作品タイトル不明
第10話 ランクの壁と、帰還難民たちの行列
港区のオフィス。
その広大なフロアの一角に設けられたミーティングスペース。
俺はホワイトボードの前に立ち、手にしたマーカーのキャップを外した。
目の前のソファには、我がギルド「アルカディア」の精鋭たちが座っている。
もはや顔なじみとなった、神崎リンとタンク役の田中。
そして最近正式加入した、魔術師見習いの少女――名前はまだハンドルネームで「ウィズ」と呼んでいる――たちだ。
彼らの装備は、一ヶ月前とは比較にならないほど洗練されている。
俺がオークションで買い漁った素材と、ダンジョンで回収させたドロップ品を組み合わせてクラフトした、現時点での「理論値最強」に近い装備群。
だが、装備だけでは勝てない領域に、我々は足を踏み入れようとしていた。
「さて、今日は少し座学をやるぞ。
ダンジョンの『 構造(システム) 』についての話だ」
俺がボードに大きく『F』『E』『D』と書き込むと、リンが露骨に退屈そうな顔をして、欠伸を噛み殺した。
「えー、リーダー。そんなの知ってますよ。
Fが一番簡単で、Dが難しいんでしょ?
現に私たち、もうD級ダンジョンを周回してるじゃないですか」
「分かった気になっているのが、一番危ないんだよ、リン。
お前たちのレベルは、今いくつだ?」
「えっと、25です」
リンが得意げに胸を張る。
レベル25。
この短期間でここまで上げたのは、驚異的と言っていい。
一般の探索者たちがF級の浅い階層で泥遊びをしている間に、俺たちは効率的なレベリングルートを確立し、駆け抜けてきたからだ。
「そう、25だ。
だが、なぜそこで止まっているか分かるか?
ここ数日、経験値の入りが悪くなっていると感じないか?」
「あ、それは思います!
なんかゲージが全然伸びないっていうか……」
田中が身を乗り出して同意した。
「それは『レベルキャップ』と、『適正レベル』の壁にぶち当たっているからだ」
俺はボードに図解を書き込んでいく。
これから挑む深淵の 理(ルール) 。
それを知らなければ、これ以上の成長はない。
「いいか。ダンジョンには明確なランク分けがある。
下から、F、E、D、C、B、A、S、SS、SSS。
これが基本の階級だ」
俺はFからSSSまでの階段を描いた。
「さらにBランクからは『下位』『中位』『上位』というサブカテゴリが存在する。
Aランクからは『超位』なんて区分も出てくるが、まあそれは当分先の話だ。
重要なのは、各ランクに設定された『レベル 上限(キャップ) 』だ」
俺は数字を書き加えた。
・F級:レベル10
・E級:レベル20
・D級:レベル30
「基本的には、10刻みで上限が解放されていく。
お前たちが最初に潜ったF級ダンジョンでは、どれだけゴブリンを虐殺しても、レベル10以上にはなれなかったはずだ。
次のE級を解放し、そこに入場することで、初めてレベル11への道が開ける」
「ああ、確かにそうでしたね。
F級のボスを倒して『E級許可証』をもらってから、急にまたレベルが上がり始めました」
ウィズが納得したように頷く。
「そうだ。
だが、ここからが落とし穴だ。
『上限が30だから、レベル30まで上げればいい』という単純な話じゃない」
俺はD級の横に書いた『30』という数字に斜線を引き、『25~26』と書き直した。
「システム上の上限は30だが、実際にはレベルが上がるごとに必要経験値は指数関数的に跳ね上がる。
一方で、その階層のモンスターから得られる経験値は固定だ。
つまり、カンスト(上限)まで上げるには、天文学的な数のモンスターを狩る必要がある。
効率が悪すぎるんだ」
「……なるほど。
だから『実質上限マイナス5』くらいが適正ってことですか」
「その通りだ。
お前たちが今レベル25で足踏みしているのは、D級ダンジョンにおける『成長の 限界点(ソフトキャップ) 』に達しつつあるからだ。
これ以上ここで粘っても時間の無駄だ。
次の『C級』を目指すべきタイミングに来ている」
俺の説明に、メンバーたちは神妙な面持ちになった。
ゲームであれば「カンストしてから次へ行く」のが定石かもしれない。
だが、この 現実(リアル) では時間は有限だ。
もっとも効率の良い「美味しい期間」だけを吸い尽くして次へ進む。
それが俺のやり方だ。
「次に、『ドロップ品』の法則についてだ」
俺はボードの空いたスペースに剣の絵を描いた。
「みんな、D級ダンジョンで『すげえ強い武器』が落ちることを期待しているよな?
