軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

花守り虫─7

一通り、事情が説明されました。

クリストファー殿下は他国の式典に出席はしましたが、祝典の夜会などは断ってその足で真っすぐ帰国されたそうです。

日数的に、昼夜を問わず駆けて来られなければ間に合う距離ではないと思いますが………。

「問題ないよ」

にっこり微笑まれる笑顔の後ろに、グレンさまたち殿下付きの近衛の苦労が垣間見えた気がします。

それに、予定を大幅に変更されたシワ寄せと後始末が向かう、アレクセイさまたち側近の青筋が見えたような───。

「なんにしても、ご無事でよろしゅうございました。エリアーナさま。アンナさま」

クライス公爵夫人が遠縁であるミルズ伯爵家の不始末のお詫びを込めて、わたしたちをいたわって下さいました。

わたしは少し息をついて、夫人を見返しました。

「───クライス夫人は、シルヴィア・スレイドさまとお知り合いだったのですか?」

そうでなければ、アーヴィンさまを古い友人の子息だと紹介したりしないでしょう。

一角に座ったアーヴィンさまと従者の方に動じたさまはありませんでしたが、夫人が口を開く前に話し出しました。

「俺が無理を言ったんだ」と。

~・~・~・~・~

シルヴィア・スレイド嬢は、エイデル領を治めていた公爵家の令嬢でした。

彼女は賢夫人と慕われた母親同様、領民に愛される領主の姫君でした。

生まれ育った地を愛し、領民たちの生活に心を寄せ、季節の実りを共に喜び、気さくに言葉を交わすその姿は、領民に等しく愛されました。

ところが───。

公爵家が王家に謀反を企て、しかも常にサウズリンドの隙を狙う好戦国と通じていた、という事実が発覚します。

さらに、彼らが愛した姫君がその好戦国の人間と愛し合っていたという事実が発覚するにいたって、領民にはまるで、自領を売られたような、いままでの親愛すべてを裏切られたような、そんな怒りにも似た憤怒がわき起こりました。

そして彼らは、その存在を排除することに決めました。

彼らの愛する姫君は亡くなったのだと。もう、どこにもいなくなったのだと。

「親父───まあ、現マルドゥラ国王だが、当時は王子の身分で、今回のように内部のゴタゴタを調べている最中に母と出逢ったらしい。一応、攻め入る画策をしていた奴らとは政敵関係だったと聞いてる」

けれど、マルドゥラ国内にサウズリンドに攻め入ろうとする考えの者がいることは事実です。今回の賊たちのように。

部屋の片隅に立って険しい表情のヘイドン辺境伯は、だれより危機感を覚えられているような顔つきでした。

アーヴィンさまはその空気を感じたようにかるく肩をすくめます。

「母は自分の人生に対してなんの後悔もない、と言っていたが、やっぱり生まれ故郷に帰りたかったんじゃないかと思ってな。古くから親交のあったクライス夫人を頼った。エリアーナ嬢がどんな人物か、ってことにも興味があったんだが………うちの事情に巻き込んで悪かったな」

かるい口ぶりの中にも真摯な響きがありました。

クリストファー殿下がにこやかな微笑ながらも笑っていない目で口を開きかけて、わたしは思わずつぶやいていました。

「………レディバード・シルヴィア」

え、と殿下の目だけでなく、部屋中の視線がわたしに集まりました。わたしはアーヴィンさまからお借りしたままのハンカチに目を落としていました。

暗がりの中では気付きませんでした。けれど今のお話を聞いているうちに手触りを思い出してながめ、すべてが腑に落ちる気がしました。

「───テオドールさま。スレイド公爵の謀反が発覚したのは、内部からの告発があったと。それは公爵家の姫君、シルヴィアさまからのものだったのではないですか」

ヘイドン伯の驚きの眼差しが向かいました。テオドールさまも突然の指摘に驚いた様子でしたが、つらそうな笑みでうなずかれました。

「彼女が先王陛下にたった一人で、身内の───自分の父親の罪を証拠とともに告発した。同時に、彼女は罪人の娘の烙印を押されたために、その行為は公的に認められず───王家としても、容認するわけにはいかなかった」

