軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

ソイル山古城

レムルシル帝国とリヨン王国の軍事同盟締結。

予めアルフレッド皇太子とラウル王太子との間で密約が交わされていた事もあって、同盟の締結は滞り無く行われる。

帝都シムルグから姿を消し、突然リヨン王国に姿を現したコーネリア皇女が帝国の代表として調印した。ここから先はアルフレッドが前もって派遣しておいた経験豊富で信頼の置ける官僚が、王国側と細部を詰めてくれるはずだ。これらは政務外交という文官たちの領域なので、ウィンたちにできる事はもう何もなかった。

ウィンたちのこれからの予定は、同盟を結んだ事で派生する様々な案件を追認するために残るコーネリアの護衛と、エルツを旅立つときにアルフレッドから下命されたコンラート・ハイゼンベルクとサラ・フェルールが遺した遺産について、リヨン王国に情報開示とその調査を求める事だ。

宴が開かれた翌日の朝。

その日はレムルシル帝国とリヨン王国の軍事同盟が締結される予定だった。

広間に用意された朝食の会場には、コンラート・ハイゼンベルクの遺産について聞かされている者だけが招待されていた。すなわち、ラウル、ウィン、レティシア、コーネリアの四人だ。

給仕によって朝食が準備されると、ラウルはすぐに人払いをした。

「朝食の席だが、今は時間が惜しい。食べながら話を聞いてくれ」

ラウルはそう言うと、自身さっさと目の前の卵料理に手を伸ばす。

同盟文書の大筋はアルフレッドと詰めてあるとはいえ、同盟に付随して発生するであろう様々な案件の処理も急がねばならない。王太子というだけではなく、一軍を預かる将でもあるラウルは多忙を極めていた。

「ウィン君。君にも重要な役割がある。勇者の師というだけでなく、皇女殿下の従士として君にも協力してもらう。調査結果を確認できる他国の人間が必要だ。証人として君であれば、不足は無い」

ウィンはコーネリアの顔を窺った。ウィンの主は彼女なのだ。そのコーネリアはウィンの顔を見ると、小さく頷く。

「わかりました。まずはお話を聞かせてください」

「事の始まりは、コンラート・ハイゼンベルクの拠点だった古城に派遣していた者たちから、急報が届けられた事にある」

そしてラウルは話し始めた。

◆◇◆◇◆

魔物との戦いが一応の終結を迎えた今、民衆に最も好まれる物語は、魔王を滅ぼした勇者レティシア・ヴァン・メイヴィスの活躍を称えるものである。

多くの吟遊詩人、説話師が、彼女の足跡を辿り、それぞれ独自の解釈で様々な物語を綴って、民衆に提供した。

そうした物語の一つに、勇者メイヴィスが邪神復活を企む邪教の儀式を阻止し、生け贄となった乙女を救出したという話があった。

説話師、脚本家によっては、乙女が王子になったりもするが、舞台となった国がリヨン王国でリヨン王国王太子ラウル・オルト・リヨンが、勇者メイヴィスの仲間となって最初に遭遇することになった有名な戦いだったことで、リヨンの国民の間では特に人気が高い物語だ。

レムルシル帝国からリヨン王国に続くマジル山脈。

四千メートル級の山々が連なるこの山脈に、地元の者たちからはソイル山と名付けられた山があった。

その山の中腹あたり、周囲に生える背の高い針葉樹の間から突き出しているように見える古城があった。

巨大な石材が幾つも使われていて、見るものにとても重厚な印象を与える。

古城の付近には町も村もなく、人が足を踏み入れるには不便そうなこの土地に、どうしてこのような古城が建っているのか。

古城付近の様子を注意深く観察すれば、その答えは容易に知れるだろう。

背丈の低い灌木が生い茂り、枯れ葉や苔によって覆い隠されているが、ところどころに石で作られた階段や、崩れた石壁のようなものが見られる。それらがソイル山の中腹部の広い範囲で残されているのだ。