だが現実はどうだ?」
「うーん……まあF級よりはマシなのが落ちますけど、劇的に強いってわけじゃないですね。
店売りの方がマシなレベルのゴミも多いし」
リンが不満そうに言う。
「それは『ドロップするアイテムのレベルは、ドロップ 主(モンスター) と同じレベルになる』という絶対法則があるからだ」
俺は強調線を引いた。
「レベル25のオークを倒せば、レベル25相当の性能を持つ剣が落ちる。
レベル100の魔剣が、いきなり落ちることはない。
つまり強くなりたければ、より強い敵――より高ランクのダンジョンに挑むしかないんだ。
宝くじのような一発逆転は、基本的には存在しない」
「……『基本的には』ってことは、例外があるんですか?」
田中が鋭い質問を投げてきた。
さすがタンク役。守るべき利益には敏感だ。
「いい質問だ。
例外は一つだけある。
それが『ユニークアイテム』だ」
俺は首元の『清純の光輪』を指で弾いた。
「ユニークアイテムだけは、アイテムレベルの概念を超越した『固有効果』を持っている。
F級で落ちようが、S級で落ちようが、その 特殊能力(ユニークスキル) 自体は変わらない。
だからこそ価値がある。
だがそのドロップ率は……まあ、知っての通りだ」
「F級じゃ都市伝説レベル。
D級からようやく『出るかもしれない』ってレベルですよね」
「そうだ。
そしてもう一つの入手手段が『可能性のオーブ』によるガチャだが……」
俺は手元にあった茶色いオーブを軽く放り投げた。
「これは俺の『万象の創造』のようなチートスキルがない限り、ただの博打だ。
99%の確率でゴミになる。
一般人が手を出していい代物じゃない」
そこまで話して、俺はメンバーたちの顔を見渡した。
彼らはレベル25。
この世界におけるトップランナー集団だ。
「さて、ここからが本題だ。
お前たちの『ビルド』について」
俺は手元のタブレットを操作し、全員のステータスツリーをモニターに映し出した。
複雑怪奇な星座のように広がるパッシブスキルツリー。
レベルが1上がるごとに1ポイント。
現在レベル25なので、初期ポイントを含めて約24~25ポイントを割り振れる計算だ。
「24ポイント。
これだけあれば、ある程度の『型』が出来上がる。
一般の探索者はこの貴重なポイントを『最大HP増加』や『属性耐性』といった生存系ノードに振らざるを得ない。
死にたくないからな」
モニター上の一般的な探索者のツリー例を示す。
守備的なノードばかりを取得し、肝心の火力スキルに届いていない「器用貧乏」な形。
「だが、ウチは違う」
画面を切り替える。
リンのツリー。
そこには防御系ノードを一切無視し、クリティカル率とクリティカル倍率のノードだけを一直線に取りに行く、狂気のような「極振り」が表示されていた。
「うわ、極端……」
ウィズが引いている。
「これでいいんだ。
なぜなら防御面は、俺が配った『清純の光輪』や、特製のHP盛り盛りアーマーで完結しているからだ。
パッシブスキルでHPを取る必要がない分、その全てを『特化分野』に注ぎ込める」
これこそが、ギルド「アルカディア」の最強たる所以だ。
装備による圧倒的な防御リソースがあるからこそ、スキルポイントを攻撃に全振りできる。
結果、同レベルの他プレイヤーと比べて火力は二倍、三倍の差がつく。
「リンはクリティカル特化。
田中はブロック率とヘイト管理特化。
ウィズはマナ再生と詠唱速度特化。
それぞれの 役割(ロール) が完成しつつある」
「リーダーはどうなんですか?
最近、二刀流してるとこ見ましたけど」
「俺か?
