作品タイトル不明
第47話 王都の小さな患者
王都からの早馬は、雪が降り始める前に届いた。封蝋は王宮厨房のものではない。王立療養室の新しい印で、中央に小さな匙が刻まれていた。リディアは執務室で封を切り、文面を読んだ。
王宮の下働きの子が、高熱のあと何も食べられなくなったという。薬師は熱を下げた。医師は危険な病ではないと言った。それでも子どもは匂いだけで顔をそむけ、母親は泣きながら薄い汁を捨てているらしい。
手紙を書いたのはネリだった。
『夫人。私は、あなたなら何を見るかを考えています。でも、まだ怖いです。王宮の人たちは、失敗を大きな声で数えます。小さな子の前で、誰かが責められるのが怖いです』
リディアは手紙を読み終え、しばらく机の上に置いた。行きたい気持ちはあった。
だが、冬前の北境で、彼女が急に王都へ向かえば食養院の講習は止まる。すべてを自分の手で抱えれば、これまで作った仕組みの意味が薄くなる。
リディアは新しい紙を出した。
『ネリへ。まず、食べない理由を一つに決めないでください。喉が痛いのか、匂いがつらいのか、母親の手が震えて怖いのか、器が熱すぎるのか、部屋に薬の匂いが残っているのか。子どもに聞く前に、部屋を見てください』
筆を進めるうち、王宮の廊下の寒さが指先に戻った。彼女は続けて、器を小さくすること、粥ではなく重湯から始めること、香りの強い薬草を隣室に移すこと、食べさせる者を一人に決めることを書いた。
最後に、短く添えた。
『失敗を責める人がいたら、部屋から出してください。食べることは裁きではありません』
返事は五日後に届いた。ネリの文字は、ところどころに水の跡があった。
『夫人。子どもは、器の絵を怖がっていました。熱の夢で見た鳥と似ていたそうです。白い小皿に変え、母親ではなく姉が重湯を持つと、一口飲みました。二日目は麦湯を飲み、三日目に柔らかい卵を少し食べました』
リディアは息を吐いた。よかった、と口に出す前に、胸の奥がゆるんだ。
手紙には続きがあった。
『私はあなたを呼びたいと思いました。でも、呼ばずに済んだことが、たぶん一番大事なのだと思います』
リディアはその一文を、何度も読んだ。夕方、エルヴィンが執務室へ来た。彼はリディアの表情を見て、すぐに何かを察したらしい。
「悪い知らせではないな」
「はい。王都の療養室で、ネリが一人の子を食べさせました」
「一人で?」
「仲間と一緒に。でも、私なしで」
言いながら、リディアは不思議な寂しさを覚えた。必要とされないことは、昔の彼女なら怖かった。王宮で名もなく働いていたころ、呼ばれなくなれば自分には何も残らないと思っていた。
今は違う。自分がいなくても誰かが匙を持てることが、こんなにも頼もしい。
エルヴィンは彼女の肩にそっと手を置いた。
「君の仕事が、君の手を離れ始めたのだな」
「少しだけ、変な気持ちです」
「誇っていい」
リディアは笑った。
「誇ります。でも、返事を書きます。器の絵を記録する欄が、手順書にありませんでした」
エルヴィンは声を立てずに笑った。
「そこが君らしい」
その夜、食養院の手順書に新しい欄が増えた。器。
匂い。
部屋の音。
食べる人の顔。
王都の小さな患者は、北境に来たことがない。それでも、その子が白い小皿から飲んだ一口は、リディアの台帳に新しい道を作った。