また、リヨン王国の王立図書館に保管されている古文書や古地図を調べれば、この古城についての記述を見つけることができる。それらの文献によると、古城は数百年も昔に栄えた大陸覇権国家、古代レントハイム王国時代の貴族が建てたもので、周囲には城下町が広がっていた。しかし、王国末期に蛮族によって攻撃を受けて、城主の一族は戦死。町は焼かれて滅ぼされた。

山間部の中腹にある町の出入りには、現在は失われた魔法を用いた移動手段を利用していたのだが、町が焼かれた際にその手段を紛失。わずかに残った生存者たちも、不便となった町を離れて行き、その後、数百年の後に一人の魔導師が古城を拠点とするまで、人々に忘れ去られてしまっていた。

そう、この魔導師こそ、物語の中で邪神復活を目論み、勇者メイヴィスによって倒された邪悪なる魔導師コンラート・ハイゼンベルク。そして、勇者メイヴィスと魔導師コンラートが対決したとされる場所こそが、この古城なのである。

『大賢者』候補にもなった、旧セイン王国宮廷魔導師コンラート・ハイゼンベルク。

セイン王国滅亡後、魔王を滅ぼすための研究のために各国を渡り歩き、最後に拠点と定めた場所。

勇者と対決して敗れた後、古城にはコンラートの遺した多くの品々があった。

床に一滴でも零しただけで、猛毒の煙が発生し数千人を殺してしまう薬品。

並の魔導師では、開いただけで即死してしまう呪いが施された魔道書。

精霊、魔族といった人外を召喚する鏡など。

それらは、取り扱いを間違えると町一つを一晩で死の町に変えてしまう物や、使い方によっては国一つ転覆させられる物など、禁忌とされるべき危険な品々が存在した。

魔道の奥義が尽くされたそれらは、リヨン王国の優れた宮廷魔導師をもってしても、容易に解析できるものではなく。迂闊に手を出す事すら許されないものばかり。世に出してはいけない禁忌の品々を前にリヨン王国の高官は、古城ごと厳重な魔法の封印を施すことにした。

更に信用の置ける数名の騎士と魔導師を管理官として派遣し、何者も近づけないように手配したのである

古城の中へと続く扉の前は、それまで続いていた針葉樹の森が突然開けていて、かつては前庭だったと思われる。

地面には丁度手のひらくらいの大きさの石が敷き詰められているせいで、針葉樹が生えなかったのだろう。脇の方には花壇のようなものの痕跡も見受けられる。当時は訪れる客を楽しませるため、四季折々の花々が咲き乱れていたに違いない。しかし今は見る影も無く、石と石の間からは雑草が生え、花壇には根の深そうな背丈の高い草が生えていた。

その広場の一角に木材を使用して建てられた、簡素な小屋があった。

勇者とコンラートの対決後、リヨン王国から派遣された管理官たちが住むために建てられた小屋である。

管理官となった者たちは、半年を任期として交替で務めることになった。

その中の一人。年老いた騎士ギドマンもまた、管理官としてこの古城の側に建てられた小さな詰め所へ着任していた。同僚となる他の管理官たちも、彼よりは少し歳若かったが似たような年齢の者たちばかりである。

王国騎士団上層部にとっても、軍に功績厚く退官間近な彼らに、最後は日々の業務に追われる事の無い、静かに退官まで残り少ない時間を過ごせる任地を用意してくれたのだろう。

騎士として華々しい戦果とは無縁の場所だが、退役間近な彼らには、手柄を挙げて出世しようといった欲は無い。退官後は退職金と年金を受け取って、静かに 余生を送るつもりの彼らにとって、家族と離れて暮らす寂しさを除けば、文句の無い任地だった。そもそも、軍に所属している以上、いざ何か事が起こったならば、祖国を離れて遥か遠方の地まで馳せ参じるのが彼らの職務。そう考えるならば、家族と離れて暮らす事ですら、そう大きな問題ですら無いのかもしれない。

