作品タイトル不明
第36話 星条旗の咆哮、あるいは資本主義の暴力
ワシントンD.C.の空は、突き抜けるような青だった。
まるで、これから始まる「アメリカの復活」を祝福するかのような快晴。
ホワイトハウスの広大なサウスローン(南庭)には、数千人の報道陣と、厳選された招待客、そして軍関係者が、ひしめき合っている。
その熱気は、初夏の陽気によるものだけではない。
誰もが予感していたのだ。
今日この場所で、世界の歴史が変わる何かが発表されると。
特設ステージの最前列、VIP席。
俺、八代匠は、サングラス越しに、その狂乱の予兆を眺めていた。
隣には、同じく正装に身を包んだアルカディアのメンバーたちが座っている。
「……マスター、なんか空気すごくないですか?」
リンが小声で囁く。
彼女は周囲の体格の良い軍人たちに圧倒され、少し縮こまっている。
「ああ。これから始まるのは、ただの記者会見じゃない。
『宣戦布告』だからな」
俺は足を組み直した。
日本が「鑑定レンズ」という技術で世界をリードしようとした矢先、アメリカはその巨体で、強引に盤面をひっくり返しに来た。
その象徴が、今まさにステージ中央に鎮座している、白い布で覆われた巨大な物体だ。
――『進化の秘蹟覚醒の聖杯』。
俺が鑑定し、その恐るべき効果を保証した神話級アーティファクト。
大統領は俺の言葉を信じ、国の運命を懸けた賭けに出ることを決めたのだ。
ファンファーレが鳴り響く。
海兵隊の演奏による『星条旗よ永遠なれ』。
その勇壮な旋律と共に、ホワイトハウスのバルコニーから一人の男が現れた。
アメリカ合衆国大統領。
その顔には、数時間前の焦燥や不安は微塵もない。
あるのは、世界を支配する覇王のような漲る自信と、危険なほどの 高揚感(ユーフォリア) だ。
『親愛なるアメリカ国民よ!
そして、全世界の自由を愛する人々よ!』
マイクを通した第一声が、ビリビリと空気を震わせる。
大統領は演台に手をつき、まるで獲物を狙う鷲のような鋭い眼光で、聴衆を見渡した。
『かつて我々の国は、「宇宙」を目指した。
かつて我々の国は、「インターネット」という海を拓いた。
我々は常に、未知へのフロンティアを切り拓く先駆者であり、世界を導く 松明(トーチ) であった!』
彼は拳を握りしめる。
『だが!
ここ数ヶ月、我々はその座を脅かされていた!
突如として現れた「ダンジョン」という脅威。
そして、それに対する対応の遅れ。
極東の同盟国・日本からは、「レンズ」という素晴らしい発明が生まれた。
世界は言った。
「これからは情報の時代だ」
「繊細な技術こそがダンジョン攻略の鍵だ」と!』
会場が静まり返る。
日本の技術的優位を認める発言に、聴衆が息を呑む。
だが、それは次の言葉への助走に過ぎなかった。
『……ナンセンスだ!!』
大統領が一喝した。
唾が飛ぶほどの勢いだった。
『情報? 分析? そんなものが何になる!
モンスターが襲ってきた時、君たちは「レンズ」で相手を観察して死ぬのか?
違う! 断じて違う!
我々に必要なのは、敵を粉砕する「 力(パワー) 」だ!
理不尽な暴力をねじ伏せる、より強大な「正義の暴力」だ!』
ドッと会場が沸く。
分かりやすい。
あまりにもアメリカ的で、単純明快な論理。
『日本が「見る」力を選んだのなら、我々は「殴る」力を選ぶ!
見よ!
これこそが神がアメリカに与えたまいし、約束の証だ!』
大統領が合図を送ると、屈強な兵士たちが覆いを引き剥がした。
初夏の日差しを浴びて、黄金と白銀の輝きが爆発する。
『覚醒の聖杯』。
その神々しい姿が露わになった瞬間、数千人の観衆からどよめきが上がり、無数のカメラのシャッター音が機関銃のように鳴り響いた。
『これは、ただの美しい工芸品ではない。
これは「進化装置」だ!
この聖杯に魔石を捧げることで、人間は限界を超えた力を手に入れることができる!
選ばれた才能ある者だけではない。
勇気ある兵士、名もなき市民、誰であってもだ!
資源さえあれば、誰もが 英雄(ヒーロー) になれるのだ!』
大統領は両手を広げ、陶酔した表情で空を仰いだ。
『我々はこの聖杯を用いて、全米軍兵士、および登録済みの探索者を強化する!
レベルの壁? 才能の限界? そんなものは過去の話だ!
我々は金と資源の力で、生物学的な限界を突破する!
これよりアメリカは、人類史上初となる「超人軍団」を編成し、
ダンジョンの最深部を、そして世界の覇権を、圧倒的なスピードで制圧するだろう!』
その宣言は、熱狂というよりも衝撃として受け止められた。
誰もが言葉を失っている。
あまりにも規模が大きすぎて、理解が追いつかないのだ。
だが大統領は、さらに畳み掛ける。
この計画を実現するための、具体的な、そしてあまりにも強引な「経済政策」を。
『しかし!
この聖杯を稼働させるには燃料が必要だ!
大量の、山のような、海のような「魔石」が!
そこで私は大統領令を発動し、連邦政府による大規模な予算措置を決定した!』
彼は指を三本、突き立てた。
『本日この瞬間より、アメリカ政府は探索者が持ち込む全ての魔石を……
現在の市場価格の「3倍」で買い取る!!』
――3倍。
その数字がスピーカーから放たれた瞬間、会場の空気が爆発した。
悲鳴、歓声、怒号。
すべてが混ざり合ったカオス。
『繰り返す! レートは3倍だ!
