軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

2-12.夜の訪問者

今日の日中、図書館にいらした時の王女様の言葉が頭から離れない。

『お気に入りのもので満たしたいんだもの』

『好きでもない相手の元に嫁ぐんだもの。多少の慰めがあってもいいと思うのよ』

それに同意する事も共感する事も出来なくて、ただもやもやとした気持ちだけが積み上がっていく。

夕食のあと、部屋でのんびり本を読もうと思っていたのに、開いた本はほんの数ページで止まっている。

集中出来なくて、本の世界に没入できない。それがまた悔しくて、溜息なのかも分からないくらいに深い息を吐いた。

ノアをそんな風に扱われるのも嫌だ。ノアをわたしから離そうとするのも嫌だ。

王女様の言う通りにはならないと、皆が慰めてくれるけれど……それはわたしも分かっているのだ。王女様がどれだけ願ったって、それを良しとする人はいない。

でも、それが分かっていたって……苛立つのはどうしようもない。

「もう……もやもやしすぎて気持ちが悪いわ」

今日はもう読めないだろう。

お気に入りの栞を挟もうと思って、それもやめた。だって本当に序盤過ぎて栞さえいらないほどだったから。

何度目になるかも分からない溜息は、少し開けた窓からの夜風に消えていく。

涼やかな風がゆっくりと部屋を巡ると、花の香りも一緒に広がっているのを感じた。その花香に促されて窓辺を見ると、ノアが贈ってくれている花が風に吹かれて揺れている。

「……会いたいわ」

ぽつりと漏らした呟きも、風の中に消えていった。

──ピィーッ

不意に、何か高い音が聞こえた。口笛のような、鳥の鳴き声のような……。静かな夜には不釣り合いのその音が気になって、わたしは窓へと近付いていた。

鳥だとしても、月明かりしかない中で見えるかしら。

そう思いながら目を凝らすと、屋敷を囲う柵の側に人影が見える。また、高い音が響いた。

その人からはわたしが見えているようで、自分を知らせるように片手を大きく振っている。あれは──

わたしは椅子に掛けていたショールを手にすると部屋を飛び出した。ばたばたと廊下を駆けてしまって、何事かと兄が部屋から顔を出すけれど「出掛けてくる!」としか言えなかった。

窓を閉め忘れたと気付いても、もう戻れない。

わたしの勢いに驚いているマルクにドアを開けて貰って、わたしは外へと走っていた。

「ノア!」

「はは、すげー勢い」

門のところまで移動していたノアが、わたしを出迎えてくれる。

いつものように髪を下ろし、黒縁眼鏡をかけたノアは、わたしの頭にぽんと手を乗せてから軽く会釈をしている。一体どうしたのかと肩越しに振り返ると、全てを承知したように微笑むマルクが見送ってくれていた。

ショールを羽織って、ノアと一緒に夜道を歩く。伸びる影が寄り添っているのを見るのも久しぶりだ。

忙しくなる前はよくこうして一緒にお散歩していたものだ。それを思い返して何だか嬉しくなってしまったけれど……。

「ねぇノア、忙しいんじゃないの?」

「朝早くから王都を離れてるだけで、任務内容はきつくないぞ。夜だってそんなに遅く戻っているわけじゃねぇんだが……出歩いているのを見つかったら面倒だから、宿舎を出ない方がいいって言われているだけで」

「そうなの? 今夜は……どうして」

「お前に会いたかったからに決まってるだろ」

ノアが手を繋いでくれる。

その温もりに、どれだけ恋焦がれていたのか思い知らされてしまって。泣きたくなるのを堪えて、繋ぐ手にわたしからも力を込めた。

「ラルスから聞いた。図書館に来たんだってな」

労わるような優しい声に、小さく頷いた。

ノアはどこまで聞いているのだろう。王女様が口にした言葉も、知っているんだろうか。

またもやもやする気持ちが、わたしの背中を丸めさせる。

そんな様子に気付いたらしいノアが繋ぐ手をぐっと引っ張るものだから、引かれるままにわたしは足を速めていた。

「久し振りに飲もうぜ。あまりりす亭に行くには……ちょっと遅いか。露店でワインでも買うのはどうだ?」

懐中時計で時間を確認したノアが、蓋を閉じるとパチンと気持ちのいい音が響く。

あれはわたしが婚約記念に贈った時計だ。金の鎖が彼の手から垂れている。使っているのを見るたびに嬉しくなってしまうのは、もうこれからもずっとそうなのだろう。

「いいわね。あ、でも……朝が早いんでしょう? 大丈夫?」

「心配ねぇよ」

それなら、今日はもう甘えてしまおう。

折角会いに来てくれたのだから、わたしもノアと一緒に過ごしたい。

先程までのもやもやとした気持ちは、夜気の中に溶けて消えていったのだろうか。

いまは心が弾んでいる。だってノアと一緒に過ごせるんだもの。

繁華街の方へ向かい、一番近くに出ていた露店で赤ワインと軽食を買う。

赤ら顔で陽気な店主がおまけと言ってはワインを溢れさせるものだから、可笑しくなって笑ってしまった。

そのままわたし達が向かったのは公園だった。

冬には雪像で賑やかだった公園だけど、今では大きな噴水の印象が強い。夜の今はもう水が止められていて、公園内を流れる小川のせせらぎだけが涼やかに響いていた。

公園に、わたし達以外の人はいない。

喧噪も遠く、日常とは切り離されたような不思議な感じがしていた。

小川の側にあるベンチに並んで座ると、ノアが紙袋の中から木製のカップを取り出して渡してくれる。

両手でそれを受け取ると、華やかな葡萄の香りが鼻を擽っていった。

「乾杯」

「乾杯。ノアもお疲れ様」

カップの縁を少し合わせてから、わたしは早速ワインを口にした。

酸味が強くて爽やかだ。軽やかだからといって飲み過ぎないようにしないと。

「うん、美味しい」

「久し振りに酒も飲んだ。美味いな」

「わたしと一緒だからでしょ?」

「違いねぇな」

こういったやり取りも久しぶりだ。

楽しくて、嬉しくて、ずっとこんな時間が続けばいいのになんて思ってしまう。

ノアもそう思ってくれていたらいいなって、そう願った。