魔物や熊や狼といった野生の獣に出会う危険はあるが、それでも生死と隣合わせだった戦場に比べれば遥かに平和で長閑な場所である。

ただ、刺激のある生活を求める気力はもう無かったが、それでも娯楽の類が一切存在しない山奥での任務は想像以上に退屈を極めた。

そこでギドマンは、暇を紛らわすために森を少し切り拓くと小さな畑を作った。

ここでは振るわれる機会が少なそうな剣を置き、農夫が振るう鍬を手にしたのである。

畑を作り、作物を育てる。

この古城周辺一体は、王国が管理している土地だが、どうせここへ人が訪れる事は滅多にない。せいぜい月に二度の割合で、麓の町から生活物資と食糧を届けに来る軍に雇われた人足くらいのものだ。少し森を切り拓き、自分たちが食べるだけの野菜を育てる程度のささやかな畑ならば、不問とされる。

管理官の主だった仕事は、稀に古城の事を遺跡と勘違いして訪れる冒険者や、古城を根城にしようと進入する野盗を追い払うくらいだ。

畑作業をする時間はいくらでもあったし、良い暇つぶしにもなる。

同僚の管理官たちも自分たちで畑を作る事に興味を示し、慣れない畑作業に一同勤しむことになった。

畑作業の知識、植える予定の作物のことに関しては、詰め所へ一緒に詰めている二人の魔導師がわざわざ書籍商から書物を取り寄せてくれた。

魔導師たちも暇を持て余していたのか、彼らも薄手の作業着に着替えると、せっせと小さな石を除去したり草を抜いたりと手伝ってくれた。

ギドマンにとって魔導師といえば、暗い部屋の中に閉じこもって書物を読みふけり、実験に明け暮れる陰気な野郎という印象を持っていたので、積極的に肉体労働に明け暮れる彼らの姿に意外の念を覚えた。

最も、こんな場所では読む書物も無ければ、実験も限られたものしか出来ないからかもしれない。

かつて道があった名残の石畳の石材を取り除き、地中深くに残っている木の根を掘り起こして取り除く。それから土を耕し、日当たりを良くするために木に登って邪魔な枝を切り払う。剣を握って戦場を駆け回って来た彼らに取って、慣れない作業ばかりだったが、仲間たちと一緒にする作業は、なかなかに楽しいものだった。

「自分たちの手で作った作物は、格別美味しいに違いない。騎士を退役したら家督は息子にさっさと譲って、貰った退職金でどこかの村に土地を購入して畑でも作ろうか」

そんなことを言い出す者までいた。

「足腰も弱らんだろうしな」

騎士も魔導師も関係なく、その言葉に皆がどっと笑う。

騎士と魔導師が交流する事は滅多とない。武器と己の肉体を頼りに戦う騎士と、魔法と知識を武器にして戦う魔導師は、リヨン王国でも多くの例に漏れず、仲が良いとは言えなかった。しかし畑作りを共にすることで、お互いに協力し合い管理官たちは結束を強める事ができていた。これは嬉しい副作用。

(任期が明けたら、畑作業の事も報告しておく事にしよう)