F級の小石だろうが、S級の宝玉だろうが関係ない!
全ての魔石を政府が、言い値の3倍で買い上げる!
予算の上限はない!
輪転機を回せ! ドルを刷れ!
その紙切れを、力(魔石)に変えるのだ!』
狂っている。
経済学者が聞けば卒倒するような暴挙だ。
魔石の価格を人為的に吊り上げれば、アメリカと日本の相場が崩壊する。
全ての物価が変動し、ハイパーインフレの引き金になりかねない。
だが探索者にとって、これほど甘美な誘惑はない。
今まで1万円で売れていた石が、明日から3万円になる。
100万円の石が300万円になる。
同じ労働で、利益が3倍になるのだ。
『国民よ! 武器を取れ! ダンジョンへ潜れ!
若者よ、魔石を掘り出せ!
君たちが持ち帰る、その石ころ一つ一つが、
アメリカを再び偉大にする燃料となる!
金持ちになりたいか? 強くなりたいか?
ならば魔石を持ってこい!
ホワイトハウスが、全て買い取ってやる!』
大統領の顔は興奮で真っ赤に紅潮している。
有頂天。
まさにその言葉がふさわしい。
彼は自分が、歴史に残る偉業を成し遂げたと確信している。
『我々は再び偉大な存在になった!
日本がレンズで足元を見ている間に、我々は空を飛ぶ!
ダンジョン覇権国家として世界をリードしていくのは、
このアメリカ合衆国だ!
神の祝福あれ!
そしてアメリカに栄光あれ!!』
演説が終わると同時、会場のどこかから声が上がった。
「USA!!」
それは瞬く間に伝播し、数千人の合唱となった。
「USA! USA! USA!」
地鳴りのようなチャント。
拳を突き上げ、星条旗を振り回す人々。
誰もが目に欲望の火を灯し、熱狂している。
魔石を売れば金になる。
聖杯を使えば強くなれる。
シンプルで、力強くて、暴力的な「アメリカンドリーム」の復活だ。
VIP席の俺たちは、その熱狂の渦の中心にいた。
鼓膜を揺らすシュプレヒコール。
肌にビリビリと伝わる、集団心理の圧力。
「うわぁ……。
生USAだなー……」
俺はサングラスの奥で目を細め、ぽつりと呟いた。
呆れているのではない。感心しているのだ。
この国の人々は、スイッチが入った時の爆発力が違う。
理屈じゃない。勢いだ。
「マスター、なんか……怖いくらいですね」
リンが耳を塞ぎながら、叫ぶように言う。
「みんな目が血走ってますよ。
魔石3倍って聞いて、今すぐダンジョンに行きそうな勢いです」
「実際に行くだろうな。
今日から全米のダンジョンは満員御礼だ。
コンビニのバイトを辞めてツルハシを買う若者が急増するぞ」
隣で静かに拍手をしていた雫も、冷静な口調で分析を加える。
「……3倍レートでの無制限買取。
経済的には自殺行為に近いですが、短期的には最強の刺激策です。
世界中の傭兵やフリーの探索者が稼ぎを求めて、アメリカに流入するでしょう。
魔石の『ブラックホール』が生まれます」
「そして、そのブラックホールに、俺たちが輸出した『鑑定レンズ』を持った日本の探索者や、俺たちアルカディアが、高値で魔石を売りつけるわけだ」
俺はニヤリと笑った。
田中がステージ上の聖杯を見つめながら、ゴクリと喉を鳴らす。
「でもマスター、あの聖杯……すごそうですね。
あれを使えば、俺ももっとカチカチになれるんでしょうか?」
「なれるさ。
ただし、今のレートで計算しても、一人分の強化コストは約四十億円になる。
大統領は『誰でも英雄に』なんて言ってるが、実際にあの杯の水を飲めるのは、国に選ばれた一部のエリートか、あるいは破産覚悟で全財産を突っ込んだ馬鹿だけだ」
そう。
この熱狂の裏には、残酷な計算式がある。
アメリカ政府はこれから、湯水のように予算を溶かすことになる。
だが、その過程で産出される魔石の量は桁外れになるだろう。
市場に魔石が溢れ、しかし価格は政府保証で高止まりする。
俺のような「効率的に狩れる側」にとっては、これ以上ないボーナスステージだ。
「USA! USA! USA!」
チャントは鳴り止まない。
大統領は満面の笑みで手を振り、ファーストレディと抱き合っている。
彼は知らないのだ。
自分が掲げたその聖杯が、やがて国庫を食いつぶす「魔法の杯」になることを。
そして、その杯を満たすために、俺という商人に莫大な利益を吸い上げられる未来を。
「……見ろよ、あの笑顔。
最高の気分だろうよ」
俺は足を組み、ステージ上の権力者を眺めた。
彼は本気で信じている。
金と筋肉でダンジョンを制圧できると。
その純粋な欲望が、俺の計画を加速させる。
「さあ、帰るぞ。
日本に戻ったら忙しくなる。
倉庫に眠っているF級魔石の在庫を一掃する準備だ。
向こうが3倍出すと言ってるんだ。腐るほど送りつけてやろう」
俺たちは席を立った。
熱狂する群衆を背に、俺の足取りは軽かった。
アメリカが叫ぶUSAコールのリズムが、俺には金貨がチャリンチャリンと落ちる音にしか聞こえなかった。