俺はまあ……進捗10%ってところだな」
俺は肩をすくめた。
レベルは彼らと同じ25まで上げているが、俺自身が前線で剣を振るうことは稀だ。
基本的には後ろで指示を出し、ドロップ品を鑑定し、いざという時に『ポータルの巻物』を開く係だ。
俺のビルドは「 二刀流(デュアル・ウィエルダー) 」を目指しているが、それは戦闘用というよりは将来的に「二つの武器の特性を同時に発動させる」ための、実験的な意味合いが強い。
まあ俺の装備は全身が自作のユニークまみれなので、素殴りでもそこらのボスより強いのだが。
「さて、座学はここまでだ。
各自、次のC級攻略に向けて準備を進めてくれ。
解散」
メンバーたちが立ち上がり、それぞれの業務に戻っていく。
俺は一人、窓の外を見下ろした。
平和に見える東京の街。
だが、その地下深くでは、ある「経済的事件」が静かに、しかし確実に進行していた。
◇
数日後。
恐れていた、いや予測していた事態が、ついに表面化した。
その予兆は、やはりSNSから始まった。
『ポータルの巻物、どこにも売ってないんだけど!?』
『5000円だったのが、今見たら12000円になってる……』
『大手ギルドが買い占めてるって噂、マジ?』
「ダンフロ黎明期名物、『ポータルの巻物』暴騰イベント……来たな」
俺はオフィスのデスクで、複数のモニターに映し出された市場データを眺めながら呟いた。
「ポータルの巻物」。
ダンジョン攻略における命綱であり、最も消費される消耗品。
これを使えば、ダンジョンの深層から一瞬で地上の入り口まで帰還できる。
逆に言えば、これがなければ「歩いて帰る」しかない。
初期の混乱期。
ポータルの巻物はドロップ品として市場に溢れ、政府買取価格も安かったため、探索者たちの間で「5000円くらいで買える便利アイテム」として定着していた。
だが、状況は変わった。
レベルが上がり、探索範囲がF級からE級、D級へと広がるにつれて、探索にかかる時間は長くなる。
往復の移動コスト(時間と体力)が、無視できなくなってきたのだ。
そこで目をつけたのが、資本力のある「企業勢」や、後発の「新規大型ギルド」たちだ。
彼らは気づいたのだ。
「ポータルを制する者が、効率を制する」と。
そして「市場の流通量を絞れば、いくらでも値を吊り上げられる」ということに。
俺は、とある大手掲示板のスレッドを開いた。
【悲報】サン・ミゲル商事、ポータルの巻物を一括購入か?
【怒り】転売ヤー死ね。帰りの電車賃より高いとか、ふざけんな。
【現地報告】D級ダンジョン前、巻物難民が溢れかえってる。
「……阿漕な真似をしやがる」
画面の向こうで起きている惨状が、目に浮かぶようだ。
5000円だったものが、1万、2万。
そして今は5万円近くまで高騰している。
一般の探索者にとって、一回の探索で5万円の経費は痛すぎる。
ドロップ品の売却益が吹っ飛んでしまうレベルだ。
結果、どうなるか。
「節約」だ。
「帰りは歩けばいいや。行きは元気だし」
そう考えてポータルを持たずにダンジョンに潜る。
これが地獄の入り口だ。
俺はスマホを取り出し、リンに連絡を入れた。
『>俺:
D級ダンジョンの入り口付近、様子を見てきてくれ。
おそらく「徒歩帰還組」で溢れているはずだ。』
『>リン(カレン):
了解です。ちょうど今、新宿のD級ゲート前にいますけど……うわ、すごいです、これ。
なんか難民キャンプみたいになってます。』
送られてきた写真には、ゲート広場に座り込み、泥のように疲弊した探索者たちの姿が写っていた。
彼らは皆、重そうなリュックを背負い、装備はボロボロ。
目は死んだ魚のようになっている。
俺はその写真を見ながら、冷徹に分析する。
ダンジョンというのは、行きは良い。
体力も満タン。ポーションも満タン。インベントリ(荷物)は空っぽだ。
モンスターを倒しながら進む高揚感もある。
だが、帰りは違う。
HPは削られ、ポーションは尽きかけ、何よりリュックには重いドロップ品が詰まっている。
精神的にも肉体的にも、限界に近い状態だ。
そこで「ポータルがない」という事実は、絶望的な重圧となる。
さらに厄介なのが「リポップ(再湧き)」だ。
ダンジョンのモンスターは一定時間で復活する。