国が管理する土地を勝手に開梱したことに、渋い表情をされるかもしれないが、貴重な体験談だ。いずれ前線の砦などで畑が作られるような日が来るかもしれない。

そんな事を夢想しつつギドマンが鍬を振るっていた時、不意に大きな揺れが管理官たちを襲った。

足下から空に向かって突き上げられるような大きな揺れ。

体格の良い老管理官の身体が、宙に浮き上がるほどの衝撃だった。

思わず鍬を手放すと、身体のバランスを取ろうとする。

周囲の木々が轟々と唸りを上げて揺れていた。

立っていられない程の大きな揺れに、ギドマンは地面に手をつき四つん這いとなった。

ドーン、ドーンと大きな音が断続的に聞こえてくる。

舞い上がった粉塵でよく見えなかったが、古城の天井や外壁が崩落しているのかもしれない。

ギドマンの近くでもメキメキッという何かが軋む音がしたかと思うと、轟音と共に詰め所の小屋が倒壊した。

その煽りを受けて小さな木片や小石が飛んできたので、頭と顔を両手でかばう。

揺れ続けたのはどのくらいの間の事だったのか。

ようやく揺れが収まって、ギドマンは立ち上がった。

何となくまだ身体が揺れているような感覚を覚えるが、おそらく気のせいだと思われる。

「おい! みんな大丈夫か!?」

大声を出すと、宙に舞う粉塵の奥から全員の返事が聞こえてきた。

「うわあ……こりゃあまた酷いことになってるな」

小屋は見事なまでに崩れ落ちていた。

幸いなことに、畑作業のため全員が開けた場所へと出ていたため、誰も小屋の崩壊に巻き込まれず、負傷者はいなかった。

「今の地震は何だったんだ? 山が火でも噴いたのか?」

マジル山脈に連なる山々の中には、火山も存在していて数十年に一度噴火することがあった。もしも先程の地震が、噴火によるものであったなら、すぐに麓まで避難しなければならない。あっという間に全てを焼き尽くす火砕流が、押し寄せてくるからだ。

しかし、木々の合間から見える山々には、噴煙のようなものは見られなかった。

「古城の被害を調べよう」

最年長のギドマンの言葉に、他の者も頷く。

自分たちの仮の住まいである詰め所も崩壊して、酷い惨状となってしまっていたが、まずは王都へ古城の被害状況を報告しなければならない。

報告書を書くための紙とペンといったものは、小屋の崩壊に巻き込まれてしまったので、後で掘り出す必要があったが、詳細な被害状況の調査は後で行うとして、まずは彼らの管理対象である古城の様子をざっと目で見ておきたかった。

土埃が収まり、古城の惨状を目にすることができた。

数百年もの間、風雨に耐え続けた古城の頑丈な石壁だったが、先程の地震でいたるところに亀裂が走り、崩落している場所もあった。古城の主塔部分も崩落して無くなっている。

地面には大きな石が幾つも転がっている。

やはり先程のドーン、ドーンという連続して聞こえた大きな音は、壁が崩落した時のものだったのだ。

管理官たちの詰め所や畑が、もっと古城近くに作られていたら、彼らはこの大きな石の下敷きとなっていたかもしれない。

「古城は魔法による封印が施されていたはずなのだが、地震には効果が無かったのか」

大きな石で作られた古城の天井や石壁が、崩落を起こす程の衝撃だ。中にあるコンラートが遺した品々は無事なのだろうか。危険な劇薬の容器が床に落ち、猛毒の煙等が漏れ出しているかもしれない。

「考えなしに近づいてしまいましたが、何も対策無しにこれ以上古城へと近づくのは、危険かもしれません」

魔導師の一人の意見に、ギドマンは頷いた。

どのみち、ここより先は封印の結界魔法が張られているため、彼らにできることは何もないのだが、王都の報告には、古城内部にも大きな被害が出た可能性があると、上申することを考えていた。

「あっ!」

その時、別の場所で呪文を唱えていた魔導師が声を上げた。

「どうした?」

「ま、魔法が! 結界の魔法が!」

声を上げた魔導師が、慌てた様子で走りだす。そのタダ事ではない様子に、管理官たちも彼の後を追って走った。

行き先はすぐに分かった。

古城には何人たりとも足を踏み入れられないように、『五重結界魔法陣』という五つの魔法陣を用いた強力な結界魔法が張られている。

その結界魔法を作り出している五つの魔法陣の一つに、魔導師は駆け寄って、その場に膝から崩れ落ちるようにして座り込んだ。

「そんな馬鹿な……」

遅れて到着したもう一人の魔導師が、喉の奥で唸ったような声を絞り出す。

魔法陣に描かれた破邪を示す五芒星に、大きな亀裂が走っていた。

「どうしたのだ?」

ギドマンが尋ねると、最初に駆け出した魔導師が青褪めた表情で言った。

「封印の魔法が破られているんです!」

「破られている?」

魔導師の言葉にギドマンは引っかかりを覚えた。

(破れているのではなく、破られている?)

