう、振り返ることはない。

デュヴァリエ家は、とうに滅びた。

わたしの手で、確かに終わらせたのだ。

わたしの復讐は、終わった。