王家に謀反を起こし、サウズリンドを戦火に巻き込むところだった一族の娘。

その行為が正しいものだったとしても、彼女を容認するのは王家の立場的に難しかったのかも知れません。

少し沈黙がただよったその場で、わたしはアーヴィンさまに目を移しました。

「アーヴィンさま。シルヴィアさまは、ずっとこの刺繍を好まれていたのでしょうか」

「………ああ。虫の刺繍だろ。花とか紋章とかでもないから、ふしぎに思って聞いたことがあるが、自分の心だ───とか、誤魔化されたが」

冗談のように笑われましたが、わたしは真剣にうなずき返しました。これはシルヴィアさまの心です。

「この虫の名は、レディバードと言います。ケネス・ブラッド著の『足もとの世界』という昆虫記によりますと、レディバードは特定の花にしか寄り付かないことで知られます。

エイデル領がその名で呼ばれるのは、春になると領地一帯を埋め尽くすほどの、エイデルの花と呼ばれる白い小花が咲くからです。

レディバードは、そのエイデルの花にのみ寄り付きます。そのため、エイデルの花はレディバードなしに受粉しない、と植物学者たちに言われており、ゆえにレディバードを別名、花守り虫───と言います」

わたしはハンカチに刺された刺繍をそっとなでました。

ご自分をレディバード・シルヴィアと署名された女性。彼女は生まれ育った領地から追い出され、愛した領民から忌まれて、その存在を亡きものとされました。けれど、この刺繍は彼女の心です。

どこにいても───たとえ、故郷から追い出されても、自分は生まれ育った地を守ってみせる。戦場にしたりはしない。

エイデルの花を守る、レディバードのように。

わたしはふしぎと、見も知らぬその女性から力をもらった気がしました。

ハンカチをにぎりしめて立ち上がり、ヘイドン伯と間近で向き合いました。

「ヘイドン伯爵さま。わたしはやはり、甘いと言われても力に力で返す方法は選べません。武力によって国を守る方法も選びません。先人たちが戦いや数多の犠牲によっていまの平和を築いたのなら、今度はいかにしてそれに頼らず、築かれた平和を守るかが、 現代(いま) を生きるわたしたちの役目ではないでしょうか」

ヘイドン伯の眉は固く寄ったままでした。

「今回のようにお命を狙われても、同じことをおっしゃるつもりか」

「───何度でも」

襲撃を目の当たりにした恐怖は、わたしにもあります。あの時は立て続けの出来事にただ驚いて感情が麻痺したような気分でしたが、こうして無事でいられることに心から安堵する気持ちがあります。

無事でなければ、殿下や家族、友人たちに、大好きな書物とも 見(まみ) えることはなかったかも知れません。

それでも。

「何度だって、戦の芽は摘み取ってみせます。そんな野心を持つ気も起きなくなるくらい、何度でも。マルドゥラ国との間に戦が起こらず、ふつうに隣国となれば、イーディアの領民が脅威におびえる必要はなくなるはずです。隣国の人を好きになったからといって迫害されるような、そんな国にはならないはずです」

シルヴィアさまがマルドゥラの人間を愛したから忌まれたというのは、今回の賊たちが口にしていた考えとどう違うのでしょう。

「………マルドゥラと友誼を結ぶと言われるか」

「難しいのはわかっています」

エイデル領民の過去の反発感情を聞けば、簡単なことではないでしょう。もちろん、戦場となった歴史のあるイーディア辺境領などは特に。中枢部や、国中から反対を受けるかも知れません。