「破られているとはどういうことだ?」

「そのままの意味ですよ。古城を封印していた結界が消えてしまっています!」

「それは先程の地震で魔法陣が壊れたからではないのか?」

「そんなはずはありません」

声音に焦りの色が浮かんでいるのを隠すこともなく、魔導師は強い口調でギドマンに訴えた。

「この封印の魔法は、地震程度で破れるような簡単な魔法式ではありません!

ましてや、この魔法の術者はかの『大賢者』ティアラ・スキュルス・ヴェルファ様です。地震程度で破れるような魔法じゃない」

「では、結界が破られている事と、先程の地震は全くの無関係だとでも言うのかね?」

「いいえ。恐らく先程の地震は、結界が力づくで破られた事による余波のようなものでしょう。ティアラ様の魔法には、あれだけの地震が起こせるだけの魔力が込められている。ですが、彼女の魔法を破れるほどの魔導師となると――」

言い淀んだ魔導師の思いは、その場にいる全員に伝わった。

先ほどの地震が魔導師の言うように、強力な結界を破った時の余波なのだとしたら――。

この場にいた管理官たちに気づかれることもなく、そして人類最高の魔導師が張った結界を破れるほどの実力者。その実力は、少なく見積もっても大国の宮廷魔導師の上位席官級の魔導師だろう。

そんな人物が、コンラートの遺した禁忌の品々が溢れる古城へと侵入した可能性がある。

「悪い予感がする……」

ギドマンの零した小さな呟きは、この場にいる全管理官共通の予感だった。

誰もがその感覚に覚えがあって、こうした予感を覚えた時には決まって良くないことが起こった。

騎士だった父が戦場から帰ってこなかった時。

何年も肩を並べて戦った戦友が命を落とした時。

息子が初陣で命を落とした時。

「む、あそこを見てくれ」

管理官の一人が、砕けた古城の壁の亀裂の奥を指差した。

「……なんの光だ?」

小さな青い光がゆらゆらと頼りなく揺れているのが見えた。

亡者が生者を地獄へと誘う時に、青い火を灯してやってくるという古い迷信を聞いたことがあるが、ギドマンはその伝承を思わず連想する。だが、不気味だからといって職務を放棄するわけにはいかない。光の源を確かめる必要があった。

「確認に向かうぞ」

押し殺した声でギドマンが告げると全員が頷き、慎重に光が見える壁の亀裂へと歩き出した。

危険な薬剤の入った瓶が破損して、毒の煙が発生していることも考えて、気休め程度にはなるだろうと、口元に布を当てて進んで行く。

光が見えていた亀裂は、古城に近づいて見ると、頭の位置よりも随分と高い場所にあった。

そして亀裂のある場所までには、崩落によるものだろう大きな瓦礫が散乱していて、非常に足場が悪い。

最も若く体力に優れた管理官が先頭に立つと、足場を確認しつつ瓦礫をよじ登りはじめた。

その間にも、亀裂から覗く光がちらちらと動いているのがわかる。

天井の崩落によって差し込んだ外の光が、青色付きの硝子か何かに反射しているという可能性も考えていたのだが、明らかに人為的な光の動きであった。

間違いなく、何者か侵入者がいる。

だが――。

「大勢といった気配は感じ取れないな。しかし、我々がここにいることを知らぬ訳もあるまい。少数でこれだけのことを為したというのならば、余程の自信があるのか……。気を抜くな」