行きで倒したはずの敵が、帰り道にはまた復活して待ち構えている。
つまり、ボロボロの状態で重い荷物を背負って、来た時と同じ数の敵をもう一度倒しながら戻らなければならない。
これを「デス・マーチ(死の行軍)」と呼ばずして、何と呼ぶ。
「……笑えるけど、実際問題、笑い事じゃないな」
俺は椅子に深くもたれかかった。
このままでは死者が急増する。
疲労困憊の状態での戦闘は判断ミスを招く。
「あと少しで出口だ」という油断が、命取りになる。
それに経済的にも損失だ。
彼らが死ねば、持ち帰るはずだったドロップ品(資源)がダンジョンに消える。
俺の 商売(オークション) にとってもマイナスだ。
「……介入するか」
俺は倉庫へ向かった。
そこには俺が初期からコツコツと買い溜め、あるいはメンバーに回収させてきた『ポータルの巻物』が、段ボール箱で山積みになっている。
その数、およそ一万本。
今の市場価格で売り抜ければ、数億円の利益にはなるだろう。
企業勢と同じように高値で売りさばいて大儲けするのも悪くない。
だが、それは「二流」のやり方だ。
俺は「無職のギルドマスター」。
目先の金よりも、もっと大きな「支配」を望む男だ。
俺は再びPCの前に座り、X(旧Twitter)を開いた。
そして全世界の探索者に向けた、救済と挑発のメッセージを打ち込んだ。
『@Takumi_Yashiro
【緊急告知】
ポータルの巻物が高騰して困っている探索者諸君へ。
転売屋や買い占め勢に屈して、命を削って歩いて帰るのは馬鹿げている。
ギルド「アルカディア」は本日より、ポータルの巻物の「定額放出」を行う。
価格は1本6000円。
ほぼ原価だ。
ただし条件がある。
購入できるのは「アルカディア」の友好クラン、または今後我々と提携を結ぶ意志のあるパーティのみとする。
我々の傘下に入れとは言わない。
だがこの恩を忘れるな。
販売場所は港区オフィス、および各ダンジョン前の臨時出張所にて。
転売目的の購入は「鑑定」で見抜くので、そのつもりで。』
送信。
これこそが俺の狙いだ。
市場価格5万円のものを、6000円で売る。
金銭的には大赤字に見えるかもしれない。
だが、これで得られる「恩」と「コネクション」、そして「影響力」は、金では買えない価値がある。
中小のギルドや有能なソロ探索者たちが、こぞって俺たちの窓口に並ぶだろう。
彼らは巻物を手に入れる際、必ず俺たちのギルド名を刻み込む。
「アルカディアに助けられた」と。
それは将来、彼らがレアアイテムを手に入れた時。
あるいは俺が大規模な 作戦(レイド) を仕掛ける時。
強力な求心力となる。
企業勢が「金」で市場を支配しようとするなら、俺は「徳」と「貸し」で市場を支配する。
どちらが最終的に強いか、教えてやろう。
「さて、忙しくなるぞ」
俺はインターフォンを押し、別室に控えていた事務員たち――最近雇った、数字に強い一般人たちだ――を呼び出した。
「倉庫の在庫を解放する。
各ダンジョン前への配送手配を頼む。
あと、転売対策のブラックリスト作成も急げ」
「は、はい! 全量ですか!?」
「ああ、全量だ。
市場価格が暴落するまで、徹底的にばら撒くぞ」
俺は獰猛に笑った。
買い占めを行っている企業連中、今頃青ざめていることだろう。
俺が在庫を放出すれば、彼らが釣り上げた相場は一瞬で崩壊する。
高値掴みした大量の在庫を抱えて爆死するがいい。
「リーダー、性格悪いですねぇ(褒め言葉)」
戻ってきたリンが、スマホの画面を見ながらニヤニヤしている。
Xのタイムラインは俺への称賛と、転売ヤーへのざまぁみろコールで溢れかえっていた。
「性格が悪い? 人聞きが悪いな。
俺はただの『親切な無職』だよ」
俺はコーヒーを啜った。
苦味が心地よい。
窓の外、夕暮れの空には一番星が光っていた。
ダンジョンの深層で帰り道に絶望していた探索者たちにとって、今日の俺の投稿は、まさにあの星のような希望の光に見えたことだろう。
さあ、もっと崇めろ。
もっと依存しろ。
この世界のインフラは、全て俺が握る。
ポータルショック。
それは後に「アルカディアの奇跡」と呼ばれることになる、俺の最初の大規模な市場介入だった。