マルドゥラ国がどう出るか、その反応も不明ですし、そもそも、これはわたし一人の考えです。

けれど、わたしは背中に力強く見守ってくれる視線を感じていました。

───エリィはエリィらしく。

「それがたとえ、どんなに険しく遠い道のりだったとしても、一歩を踏み出さなければ永遠にたどり着けないままです。───シルヴィアさまは武力に頼らずエイデル領を、国を守りました。殿方はとかく、力に頼りそれに驕りがちな面が見受けられますが、女性から見たら力自慢のガキ大将となんら変わりありません。

時にはシルヴィアさまのような女性を見習っていただきたいと思います」

ヘイドン伯はかるく目をみはりました。そうして次にはクッと喉の奥から声をもらすと、こらえきれなかったように軽快に笑いだされました。

わたしはビックリしました。笑われるようなことをわたしは口にしたでしょうか。

と言いますか、謹厳実直な堅苦しい印象しかないヘイドン伯の思いがけないお姿に、部屋中の者が驚いているようです。

ヘイドン伯は笑いをおさめると真摯にわたしを見つめ返し、そして口を開かれました。

「お甘い。夢見がちな理想論ですな」

手厳しく叱るような口調でした。だが、と言葉が続きます。

「あなたの言葉には若さと可能性がある。サウズリンドの未来が明るく見えますな」

ザッと、あざやかな動作で突然、膝をつかれました。

「エリアーナ・ベルンシュタイン嬢。あなたがおられるかぎり───その考えが根付いていくかぎり、我が国が、領地が、戦場になることはないと信じられる。あなたと、あなたを選ばれた王太子殿下にロウ・ヘイドンの名に置いて、忠誠を誓いましょう」

わたしはさらにビックリして硬直しました。そのわたしの背中に手が置かれ、見上げるとクリストファー殿下のやさしい青の双眸がありました。

「ヘイドン辺境伯。あなたの忠誠は守護神の加護も同然だ。その忠誠に恥じぬ道を歩むことを、私も誓おう」

視線を交わした後、ふたたびヘイドン伯の頭が深く下げられました。

なごやかな空気がただよったところで、アーヴィンさまの声が上がりました。

「───では、俺も持ち札を切らせてもらおう」

立ち上がったアーヴィンさまがわたしとクリストファー殿下の前に立たれます。

「今回俺が非公式に訪問したのは、亡くなった母の故郷が見たかったのが第一だが、下見、ってのもあった」

「下見、とは?」

殿下は微笑まれているのに、お声がどこか冷たいようです。アーヴィンさまはそれが彼のクセなのでしょう。皮肉っぽく口の端を上げます。

「次期王と見られているマルドゥラ第二王子から、サウズリンド中枢部に友誼を結べる相手がいるかどうか、見てきてほしい、という言葉があった。エリアーナ嬢を見れば、王太子殿下の人となりもわかるかと思ってな」

殿下はにこやかなまま返しました。

「友誼という盟約のもとに、サウズリンドをマルドゥラ王家の王位争いに巻き込もうということかな」

「少なくとも、第二王子派は俺も含めて、サウズリンドと戦をしたい考えの持ち主じゃない」

「その、第二王子派という者たちとでなくとも、うちの選択肢は数多くあるのでね。迷うな」

「利を示せってか。………うわさ通り、見かけ以上に食えない御仁だな」

「お誉めの言葉と受け取っておくよ」

「………俺はエリアーナ嬢に手は出してねえぞ」

「きみが私の婚約者と醜聞を立てられそうだったなんて、気にもしていないよ」

にっこり微笑まれていますが、隣にいるわたしはとても寒気がします。なぜでしょう。

苦虫をかみつぶしたようなお顔でアーヴィンさまは小さくぼやいておられました。心狭すぎだろっ、と。

テオドールさまが苦笑でその場を収め、会談の場はあらためて設けられることとなりました。

目まぐるしい一日から解放され、わたしは殿下に言いそびれた言葉があることに、後で気付きました。