胸の内に膨れ上がる不安をかき消すために、小声で同僚たちに注意を促す。

『大賢者』ティアラ・スキュルス・ヴェルファの結界魔法を破る相手である。

一人でも管理官全員を相手にできるほどの実力者の可能性もある。

先頭を行っていた管理官が、ついに亀裂の真下へと辿り着いた。

落ちた石を足場にして亀裂に手をかけ、ゆっくりと身体を上へと引っ張り上げようとした。その時だった。

「っ!」

登っている最中で、管理官が声にならない悲鳴を上げて、大きく上体をのけぞらせた。

態勢を崩した彼はそのまま下の瓦礫へと落ち、彼の後に続こうとしていた別の管理官によって、その身体を抱き止められる。

「おい、しっかりしろ!」

ギドマンも急いで駆け寄った。

落ちた管理官は、同僚の腕の中で痙攣していた。

瞳が焦点を結んでおらず、口と鼻から血の泡が吹き出ている。

(毒の煙が出ていたのか……)

懸念していた通り、地震で何らかの薬瓶かその類のものが破損し、毒の煙が流れ出していたのかもしれない。

しかし、倒れた管理官の襟元を緩めようと彼の制服のボタンを外し、彼の首元が目に飛び込んできた時、ギドマンの動きが止まった。

(これは……!)

倒れた管理官の首元には、浅黒い痣が浮かんでいた。

それも、目に見えてじわじわと広がりつつあるのが確認できる。

「瘴気! では、まさか……」

対魔大陸同盟軍に加わったこともある経験豊富なギドマンには、この症状に見覚えがあった。

魔物たちの上位存在である魔族――それもかなり高位の魔族と接した人間が、その瘴気にあてられた時に見られる症状。犠牲者の全身にじわじわと広がっていくこの瘴気の痣は、やがて肌とその下の肉を腐り溶かしていく。

考えている合間にも、すでに倒れた管理官の肩の辺りの肉が崩れ落ち、骨が見え始めていた。すでに彼の呼吸はか細いものとなっていて、絶命するのは時間の問題だった。

「……逃げるぞ」

ギドマンは立ち上がった。

そして同僚たちを見回す。

「しかし……」

この地に派遣されている管理官たちは、退官が間近であるとはいえ、誰もが任務に対して強い使命感を持つものばかりだ。未知の何かによって同僚を失い、その上古城を守るという任務からも逃げるという提案は受け入れ難いという彼らの気持ちはよく分かる。

だが、老管理官は彼らのそんな迷いを断ち切るために鋭い眼光で全員の顔を見回すと、言い含めるかのように強い口調で言った。

「逃げるぞ! 一刻も早く、この場から遠くへ!」

もしも魔族だとしたら、ギドマンたちだけでは手に負えない。何の対策も無しに突っ込めば、たったいま絶命したばかりの同僚の二の舞いとなる。

彼の犠牲を無駄にしないためにも、この場は引き、一刻も早く王都へ応援を要請するべきだろう。

他の管理官も魔導師も歴戦の者たちだ。

ギドマンの様子にすぐに迷いを退けて走りだした。

同僚の遺体もその場に置いて行くことにした。

瘴気に冒された遺体は、そのまま周囲にも広がりかねない。感染病のごとく、接触した者にも伝染っていく可能性がある。幸いな事に、ギドマンは瘴気が拡がっていた部位に触れてはいない。同僚の遺体をそのままにしていくのは心残りだったが、瘴気に冒された遺体を麓の町まで運ぶよりも、瓦礫しか周囲にない古城に放置したほうが安全だ。

そして管理官たちはソイルの山を急ぎ下った。麓の町まで到着すると、事の次第を急ぎ王都へと報告する。

そしてその報告は、リヨン王国の誇る魔王討伐の英雄『剣聖』ラウル・オルト・リヨンへと届いたのだった。