軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

漆:終焉と序章

庭師が整えた薔薇の垣根が風に揺れ、淡い香りが漂ってくる。

夜会の喧噪とは正反対の、穏やかな午後だった。

──あの日から二週間。

ヴァイオレットは学園で何事もなかったかのように過ごしていたが、心の奥底ではまだざらりとした感情が居座っていた。

セーラの仕掛けた芝居と、ゼイビアの視線に走った安堵──思い返すたびに胸がざわめき、落ち着かない。

けれど、こうして彼と同じ庭で紅茶を囲んでいると、すべてが遠い夢だったようにも思えてしまう。その矛盾が、余計に心を乱した。

「それで……アレの件だけどね」

どうやら、ゼイビアの中でセーラの『アレ』呼びは、すっかり定着してしまったらしい。

ゼイビアは紅茶を一口含んでから、ゆったりとした声で続ける。

「先に、商会のほうの結論だけど、何も出てこなかったんだ。せいぜい調子に乗りやすくて、見境なく令息に近付くくらいだって話で、父も『取り越し苦労だったな』と」

ヴァイオレットはカップを持つ指に力がこもるのを自覚した。

(あんなにも振り回されて、結果がそれ……?)

ゼイビアの声音は淡々としていて、商会調査が終わったことを静かに告げていた。

「仕入れと販路の助言は確かに的確だった。珊瑚の形の香水瓶や、平民で流行したレース編みの指輪、星の形の砂糖菓子、ストラップ付きのガラスペン……全部、先回りで当てていた。ただ、証拠はなし。才覚と言うには首をかしげるが、偶然が重なった。そういう結論に落ち着いた」

「……」

本当は偶然なんかじゃない。

あれは、物語の筋書きを知っているからこその先回りだ。

だけど、それを口にしたところで信じてもらえるはずがない。狂言めいて笑われるか、疑われるだけだ。

(……仕方ないわね。前世の話なんてできないもの)

悔しさをのみ込むように、ヴァイオレットは唇を噛んだ。

「唇を噛んではだめだよ?」

「……はい」

ゼイビアの指がそっとヴァイオレットの顎を持ち上げ、菫の砂糖漬けを口に入れてくる。

舌の上でほろりと崩れ、花の香りと優しい甘さが広がった。

ヴァイオレットの返事に満足げな笑みを浮かべたあと、ゼイビアは何気ない口調で続けた。

「で、アレが退学になった話なんだけど」

「……え、退学、ですか?」

(なんて、あっさり……)

「うん。第二王子殿下に、薬物入りのクッキーを渡したんだよ」

「まあ!」

「アレは闇市の屋台で禁止薬物を、『恋のおまじない』だと信じ込んでいたんだ。平民の間では、『恋のおまじない』と謳われてるらしいけど、実際は酩酊作用が強くて、年齢の低い子供が口にすれば命にかかわる」

ゼイビアの言葉を聞きながら、ヴァイオレットは悟る。

(……そういうことだったのね)

セーラはこの世界を物語だと思い込んでいたのだろう。

ゲームの中では満月の夜だけ現れる特別な店。

しかし、『現実』にあるのは、闇市の屋台。

彼女はそれを同じものだと思い込んだのだ。

(でも、この世界は彼女一人の為に作られた舞台なんかじゃない。皆が生きていて、笑って、泣いて……私たちは、ただの登場人物なんかじゃないのに)

そう、ここは言葉の選択肢の画面も、便利なアイテムも、好感度メーターもない、現実の世界なのだ。

「本人はそんな危険なものだとも知らずに買って、クッキーに練り込んで、それを王子殿下に渡した──そういう話だよ。それに、副学園長がアレから賄賂を受け取っていたんだ。宣伝用で数量限定の入手困難な香水瓶をね。その見返りに点数を嵩増しして入学させた。だから噂では『満点の模範解答』なんて言われていたけれど……つまり、アレは元から学園に相応しい人間ではないんだ」

ゼイビアは続ける。

「まあ、とはいえ。無知だったアレに、お優しい王妃殿下が温情をかけてくださった。公には『家庭の事情による退学』。実際は王家の監察付きで北部の行儀見習い学校送りだ。王家の面子を守る為の表向き処分だね」

(そういえば……『シークレットルート』があったわね)

相手は第二王子。本来は特別な条件を積み重ねて、ようやく進める道筋。

前世の自分も触れたことがない。

セーラは入口を知らず、近道を探して……だからこそ、闇市の屋台なんて危うい手に出たのだろう。

果実酒の件もそう。手っ取り早い方法を選んだ結果が、あの茶番。

そう考えるのが、一番腑に落ちた。

「難しい顔してどうしたの?」

「ビカ子爵令嬢のことを考えていました。結局、彼女は何がしたかったのだろうって……」

「北部へ向かう馬車に押し込められるのに抵抗しながら『私はヒロインなのに』とか、『悪役に嵌められた』とか何とか叫んでたらしいよ」

ゼイビアは軽く笑ったが、耳にした言葉は笑えないほど空虚だった。

「物語の主人公にでもなりたかったんじゃない?」

「主人公……」

ヴァイオレットは思わず息をのむ。

胸に広がったのは怒りでも軽蔑でもなく、理解しがたい哀れみだった。

「ああ、それと。北部の行儀見習い学校か、ノヴァコヴィッチ修道院かで少し議論があったけれど……アレが君に嫌がらせの冤罪をかけようとしたから、前者を推薦しておいた」

「まあ」

(ノヴァコヴィッチ修道院……。前世の物語で、悪役令嬢が最後に送られる場所だわ。規律は厳しいけれど、祈りや作業に専念できる分だけ心穏やかに過ごせるはず……)

でも、北部の行儀見習い学校は違う──『学校』なんて、名ばかり。

あそこは王家の監視の下、貴族の体裁を取り繕う為に押し込められる場所である。

冬の寒さは厳しく、罰則も容赦がない。

そこに送られた者が再び社交界へ戻る可能性は、ほぼ零に近い。

ヴァイオレットは、ほんの少しだけセーラに同情を覚えた。

それは勝利の証ではない。

自分が選ばれ、愛されていると知ったからこそ抱けた、人としての情けだった。

どうやら、今回のことでヴァイオレットは少し成長したらしい。

「ねえ、もうこの話はおしまいだよ。さあ、僕の目を見て」

アレの話なんかどうでもいい、と言わんばかりの彼は、セーラが現れる前より……なんというか『素』を出すようになった。

基本的に優しいのだが、『絶対に逃がさない』という圧を感じるのだ。

(まあ、望むところではあるけれど)

思い返せば、彼の手紙はいつも優しい書き出しで始まった。

結びには『夜更かしはしないように』とか『僕以外の男に笑顔を向けないこと』といった一文が添えられていた。

贈り物の花束もそうだ。

可憐な花に紛れて、必ず一つだけ『独占』を意味する花が混じっていた。

気付くたびに胸の奥が熱くなり、頬が自然と緩んでしまう。

きっと彼は分かっていて選んでいる。

逃がさないと告げる為に。

姉が甥姪を連れて里帰りした折、その花を見て「少し怖いわねえ」と笑ったことがある。

けれどヴァイオレットにとって、その『重さ』は嬉しかった。怖いくらいでいい。

だって、自分も同じくらい強く彼を想っているのだから。

花に種類があるように、気持ちにもいろんな形がある。

どんな花でも美しいように、彼から向けられる想いなら、どんな色をしていても愛しい。

頬に熱が昇り、思わず視線を逸らした瞬間、彼の指先が唇に触れた。

「好きだよ、ヴァイオレット」

囁かれた声は優しく、未来を約束する響きがあった。

ヴァイオレットは顔を赤くしながら小さく頷く。

降ってきた口付けは菫の砂糖漬けよりも甘かった。

甘美と束縛、その両方を受け入れてしまった自分に気付き、ヴァイオレットの頬はさらに熱を帯びた。

【完】